た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

なぜ

2008年10月22日 | essay
なぜ、という問いかけには性質の違う複数の問いが混在している。

なぜ宇宙は存在を始めたのか。

この問いには原因のみならず目的に対する関心も含まれうる。

なぜ宇宙は存在を始めたのか。

この問いが目的を問うものであるとすれば、いかなる科学も答えられまい。

科学は分析する。

いつの日か現代科学が、宇宙の始まりをまるで再生ビデオを見せるように微に入り細を穿つまで詳細に描写できたとしても、ではなぜそうなったのか、という問いには答えられない。

──aが原因でbが起こったんです。──ではなぜaが原因でbが起こるのですか?

このような問いには、科学はおそらく答えようとすらしない。

では目的を問うことは無意味であるのか。世界に目的はないのか。

目的とは、「描写の仕方」にすぎないのか。(2+3=5という式は、5=2+3と、描写の仕方が違う。言い表したいと狙うものが違うのである。)

うーん。(なぜ朝っぱらからこんなことを考えたんだろう。)
コメント (7)
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