た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

佐渡へ渡る!(その5)

2024年11月01日 | 紀行文

 そこは開放感に溢れていた。芝に覆われた広大な空き地に足を踏み入れれば、いつもより大きな空が出迎えてくれる。右手には廃墟となった浮遊選鉱場が見える。かつては、金を浮かせて採集する巨大な施設だったらしいが、今はその形骸を残したまま緑に覆われている。文明が滅びた後に自然に占拠されたようでもあるし、自然が文明の傷を優しく包んで癒してくれているようでもある。

 左手には小川が通っており、その向こうには喫茶店。テラス席に男二人が腰かけて談笑している。一日中でものんびりできそうな雰囲気だ。もっと奥、切り立った山の斜面には円形競技場のような、面白い形の廃墟が、これも緑を被って佇んでいる。

 とにかく緑が多い。天空の城ラピュタのような、と形容されたりしている。私はその映画をしっかりと観ていないが、多年にわたる戦闘のための城が朽ち、草花に覆われてむしろ以前より美しく変容した場面を断片的に覚えている。確かに、美しい。というより、気持ちいい。両手両足を思いっきり広げたくなる。妻にカメラを向けると、バレエダンサーのようなポーズを取って見せた。その技量はともかく、気持ちは伝わった。犬にカメラを向けると、普通だった。犬にはこのスケールの大きさは伝わらないかもしれない。

 説明書きを読むと、明治に建てられたものゆえ、江戸時代の遺物である金山を中心とした世界遺産からは外されたとか。

 しかしここの方が、ずっと良かった。

 

 

 

 幾度も振り返りながら、再び車へ。

(つづく)

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佐渡へ渡る!(その4)

2024年10月28日 | 紀行文

 昼頃に史跡佐渡金山に到着。

 大きな看板に広い駐車場。チケット売り場に法被を着た案内人。さすがに一大観光地という観がある。が、車も人も意外と少ない。夏休みが終わった後とは言え、世界遺産に登録された割には寂しい。佐渡は宣伝の仕方が下手なのか、そもそもあまり宣伝する気がないのか。私は案外後者ではなかろうかと推測した。

 空にしたリュックに犬を入れ、首だけ出させて、坑道に入る。数年前の冬、同じやり方で、リフトに乗って一滑りだけスキーをしたことがある。犬を連れて旅行していたのだが、スキー場を見るとどうしてもスキーがしたくなったのだ。今回も、犬の方でも心得たものか、リュックに入ると案外大人しく首を出している。歩かないだけ楽だとでも思っているのかも知れない。

 天井から吊るすライトに照らされた坑道は、採掘作業を再現したリアルな人形たちが機械仕掛けで同じ動作を繰り返して、賑やかしい。当時の労働者たちの様子がよく伺える。ただ、例えば松代大本営跡の地下壕を巡った時に感じたような、何もないが故の想像力をかき立てられる不気味な静けさ、といったものと比較して、あとに残る印象が物足りない。情報が入るが、感動が少ないのである。ここは観光開発における実に微妙で難しいところだと思う。世界遺産となればなおさらだ。観光客に何を価値として見せるか、の問題である。いろいろ用意しなければ客は退屈する。しかし用意しすぎると客はうんざりする。あるがまま、遺産として残っているがままを見せるのが一番かも知れないが、それでは維持に必要な金が落ちてこない。

 坑道を出たところにある売店で、犬をリュックから出し、人間は金箔ソフトを買って食べた。ソフトとしては充分美味しかった。金箔ソフトなどと名乗るから、金箔が足らない、などと言った不平も出るのである。

 金山跡を出て車を少し走らせたところに、北沢浮遊選鉱場という遺跡がある。当初から目的地の一つだったが、実はそこへ行くにも標識が見当たらず、一度通り過ぎてしまった。己の方向音痴を棚に上げて言えば、観光ルートの案内板が乏しい。佐渡金山のようなスポットは飾り立てるが、それ以外はあまり観光客目線で整備されていないようである。やはりそれだけこの島は、全体として、観光地化する気がないのだ。ありのままでいたいのだ。と肯定的に捉えれば、そう言えなくもない。

 その選鉱場で、今回の旅一番の感動に出会うことになる。

 

(つづく)

※ひどいピンボケである。

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佐渡へ渡る!(その3)

2024年10月15日 | 紀行文

 私はやたら道を外れたがる。そのくせ重度の方向音痴なので、道に迷ってばかりいる。この時も早く海岸が見たいがあまり、海に近づきそうな脇道へと不意にハンドルを切ってしまった。

 その道は、本当に何もない道であった。家など一軒も見当たらない。畑すらない。ただただ放置された茂みが続く。分厚い緑に圧倒されそうである。ひょっと恐竜が道に飛び出しても、さして違和感のない風景であった。佐渡の素顔をいきなり見せつけられた気がした。

