昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは1648年生まれのシェッレの作品である。
彼は1657年にヴォルフェンビュッテル公爵の楽団で、
楽長として活躍していたハインリヒ・シュッツの推薦により合唱団員となり、
1665年から1667年にはライプチヒのトーマス教会聖歌隊の歌手となり、
1667年にはライプチヒ大学に入学したようである。
1670年にはセバスティアン・クニュプファーの推薦で、
アイレンブルクの学校のカントルとなって活躍したということだ。
1677年からはセバスティアン・クニュプファーの後任として、
聖トーマス教会のカントルを生涯務めたようである。
彼が亡くなったあとはヨハン・クーナウがカントルの後任を務めた。
ここでは「Das ist mir lieb」の曲だけを触れておくことにするが、
この作品の作曲年代について詳しいことは分かっていない。
今回聴いたCDはコンラート・ユングヘーネルの指揮およびリュート、
カントゥス・ケルンの演奏による。
「Das ist mir lieb」の冒頭は器楽による前奏がしばらく続く。
テノールに続きソプラノが入り、もう一人のテノールとバスが入り、
他の女声部も入り、フーガ風の旋律が展開されていく。
途中からリュートとオルガンが入り、曲調が変わる。
女声の二重唱とテノールの掛け合い、2人のテノールの二重唱、
全体の合唱によるフーガ風の歌というように曲に変化があり、
最後はオルガン曲のように壮麗な感じで終わる。
途中聴いたのは1648年生まれのシェッレの作品である。
彼は1657年にヴォルフェンビュッテル公爵の楽団で、
楽長として活躍していたハインリヒ・シュッツの推薦により合唱団員となり、
1665年から1667年にはライプチヒのトーマス教会聖歌隊の歌手となり、
1667年にはライプチヒ大学に入学したようである。
1670年にはセバスティアン・クニュプファーの推薦で、
アイレンブルクの学校のカントルとなって活躍したということだ。
1677年からはセバスティアン・クニュプファーの後任として、
聖トーマス教会のカントルを生涯務めたようである。
彼が亡くなったあとはヨハン・クーナウがカントルの後任を務めた。
ここでは「Das ist mir lieb」の曲だけを触れておくことにするが、
この作品の作曲年代について詳しいことは分かっていない。
今回聴いたCDはコンラート・ユングヘーネルの指揮およびリュート、
カントゥス・ケルンの演奏による。
「Das ist mir lieb」の冒頭は器楽による前奏がしばらく続く。
テノールに続きソプラノが入り、もう一人のテノールとバスが入り、
他の女声部も入り、フーガ風の旋律が展開されていく。
途中からリュートとオルガンが入り、曲調が変わる。
女声の二重唱とテノールの掛け合い、2人のテノールの二重唱、
全体の合唱によるフーガ風の歌というように曲に変化があり、
最後はオルガン曲のように壮麗な感じで終わる。