た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

一ノ瀬園地

2024年08月05日 | essay

 上高地線を登っていると、やがて急で狭い坂道はバスやマイカーの行列でぎゅうぎゅうになる。それくらい上高地は人気がある。だが、トンネルを抜けてすぐの信号を乗鞍方面へと右折すると、とたんに車の数が減る。スキーシーズンでもない乗鞍に用はない、というわけだ。

 ところがその乗鞍高原には、なかなかに素敵な観光地が点在している。去年は三本滝を観に行った。そこも良かったが、今年は人に勧められて一ノ瀬園地に向かった。

 広大な森林の中を、小道がやたらと錯綜している。平地だから、歩くのに支障はない。折しも記録的な真夏日で、さすがに直射日光が当たると汗ばんだが、木陰が多く、小川もたくさん流れていて、川辺を通ればとても涼やかである。澄んだ水で、触ると冷たい。街中で暑さにやられた頭も、だいぶ回復してきた。

 自然の草花を楽しみながら歩いていたら、ついつい回り道したくなる。途中で一人、首にタオルを掛けた旅人に出会った。道を尋ねたら、「いや、こっちも道に迷っていまして」と返事が返ってきた。その割に慌てた素振りもない。彼はそのまま、けもの道のような脇道を選んで去っていった。あの調子だと、あえて道に迷っているらしい。それもよくわかる。

 池のほとりでシートを広げて仮眠したり、白樺のベンチで黙然としたりしながら二時間余りを過ごしてから、駐車場に戻った。併設の喫茶店でよく冷えたチャイとアイスをいただく。大変美味しい。チャイは白樺の皮か何かを使っていて、複雑な味がすっきりとまとまっている。アイスも手が止まらなかった。可愛らしい笑顔の女性が一人で切り盛りしていたが、ただ者ではない。

 また季節を変えて来ようと思った。

 

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邂逅

2024年08月03日 | 断片

 わずかに頬を赤らめて、その子は私を見つめた。

 蝉が鳴く。扇風機のはた、はた、という音。

 目を驚いたように見開いているが、口元はかすかに笑みを浮かべている。

 蝉が鳴く。汗ばむ手を膝の上で重ね、私は身を退いてその子を見つめ返す。

 美しい子だ。今日の暑さは36度を超えるかもしれない。

 蝉もいつしか鳴き止んだ。二つの椅子を引きずる音がした。

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地元の温泉「白糸の湯」にて詠める歌

2024年07月14日 | 短歌

 

 東屋と母屋の間に落ちる雨

 

   手を差し伸べて又  湯舟に沈まん

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女(ひと)。

2024年07月12日 | 断片

 

雨の日の小庭に咲く薔薇のような人だった。

 

どんなときに見せる笑顔も、そう、そっと泣き腫らした後のような。

 

 

 

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掻痒(そうよう)感

2024年07月09日 | essay

 何をやっても落ち着かない日、というのがある。

 窓の外を眺めても駄目。パソコンを開いても駄目。柔軟体操をしてみてもすぐに止め、コーヒーを淹れようと薬缶に水を溜めるが、結局気が変わり火にかけずじまい。思い切って屋外に出て街中を歩いてみても駄目。コンビニに立ち寄り菓子パンを買ったところが、全然食べたくなかったことに気づく始末。

 音楽でも聴けば良いが、音楽を聴く気にもならない。部屋のどこに座り込んでも、数分で、まだ立ち上がっている方がマシな気分になる。こんな精神状態で、用もなく電話できる相手もいない。

 何より落ち着かなくさせるのは、その原因が自分にあるからだ。

 ああ。そうだ。まるでずっと、「自分が気に食わない」、「自分が気に食わない」、とつぶやいているようなものなのだ。

 掻痒! 心の掻痒!

