暑い夏であった。
建物の壁という壁、アスファルトというアスファルトに、強力な日差しがくっきりと火傷の跡を残しそうな暑さであった。人々は最初は我慢強く、暑さが果てしなく続くにつれ、次第に投げやりになった。日々交差点で信号待ちをする市民は、ここで倒れこむのはみっともないという、ただそれだけの理由で辛うじて立っている、といった体であった。
私の職場の近くに、老人が一人で住んでいた。身寄りがないのか、相当の歳なのにほとんど人の出入りがない。室内着そのままの格好につばの狭い麦わら帽子を被り、杖を突きながら、よろよろと買い物に行く姿をよく見かけた。たまにデイサービスの車が来ると、元気のいい女性の声に負けじと、威勢よく受け答えする彼の声が聞こえてくることもあった。が、普段は非常に無口な老人であった。何度か路上で生きあったが、なぜか私の挨拶にも会釈にも、一度たりとも返しをしてくれたことがなかった。私を嫌っているのかも知れない。あるいはただ、性格が偏屈で、誰に対しても似たような態度なのかも知れない。とすれば、デイサービスの女性にだけは心を許しているということか。
盆を過ぎても暑さの続く交差点で、彼とばったり出会った。彼は杖を突いた方がいいのか突かない方がいいのかわからないほどよろよろした足取りで、近所の商店に向かっていた。食料品を買い込みに行くのだ。私は彼のおぼつかない足取りが心配なのと、そろそろ挨拶を交わしてくれてもよいのではないか、という期待とで、なるべく気取りない風を装い、額の汗を拭いながら、「こんにちは、暑いですね!」と声をかけた。
老人はびっくりしたように動きを止めた。まるで異生物でも見るように私にひたと視線を注いだ。小さい目をぎらりと見開き、頬をぶるぶると震わせながら、老人は私を凝視した。それから、重い唇を動かして、彼は確かにこうつぶやいた。
「お前らのせいだ」
瞬時に私の中で、暑さも、行き交う車の騒音も消えた。町全体が歪んだようにすら思えた。打ちひしがれて佇む私の脇を、老人は杖を突きながらよろよろと通り過ぎていった。何をどう解釈していいか、私にはさっぱりわからなかった。それでもずっとそうしているわけにもいかず、呆然とした顔つきのまま、私は肩を落としてとぼとぼと職場に戻った。
彼は気が狂っていたのかも知れない。完全にではなくとも、半分がたそうなのかも知れない。今年の暑さが祟ったか。痴呆の可能性もある。普段から誰に対しても、何を言われても、同じような台詞を返していると考えてもおかしくない。
しかし、と思う。しかし、もし彼が完全に正気だったら? まったく正常な思考を働かせて、彼があの台詞を吐いたのだとしたら?
だとすれば、どうなのか。私は汗の伝う頬を緩め、苦笑した。苦笑するのも辛いほどの暑さと気怠さだったが、それでも無理やり苦笑した。そうだ。この暑さは、確かに「我々」のせいなのだ。彼はまったく正鵠を得た発言をしただけなのだ。
窓を閉めきり、エアコンをかけて涼しそうに運転するスポーツカーが、ひときわ高くエンジン音を唸らせ、私の横を通り過ぎた。
今年は蝉も鳴かない、とふと気づいた。
影がどこにもないような街であった。車ばかりが行き交っていた。はるか頭上で太陽が高笑いしている気がしたが、それはもちろん、私の気のせいであった。