ong> 神護寺は、空海の後、弟子の実慧(じちえ)や真済が別当(住職)となって護持されたが、平安時代末期には衰退していた。中世、神護寺再興に力があったのは「平家物語」などで知られる武士出身の僧・文覚(もんがく)であった。彼は仁安3年(1168)、神護寺に参詣するが、八幡大菩薩の神意によって創建され、弘法大師・空海ゆかりの地でもあるこの寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めた。その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進んだ。文覚自身は罪を得て対馬(隠岐とする説もある)に流され、配流先で生涯を終えたが、神護寺の再興は弟子の上覚(上覚房行慈)によって完遂された。なお、鎌倉時代に華厳宗を復興し、高山寺を中興した僧・明恵(みょうえ)は上覚の甥で、やはり神護寺に住したことがあった。(以上はWikipedia「神護寺」より)
境内の一番奥には地蔵院があり、その庭から清滝川に向けて厄除けの「かわらけ投げ」ができるという。素焼きのカワラケ(皿)を思いきり遠くへ投げられるというので、厄除けの程はともかく、気分転換になることから人気があるとか。なお、カワラケ投げは、この寺が発祥とされる。(時間がないので省略)
「左 地蔵院へ近道」とあるので、行ってみようかと思って歩きだしたら、異様な感じがする抗口のようなものが目に入ってきた。
閼伽井(あかい):弘仁3年(812)弘法大師によって潅頂伝授のために掘られたと伝えられる。
潅頂(かんじょう)とは、真言宗・天台宗で、一般の人に仏縁を結ばせるため、また僧が一定の地位に上るとき、仏に供えた水を頭上に注ぐ儀式。
アオキ(青木) ミズキ科 アオキ属 Aucuba japonica
山地の林の中に生える常緑低木。赤い実と光沢のある葉が美しく、丈夫で育てやすいので日本だけでなく、世界各地で庭木として利用されている。高さは1~2m。葉は対生し、長さ5~18㎝の長楕円形で、縁には粗い鋸歯がある。3~4月、紫褐色の小さな花が咲く。雌雄別株。果実は長さ約2㎝の楕円形で赤く熟す。艶々した赤い実は翌年の春まで残る。果実が白色や黄色のもの、葉に白い斑が入ったものなど、多くの品種がある。分布:本州(宮城県以西)~沖縄。[以上、山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より[