Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

フェリックス・メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番ヘ短調作品80を聴きながら横浜から和田町まで歩く

2008-07-21 06:16:55 | フェリックス・メンデルスゾーンの作品
昨日は横浜から和田町まで歩きました。
途中聴いた曲は、1809年生まれのメンデルスゾーンの作品。
メンデルスゾーンという作曲家については、
いまさら説明する必要はないだろう。
弦楽四重奏曲については、6つ残しており、
弦楽四重奏曲第6番ヘ短調作品80は1847年に作曲されている。
短い彼の人生の中で残した作品の中では晩年にあたる。
彼自身の衰えが曲に反映しているとみる人もいるようだが、
作品自体は聴いてみると円熟した技法をみせていると思う。
とはいえ、姉ファニーの死に直面した彼の心の叫びが、
痛ましいほどに感じ取れる作品である。

第一楽章アレグロ・アッサイ-プレストは、
第一主題は吹きすさぶ嵐のような激しさで、
悲しみにくれた雰囲気が伝わってくる。
姉ファニーの死が関係しているのであろう。
悲劇的な部分をみせつつ、彼の優しさのある音楽の一面により、
曲は何とか均整を保っているようには思う。
それにしても激しい感情が込められている。
第二楽章アレグロ・アッサイは、第一楽章と同じような
姉の死に直面した彼の感情の激しさをみることができる。
彼の動揺する心をストレートに感じることができる。
第三楽章アダージョは、一転してやさしさに満ちた曲で、
姉の死に直面しながらもそれを乗り越えていこうとする
そんな気持ちを感じさせる曲である。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第7番へ長調作品59の1の
「ラズモフスキー第1番」の第3楽章アダージョも
ラズモフスキー伯の妻の死に関係している曲と言われているが、
この楽章もそれと同じくおだやかな曲でありながら、
悲しい気持ちというものが伝わってくる。
第四楽章フィナーレ-アレグロ・モルトは、
再び第一楽章のような悲劇的な感情の激しさを持ち、
ベートーヴェン的な構成力により充実した内容となっている。
最後は交響曲第4番「イタリア」の終楽章のように、
駆け抜けるような感じで一気に曲を閉じる。
それにしてもここでみるメンデルスゾーンの音楽は、
他の作品に比べると、より心に訴えるものがある。
それにしても弦楽器の扱いはさすがメンデルスゾーンだなと
思わせるほど、この弦楽四重奏曲はなかなかである。
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ヨアヒム・ラフのピアノ三重奏曲第1番ハ短調作品102を聴きながら二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩く

2008-07-20 06:39:54 | 古典~現代音楽スイス編
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
なかなかここのところ長い距離を歩くことができない。
時間が取れないのも理由ではあるが、
昼の猛暑の中ではその勇気さえ出ることはない。
この時期は歩くとなるとどうしても朝か夕方になってしまう。
さて、昨日途中で聴いた曲は、1822年生まれのラフの作品。
ヨアヒム・ラフは交響曲編でも取り上げたが、スイスの作曲家である。
そこでドイツ・オーストリア編の中で彼については、
番外編としてとりあげてみたい。
11曲ある交響曲を含め300曲近くの作品を残し、
様々な分野の作品を残した彼は、当時教育者として活躍し、
リストに才能を認められ、作品のオーケストラーションを手助けし、
活躍していた当時は、名声をあげていたが、
現在忘れ去られていた作曲家であるが、
最近になって徐々に録音が増えてきた作曲家である。
今回聴いたピアノ三重奏曲全集のCDも世界初録音なのだから、
とりあげられる機会は少ない作曲家である。

ピアノ三重奏曲第1番ハ短調作品102は、1861年に作曲されている。
第一楽章「速く」は、ピアノから始まり弦楽器が加わり、
悲劇的な感じで始まる冒頭の主題をもとに曲は展開されていく。
シューベルトやメンデルスゾーンを思わせるような音楽だが、
劇的な部分を持ち、躍動感にあふれ、ある時は感傷的だが、
決して感傷に溺れることはなく、均衡のとれた作品である。
第二楽章「とても速く」はスケルツォ楽章で、常動曲の部分は
メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の様式で書かれているようで、
それぞれの楽器がフーガ風に一つの主題を受け継いでは、
次の楽器に受け渡していく対位法的なところが印象的な曲である。
三部形式で書かれているようで、中間部は叙情的である。
第三楽章「中ぐらいの速さで、遅く」は、やさしく叙情的な、
ホ長調による崇高な賛歌に基づく主題による曲のようで、
中間部は劇的な部分を見せてくれる旋律的な音楽である。
第四楽章フィナーレ「速く、感動して」は、
ロンド・アパッショネートの楽章であり、
躍動感あふれる音楽で、ソナタ形式で書かれている。
メンデルスゾーンとも会ったことのあるラフだからか、
その時代の音楽というものを感じさせる室内楽である。
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アマデウス・モーツアルトのフルート四重奏曲とウィリアム・ベネット

