昨日は三枚町から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは1604年生まれのアルベルトの作品である。
中部ドイツのローベンシュタインの名門の家に生まれた彼は、
少年時代には専門の音楽教育を受けることはなかったが、
ギムナジウムを1622年にやめてからは、ドレスデンに向かい、
従兄であったシュッツに師事し音楽教育を受けた。
その後ライプチヒ大学で学んだ彼は、シャインに師事し作曲を学んだ。
シャインは当時トーマス教会のカントルを務めていた人物であった。
1626年にはケーニヒスベルク大学に移籍して法律を学んだが、
その後ケーニヒスベルク大聖堂のオルガニストとして生涯務めたようだ。
未開封の状態にあったアルベルトの「愛と死の歌」というアルバムのCDを、
これを機会に開封して聴いてみたがここでは二つの曲に絞って触れたい。
今回聴いたCDはコンラート・ユングヘーネル指揮&リュート、
カントゥス・ケルンの演奏による。
「音楽によるかぼちゃ小屋」は、1645年に出版された。
三十年戦争の時に書かれたこの作品は、
3声と通奏低音(ここではリュートやオルガン)によるもので、
いくつかの部分に分かれており、パラグラフにより曲調が変わる。
3つの声がフーガ風に絡み、ルネサンス的な部分もみられる曲である。
歌詞を見ると「秋が私に求める、死ぬようにと、
おお人間よ、死がおまえを求めている、
おまえもまた死ななければならない」とある。
死が身近にあり、人生のはかなさを感じさせる。
三十年戦争の時期に書かれた作品であることを考えれば、
その内容はあたりまえの真実を語っているのかもしれない。
「悲しみはここにある」はポーランドとスウェーデンの
6年間の停戦期間が終結し、1635年に戦争が再開され、
このことを機会にして書かれた作品である。
3声による曲は、美しいハーモニーの曲であるが、
歌詞には戦争がもたらす大きな不幸と苦痛が語られる。
戦争の悲惨さとその戦争に関わらなければいけない現実と、
神に祈るような気持ちがわかる曲である。
途中聴いたのは1604年生まれのアルベルトの作品である。
中部ドイツのローベンシュタインの名門の家に生まれた彼は、
少年時代には専門の音楽教育を受けることはなかったが、
ギムナジウムを1622年にやめてからは、ドレスデンに向かい、
従兄であったシュッツに師事し音楽教育を受けた。
その後ライプチヒ大学で学んだ彼は、シャインに師事し作曲を学んだ。
シャインは当時トーマス教会のカントルを務めていた人物であった。
1626年にはケーニヒスベルク大学に移籍して法律を学んだが、
その後ケーニヒスベルク大聖堂のオルガニストとして生涯務めたようだ。
未開封の状態にあったアルベルトの「愛と死の歌」というアルバムのCDを、
これを機会に開封して聴いてみたがここでは二つの曲に絞って触れたい。
今回聴いたCDはコンラート・ユングヘーネル指揮&リュート、
カントゥス・ケルンの演奏による。
「音楽によるかぼちゃ小屋」は、1645年に出版された。
三十年戦争の時に書かれたこの作品は、
3声と通奏低音(ここではリュートやオルガン)によるもので、
いくつかの部分に分かれており、パラグラフにより曲調が変わる。
3つの声がフーガ風に絡み、ルネサンス的な部分もみられる曲である。
歌詞を見ると「秋が私に求める、死ぬようにと、
おお人間よ、死がおまえを求めている、
おまえもまた死ななければならない」とある。
死が身近にあり、人生のはかなさを感じさせる。
三十年戦争の時期に書かれた作品であることを考えれば、
その内容はあたりまえの真実を語っているのかもしれない。
「悲しみはここにある」はポーランドとスウェーデンの
6年間の停戦期間が終結し、1635年に戦争が再開され、
このことを機会にして書かれた作品である。
3声による曲は、美しいハーモニーの曲であるが、
歌詞には戦争がもたらす大きな不幸と苦痛が語られる。
戦争の悲惨さとその戦争に関わらなければいけない現実と、
神に祈るような気持ちがわかる曲である。