peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都24:神護寺と青木の実

2010年02月17日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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ong> 神護寺は、空海の後、弟子の実慧(じちえ)や真済が別当(住職)となって護持されたが、平安時代末期には衰退していた。中世、神護寺再興に力があったのは「平家物語」などで知られる武士出身の僧・文覚(もんがく)であった。彼は仁安3年(1168)、神護寺に参詣するが、八幡大菩薩の神意によって創建され、弘法大師・空海ゆかりの地でもあるこの寺が荒れ果てていることを嘆き、再興の勧進を始めた。その後、後白河法皇や源頼朝らの援助を得て、寺の再興は進んだ。文覚自身は罪を得て対馬(隠岐とする説もある)に流され、配流先で生涯を終えたが、神護寺の再興は弟子の上覚(上覚房行慈)によって完遂された。なお、鎌倉時代に華厳宗を復興し、高山寺を中興した僧・明恵(みょうえ)は上覚の甥で、やはり神護寺に住したことがあった。(以上はWikipedia「神護寺」より)

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境内の一番奥には地蔵院があり、その庭から清滝川に向けて厄除けの「かわらけ投げ」ができるという。素焼きのカワラケ(皿)を思いきり遠くへ投げられるというので、厄除けの程はともかく、気分転換になることから人気があるとか。なお、カワラケ投げは、この寺が発祥とされる。(時間がないので省略)

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「左 地蔵院へ近道」とあるので、行ってみようかと思って歩きだしたら、異様な感じがする抗口のようなものが目に入ってきた。

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閼伽井(あかい):弘仁3年(812)弘法大師によって潅頂伝授のために掘られたと伝えられる。

潅頂(かんじょう)とは、真言宗・天台宗で、一般の人に仏縁を結ばせるため、また僧が一定の地位に上るとき、仏に供えた水を頭上に注ぐ儀式。

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アオキ(青木) ミズキ科 アオキ属 Aucuba japonica

山地の林の中に生える常緑低木。赤い実と光沢のある葉が美しく、丈夫で育てやすいので日本だけでなく、世界各地で庭木として利用されている。高さは1~2m。葉は対生し、長さ5~18㎝の長楕円形で、縁には粗い鋸歯がある。3~4月、紫褐色の小さな花が咲く。雌雄別株。果実は長さ約2㎝の楕円形で赤く熟す。艶々した赤い実は翌年の春まで残る。果実が白色や黄色のもの、葉に白い斑が入ったものなど、多くの品種がある。分布:本州(宮城県以西)~沖縄。[以上、山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑3・秋の花」より[


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都23:神護寺とタマシダ

2010年02月17日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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(下)内側から見た神護寺の楼門。楼門のすぐ右手に唐門がある。唐門を越えると和気公霊廟である。

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2010年2月5日(金)、平家物語ゆかりの地を巡る旅の2日目。京都市右京区梅ケ畑高雄町にある高雄山神護寺の楼門に全員が揃ったのは11:17時。見学予定時間は10:40~12:00時。次の目的地「鞍馬寺」前の食事処に昼食の予約をしているので時間が少ない。それぞれが境内案内図を頼りに散策。

 この寺は、頼朝に挙兵を促した文覚上人が再興したお寺(「平家物語」巻5)だが、神護寺の前身は、この地に古くからあった和気(わけ)氏の氏寺である高雄山寺で、草創は不明とのこと。唐から帰朝した空海(弘法大師)が大同4年(809)から東寺を拝領するまでの14年間、ここを真言密教布教の拠点とした由来のある寺院である。

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 鐘楼がある建物。コメツガ(米栂)と思われる樹木が、実を沢山つけていた。

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(上)金堂から見た五大堂(手前)と毘沙門堂(奥)。

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大師堂:毘沙門堂、五大堂のさらに奥にある入母屋造り、柿(こけら)葺きの住宅風の仏堂。江戸時代に空海(弘法大師)の住坊であった「納涼房」を復興したのがこの「大師堂」(重要文化財)で、唐から帰朝した空海が、真言密教布教のため14年間暮した所とのこと。内部の厨子に正安4年(1302)作の板彫弘法大師像(重文)を安置するとのこと。

