た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

1月5日

2010年01月06日 | essay
 怒涛の、といつかも書いた気がするが、やっぱり他の形容で相応しいものが見つからないので、怒涛の、と懲りずに書くが、その怒涛の年末年始がようやく過ぎ去った。人も聞いて呆れるほどの仕事三昧であった。
 人生の節目節目を日常に追われながら飛び越えていくのはあまりよろしくない。いつ年取ったのかわからないようなのが一番年を取り易いと見た。いやその逆なのかな。節目節目をしっかり行事として堪能すると、しっかり年を取るという意見もあろう。追いまくられるくらいがちょうどいい、と慰める人もいる。死に急いでいるだけだ、と切って捨てる人もいる。ローリングストーンに苔は生えないか。それともローリングストーンだからこそ摩耗していくのか。こうやって水掛け論を一人して就寝までの時間を未練がましく引き延ばすのが、何より疲弊している証拠か。
 
 本年もよろしくお願いします。
コメント (2)
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1月5日

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 怒涛の、といつかも書いた気がするが、やっぱり他の形容で相応しいものが見つからないので、怒涛の、と懲りずに書くが、その怒涛の年末年始がようやく過ぎ去った。人も聞いて呆れるほどの仕事三昧であった。
 人生の節目節目を日常に追われながら飛び越えていくのはあまりよろしくない。いつ年取ったのかわからないようなのが一番年を取り易いと見た。いやその逆なのかな。節目節目をしっかり行事として堪能すると、しっかり年を取るという意見もあろう。追いまくられるくらいがちょうどいい、と慰める人もいる。死に急いでいるだけだ、と切って捨てる人もいる。ローリングストーンに苔は生えないか。それともローリングストーンだからこそ摩耗していくのか。こうやって水掛け論を一人して就寝までの時間を未練がましく引き延ばすのが、何より疲弊している証拠か。
 
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