その人とは歌舞伎座で知り合った。
ちょっといたずら気の覗く和やかな笑顔が印象的な老人であった。
立見席の当日券を買うのにたまたま前後に並んだ者同士の世間話から始まり、ついでだからと一緒に観た芝居が跳ねたあとは、駅前の飲み屋で一杯。聞くと一代で興したせんべい屋の社長だと言う。歌舞伎に関わらずいろいろな芸術分野に造詣が深い。人生の苦労も愉しみもその味わい方を知っている人なのだろう。若造の私に対し、対等に接するというやり方で気を遣ってもらい、私も彼の社員でも知己でもないので、むしろ互いに気兼ねなく話に興じることができた。
それからときどき歌舞伎に声を掛けられた。行けるときもあり、仕事の都合で行けないときもあった。行けないときの方が多かった。それでもいつも気さくに電話してもらえるのが嬉しかった。自社の工場も見学させてもらった。
私の短い東京生活での、非常に限られた人間の出会いの中で、とても貴重なものの一つである。
彼との繋がりは、私が信州松本に越してからも、かろうじて保たれた。私の事業は難航を極め、歌舞伎の誘いはすべて断らざるをえない状況であった。それでも葉書などの遣り取りが細々と続いた。
ある日電話で、彼が入院していることを知った。足を滑らせて怪我をしたとか。東京を出る際、餞別ももらっている。恩を返すのはこういうときと思い立ち、東京に向かった。
病室で久しぶりに見た「社長」の姿は、絶句するほどやつれて見えた。そうなのか、と思った。そうなのか。年を取って入院して、実質的に一人暮らしの生活を始めると、ここまで人は生気を失ってしまうのか。私の感想には多分に私自身の思い込みもあったろう。それでも、背中を丸めて虚空を見つめる孤独な姿からは、怪我や病気に留まらない原因を思わずにはいられなかった。
何か食べたいものはないですか、と尋ねたら、パイナップル、と言う。私はその南国の果物を捜し求めるべく病院を飛び出したが、周りは住宅地で、果物屋はおろかスーパーすら見当たらない。やむを得ずコンビニエンスストアでパイナップルの缶詰を買って返った。病人のお見舞いとしてはひどい代物である。それでも美味しいと言って一切れ二切れ、食べてもらった。私が目の前に立っていたからであろう。
・ ・ ・
春が訪れ、夏が過ぎ、冬の到来を感じる朝、郵便ポストに、喪中の葉書が届いた。
しばらく私はその理由がわからず、葉書を手にして佇んだ。
その晩、私は葉書と共にビールグラスを傾けた。まあ人の命の長さをあれこれ言っても仕方ない。死んじゃったものは仕方ない。缶ビールが切れたので、ウイスキーに手を伸ばす。それにしても。死んだ人はだいたい生きている者に後悔させるから始末が悪い。どうして、どうしてもっと生前に会っておかなかったのだろう。私が仕事で忙しかったのは事実か? いや、事実だ。仕方なかったんだよ。でもどうしてあの日、タクシーに乗ってでも生のパイナップルを買い求めなかったのだろう。それは私に出来たことだった。あの日の脳裏にもそのアイデアはよぎったはずだ。ただ、あのときは、一期一会の思いが、そんなには強くなかっただけなのだ。
私はやはり、何かを面倒くさがったのだ。
ウイスキーは喉に辛く、私はひたいを抑えた。
ちょっといたずら気の覗く和やかな笑顔が印象的な老人であった。
立見席の当日券を買うのにたまたま前後に並んだ者同士の世間話から始まり、ついでだからと一緒に観た芝居が跳ねたあとは、駅前の飲み屋で一杯。聞くと一代で興したせんべい屋の社長だと言う。歌舞伎に関わらずいろいろな芸術分野に造詣が深い。人生の苦労も愉しみもその味わい方を知っている人なのだろう。若造の私に対し、対等に接するというやり方で気を遣ってもらい、私も彼の社員でも知己でもないので、むしろ互いに気兼ねなく話に興じることができた。
それからときどき歌舞伎に声を掛けられた。行けるときもあり、仕事の都合で行けないときもあった。行けないときの方が多かった。それでもいつも気さくに電話してもらえるのが嬉しかった。自社の工場も見学させてもらった。
私の短い東京生活での、非常に限られた人間の出会いの中で、とても貴重なものの一つである。
彼との繋がりは、私が信州松本に越してからも、かろうじて保たれた。私の事業は難航を極め、歌舞伎の誘いはすべて断らざるをえない状況であった。それでも葉書などの遣り取りが細々と続いた。
ある日電話で、彼が入院していることを知った。足を滑らせて怪我をしたとか。東京を出る際、餞別ももらっている。恩を返すのはこういうときと思い立ち、東京に向かった。
病室で久しぶりに見た「社長」の姿は、絶句するほどやつれて見えた。そうなのか、と思った。そうなのか。年を取って入院して、実質的に一人暮らしの生活を始めると、ここまで人は生気を失ってしまうのか。私の感想には多分に私自身の思い込みもあったろう。それでも、背中を丸めて虚空を見つめる孤独な姿からは、怪我や病気に留まらない原因を思わずにはいられなかった。
何か食べたいものはないですか、と尋ねたら、パイナップル、と言う。私はその南国の果物を捜し求めるべく病院を飛び出したが、周りは住宅地で、果物屋はおろかスーパーすら見当たらない。やむを得ずコンビニエンスストアでパイナップルの缶詰を買って返った。病人のお見舞いとしてはひどい代物である。それでも美味しいと言って一切れ二切れ、食べてもらった。私が目の前に立っていたからであろう。
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春が訪れ、夏が過ぎ、冬の到来を感じる朝、郵便ポストに、喪中の葉書が届いた。
しばらく私はその理由がわからず、葉書を手にして佇んだ。
その晩、私は葉書と共にビールグラスを傾けた。まあ人の命の長さをあれこれ言っても仕方ない。死んじゃったものは仕方ない。缶ビールが切れたので、ウイスキーに手を伸ばす。それにしても。死んだ人はだいたい生きている者に後悔させるから始末が悪い。どうして、どうしてもっと生前に会っておかなかったのだろう。私が仕事で忙しかったのは事実か? いや、事実だ。仕方なかったんだよ。でもどうしてあの日、タクシーに乗ってでも生のパイナップルを買い求めなかったのだろう。それは私に出来たことだった。あの日の脳裏にもそのアイデアはよぎったはずだ。ただ、あのときは、一期一会の思いが、そんなには強くなかっただけなのだ。
私はやはり、何かを面倒くさがったのだ。
ウイスキーは喉に辛く、私はひたいを抑えた。