休日、温泉地に行って遊歩道を歩けば、もうミドルエイジどころかシニア世代の仲間入りである。そんな休日の過ごし方をすることが、ここ最近多くなった。危険を感じるが、何しろ平和である。温泉に遊歩道。鬼に金棒よりも両者の粘着力が強い気がする。何しろ、たいがいの温泉地には遊歩道がある。その中にはいい加減に作られたものもある。鴎外の道とか芭蕉の道とか、あたかもいにしえの文人・文豪達が歩いたかのような表題を掲げているが、果たして当人が本当にそこを歩いたかははなはだ心もとない。たとえ一度歩いたことがあるとしても、それくらいで誰それの道とか名づけるのなら、日本中が文豪の道で溢れかえることになろう。
先日は連れ合いと高山村の温泉に赴いた。図書館で借りた信州温泉巡りの本で調べて行ったのだから、この辺のやり方もまことにシニア的である。危険をより強く感じるが、二人とも見栄より湯船、若さより安らぎ派である。
初めての土地であり、まるでバス停のようにあちこちに温泉が点在している。どこに入るか迷うところだが、一番とっつきにあった『子安温泉』にまず入った。お湯が淡く茶色に濁っており、体にゆっくりと浸透する。高い天井に湯気が舞い、天窓から差し込む光に煌めく。
二人ともほどよく茹で上がると、温泉のはしごを目論み、さらに奥地を目指す。
山田温泉郷で足湯に浸かり、遊歩道があるというので遊歩道を歩く。順番が逆のような気もするが、行き当たりばったりなので仕方ない。ところでその遊歩道が、枯葉が敷き積もりぬかるみもあるような悪路である。しかも熊よけの鐘がそこここに設置されている。不気味であることこの上ない。誰一人すれ違わない。数百段もの階段もあり、三十分も歩けばへとへとになった。本物のシニアであればこの辺もしっかり下調べして、避けるべき道は避けるだろうから、むしろ無鉄砲さが若さの証拠かと自分たちの愚行を慰めた。
山田牧場で牛たちを同類のような顔で眺めた後、七味温泉に入り、帰路に就く。七味温泉の硫黄は強烈であり、翌日まで体から臭ってくるような気がした。
カメラを忘れたので、写真はない。
連れ合いはすでに次なる温泉地を物色し始めている。温泉はともかく、遊歩道はしばらく考えてもいい気がする。