た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

自分のことを説明するのに

2005年02月08日 | Weblog
自分のことを説明するのにお酒が必要な人がいる。
            一言二言の冗談で済む人もいる。
            長い沈黙が必要な人もいる。
            他人を必要とする人もいる。
            見たままでわかり易い人もいる。
            誤解されつづける人もいる。
            諦めた人もいる。

自分のことを説明するのに
            人はその人らしさを最もあらわす。    
コメント (2)
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小雨が降ると

2005年02月08日 | 写真とことば
小雨が降ると、近所の野良猫たちは、決まって濡れそぼちた姿を人間たちに現し、彼らによって貶められたこの境遇を恨めしそうに目で訴える。
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ある人の言葉

2005年02月07日 | Weblog
教師というのは、教えちゃだめなんだ。
学ばせるんだよ、子どもに。
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あなたの成績は

2005年02月07日 | Weblog
 我々は「成績」という言葉に弱い。滅法弱いと思う。せいせき。それは「評価」よりも確固たる権威を帯びた響きがあり、「能力」と言うにはずっと数値的であり、「成果」ほどには実のない、何かしら機械的で無表情な紙切れ一枚、という印象を受ける。成績が良ければとり敢えずは安心できる。家に帰っても誰にも叱られずに済みそうだ。もちろん、成績が良いだけでは、取り立てて何を生み出すわけでもない、ということは当人も周囲も重々承知の上なのだが。セイセキ。この言葉は結局、古く色あせた「学校」という追憶に永遠にまとわりついた亡霊なのである。ほとんどすべての人が、学校という教育機関に対し、潜在的に抱きつづけている恐れの源なのである。
 道行くときに見知らぬ人に不意に呼び止められ、「あなたの成績は?」と訊かれることを想定してみられたい。誰しもぞっとするはずである。*十年生きてきた。私の成績は?

 くだらない問いかけである。それがくだらないとはっきり判断できる人は、幸いである。
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哲学が

2005年02月02日 | Weblog
哲学が昨日、山手線のとある駅のプラットフォーム、他に誰もいなくなった喫煙所の片隅で、男の足を止めた。目の前を電車が轟音を立てて、通り過ぎるまで。そんなこともある。
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