最近粗食で食べ物の話題に事欠いてしまう。
あまり粗食になると料理の腕も落ちるらしく、先日友人に料理を提供したら、「料理が下手なのは罪だ」とまで言われてしまった。かつて「あり合わせ大王」とまで賞賛された私ことあり合わせ料理の天才(往年)はひどく落ち込んだものだ。しかし一言付言しておけば、あり合わせの妙技は実験と失敗の地層のような積み重なりの上に初めて成り立つのであって、ベビーチーズを豚肉に絡めて団子状にしてしまっても、誰もそのアカデミックな試みに文句を言ってはいけないのである。
さてソーセージinキムチである。
食費を切り詰めようとするときにいつも感慨深く思い出す料理である。温かいご飯の上にキムチを乗せ、さらにその上に、ゆでたソーセージを乗せるだけ。欲を出せば、その上にごま油をわずかに垂らす。
この単純な料理が一番旨いと教えてくれたのは、昔アルバイトをしたことのある焼肉屋の店長であった。特上ロースや骨付きカルビ、ユッケに生レバーにテールクッパ。数々の高級食材を扱いながら、彼は自分の「まかない飯」はいつもキムチとソーセージだけで済ませていた。三分で豪快にかきこみ、深いため息をついて満足の意を示すのである。
私も何度かいただいた。なるほど美味しい。アルバイトをやめて十年が経ったが、料理が面倒になるといまだにそのレシピを頼る。ただし素材に注文があって、ソーセージは安いもので十分だが、キムチはある程度しっかりしたものでないと期待外れに終わる。それにしても調理の単純さに疑問を感じるほど食が進む。料理というのは結局これくらい謙虚な方がいいのだ、などと一人勝手に神妙な気分に浸ったりする。
その焼肉屋は、小さいながら良心的な値段で美味しい肉を出していたので、開店数年でずいぶん流行っていた。しかしO157や狂牛病の騒ぎが重なり、そうなると小さい規模の店から首を絞められるのが世の習いらしく、店長は首を絞められる前に自分でそれを予感して店をたたんでしまった。
まことに残念でならない。
あまり粗食になると料理の腕も落ちるらしく、先日友人に料理を提供したら、「料理が下手なのは罪だ」とまで言われてしまった。かつて「あり合わせ大王」とまで賞賛された私ことあり合わせ料理の天才(往年)はひどく落ち込んだものだ。しかし一言付言しておけば、あり合わせの妙技は実験と失敗の地層のような積み重なりの上に初めて成り立つのであって、ベビーチーズを豚肉に絡めて団子状にしてしまっても、誰もそのアカデミックな試みに文句を言ってはいけないのである。
さてソーセージinキムチである。
食費を切り詰めようとするときにいつも感慨深く思い出す料理である。温かいご飯の上にキムチを乗せ、さらにその上に、ゆでたソーセージを乗せるだけ。欲を出せば、その上にごま油をわずかに垂らす。
この単純な料理が一番旨いと教えてくれたのは、昔アルバイトをしたことのある焼肉屋の店長であった。特上ロースや骨付きカルビ、ユッケに生レバーにテールクッパ。数々の高級食材を扱いながら、彼は自分の「まかない飯」はいつもキムチとソーセージだけで済ませていた。三分で豪快にかきこみ、深いため息をついて満足の意を示すのである。
私も何度かいただいた。なるほど美味しい。アルバイトをやめて十年が経ったが、料理が面倒になるといまだにそのレシピを頼る。ただし素材に注文があって、ソーセージは安いもので十分だが、キムチはある程度しっかりしたものでないと期待外れに終わる。それにしても調理の単純さに疑問を感じるほど食が進む。料理というのは結局これくらい謙虚な方がいいのだ、などと一人勝手に神妙な気分に浸ったりする。
その焼肉屋は、小さいながら良心的な値段で美味しい肉を出していたので、開店数年でずいぶん流行っていた。しかしO157や狂牛病の騒ぎが重なり、そうなると小さい規模の店から首を絞められるのが世の習いらしく、店長は首を絞められる前に自分でそれを予感して店をたたんでしまった。
まことに残念でならない。