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(上)五大堂:毘沙門堂の右側に建つ。元和9年(1623)の建築。

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(上)金堂へと上る石段の下に建つ。左が毘沙門堂で右が五大堂

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(上と下)毘沙門堂:金堂へと上る石段の下に建つ。金堂が建つ前はこの堂が「金堂」であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていたとのこと。元和9年(1623)の建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置するとのこと。

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(下5枚)金堂:楼門を入って境内奥へ進み、右手の石段を上った先に建つ。入母屋造り、本瓦葺きの本格的な密教仏堂であるが、建築年代は新しく、昭和9年(1934)に実業家山口玄洞の寄進で建てられたもの。金堂に安置する本尊の薬師如来像は。無病息災。鎮護国家の仏とのこと。

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(下)木々の後ろの方に見えているのは多宝塔:金堂からさらに石段を上った高みに建つ。金堂と同様、昭和9年(1934)、実業家山口玄洞の寄進で立てられたもの。内部に国宝の五大虚空蔵菩薩像を安置する。但し、拝観は事前に往復ハガキによる申し込みが必要とのこと。

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下の画像のシダは、セイヨウタマシダ’テディ・ジュニア’(ツデータマシダ)と呼ばれているものではないかと思われますが、断定はできません。

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シノブ科 タマシダ(ネフロレピス)属 Nephrolepis: 世界の熱帯、亜熱帯に約30種がある。地生あるいは岩や樹木に着生する。根茎は匍匐し、種によっては塊茎をつける。葉は単羽状で、羽片の数は多い。ソーラス(胞子嚢群)は葉縁、またはその近くにつき、包膜は円形または腎円形となる。エクサルタタに多くの園芸品種があり、観葉植物とされる。

タマシダは、世界の熱帯、亜熱帯に広く分布し、日本にも伊豆半島以西の暖地に3種ほど自生している。匍匐枝は鱗片に覆われ、芽と塊茎をつける。芽には子株をつけ、塊茎は径1~2㎝で球状となる。葉は直立し、羽片は全体に短いが中央部はやや長い。エクサルタタN.exaltataは熱帯アメリカ原産で、タマシダに似るが、匍匐枝に塊茎をつけず、葉幅が広い点が異なり、セイヨウタマシダの和名がある。多くの園芸品種があり、これらのほとんどは突然変異によりできたものである。ボストンタマシダcv.Bostonieensisは葉は柔らかく、長さが1mにもなって垂れ下がり羽片は縁が波打っている。’ボストンタマシダ’から出た個体に’ファン・ダンサー’cv.Fan Dancerがある。葉が淡緑色~淡黄色となる’テディー・ジュニア’Nephrolepis cv.Teddy Juniorはコンパクトな葉となり、羽片は波打つ。一般に’ツデータマシダ’と呼ばれ、最も多く栽培されている品種。[以上、山と渓谷社発行「山渓カラー名鑑・観葉植物」より]

 栽培管理:直射日光を避けた、やや明るい日陰に置く。夏には根もとが蒸れることが多いので、風通しのよい場所に置く。冬にはレースのカーテン越しの日光に当てる。夏には毎日たっぷりと水やりする。それ以外の季節には、鉢土の表面が乾いたら水を与える。乾燥時には霧吹きで葉水を行う。5~9月に、2~3ケ月に1回、緩効性の化成肥料を置き肥する。病害虫については、カイガラムシに注意する。越冬温度は5~8℃だが、タマシダは凍らない程度であれば越冬可能。[以上、池田書店発行「観葉植物事典」より]


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都22:神護寺とコメツガ(米栂)

2010年02月17日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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神護寺の楼門:毘沙門堂などと同様、元和9年(1623)の建立とされる。

「神護寺(じんごじ)」は、京都市右京区梅ケ畑高雄町5にある高野山真言宗遺迹(ゆいせき)本山の寺院で、山号を高雄山と号する。本尊は薬師如来、開基は和気清麻呂。仏塔古寺十八尊第七番。 「神護寺」とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前、神社に付属しこれを管理した寺のことで、「神宮寺」または「別当寺」と同義。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%AD%B7%E5%AF%BA [神護寺-Wikipedia]

