どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

うちゅうじんはいない!?

2019年07月06日 | 絵本(外国)

   うちゅうじんはいない!?/ジョン・エイジー:作・絵 久保陽子・訳/フレーベル館/2019年

 

 宇宙の星の数は、一つの銀河に1000憶から一兆個、この銀河が一千億あまり、計算すると想像を絶する数。

 これだけあると未知の生命体があっても不思議ではありません。子どもだけでなく大人にも夢があります。

 ”ぼく”がやってきた星。絶対に宇宙人がいると信じてやってきたが?

 土と岩山?だらけのところを歩きますが、みえません。

 そのうち宇宙船を見失ってしまいます。このままでは地球に帰れません。さあ、どうなる?。

 ”ぼく”のあとを、なにやら不思議な生き物がついてきているのですが、”ぼく”はきがついていません。

 不思議な生き物がつくってくれた山?にのぼると、ずっと向こうに宇宙船。花までみつけます。

 でも、おみやげにもっていった箱のケーキの中身はからっぽ。

 どうやら、不思議な生き物ものが食べてしまったのかな。やっぱり宇宙人らしきものがいました。


たくさんのお月さま

2019年07月05日 | 創作(外国)

 

     たくさんのお月さま/ジェームズ・サーバー・作 ルイス・スロボドギン・絵 中川千尋・訳/徳間書店/2019年

 原著は1943年の出版。日本では1949年に光吉夏弥訳で出版され、1994年に中川千尋訳で、さらに今年に幼年向けの読み物の形に直したとありました。 

 ある日、木いちごのタルトをたべすぎて、病気になった十歳のレノアひめでしたが、父君である王さまに、「なにか、ほしいものはあるかい!」と尋ねられ、お月さまがほしいと言いだします。

 お城には、かしこい家来がおおぜいるので、王さまがおのぞみのものは、いつでも、なんでも手に入ります。王さまは、賢い大臣、魔法つかい、数学の大先生に、月をとってくる方法をたずねます。ところが、みんなは、これまでの実績を長々と言い立てるだけで、結局は月は手にはいらないといいます。

 実績はきちんと一覧表になっていて、ひとつひとつ素晴らしいものばかり。この一覧表をみるだけで、いかに不可能を可能にしたものかがわかります。(ユーモアもあって楽しいですよ)

 しかし、月が手に入れられないと悲しんだ王さまは、道化師をよび、リュートでせめて悲しい曲をひくようにいいます。

 道化師は、月までの距離、大きさの答えが、大臣、魔法使い、数学の大先生でまちまちなことを聞いて「みなさんかしこいかたばかりです。だから、たぶん、みなさん正しいのでしょう。みなさんが正しいとなれば 月というのは、ひとりひとりがかんがえるとおりの大きさで、また、ひとりひとりがかんがえるだけ遠いということになります。とすれば、レノアひめが、月をどのくらい大きく、どのくらい遠いとおかんがえなのかを、うかがわなければなりませんね」と、おひめさまのところへ。

 おひめさまのいう月は、おやゆびのつめより、ちょっと小さいくらい、大きな木のてっぺんくらいのところにある、金でできている と聞いた道化師は、金細工師に小さくてまるい金の月を作らせ、金の鎖をつけると、おひめさまのもとへ。するとおひめさまの病気もすっかりよくなってしまいます。

 しかし、ここからが問題です。夜になればまた月がかがやきます。

 王さまは、またレノアひめが、病気になるのではないか心配し、空にかがやく月を、レノアひめにみせてはならないと、もういちど大臣、魔法つかい、数学の大先生に相談します。

 けれども黒めがねや黒いビロードの幕で城をおおう、花火をやすみなく打ち上げるという方法を提案され、王さまはかんかんにおこりだし、とんだりはねたりします。

 ここで道化師は、レノアひめが月のことをよくごぞんじと、なぜまた空に月がかがやいているか たずねます。

 するとレノアひめの答えは?

