「そんなに触りたいか」
「追うな!」
「形あるものに触れることは、形なきものに許されない。そう言ったはずだが」
「戻れ! お前の巣に」
「そうか。では、お前に形を取り戻してやろう」
「何」
思わず私が振り向く。振り向いたところに長い爪があった。鬼は私の首根っこを鷲掴みにすると、今度は地上へ猛烈な速度で引き降ろし始めた。
見る見る東京の街が近づく。
離せ、危ない、ぶつかる。これだけの言葉を口にするのが精一杯であった。次の瞬間には、私は枝葉を伸ばす松の巨木に思いきり叩きつけられた。
激しい痛みを全身に感じた。痛み? 何と久方ぶりの感覚か! 私は歓喜にうち震えた。輪郭がある。私の確かな輪郭がある。現に照りつく日差しとさわやかな風を肌に感じているではないか。重みもある。自分自身の重みが。私は肉体を取り戻したのだ。しかし、何かが違う。
身体がまったく動かない。立ったまま、歩くことも────歩こうにも、そもそも足がない。手を振り上げようにも────これは何だ、手の数が多すぎるではないか。手なのか、果たしてこれは。周囲を見回し、ようやく状況を悟り、私は愕然とした。我が身の幽体離脱に初めて気づいたときに勝るとも劣らぬほど、私は狼狽した。
鬼はまさに、形あるものに私の魂を投げ入れたのだ。標的は狙い済まされていた。
私は、大井町の私の家の、玄関の松になっていた。
(つづく)
「追うな!」
「形あるものに触れることは、形なきものに許されない。そう言ったはずだが」
「戻れ! お前の巣に」
「そうか。では、お前に形を取り戻してやろう」
「何」
思わず私が振り向く。振り向いたところに長い爪があった。鬼は私の首根っこを鷲掴みにすると、今度は地上へ猛烈な速度で引き降ろし始めた。
見る見る東京の街が近づく。
離せ、危ない、ぶつかる。これだけの言葉を口にするのが精一杯であった。次の瞬間には、私は枝葉を伸ばす松の巨木に思いきり叩きつけられた。
激しい痛みを全身に感じた。痛み? 何と久方ぶりの感覚か! 私は歓喜にうち震えた。輪郭がある。私の確かな輪郭がある。現に照りつく日差しとさわやかな風を肌に感じているではないか。重みもある。自分自身の重みが。私は肉体を取り戻したのだ。しかし、何かが違う。
身体がまったく動かない。立ったまま、歩くことも────歩こうにも、そもそも足がない。手を振り上げようにも────これは何だ、手の数が多すぎるではないか。手なのか、果たしてこれは。周囲を見回し、ようやく状況を悟り、私は愕然とした。我が身の幽体離脱に初めて気づいたときに勝るとも劣らぬほど、私は狼狽した。
鬼はまさに、形あるものに私の魂を投げ入れたのだ。標的は狙い済まされていた。
私は、大井町の私の家の、玄関の松になっていた。
(つづく)