秋空の下、地域の運動会が催された。
私は体育委員である。体育委員は、運動会の選手を集めなければならない。ところが昨今はなかなか人が集まらない。集まらなければ、最後の手段として、体育委員が埋め合わせに回される。という論理で、私は今回リレーの選手に選ばれた。仕方ないから出てくれという。何が仕方ないのか一向にわからない。私の足は速くない。ここ何年も運動をしていない。リレーに選ばれる要素など微塵もないと自信を持って言える。それなのに、出る人がいないから、出ろなんて、そんなことがあっていいのだろうか。
一週間の準備期間に、走りこめるだけ走ったが、一週間やそこらでは、十秒を九秒にできるはずがない。もちろん二十秒をを十九秒にもできない。一体どうするのだろうと途方にくれながら当日を迎えた。
リレーは運動会の花形である。当然最後の種目。疾走順は一番。一番は半周で済むから、一周走る順番から泣きついて変えてもらったのだ。しかし一番手は皆一斉にスタートするのだから、確実に順位がつく。一番を選んで、本当に良かったのか。もう後戻りはできない。
鉢巻きを巻き、バトンを握りしめ、スタートラインに立った時、爽やかな秋風に乗って四方から歓声が沸き起こった。なるほど、これが「さらし者」という存在が味わう気分か、と思うと同時に、実に懐かしい、小学生か中学生の時以来の、得も言われぬ高揚感が沸き起こってきた。運動会だ。これは、あの、緊張と、恐怖と、やる気、と汗、と興奮と、どこか無責任なお祭り気分のないまぜになった、正真正銘の運動会だ。
この感覚を四十を過ぎて再び味わえるなんて、私はなんて幸せ者であり、不幸せ者なのだ。
ピストルが鳴り、硝煙の匂いを微かに嗅ぎながら、私は懸命にダッシュした。無我夢中で手足を振った。
結果は三位。五人中の三番目である。埋め合わせで走ったにしては十分の合格点ではなかろうか。
そう思って自分をなぐさめている。
それでも何だかもっと自分をいたわりたくて、翌日一人で温泉に行った。
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