 大人の固定観念を、あざやかに打ち破る結末がまっています。
 
 「月がほしい」といわれて、空にある月をもってくるというのは大人の発想。子どもがどうかんがえているか知ろうともしない大人を皮肉っているのかも知れません。

かさどろぼう

2019年07月04日 | 絵本(外国)

   かさどろぼう/シビル・ウエツタシンハ:作・絵 いのくま ようこ・訳/徳間書店/2007年初版

 

 スリランカの島の小さな村が舞台です。

 傘がないこの村では、バナナや、ヤムいもの はっぱを 傘の代わりにしていました。

 この村のキリ・ママというおじさんが、うまれてはじめて町でかけました。 町でみかけたのは、色鮮やかな傘。なんて きれいで便利なものだろうと、さんざんまよったあげく一本の傘をかいました。

 バスがむらについたとき、もうあたりは薄暗くなっています。キリ・ママはバス停そばのコーヒー屋で一息つきます。

 キリ・ママは、町で見てきた珍しいもののあれこれを、はなしましたが、傘は塀の影にかくして、話さないように気をつけていました。

 ところが帰ろうとすると傘がありませんでした。せっかく、みんなにみせびらかそうと思っていた素敵な傘がなくなっていたのです。

 あきらめきれないキリ・ママは、なんども町に行って傘を買うようになりました。

 けれども、傘はコーヒーを飲んでいる間に、いつもなくなってしまいます。

 ここまでくると、どうもコーヒー屋の主人があやしいのですが、思わぬ展開をします。

 町でもういちど傘を買ったキリ・ママは、傘の間に小さく切った紙切れをたたんで、傘の中につめこんでおきました。そして道に落ちている紙切れのあとを追っていくと、ふるくて大きな木の上に。ずらりと傘がぶらさがっていました。

 木によじ登ったキリ・ママは、傘を回収しますが、一本だけは、どろぼうに、やるため残しておきました。

 回収した傘で、店を開いたキリ・ママのところへは、村中の人が、どっとおしかけてきました。 

 キリ・ママは、きれいな傘の花がさくと「どろぼうが 傘をぬすんでくれてよかった。おかげで 傘の店ができたのだから、おれいを いいたいぐらいだよ」と感謝しますが、傘どろぼうは一体だれだったのでしょう。

 何度も盗まれたら、怒り心頭になりそうですが、キリ・ママさん なんとも太っ腹です。それにしても店を開けるほど傘がありましたから、何回町へかよったのでしょうか?。 

 ゆったりした時間が流れている絵本でした。

 キリ・ママがコーヒーで一休みするところがでてきますが、スリランカといえば紅茶ですから、コーヒーについて調べてみました。かってはコーヒー栽培が盛んだったようです。そして、いま幻とよばれるコーヒーの栽培に取り組まれているとありました。


ガリバーの冒険

2019年07月03日 | いろいろ

 

   ガリバーの冒険/ジョナサン・スウィフト・原作 井上ひさし・文 安野光雅・絵/文藝春秋/2012年

 

 子どものころのかすかな記憶がある「ガリバー旅行記」ですが、この初版は1792年。200年以上も前です。

 小人の国や巨人の国がでてきたように思いますが、この絵本は小人国に限定されています。

 ガリバーが語りかける形式で書かれており、読みやすくなっています。

 となりの国の軍艦がせめてくると、あっというまに敵の軍艦を捕獲してしまったガリバーに、ごほうびに服をつくると、国の貯金が全部なくなってしまいます。その上、国中の食べ物を全部食べてしまったガリバーでしたから、迷惑きわまりありません。

 王様は国中の船大工を集めて、ガリバーが乗れる大きさの船を作り「ずっといてもらいたかったが、なにしろ 君は大きいからね。まあ 悪く思わないでね。」といいますが、ガリバーも「別になんとも 思いませんよ。それじゃ、王様さようなら。」と理解があって さっぱりしています

 子どもころ、一度はこびとに思いをめぐらしたこともあるのではないでしょうか。こびとからみれば巨人がやってきたら便利なこともありますが、やっぱり大変です。このあたりがさらりと書かれていて納得いきました。

 国の貯金が全部なくなったというのは、井上さんらしい表現です。

 安野さんのあとがきには、1969年に発刊された本の存在をわすれており、絵を描きなおしたとありました。井上 ひさし(1934 -2010)さんが亡くなられて、これまでのものが、見直されて出版されたようです。

 文藝春秋の絵本というのもはじめてかな?


