Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

エーリッヒ(エーリヒ)・ウルバンナーの弦楽四重奏曲第3番、ナイトウォーキングで藤沢本町から湘南台まで

2008-07-26 13:03:16 | 古典~現代音楽オーストリア編
昨日は町田で飲んだのだが、帰りの電車でうとうと寝ってしまい、
目を覚ましたら藤沢本町で、上り方面の電車は終わっていた。
しかたがないので藤沢本町から国道467号線を湘南台に向い、
(といっても時刻はすでに今日の話になっているが)
タクシーが止まるまでひたすら歩き続けた。
夜のタクシーは道路上ではなかなか止まってもらえない。
湘南台駅前までいけばタクシー乗り場でタクシーを拾えるかと思い、
ひたすら歩いたのだが、善行、六会日大前を通過し、
湘南台駅に達する手前で運良く1台のタクシーが止まってくれた。
ありがたいなあと思いながら、今日の自分を少し反省した。
昼間はあまりにも暑かったので、歩こうと思わなかったが、
まさかナイトウォーキングとなってしまうとは予想すらしなかった。

今回取り上げるのは、1936年生まれのウルバンナーの作品。
オーストリアのインスブルックで生まれた作曲家で、
解説書によると、1955年からウィーン音楽院で学び、
その後はその音楽院で教育活動を行い、
現代音楽の指揮と作曲活動を行っている人物のようだ。
弦楽四重奏曲第3番は、1972年に作曲された作品で、
アルバン・ベルク四重奏団に献呈された作品である。

古典的な二つの楽想とその展開という形をとっているが、
短い時間の中で、新しい弦楽器の奏法により生み出される、
強烈なリズムと不思議な音色の世界は、彼独特のもので、
うごめく生物のように、絶えず変化を続けていく。
その凝縮された音楽を、アルバン・ベルク四重奏団の
優れたテクニックで、一気に聴かせてくれるのだが、
曲はベルクの弦楽四重奏曲と同じく予想しないところでいきなり終わる。
さすが新ウィーン楽派の流れをしっかり受け継いでいるなあと、
そんなところで感心してしまう私であった。
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アルバン・ベルクの弦楽四重奏曲作品3を聴きながら二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩く

2008-07-25 08:46:15 | 古典~現代音楽オーストリア編
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いた曲は、1885年生まれのアルバン・ベルクの作品。
弦楽四重奏曲作品3は、1910年に作曲された作品で、
ベルクが25歳の時に完成させたこの作品は、
シェーンベルクに師事していた時代の最後にあたる。
緩・急の2楽章で構成されるこの作品は、
充実した内容を備えた作品である。

第一楽章ラングザムは、ソナタ形式で書かれている。
無調による音楽は調性という鎖から解放されて、
自由な音楽の世界を創造しているといっていいだろう。
ところどころでは師シェーンベルクの影響か、
「月に憑かれたピエロ」を想起させる似かよった旋律が頭を出す。
曲はゆったりと神秘的な雰囲気をかもしだしている。
第二楽章メーシゲ・フィアテルは、ロンド形式の作品で
第一楽章とはうってかわり動きのある激しさをもった音楽だ。
弦の奏法では様々な特殊奏法を使っているようで、
演奏者にとっても難しいところがあるのだろうが、
聴いたCDの演奏はアルバン・ベルク四重奏団。
揺れ動くテンポの中でいきいきとした演奏を披露している。
最後にかけてクライマックスを迎えたあと、
曲は意外とあっけなく、予想しないところでいきなり終わる。
そこがベルクらしいところなのだろうか。
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ヨハン・ネポムク・フンメルのピアノ五重奏曲変ホ短調作品87を聴きながら二俣川から緑園都市駅まで歩く

