オキーフの家

2010-02-17 20:31:57 | 

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ジョージア・オキーフという20世紀を代表する女性の画家がいます。彼女はアメリカ・ニューメキシコ州の荒涼とした土地で、日干しレンガの家に暮らしながら、素晴らしい絵画を次々に描き残しました。ニューヨークに暮らしていた彼女は42歳でこの土地を訪れるや、ひとめで魅せられてこの土地に移住し、98歳で亡くなるまでの実に40年もの間、ここに暮らしたそうです。

オキーフが暮らした家を、美しい写真と文章で綴った一冊の本。「オキーフの家」と題されたこの本に僕が出会ったのは、僕がまだ師・村田靖夫のアトリエで所員として仕事していた頃でした。
 思い切って端的に言ってしまえば、この本は、僕にとって理想の住まいを表したもの、そんな風なものでした。学校でずっと教わってきた学問としての建築や、あらゆる理念やデザインの潮流などとは価値を異にしながら、僕の心の深いところにずっと居座っていたのは、カタルニア・ロマネスクとよばれる素朴で初源的な古びた教会堂のある風景・・・。写真家・田沼武能さんの写真集をくりかえし眺めながら、僕自身にとって本当に大切にしたいことがらを、ひとつひとつ確かめるように考えてきました。

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生活のなかの、たんなる断片。それらのなかには、おのずと美しさと、かけがえの無さが含まれているはずだと、そんな風に僕は思っています。他人の目にはそう映らなくとも、ある個人にとってはかけがえの無い存在や場所。そういうことに、僕は心惹かれます。そして、この「オキーフの家」には、それがぎっしり詰まっている、そんな風に思うのです。

オキーフがこの家でとりわけ気に入っていた、黒いドア。その前に咲き乱れるサルビア。強烈な日差し。ゆらめく影。砕け散る光。家のなかの簡素な事物。ささいな生活のシーンの断片ひとつひとつが、まるでオブジェのように美しく、何かを物語り、かけがえのないもののように感じられます。そんな在りようを、僕は望みたいと思っています。

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村田さんのアトリエで僕が最初に設計を担当した、老夫婦Mさんの終の棲家。これまでにいくつか集めてきた、優雅な様式の家具。アーチのある南欧の風景の記憶。長年住み慣れた家にあった、古びた荘重な照明器具、どっしりとした木製の玄関ドア。できればそれらを新しい家に活かせないだろうか。そんなMさんの思いは、僕にとって願ってもない素晴らしいご要望でした。まさに、オキーフの家のような、そんな予感がしたのです。
 モダンでシンプルなデザインを信条としてきた村田さんにとっては、それらの存在は願わしいものではなかったようです。それらの存在を空間のなかで印象的に取り扱いたいと僕は主張し、村田さんにはものすごく叱られました。そのようなこともあって紆余曲折を経てできあがったプランは、もちろんモダンでシンプルな村田さんの作品のテイストに落ち着いたのだけれども、吟味して選ばれた箇所に配置された、それらの記憶の断片は、それ自身がかけがえのない存在感をもたらしていたように思います。
 古びた愛着のある玄関ドアは、新しい家のキッチンの勝手口に据えられました。そのドアを開けると、Mさんが楽しみにしていた、薔薇を育てる小さなキッチンガーデンを見晴らせます。「ここを開けて座ってる時間が好き。ちょっと行儀悪いかもしれないけど」と笑顔で話されるMさんを見ながら、オキーフの家をつくることができたのだと、僕はこっそり胸の内で思っていました。

 
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