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神護寺楼門の右側にある書院(茶室もあるとのこと)

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 楼門を内側から見た姿。

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境内の絵図

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和気公霊廟:平安京造営(794~)の最高責任者であった和気清麻呂公と、姉の広虫が祀られていた護王神社跡。「護王神社」は、明治19年に京都御苑(護王神社)に移されている。

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宝蔵と思われる建物。

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鐘楼と思われる建物がある囲いの中に生えている「米栂(こめつが)」と思われる樹木が、果実を沢山付けていました。

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 コメツガ(米栂) マツ科 ツガ属 Tsuga diversifolia

日本特産の常緑高木。ツガより高く、ウラジロモミやシラビソなどと同じくらいの標高に生える。純林をつくることもある。高さは普通15~20mになる。ツガに似ているが、樹皮は薄く剥がれ、若枝には褐色の毛があり、冬芽の先は丸い。葉はツガより短く、ほぼ長さが揃っている。球果のつき方もツガと違っていて、枝に真っ直ぐつく。花期は6月。球果は長さ1.5~2.5㎝。分布:本州(中部地方以北、紀伊半島)、四国、九州(祖母山)。

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この建物は「鐘楼」と思われなかったのだが、上の方にそれらしい屋根が見えてきた。

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 鐘楼:左隣にある明王堂との間の石段を登ると鐘楼がある。毘沙門堂などと同様元和9年(1623)の再建とされる。楼造の鐘楼で、楼上に国宝の梵鐘がある。この梵鐘は、貞観17年(875)に造られたもので、平等院(宇治)、妙心寺(右京区)の梵鐘と共に「天下の三名鐘」に数えられている。

(下)明王堂

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平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都21:神護寺への道

2010年02月16日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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2010年2月5日(金)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」第2日。祇王寺と滝口寺を巡って、次は愛宕山の東支峰の一つ高雄山中腹にたたずむ神護寺(京都市右京区梅ケ畑高雄町5番地)。空海(弘法大師)が真言密教の礎を築いた寺として名高い。また、洛北の紅葉の名所・高雄に位置する。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~kosho/ [弘法大師霊場 遺迹本山 高雄山神護寺ホームページ]

高台にある駐車場に駐車したバスから降りて、「高雄神護寺方面」と書かれている近道と思われる下の方に向かって歩く。急な坂道で、前途多難が予想される。

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 広い階段を下りながらふと横を見たら、「この階段は私道です。通行されるのはかまいませんが、事故等についての責任は持ちません。」と書かれていた。こんな立派な階段が私道とは驚きだが、下の旅館・もみぢ家のものだった。

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この道をずっと下って行って、清滝川に架かる高雄橋を渡ると「神護寺」へ行く参道石段のようだ。神護寺までの距離は書かれていないが、「神護寺20分」とある。また、槇尾山西明寺や高山寺もある。

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下り道の左側の急斜地には、楓の木が沢山あり、秋の見事な紅葉が想像される。

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 清滝川の対岸に生えている木に真っ赤な実が付いていた。ウメモドキではないだろうかなどと思いながらも、名前はわからずじまい。

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 高雄橋を渡った所にもマップがあり、道しるべがあったが、距離はよくわからない。

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この「高雄茶屋」は開店していたが、皆先に行ってしまったので素通りする。

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 道の上の平地に「お食事処高雄茶屋」があった。紅葉の時期は混むのだろうなどと思いながら、先に進む。

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 地図にあった「硯石」ではないかと思って近づいて見たら、やはり「硯石」だった。

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 硯石:空海弘法大師が神護寺に在山の時、勅額の依頼を受けられたが、急な五月雨で橋が流されたため、この石を硯として対岸に立てかけた額に向けて筆を投げられたところ、見事に「金剛定寺」の四文字を書かれたという。但し、この寺は現存していない。

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 硯石からさらに石段が長く続いている。ここから楼門までは残り100段ほどだが、息が切れる。楼門に近い所の石段を補修している人たちがいた。

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ようやく神護寺の楼門に着いた。堂々たる構えの門である。

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平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都20:滝口寺とラッパズイセン

2010年02月16日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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 滝口寺の表門は、祇王寺の横のなだらかな石段を登りつめた所にある。