2008-07-24 05:46:59 | 古典~現代音楽ドイツ編
昨日は二俣川から緑園都市駅まで歩きました。
途中聴いた曲は、1778年生まれのフンメルの作品。
ヨハン・ネポムク・フンメルはプレスブルクで生まれた。
プレスブルクは当時ハンガリーに属し、現在はスロヴァキアにある。
その後の彼の活動の舞台が、ヴァイマルなどにあり、
ヴァイマルで没したことから、ここではドイツの作曲家として扱う。
モーツアルトなどにピアノを学び、幼くして神童といわれ、
ヨーロッパ各地でピアニストとして演奏活動を行った。
作曲家としては、親交を結んだベートーヴェンに並んで名声を得、
メンデルスゾーン、ツェルニーなどとも交流したようだ。
オルガンを師事したハイドンが亡くなった後は、
エステルハージの宮廷楽団の指揮者としても活躍した。
1819年にはヴァイマルの宮廷楽団の指揮者に就任したようだ。
ピアノ五重奏曲変ホ短調作品87は1822年に作曲されている。

第一楽章アレグロ・エ・リソルート・アッサイは、
印象ある悲劇的な主題から始まるが、曲はベートーヴェン風である。
もう一つの主題はモーツアルト風でもある。
ピアニストとして活躍したこともあり、
ピアノの聞かせどころもよく考えているだけでなく、
弦楽器とのかけあいもバランスが良く協奏曲的に作られている。
ソナタ形式で書かれているようで主題は様々な形に展開され、
その展開部が終わると再現部となり、最後は静かに終わる。
第二楽章メヌエット-アレグロ・コン・フオコは、
冒頭は宮廷の舞曲風で華やかさも感じるウィーン風の音楽だ。
主題の扱い方は、やはりベートーヴェン的な印象を受ける。
中間部のトリオは宮廷で活躍した彼らしい優雅な感じの音楽だ。
第三楽章ラルゴは、短い曲でピアノの活躍の場であり、
さりげない弦の伴奏にのって、ピアノがモーツアルト的な甘美な歌を歌う。
最後は終楽章に橋渡しする音楽となり終楽章に入る。
第四楽章アレグロ・アジタートは、主題をもとに展開されていくが、
ピアノの腕が発揮される楽章で、流れるようなピアノの演奏がいい。

ピアノ五重奏曲は全般を通していうと確かに音楽は、
ベートーヴェン風には聴こえるところが多いのだが、
ベートーヴェンにはない彼らしいところもあるのは事実である。
古典派的な部分とロマン派的な部分の両方をみることができる。
ところで今回聴いたCDの解説書に書いてあることは興味深い。
ニューグローヴ音楽大辞典でのフンメルの項目をみると、
ピアノ五重奏曲変ホ短調作品87は1802年に作曲されたと
記述されているらしいのだが、この年代には問題があるといっている。
なぜならこの曲を演奏するにあたって1802年の時期のピアノでは、
音域的に演奏不可能であるということなのだ。
1800年頃のウィーンのピアノは5と2分の1のオクターヴしか音域がない。
しかしこの五重奏曲はピアノに6と2分の1のオクターヴの音域を
演奏上要求しているのだから、1802年に作曲したというのはありえない。
考えられる可能性としては初期に作曲した作品を1822年に改訂して、
最終的に出版したということからこのような問題が出ているようだ。

もう一つの謎はこの曲名が「ピアノ五重奏曲変ホ短調」であるのに、
楽譜の作品の題名が、「ピアノ五重奏曲変ホ長調」となっていること。
これは写譜する際のミスのようで、ドイツ語の調の書き方に関係する。
ドイツ語では変ホ長調はEsと書き、変ホ短調をesと書く。
おそらく出版社が楽譜として出すときにこの大文字と小文字の違いを
間違えて本来「短調」と書くべきところを
「長調」と書いてしまったことによるのであろうが、
どうしてそうなったのかの真相はわからない。
だがいかにも印刷だとありそうなミスではある。
音楽の世界もいろいろ面白いことがあるもんだ。
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リヒャルト・シュトラウスのチェロ・ソナタヘ長調作品6を聴きながら希望が丘駅から鶴ヶ峰駅まで歩く