7日だけのローリー

2019年07月02日 | 絵本(日本)


    7日だけのローリー/片山健/学研/2007年


 ある朝、家の外にみたことのない犬が。
 家の周りをまわってみますが、だれも知った人がいません。

 おとうさんが一週間たっても飼い主が見つからなかったら、保健所につれていくという約束で犬をかうことに。

 面倒見のいい一家です。小さな空き家の軒下に居場所を確保し、インターネットやポスターで知らせたり、おまけに看板までつくり、散歩にも連れていきます。

 名前は、お母さんの一言で”ローリ”とつけました。おかあさんがすきな歌手です。

 嵐がやってきたり、公園で遊んだり。六日目にはこのまま飼い主がみつからなかったら、家でかうことにしますが、七日目の昼、ローリーの声がきこえてきて・・・。

 結局飼い主があらわれますが、別れの場面が秀逸。

 別れの時、ローリーが きゅうに ぼくたちのほうへかけてきて、おとうさん、おかあさん、ぼくにだきついたあと、もう一度もふりかえらずに まっすぐ帰っていきます。

 飼い主がみつかったのを喜びながらも、ちょっと寂しさがただようラストです。

 意味深なタイトルもロマンチックで、思わず手に取りたくなります。


狼とハリネズミと猟犬・・・モロッコ

2019年07月01日 | 昔話(アフリカ)

      世界の犬の民話/日本民話の会 外国民話研究会:編訳/ちくま文庫/2017年


 豊作が予想されたある年に、狼とハリネズミが、放置された畑に大麦をまきました。

 平等に分配する約束でしたが、腹黒い狼は、十枡分の大麦を自分のものにして、ハリネズミ分は一枡分を地上にばらまいたので、ハリネズミは一粒ずつ拾い上げなっければなりませんでした。

 ハリネズミは分配を翌日までのばしてくれるようにたのみ、知り合いの数頭の猟犬に不平をうったえると、一頭の猟犬が、あなたを助けてあげようといってくれました。

 脱穀場につくと狼は、自分には十枡分、ハリネズミには一枡分を入れます。狼が三度目にハリネズミの袋に大麦を入れようとすると猟犬の鼻先が見えます。
 すると狼の態度がころりとかわり、大麦を平等に分けはじめます。

 このときから狼とハリネズミは仲間になることはありませんでした。

 どこの国にも昔話は存在しますが、あまりモロッコのものをみたことがありません。


カンガルーの子どもにも かあさんいるの?

2019年07月01日 | 絵本(外国)


   カンガルーの子どもにもかあさんいるの?/エリック・カール:作・絵 さのようこ・訳/偕成社/2000年


 エリック・カールさんの独特の風合いの絵がいい味を出しています。

 「○○の子どもにもかあさんいるの?」ではじまります。
 ええ、もちろん○○の子どもにも かあさんは いるわ。あなたとおなじよ。

 ○○にはカンガルー、ライオン、キリン、ペンギン、はくちょう・・・・と続いていきます。

 子どもにおなじみの動物が出てきますから、素直に受けとめてくれそうです。

 「どうぶつのおかあさんは とっても子どもを かわいがるわ。あなたのかあさんが、あなたをかわいがるのと そっくりおんなじよ」

 おかあさんの愛情がたっぷり感じられます。でも、子どもも おかあさんも描かれていません。動物の親子だけです。