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因果

2024年07月08日 | うた

私は逃げようがないのです。と、花は答えた。

私はただ、ここで咲き続けるしかないのです。

あなた方に狂わされた日の光に照らされても

最後の水一滴が喉元から消えて去るまで

ただじっと微笑み続けるしかないのです。

それから静かに項垂れ、枯れ果てて

あなた方に踏まれる時を待つのです。 

 

 

 

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トマト賛歌

2024年07月04日 | うた

暑い。孤独だ。

五十になって、自分で選んだ自営業の道に孤独を感じるとは、今日が暑過ぎるせいだろう。

もっと同僚とふざけ合いたかった。

上司に叱られたり褒められたかった。

部下に恰好つけたかった。

いろいろな煩わしさを振り払ったがため、

発泡スチロールのようにすかすかな日々になってしまった。

やむを得ない。これも自分で選んだ道だ。

孤独と暑さのあまり事務所を飛び出し、近くの商店に飛び込む。

店という店が軒並みコンビニとモールに食いつぶされた中で、

辛うじて昔ながらの個人商店として続けている稀有な店だ。

百円のトマトをひっつかみ、金を払い、

事務所に帰ってかぶりつく。

ジュースのように分かり易い甘味はないが、旨い。かすかに大地の香りがする。

百円のトマトが、自分にはお似合いだ。

窓から七月の青い空を睨み、

少しだけ闘争心を取り戻す。

 

 

 

 

 

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2024年06月28日 | うた

 雨が重い。

 今日という日の一つ一つを雨が黒く塗りつぶす。

 青空に浮かぶ雲。

 そよ風を感じる散歩。

 賑わう街角。

 あの人の笑顔。 

 雨はいつの間にか私の心の中にまで降りしきる。

 もっと楽しかったころの記憶。

 もっと自由だったはずの人生。

 あの人の横顔。

 窓辺の長い沈黙。

 後悔と

 孤独。

 雨は無慈悲にすべてを冷たく濡らしていく。

 それが雨の慈悲なのだ。

 

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五月下旬、燕岳登山

2024年06月21日 | essay

 未明の清冽な空気の中きつく締める靴紐。

 ポールが駐車場のアスファルトに当たる音。

 山に足を踏み入れた瞬間の、腐葉土と全身が一体化するような感覚。

 木立から次第に届く朝日。

 鳥たちの絶え間ないさえずり。今日という日を懸命に生きる者のさえずり。

 森の匂い。

 ・・・・・

 ・・・

 山は、登り始めが一番好きだ。

 

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雑感(鯛萬の井戸に咲く花)

2024年04月19日 | essay

 なぜ世の中はこんなにもどんどん変わっていくのだろう。学生時代にポケベルを持たされたと思ったらやがて携帯を勧められ、ようやく携帯を使い慣れた頃に辺りを見渡せば、みんなスマホを握りしめていた。近所の商店が軒並みシャッターを降ろし始め、その理由がコンビニと郊外の大型店にあると気づいたときには、買い物はネットで済ます時代が到来していた。散歩するための用事がどんどんなくなってきている。人と会う必要もなくなってきた。こんな風に変わって欲しかったのか、みんな、と疑問に思う。誰に聞いても、あいまいな答えしか返ってこないだろう。自分たちの意志で変化してきたわけではないのだから。

 おそらく、資本主義はそれ自体、社会的変化を強要するのだ。だってそうしないと儲からないから。常に古いものが廃れ、新しいものが流行らなければ、マネーは世界を巡り、誰かの懐に流れ込まないから。

 だから、淘汰と革新こそが幸福への道だと、我々資本主義の申し子たちは、知らず知らずに洗脳されているのだ。

 だが、人は本性として、安定と落ち着きを求める。動物は皆そうである。ここが、社会の構造と人間の本質が決定的に相いれない部分である。こんな便利な時代────新しいものがポンポン生まれる時代に、なぜ人々が不幸を感じ、情緒不安定になるのか、その主な要因がここにある。

 と、言い切っていいのかはわからない。

 鯛萬の井戸で水を汲み、誰かが鉢植えしたチューリップを眺めながら、ふとそんなことを考えた。

 

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