 佐渡は想像以上に「島」だった。

 ようやく海に出たが、殺風景で、まったく人気のない海である。海岸線はすぐに行き止まりとなった。仕方なく、別な山道を通って正規のルートへ。時間のロスである。助手席は文句の一つも言いたいところだろうが、毎度のことなので黙っている。私は心の中で一人反省した。途中で道路工事の人に出会い、道を尋ねなければ、二日間、ただただ道に迷って終わったかも知れない。

 道路がようやく湾に出たところで、おしゃれなカフェの看板が目に留まった。

 旅のガイドブックにも載っている店である。よく手入れされた芝生や生け垣が見え、若者の行列ができている。そこだけ熱海かバリ島かと見まがうような洗練された空気が漂っていた。妻の機嫌も取らねばならず、立ち寄ることに。しばらく待たされた後、犬同伴でも入れるデッキに陣取ってパスタを食べた。

 海を一望できる高台に位置するが、海辺の田舎じみた部分は客の目に入らないよう、巧妙な高さで生け垣が植えられている。だから海原と遠景の対岸しか見えない。よくできている。よくできているが、なぜか落ち着かなかった。さきほど迷い込んだ鬱蒼とした森こそが、佐渡の素顔じゃないのかという声が頭の片隅に響いていた。

 妻は満足してオニオンスープを啜っている。犬はここが目的地かとうたた寝の準備に入っている。私は彼らを促し、再び車に乗り込んだ。

(つづく)

 

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佐渡へ渡る!(その2)

2024年10月10日 | 紀行文

 深夜の高速をこわごわ運転し、五時半に直江津へ。フェリーに乗り込む。犬連れなので船内には入れない。二等切符で唯一ペット持ち込み可であるデッキの一隅、市民球場にあるような青いベンチに陣取る。他の利用者はいない。

 夜が明けた七時過ぎ、フェリーは盛大な銅鑼の音を合図に出航した。

 幸い、天候に恵まれ、穏やかな海である。しかし潮風は意外と冷たい。我々は長袖シャツにフリースにヤッケを着こみ、冬の身支度で二時間半の航海に臨んだ。

 妻は昔から船酔いするたちである。今回の旅行も悲壮な覚悟で臨んだ。船酔いは怖いが、島には行きたい。嘔吐は嫌だが、美味しい海の幸を堪能したい。欲望と不安の相克する中、乗船前から鬼気迫る顔つきになっていた。酔い止め薬を飲み、百草丸まで飲んだ。なぜ胃薬を飲むのか尋ねたら、嘔吐した際、胃袋が楽だろうからとのこと。何か違う気がしたが、黙っておいた。

 船酔いを恐れるがため、揺れには人一倍敏感である。背中に伝わる揺れがよくないと言って、二等客室に横になりに行くことすら拒んだ。私が仮眠を取りに船内に入るときも、彼女は一人ベンチに体育座りし、犬を抱いて暖を取り、乱れた鬢を風になびかせながら、まるで家のない孤児のような哀れな姿で目を閉じていた。

 なかなか壮絶な航海を終え、午前十時、佐渡島上陸。

 妻も結局一度も嘔吐せず、無事であった。彼女自身それを非常に喜んでいた。旅の目的は半分達成したような面持ちであった。

 車を走らせ、世界文化遺産登録の佐渡金山へと向かう。

 海岸線を走りたいのだが、地図指定の道路は山間地へと導いている。車窓から見える島内は、とにかく緑が濃い。鬱蒼と茂る植物が、下からも上からも道路を占拠する勢いで枝葉を伸ばしている。

 ここで私の悪い癖が出た。正規のルートを外れたのである。

 

(つづく)

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佐渡へ渡る!(その1)

2024年10月01日 | 紀行文

 九月の終わりに、佐渡島を訪れた。久しぶりの宿泊旅行で心躍る。カーフェリーを利用しての一泊二日の車の旅。一か月前から旅行冊子を買って計画を練り、普段しない洗車や、車内清掃、やったことのないタイヤの空気圧の点検までして準備する。空気圧の点検は、洗車場に無料で機器があったから使ってみた。正しく使えたのかはわからない。

 私と妻と柴犬、三者の旅である。犬を車に乗せるなんて愛犬家と思われるかも知れないが、犬を預けるところがないから仕方なく連れて行くのである。何年も前に一度、ペットホテルに預けたことがある。犬が店員に一切なつかず、散歩はおろか餌も拒否して吠えてばかりいた。私が迎えに行って店を出たとたん、路上に盛大な脱糞をした。以来気が引けて預けられないでいる。

 この厄介な性格の柴犬が、もう十一歳になる老婆なのだが、異常なまでのドライブ好きなのだ。日曜日に車のエンジンを掛けただけで、自分を乗せるよう猛アピールする。ワンワン、オン、ワオン、オオーン、と、明らかに何かを喋っている。おそらく、「乗せてってくれよう、ねえ、乗せてってくれよう、お願いだから乗せてってくれよう」とでも言っているのだろう。乗せたら乗せたで、開けた窓から鼻を出し、風を切って恍惚感に浸っている。つくづくおかしな犬である。日々、心の中で一週七日間をカウントしながら無聊を慰めているのだろう。