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 2010年2月5日(金)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」の2日目。この日最初に訪れた嵯峨の小倉山の麓にある祇王寺の次は、10mほどしか離れていない南隣にある滝口寺(たきぐちでら)。この寺は、平家物語「維盛高野」の巻で語られている滝口入道と横笛を祀る寺である。また、明治の文豪・高山樗牛(ちょぎゅう)の歴史小説「滝口入道」の主人公としても有名で、滝口入道と横笛との悲恋を今に伝えている。

 現在は浄土宗 大覚寺塔頭 小倉山 滝口寺 京都市右京区嵯峨亀山町10-4

 滝口入道とは、宮中警護に当たる滝口(清涼殿の東北の詰所)の武士・斎藤時頼のことで、平重盛の家臣だった人物。建礼門院の雑仕女(ぞうしめ)の横笛に恋するが、身分違いのため、父の許しを得られず、出家する。横笛は滝口入道への思いが高じ、当時、往生院で修行していた滝口入道を訪ねるが、滝口入道は仏に仕える身であることを理由に会おうとせず、横笛は悲しみのあまり、大堰川に身を投げたとも、出家したともいわれる。一説には、横笛は滝口入道が修行していた高野山まで会いに行ったともいわれ、高野山には「横笛の恋塚」が残っているという。

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表門を潜ると拝観券受付所があり、その左奥に鎌倉幕府を倒した悲運の武将・新田義貞公首塚と勾当内侍供養塔がある。越前(福井県)で足利尊氏との戦いで討たれた新田義貞の首は、後に京の三条河原で晒しものにされていた。それを知った妻・勾当内侍(こうとうのないし)は、夫の首を密かに盗み出してここ嵯峨野に埋葬し、出家して夫を弔い生涯この地で暮らしたという。 歴史文学「太平記」に出てくるとのこと。 滝口寺は、滝口入道と横笛そして新田義貞と勾当内侍の2つの悲恋を語り継ぐ寺だったのである。

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 (上)新田義貞公の首塚(中央の奥)

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 (上)勾当内侍の供養塔

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 参道が2つに別れており、右に行けば本堂の横に出る。

 左に行けば、「三宝寺歌石」の前を通り、本堂前に出る。どちらも上り坂。

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(上)右の上り坂

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(上)左の上り坂の石段の途中に「滝口と横笛歌問答旧跡 三宝寺」(「三宝寺」は旧寺名)と刻まれた歌碑がある。その横に横笛が指を切り、その血で自分の気持ちを伝えたといわれる石がある。山深み思い入りぬる芝の戸のまことの道に我れを導け

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(上)横笛が自分の血で歌を書いたと伝わる石。石には苔が生え、滝口に会えずに帰る横笛の悲痛な思いが籠っているようだ。

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 石段をさらに登ることしばらく、視界が広がり本堂正面に出る。カエデと竹林が広がり、秋には見事な紅葉が見られると思われる。

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本堂から少し離れた所に滝口入道と平家一門の供養塔が建っている。

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 本堂奥の庭園の中に建つ平重盛を祀った「小松堂」。滝口入道(出家前の斎藤時頼)の主君は小松内大臣重盛。

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拝観券受付所に全体が黄色のラッパズイセンが飾られていました。

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ラッパズイセン(喇叭水仙) ヒガンバナ科 スイセン属 Narcissus pseudo-narcissus

スイセンの仲間はヨーロッパ中南部から地中海沿岸に広く分布し、園芸品種も多数育成されている。ラッパズイセンは花の中心の副花冠が長く、ラッパ状になっているのが特徴。花は花茎の先に1個つく。花弁は黄色のものが多く、副花冠は黄色、オレンジ、白などがある。[以上、山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑1・春の花」より]

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滝口寺山門を入ったのが9:30時、この駐車場に戻ったのが9:50時。

これからまた、歩いて来た道をバスが駐車している所まで歩いて戻らなければならない。

次の訪問先は、神護寺(京都市右京区梅ケ畑高雄町5番地)である。

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 http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/takoguthi-dera.htm [奥嵯峨野(愛宕道)を歩く:滝口寺]