昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは1583年に生まれたフレスコバルディの作品。
彼の略歴については、器楽曲・室内楽曲編で触れたので省略する。
「音楽の花束」は、1635年に作曲されたオルガン・ミサ曲集である。
その第1巻にあたるのが「主日のミサ」である。
今回聴いたCDはロレンツォ・ギエルミのオルガン、
クリストフ・エルケンスの指揮、カンティクムの演奏による。
最初のオルガンによる「トッカータ」は重厚な感じである。
「キリエ」はオルガンの前奏によって始まり、合唱が入る。
合唱は単声であり、グレゴリオ聖歌に基づくもののようだ。
オルガンの間奏、そして単声合唱が交互に繰り返される。
「グロリア」は単声合唱のみにより美しい旋律が歌われる。
「カンツォン」はオルガンのみによる即興的なフーガ風の曲。
「クレド」は単声合唱のみによるグレゴリオ聖歌風の曲。
「リチェルカーレ」は旋律が印象的な短い曲である。
オルガンによる対位法的な展開がされ、面白い。
「サンクストゥス」は単声合唱による美しい曲。
続く「トッカータ」は、ゆったりとしたオルガン曲。
「神の子羊」は、単声合唱によるグレゴリオ聖歌風の短い曲。
「カンツォン」はオルガンによるルネサンス風な曲で、
華やかさのある軽快な自由で即興的な音楽である。
「イテ・ミサ・エスト」は、短い単声合唱による曲。
「イテ・ミサ・エスト」はミサ解散の言葉ということだ。
次の「トッカータ」はオルガンによる即興的な曲。
「インビタトリウム(招詞)」は単声合唱による短い曲。
「ヴァーセット」はオルガンによる即興的な曲。
「交唱」は独唱と合唱を繰り返す簡素な曲。
「ヴァーセット」はオルガンによる即興的な曲。
「讃歌」はオルガンの前奏に続き単声合唱による歌が続く。
オルガン独奏と単声合唱が交互に演奏される。
続く「交唱」は独唱と合唱とオルガン独奏が交互に登場する。
「主をたたえん」は単声合唱による短い曲。
「聖マリア」は素朴な単声合唱による曲。
「ベルガマスク」はオルガン独奏による変奏曲風な曲で、
これをもって全曲が閉じられるのだが、
なぜ最後がこの曲なのだろうかはわからない。
途中聴いたのは1583年に生まれたフレスコバルディの作品。
彼の略歴については、器楽曲・室内楽曲編で触れたので省略する。
「音楽の花束」は、1635年に作曲されたオルガン・ミサ曲集である。
その第1巻にあたるのが「主日のミサ」である。
今回聴いたCDはロレンツォ・ギエルミのオルガン、
クリストフ・エルケンスの指揮、カンティクムの演奏による。
最初のオルガンによる「トッカータ」は重厚な感じである。
「キリエ」はオルガンの前奏によって始まり、合唱が入る。
合唱は単声であり、グレゴリオ聖歌に基づくもののようだ。
オルガンの間奏、そして単声合唱が交互に繰り返される。
「グロリア」は単声合唱のみにより美しい旋律が歌われる。
「カンツォン」はオルガンのみによる即興的なフーガ風の曲。
「クレド」は単声合唱のみによるグレゴリオ聖歌風の曲。
「リチェルカーレ」は旋律が印象的な短い曲である。
オルガンによる対位法的な展開がされ、面白い。
「サンクストゥス」は単声合唱による美しい曲。
続く「トッカータ」は、ゆったりとしたオルガン曲。
「神の子羊」は、単声合唱によるグレゴリオ聖歌風の短い曲。
「カンツォン」はオルガンによるルネサンス風な曲で、
華やかさのある軽快な自由で即興的な音楽である。
「イテ・ミサ・エスト」は、短い単声合唱による曲。
「イテ・ミサ・エスト」はミサ解散の言葉ということだ。
次の「トッカータ」はオルガンによる即興的な曲。
「インビタトリウム(招詞)」は単声合唱による短い曲。
「ヴァーセット」はオルガンによる即興的な曲。
「交唱」は独唱と合唱を繰り返す簡素な曲。
「ヴァーセット」はオルガンによる即興的な曲。
「讃歌」はオルガンの前奏に続き単声合唱による歌が続く。
オルガン独奏と単声合唱が交互に演奏される。
続く「交唱」は独唱と合唱とオルガン独奏が交互に登場する。
「主をたたえん」は単声合唱による短い曲。
「聖マリア」は素朴な単声合唱による曲。
「ベルガマスク」はオルガン独奏による変奏曲風な曲で、
これをもって全曲が閉じられるのだが、
なぜ最後がこの曲なのだろうかはわからない。