た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

戸隠冬紀行⑤

2012年05月28日 | 紀行文
 翌朝は曇天であった。短い一人旅に終止符を打ち、帰宅する日である。
 宿を出て、早朝のバスに乗る。戸隠は全体が霧に覆われている。宝来社で途中下車して、神殿を見る。これで三社全部を一応拝観したことになる。
 再びバスに乗り込もうと停留所に行ったら、三十前半とおぼしき青年がベンチに腰掛け、缶コーヒーを口に含んでいた。寝不足のようでもあるし、じっと考え込んでいるようでもある。縁の太い眼鏡に、無精ひげの若干浮き出た細い顎。見るからに大学関係者である。
 私は少しく興味を覚え、ベンチの隣に腰かけ、旅人同士の挨拶を交わした。訊けば、彼は名古屋の大学の講師で、ゼミの研修で戸隠を訪れたとか。今日は名古屋に戻るらしい。専門は土木。「土木と言ってもですね」と彼は微笑みながら弁明を入れた。「一般の人が想像するような、道路を造ったり橋を掛けたりとかいったものではないんです」
 では何を研究するのかと重ねて私が訊くと、都市計画に関することだという答えが返ってきた。
 バス停の前の道路はほとんど車が通らない。向かいの木立は霧のため、うっすらと白い。
 都市計画ならば、例えばどんな街づくりを理想とするのか? 私はさらに尋ねた。
 「神社です。中心となるのは」
 神社?
 私は身を乗り出した。詳しい説明を求める私に対して、彼は大学の講師らしく、実にわかり易く説明してくれた。もっぱら私が質問し、彼がそれに答える、という形式で、我々の会話はバスに乗り込んだ後も、通路を挿んで続いた。
 バスは霧の戸隠を蛇行しながら下山していく。標高が低くなるにつれ、霧は徐々に晴れてくる。さまざまな谷間がさまざまな春先の表情を見せる。
 彼の話を要約すると以下のようになる。
 街づくりに関する彼の考え方に大きな影響を与えたのは、昨年の3・11の東北大震災による津波の被害であった。あの巨大な津波は、いくつもの町を丸ごと消滅させた。その一方で、津波が到達しなかった高台がいくつか存在した。興味深いことに、古くからある神社はだいたいそういう高台に位置していたという。つまり、今回の津波で近現代の家屋の多くが流されても、古い神社は流されずに残っているのである。
 昔の人は、経験で、どこまで津波が来るかを知っていた。そして津波の来ない場所に神社を建立することで、そこをいざというときの避難場所として確保したのだ。神社には信仰面だけではなく、共同体の危機管理上でも大きな意義があったことになる。神社は大概、伐採を禁じた森を周囲に持っていたので、生態学的にも多様な生物の保存場所となる。神社はまさに、ノアの箱舟的存在なのだ。現代の街づくりに、古来の神社の存在を活かせないだろうか───そういったところが、彼の論旨であった。
 神社のような「非科学的な」存在を持ちだすので、学界では異端と見なされ、ほとんど受け入れてもらえない。どうしても神がかり的に見られるのが悔しい、と彼はこぼした。しかし彼らを説得するには、とにかく実証が足りない、と。神社がどれだけ実際面で役に立つかという科学的実証例が足りない。
 そう語る彼の顔は、しかし活き活きしていた。淡々と語りながらも見つめる一点は明らかに未来に向けられていた。
 そうか。私は目が覚める思いがした。旅に出るのは感傷に浸るためだけではない。見聞を広め、学ぶためなのだ。普段学べないことを学べるチャンスなのだ。当たり前のことだが、私はそこに盲目であった。人は旅に出て賢くならなければいけない。どんな知識を得るかは各自の選択と偶然に委ねられるにせよ。そして旅から帰宅してのちも、旅先と同じ行動力でもって、学んだことを活かし、何かを変えていかなければならない。小さなことであれ、根本的なことであれ。行動の結果がどうなるかはわからない。それこそ、人生においてどんな決断をするにせよ、それが正しいと確信するには実証が足りない。しかし、我々の眼前にはすでにしてつねに、幾つもの現実問題が横たわっている。旅はそこからの逃避ではなく、そこへ立ち向かうための助走でなければならない。少なくとも、帰宅を前提とした旅はそうだ。期限のある旅はそうだ。
 学ぼう。学び、考えよう。久しぶりに大学人の空気に触れ、私はうきうきして来る自分を感じた。彼の話は実に面白く、前の席に座っていた地元の初老の男性が話に割り込んでくるほどであった。

 長野市の善光寺前で私はバスを降り、彼らに別れを告げた。善光寺はそろそろ降り出した雨に打たれ、淡い色に沈んでいた。私の旅は終わりに近づいている。善光寺を観て、ついでに美術館を一つ覗けば、私の乗る松本行きの電車が出る夕刻になろう。松本に帰りつけば、また家庭と仕事場を往復する日々が、私の一人旅なぞ無関心に淡々と始まろう。未解決の問題は依然として未解決のまま、悶々とした事柄は依然として悶々としたまま、そこに存在し続けているだろう。
 それでも私は、この旅に出る前より少しは力強く、歩き続けることができるのではなかろうか。
 私は傘を握り直した。
 旅は期待に始まり、希望に終わる。まあ、それでよしとしようではないか。

 (おわり)
コメント
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