昨日は、三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは1686年頃生まれたサラチーニの作品である。
シエナの有力な貴族であった彼は、音楽をたしなみ、
ディンディアとならぶモノディの大家として、
プロの音楽家とも肩を並べることができるくらいに名曲を残した。
イタリア語で書かれた129曲のモノディを作曲したようだ。
「私は死ぬ)」、「ああ、なんと無駄なことか」、「この愛この渇き」の
作曲時期について詳しいことはわからない。
今回聴いたCDは、ナイジェル・ロジャーズのテノール、
アントニー・ベイルズのキタローネ、ペレ・ロスのヴイオローネ、
コリン・ティルニーのハープシコードの伴奏によるものである。
「私は死ぬ(Io moro)」は、悲しい感じの曲である。
「私は死ぬ、死ぬ、そう私は死ぬ」といった内容の歌詞で、
最初から始まるのだから当然だろう。
あなたのキスなしではこの人生を終わりにすることはしない
という歌詞で終わるのでそうはいっても情熱的な曲である。
「ああ、なんと無駄なことか(Deh,come invan chiedete)」は、
朗唱風の曲で、レチタティーヴォ風の短い曲である。
「この愛この渇き(Quest’amore, quest’arsura)」は、
軽快なテンポで物悲しくも情熱的に歌われる。
3つの中では私にとっては一番印象に残った曲である。
途中聴いたのは1686年頃生まれたサラチーニの作品である。
シエナの有力な貴族であった彼は、音楽をたしなみ、
ディンディアとならぶモノディの大家として、
プロの音楽家とも肩を並べることができるくらいに名曲を残した。
イタリア語で書かれた129曲のモノディを作曲したようだ。
「私は死ぬ)」、「ああ、なんと無駄なことか」、「この愛この渇き」の
作曲時期について詳しいことはわからない。
今回聴いたCDは、ナイジェル・ロジャーズのテノール、
アントニー・ベイルズのキタローネ、ペレ・ロスのヴイオローネ、
コリン・ティルニーのハープシコードの伴奏によるものである。
「私は死ぬ(Io moro)」は、悲しい感じの曲である。
「私は死ぬ、死ぬ、そう私は死ぬ」といった内容の歌詞で、
最初から始まるのだから当然だろう。
あなたのキスなしではこの人生を終わりにすることはしない
という歌詞で終わるのでそうはいっても情熱的な曲である。
「ああ、なんと無駄なことか(Deh,come invan chiedete)」は、
朗唱風の曲で、レチタティーヴォ風の短い曲である。
「この愛この渇き(Quest’amore, quest’arsura)」は、
軽快なテンポで物悲しくも情熱的に歌われる。
3つの中では私にとっては一番印象に残った曲である。