2008-07-19 09:54:23 | モーツアルトの作品
昨日はウォーキングを休みました。
今回取り上げる曲は、1756年生まれのモーツアルトの作品。
モーツアルトについてはいまさら説明の必要はないだろう。
フルート四重奏曲についてもよく知られているが、
今回聴いたのはウィリアム・ベネットが演奏するものだ。
グリュミオー・トリオとの競演によるCDはなかなかである。
フルート四重奏曲の第1番から第3番は、
オランダのフルート愛好家であったド・ジャンのために
作曲された曲だということだが、ここでは第1番、第2番と
第4番のフルート四重奏曲をとりあげてみる。

フルート四重奏曲第1番ニ長調K.285は、
1777年に作曲された作品である。
第一楽章アレグロの軽やかにフルートが奏する旋律は、
いつ聴いても心地いいものである。
弦楽とかけあいながら演奏するベネットのフルートは、
しっかりと音が鳴りきっているのがいい。
展開部のところの陰のつけかたもすばらしい。
第二楽章アダージョは、ベネットのよさが出ており、
弦楽器のピッチカートの演奏にのってフルートが奏する旋律は、
歌うような旋律でもあり、時に哀愁をただよわせている。
第三楽章ロンド・フィナーレは、華やかな音楽である。
宮廷風な音楽は、それぞれの楽器のよさを発揮しながら、
躍動感ある演奏となっており、聴いていて楽しい。

フルート四重奏曲第4番イ長調K.298は、
1786年に作曲された作品で、第一楽章の主題と変奏曲は、
ホフマイスターの歌曲「自然に寄す」の旋律をもとにしている。
第二楽章メヌエットは、軽快な舞曲風の短い曲だ。
トリオの部分のフランス民謡による部分がいい。
「バスティエンヌの長靴」という曲を使っているらしい。
第三楽章ロンドの主題は、ジョバンニ・パイジェットの
オペラ「勇敢なる競演」の旋律を使っている。
いかにもオペラらしさを感じさせる部分もあり、
華やかさの感じさせる演奏である。
当時広く親しまれていた曲を各楽章の主題として
使っているところが特徴といえるだろう。

フルート四重奏曲第2番ト長調K.285aは、
1778年に作曲された2楽章からなる作品である。
第一楽章アンダンテはソナタ形式によるものだが、
おだやかな、ゆったりとした旋律を
ベネットはたっぷりと吹きあげている。
第二楽章はメヌエットの楽章で軽快な曲。
優雅なその中にアンサンブルの魅力を見させてくれる。
グリュミオー・トリオによるサポートは最高である。
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ヨーゼフ・ラインベルガーのヴァイオリンとオルガンのための6つの小品を聴きながら

2008-07-18 10:09:35 | 古典~現代音楽ドイツ編
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1839年3月17日生まれのラインベルガーの作品。
リヒテンシュタイン生まれの彼は12歳ミュンヘンに住み、
フランツ・ラヒナーなどにオルガンと音楽理論を学び、
ミュンヘンの多くの教会でオルガン奏者として活躍し、
1867年にはワグナーやハンス・ビューローが、
改革を行った王立音楽学校の教師となり、
1877年には宮廷楽団の指揮者となった。
作曲家としては、多くのオルガン・ソナタや
ミサやオラトリオなど宗教曲を残しているらしい。
ヴァイオリンとオルガンのための6つの小品は、
1874年に作曲され、作品番号150品となっている。

第1曲「主題と変奏」は、主題をもとにした変奏曲風の作品。
オルガンが加わることでバッハ風な厳粛な雰囲気を持たせるが、
ヴァイオリンはロマン派的で、情熱的な音楽を奏でる。
ヴァイオリン奏者による短いカデンツァ風の箇所も用意されている。
第2曲「夜の歌」は、オルガンとヴァイオリンが、
歌曲風の甘い旋律を掛け合いながら進行していく短い曲。
第3曲「ジーグ」は、古典風な舞曲で軽快な曲である。
バッハ風な感じを持つ印象的な旋律を様々に展開していく。
メンデルスゾーンを想起させるような音楽でもある。
第4曲「パストラーレ」は、ゆったりとした牧歌風の曲である。
フォーレの音楽のようなフランス音楽風な感じを持つ曲である。

