た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

小雨(お勘定)

2005年10月04日 | 寄席
 私はまた寒気を感じましたね。しまったな、どうも風邪をひきそうだぞ、と思いました。大したことのない雨っていっても、案外肩の辺りがいつまでも湿ってたりするもんですからね。
 「じゃあママさんは」
 と私はここでなんか言わなきゃな、いろいろ話してくれたんだから、と思いましたよ。
 「じゃあママさんは、二十年間、この店を開いてずっと小雨の降る晩を待ってたんだ」
 ええ、と彼女は小さな声で答えました。
 「でも待ったかいがありました。ようやくあの人が戻って来てくれたんですから」
 
 びっくりしましたね、私は。慌てて周りを見回しましたが、もちろんこの店には私とママさんきりしかいません。そのとき地震が来たように全身がぐらぐらっときて、頭の中で何か殻みたいなものが割れた気がして、突然、思い出したんですよ、私は。鮮明に思い出したんです。私には二十年前、小雨の降る晩に、あの橋でふった女がいて、その女はそれから一ヶ月も経たない内に、同じあの橋から身を投げて、死んじまっていたことを。


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小雨(  )

2005年10月04日 | 寄席
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小雨(二日酔いの翌朝)

2005年10月04日 | 寄席
 そこからの私の記憶が、無いんですよ。ええ、きれいさっぱり。無いんです。まあ酔いつぶれて記憶が飛ぶってこたぁそれまでも再三ありましたがね。あれだけ見事に、カッターで切り取ったようにきれいに記憶が飛んだのは初めてだ。
 「もうお昼過ぎるよ。いい加減起きないとほんとに離縁するよ」
 って女房に起こされて気がついたら、我が家の布団の上ですよ。私ゃ再度びっくりしましたんでございます。聞きゃ、明け方、泥酔してふらふらになって帰って来たって言うじゃないですか。しかも、びしょ濡れでね。
 「そんな土砂降りでもなかったはずだけどね。どんだけ長い間外をほっつき歩いてたんだい」
 そう女房は言うんですよ。確かにゆうべはずっと霧雨だった。明け方に土砂降りになったって話もついぞ聞きません。それに気持ちの悪いことに、緑色の水草みたいなものがスーツについていたらしいんです。そいつは私ゃ確認してません。女房がすでに洗い落としてたんでね。

 不思議なのは、まあ何もかもすべてが不思議でならないんですが、とりわけ私が不思議に思うのはでございます、夢か幻かはともかく、あのスナックでママさんと話したところまでは鮮明に覚えてまして、それはいっくら時が経っても忘れないんでございます。夢とも幻とも、正直、とても私には思えないんですなあ。
 いいですか。私がふったあと自殺した女なんていないんですよ。いないんです。いないに決まってるんです。二十年前だろうが三十年前だろうが。でも、ああ、俺には確かにそんな女がいた、とあのとき強烈に思い出した、その背筋が凍るような感覚だけは、この五体に、入れ墨のようにしっかりと刻み込まれて残ってるんでさあ。
 そういうことってございますかねえ。
 あの女の最後に放った言葉、待ち人が来たって言葉。あれがどういう意味だったか、確かめたくて、それから何度もあの橋のたもとの辺りをうろうろしてみたんですけどねえ。「小雨」って名前のスナック、いまだに見つけきれないんでございます。
 それが不思議と言やあ、一等不思議でございますが。


(終わり) 
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無題

2005年10月01日 | 習作:市民
 川沿いの喫茶店に初めて入る。割合広い。二階席の窓から薄川(すすきがわ)が見える。道路も見える。土曜日の夕刻なのに、みんな車で移動して忙しそうである。

 忙しくない人はここに来ているのだ。私の背後の席では、四十代の男女が家賃の話をしたり黙っていたりする。部屋の隅のテーブルでは六十代の女性が黙々とインベーダーゲームをやっている。あんなものがまだあったとは。壁際の席では、禿げた老人がスポーツ新聞に顔を埋めている。窓際の中央のテーブルでは、フォークに真っ赤なナポリタンを絡ませて、私がいる。インベーダーゲームの乾いた電子音が、古き時代に対する鎮魂歌のように、各々の頭の上を過ぎていく。
 

 知人が一人、職を離れた。外に出る前、パソコンのメールでそれを知った。だから喫茶店に立ち寄ったわけではないのだが、スパゲッティーを咀嚼しながら、私はずっとその知人のことを考えていた。半年くらい前から職場の風当たりがきつくなっていたのは聞き知っていた。職場は彼を求めなくなった。彼も職場に期待しなくなった。そのような雰囲気の中で、彼は我慢し続けた。半年間。
 人の生き方については、誰も評価できっこない。
 ふと顔を上げると、薄川はいつの間にか秋の宵闇に埋もれていた。
 誰も渡らない横断歩道の信号機が点滅する。
 評価なんかしてはいけない。

 『存在と時間』。昔ちょっとだけかじった哲学書の名前を思い出した。マルティン・ハイデガー。どんな内容だったかは忘れた。どうして表題だけを思い出したのだろう?
 私は運ばれてきた珈琲に口をつけた。熱い。
 
 存在と時間。私は珈琲カップで両手を暖めた。──そうか。存在と時間。これからぽかりと日常の空く彼。河川敷を車で急ぐ人々。ゲームの画面を険しい表情で見つめる初老の女性。足りない時間。持て余された時間。自分という限られた存在と、人生という限られた時間の間の齟齬(そご)に、どう折り合いをつけるか。それが、ひょっとしたら────
 飲み干したカップを置き、裏返された伝票を手に取って私は立ち上がった。ハイデガーがそんなことを言いたかったわけじゃない。

 外が急速に冷え込みつつあることは、窓の景色からわかっていた。河川敷を撫でる風はことに冷気を帯びていた。それでも私は、多少ふらつきながらゆっくりと自転車を漕いだ。橋のたもとの交差点で、曲がろうとする車にクラクションを鳴らされた。

 存在。時間。それにしても、何と折り合いのつきにくいこの二つ。

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