 僅かな睡眠をとって、深夜三時半、出発。異常性格の犬はもちろん、深夜だろうが、後部座席のドアを開けるだけで狂喜乱舞して乗り込む。(つづく)

※佐渡汽船上の筆者。明らかにカメラを意識している。

 

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敗残者

2024年09月16日 | 断片

 

  結局あなたは負けたのですよ────だからと言って、何もあなたから差し引かれるものはない。払うべきものもない。安心してください。大して損はしていませんよ。でも負けは負けです。その負けを背負ってずっと生きていく、その自覚こそが、負けたことに対する唯一の代償と言えるでしょう。あなたは自分ができなかったことについて、できたことよりもはるかにしつこく、鮮明に、そして苦々しく、思い出し続けねばならないのです。

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熱帯夜

2024年09月13日 | essay

 二階は暑いので、一階の和室で寝る。それでも布団が暑いので、畳の上に転がり出て寝る。頭上を虫の音が飛び交う。それならば秋が来るわけだ。しかし虫たちもその保証がないことに不安だろう。このまま灼熱の日々が続き、いつの日か地球は太陽のように燃え上がって灰燼と化すのではないか。半分溶けかかった保冷剤を頭に当てる。水滴が額を伝おうが枕に落ちようが構わない。秋は本当に来るのか。この夏は本当に終わるのか。体をのけ反らせて、電気ショックを浴びたように四肢を震わせる。体に纏わりつく熱気を振り落とさんばかりに。もちろんそんなものは振り落とせない。我々の「業(ごう)」は、そんな簡単に振り落とせない。

 保冷剤を首筋に当てるが、すでに溶け切ってゲル状になっている。保冷剤を畳の上に投げ捨てる。

 救いの手はあるのか。

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人間疎外

2024年08月23日 | essay

 

かつて「人間疎外」が叫ばれた時代があった。

社会の発展とともに急速に進む機械化の中で、人々がその歯車の一部として生きることを強いられ、人間らしさを奪われていく現象を言った。

現代はどうだ。

自動精算機で人間同士のやり取りを阻まれ、

レストランではロボットに給仕されて喜び、

システム改善の名のもとに生き方を矯正され、

どんどん何もしなくて良い世の中となり、

今や創造する自由まで奪われようとしている。

拍手! 人間が完成させようとしている人間疎外に、拍手。

その完成度の高さには、思わず、自然の摂理の関与さえ疑ってしまうほどだ。

 

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一ノ瀬園地

2024年08月05日 | essay

 上高地線を登っていると、やがて急で狭い坂道はバスやマイカーの行列でぎゅうぎゅうになる。それくらい上高地は人気がある。だが、トンネルを抜けてすぐの信号を乗鞍方面へと右折すると、とたんに車の数が減る。スキーシーズンでもない乗鞍に用はない、というわけだ。

 ところがその乗鞍高原には、なかなかに素敵な観光地が点在している。去年は三本滝を観に行った。そこも良かったが、今年は人に勧められて一ノ瀬園地に向かった。

 広大な森林の中を、小道がやたらと錯綜している。平地だから、歩くのに支障はない。折しも記録的な真夏日で、さすがに直射日光が当たると汗ばんだが、木陰が多く、小川もたくさん流れていて、川辺を通ればとても涼やかである。澄んだ水で、触ると冷たい。街中で暑さにやられた頭も、だいぶ回復してきた。

 自然の草花を楽しみながら歩いていたら、ついつい回り道したくなる。途中で一人、首にタオルを掛けた旅人に出会った。道を尋ねたら、「いや、こっちも道に迷っていまして」と返事が返ってきた。その割に慌てた素振りもない。彼はそのまま、けもの道のような脇道を選んで去っていった。あの調子だと、あえて道に迷っているらしい。それもよくわかる。

 池のほとりでシートを広げて仮眠したり、白樺のベンチで黙然としたりしながら二時間余りを過ごしてから、駐車場に戻った。併設の喫茶店でよく冷えたチャイとアイスをいただく。大変美味しい。チャイは白樺の皮か何かを使っていて、複雑な味がすっきりとまとまっている。アイスも手が止まらなかった。可愛らしい笑顔の女性が一人で切り盛りしていたが、ただ者ではない。

 また季節を変えて来ようと思った。

 

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邂逅

2024年08月03日 | 断片

 わずかに頬を赤らめて、その子は私を見つめた。

 蝉が鳴く。扇風機のはた、はた、という音。

 目を驚いたように見開いているが、口元はかすかに笑みを浮かべている。

 蝉が鳴く。汗ばむ手を膝の上で重ね、私は身を退いてその子を見つめ返す。

 美しい子だ。今日の暑さは36度を超えるかもしれない。

 蝉もいつしか鳴き止んだ。二つの椅子を引きずる音がした。

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