2008-07-23 06:25:06 | リヒャルト・シュトラウスの作品
昨日は希望が丘駅から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いた曲は、1864年生まれのリヒャルト・シュトラウスの作品。
リヒャルト・シュトラウスは数多くの管弦楽曲や歌劇が有名だ。
それに比較すると室内楽曲の分野の作品は少ないが、
その中でもチェロ・ソナタヘ長調作品6は知られている作品で、
1882年から1883年にかけて作曲された初期の作品であり、
三楽章からなるこの作品は、比較的よく演奏される曲のようだ。
CDの解説書によると実際には1881年春から作曲に取りかかっているが、
出版にあたって第一楽章はかなり作り直されたようで、
第二楽章と第三楽章は新たに作曲した曲に置き換えられたようだ。
そういうことから考えると今回聴いたチェロ・ソナタは、
オリジナルではなく、改訂された第2版にあたるのだろう。
1883年12月8日に行われた初演は成功に終わったようで、
聴衆の一人が父親にあてた文には、賛辞の内容が書かれている。
ホルン奏者の父親は、早くから彼に本格的な音楽教育を受けさせていたので、
この聴衆の反応については、さぞや満足であっただろう。

第一楽章アレグロ・コン・ブリオは、ソナタ形式で書かれている。
最初にピアノに登場する主題は山岳風の曲で、
ミュンヘン生まれの彼らしい感じがして、明るい感じでいい。
他の主題はロマンティックな旋律がチェロに奏されたりする。
この動機は曲の中で時々現れ、展開部でも変形されて登場し、
チェロも変形した旋律を弾くが、展開部はそんなに長くない。
再現部に戻ってそれぞれの主題が再現され、さわやかに終わる。
第二楽章アンダンテ・マ・ノン・トロッポは三部形式で書かれている。
チェロという楽器の良さを活かした楽章で、陰影のある主題と
たっぷりと歌うようなチェロのロマンティックな旋律が印象的である。
第三楽章アレグロ・ヴィーヴォは、ソナタ形式で書かれている。
軽快な感じの旋律がチェロで奏され、ピアノがそれを支える。
ピアノには第一楽章の山岳風の旋律も変形され顔を出す。
そのことで作品全体の統一感が生まれている。
その後のリヒャルト・シュトラウスの作品を
思わせるような感じはところどころに見ることもできる。
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カール・ツェルニー(チェルニー)の歌曲「思い出」による変奏曲作品33を聴きながら横浜から和田町まで

2008-07-22 06:40:04 | 古典~現代音楽ドイツ編
昨日は横浜から和田町まで歩きました。
途中聴いた曲は、1791年生まれのツェルニーの作品。
ツェルニーは、ピアノの教則本となる練習曲を多く残した人物である。
ウィーン生まれの彼は、ベートーヴェンの愛弟子の一人で、
演奏家として将来を期待されていたにもかかわらず、
内気な性格ゆえにその道を進みよりも教育者として活動し、
リストなどの次世代の作曲家を育てた師として有名である。
彼は交響曲など800以上の作品を残しているが、
それらの多くは演奏されることは少ないようだ。

歌曲「思い出」による変奏曲作品33は、
1851年もしくは1852年あたりに作曲された作品のようである。
主題はピエール・ロードというフランスの作曲家の歌曲のようだが、
ロードは1774年生まれの作曲家でヴァイオリン奏者として活躍し、
ヴァイオリンのための作品を多く残しているようなので、
歌曲という分野について知られているのは、
このツェルニーのこの作品によってのみかもしれない。
ワイセンベルクの演奏によるものは、
1950年代の録音によるものなので古さを感じさせる。
主題は甘いロマンティックな旋律であり、
モーツアルトと同時代的な響きを感じさせる。
それをもとにしたツェルニーの変奏曲は、
まさにピアニストの華麗な演奏技術をみせる場を
その変奏の中にところどころちりばめている小品である。
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