第5曲「エレジー」は感傷的な旋律が奏されるが、
その雰囲気に踊れることのない気品ある短い曲である。
第6曲「序曲」はヴァイオリンによる序曲風の音楽が終わると
オルガンによるフーガ風の音楽が始まり、
ヴァイオリンがそれに加わり音楽は華やかさを持つ。
オルガンがバッハ風のフーガの世界を保ちつつ、
ロマンティックな部分をヴァイオリンが作り出す。
それにしてもヴァイオリンとオルガンという
2つの楽器の組み合わせによる音楽は、
そんなにあるわけではないだろうが、
このような音楽を作曲したラインベルガーは、
ユニークな作曲家であるなあと思う。
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アントン・ブルックナーの弦楽五重奏曲ヘ長調を聴きながら二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩く

2008-07-17 05:59:10 | アントン・ブルックナーの作品
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1824年生まれのブルックナーの室内楽曲。
ブルックナーといえば交響曲と宗教曲の分野で活躍した作曲家で、
室内楽の分野で残している作品は比較すると僅かしかない。
弦楽五重奏曲ヘ長調はその中では有名で、
1879年に作曲された代表的な作品である。
高校生の頃、ブルックナーの交響曲に魅せられた私は、
他の分野の作品にも興味を持ち、ホイトリンク弦楽四重奏団と
ハインツ=オットー・グラーフによる演奏のレコードを買い、
この演奏による盤を何度か聴いたものである。
今回はウィーン・フィルハーモニア弦楽五重奏団によるCDを聴いた。

第1楽章「中庸に」は、モデラートでソナタ形式で書かれている。
田園風でのどかな感じで始まる冒頭の主題は、
ワグナーのジークフリート牧歌を想起させるが、
音楽はすぐさまブルックナー的なオルガン風な響きをみせ、
転調の手法などはさすがで、展開部の主題の扱いもなかなかだ。
交響曲に見られる彼の音楽の魅力がこの弦楽五重奏曲の中に
凝縮されていることはこの第一楽章を聴くだけでも確かである。
再現部も単なる主題の再現にとどまらない新たな展開がみられる。
第2楽章スケルツォ(速く)-トリオ(トリオ)は、
彼の交響曲のスケルツォ楽章の特徴をよくあらわしている。
中間部のトリオはレントラー風ののどかな感じの曲である。
伝統的な弦楽五重奏曲のスケルツォらしくはないだろう。
第3楽章アダージョは、この五重奏曲の中でも長い楽章で、
交響曲のアダージョに見られる美しい音楽の世界が、
ここでも垣間見ることができる感じがする。
最後の静かに終わるところはまさに交響曲っぽいのである。
第4楽章フィナーレ(生き生きと動いて)は、
対位法的な部分も取り入れ、工夫のみられる楽章である。
第1楽章の第1主題を思わせるような部分も
かすかでも感じさせるところがあり、
交響曲第5番の第4楽章にみられるような技法が、
ここでも聴くことができるような印象を受ける。
また、交響曲第4番の終楽章を思わせる部分もある。
終わり方もやはり彼の交響曲を思わせるのである。

当時ウィーンの音楽界に大きな影響力を持っていた
ヴァイオリン奏者のヨーゼフ・ヘルメスベルガーの
すすめにより作曲されたこの弦楽五重奏曲は、
その第二楽章スケルツォが演奏上難しいという理由から、
ヘルメスベルガーの要求を受け間奏曲に代えられた。
確かに全体を通してみてもこの弦楽五重奏曲は、
従来の伝統を打ち破るような革新的なところがある。
特にスケルツォは顕著に思え、奇抜に見えたのだろう。
CDにはその間奏曲も入っているので聴いてみる。
オーストリアの舞曲風の曲は、のどかな感じで、
しかし少し哀愁を漂わせたところもある。
スケルツォの中のトリオの部分も登場する。
こちらの方があたりさわりのない感じはする。
それにしても一つの枠におさまらず、
あふれ出てくる彼の音楽はやはり魅力的である。
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