WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

息子に「文學界」を送る

2023-05-06 | 人生妙なり


息子と久々に1、5時間超の長電話をしました。

息子からかかって来る場合、だいたいが「人生相談」なので、長々となるのです。
今回は、「相談」というよりも、
家族ぐるみで仲良くお付き合いしていた職場の先輩が離婚した。
妻が5歳の息子を引き取り、数か月後には再婚した。
…ということに大変ショックを受けたというもの。

なんだよそれ… この短期再婚は、妻は離婚前から浮気してたのかよ、、、
いや~~~キツイわ。息子5歳という年齢も。
しかし、夫婦のことは周囲にはわからないことがいろいろある。
まして、そのモトご家族と一度も会ったことのない私が、息子に何を語れと、、、、

まあ私が気になったのは、「公正証書」を取り交わしたのか…ということですわ。
養育費、面接交渉などについてはきちんと双方の合意があるのか…とか。

協議離婚とはいえ、「念書」だけでは何の法的効力もなく、いちどかなり精神的に打ちのめされた私としては、
息子のためにも、もしかしたら、今後もしも再婚したときの家族のためにも、キッチリと押さえておくべきことがある。

こんなん、だんだん学習していくって、全然なんの自慢にもなりません。
けど、きちんと作った「公正証書」のおかげで、離婚後の息子と父親も、私とベーシスト元夫も、さらにはSYOさんとベーシスト元夫も、本当にいい関係でいられた。

そんな話を息子にしました。あまりこれまでしてなかった話だったかな?



それからはまー雑談。
最近ついにできた彼女の話とか… 
私からは、東京5days の話とか、先日のベランダ焼肉の話とか…
笹塚には美味しい店がいっぱいあってうきうきしまくる話。
大阪にはウマくて安い店だらけの話。
お互いにこれでもかと画像をアップしまくる。












…そして、話題はおもむろに小説の話。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」をついに読み始めた。」と息子。
村上春樹が結構好きだというので、私にとって彼の一番好きな作品はコレ…と勧めたのがもうだいぶ前。
そして、しつこいけど、息子推薦の「蜜蜂と遠雷」があまりにもよかった話とか、映画はつまらなかった…とか、
若き俳優たちは、ピアニストたちの天才、秀才ぶりを演じきれていない、もっと彼らは純粋で子供で、屈託がなくて、あなたが演じてるそんな人じゃないよー。
でも、私が心酔している山崎豊子原作の映画やドラマは、キャスティングも超納得で、良いものがたくさんある…とか、、、



息子はアニオタだったのだ。今もそうかもしれん、、、
それからラノベの世界に、、、もうこりゃ全然アカンわと思っていたのであった。
それが、こんなふうに接点ができて、文学を語れるとはなぁーーー

でっ、最近「文學界」なるものを買って、部活後輩のお嬢さんの作品を読んだらものすごくよかったという話をしたら、息子は早速ググって、ゼヒ読んでみたいと、、、
臍(へそ)からうなぎが出るという話は、ものすごく私のツボにハマり、とにかく楽しめたしよかったのです。

もう少々読んだら息子に送ろう。
「文學界」を息子に送る日がくるとは!! 音楽だけじゃなく文学でも語れるのは、すごく嬉しい。
しかも、今は息子にインスパイアされている。


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ベランダ焼肉ウマし!

2023-05-05 | 人生妙なり




昨夜のベランダ焼肉は、大変美味しかった、楽しかった。
も~~書かずにはいられない
だんだんディープな世界へと突入していく様子、、、

そして、初登場のとんちゃんが、撮影を許可してくださいました…が、こんなん、、、
私の幼稚園からの幼馴染ですが、ずっとお付き合いがあったワケではなく最近のおはなし。

とんちゃんはこれまでにも数回うちにお泊り飲み会に来てくれて、
前回など、息子のベッドで寝ているところに、突然息子が夜明けに帰ってきて、「さあ寝るぞ」と自分のベッドに行ったところで他人が寝ている…というハプニングが、、、

いやまーそうはいっても、私だって、息子が夜更けに突然女子を連れて帰ってきてたたき起こされて紹介されたり、
いやそれより、コロナ禍が始まったばかりの頃に、大阪から専門同級生女子を連れて帰ってきて、3泊4日、本人は熱で寝込んでいる中、SYOさんと私が、それぞれ同級生女子のお相手をしたり…
だから、自分のベッドに他人が寝ているくらいは全然どーってことないだろー、、
二人はお互いびっくりしながらもなんだか自己紹介をしていたな~~~~実は知り合いなんだけど、夜明けのベッドではわからんわー、、、

普通のご家庭ではこんなことあり得ないでしょお。
私はどれほど奔放にコイツを育ててきたのだ、、、
その息子にもやっっっっと彼女ができた模様。
…というのはまた別の話。


でっ。
みなさまがTAKAMI宅ベランダ焼肉に行きたいよといってくださるので、
今日は早速macotoさんに連絡して、見積をお願いすることにしました。
…て、少し前にもこの件は相談はしていたのです。ずっと前から私の中では考えていたのです。
macotoさんは、SYOさんの防音パーティールームを設計施工して下さった一級建築士の方です。





えーっと、話があちこち飛び交っていますが、
焼肉は、東京最後の溝の口ホルモンとは違って、めっちゃ高級肉オンパレードになった。
「肉のヒガシハラ」に予算を言って予約したのだ。
高齢者焼肉セットってことで、量もちょびっとで6種類…あまり安いと申し訳ない…とか思ってしまって、
600g5000えん。
オーダーは、ハラミ、牛カルビ、豚カルビ、牛タン、ラム、鶏モモ
あれもこれもそれもどれも、めっちゃ美味しかった。
焼肉店の量と値段を念頭におきながらオーダーしたんですけど、小食の我らにはあり得ない世界だったよ。

とんちゃんとの飲み会は、いつもめっちゃ楽しい。一生仲よくしたい。
お互い飲んべーなので、だんだんディープな世界に突入して、このベランダで二人でごろ寝モードになった。
暑くもなく、寒くもなく、空には霞のかかったお月さま、、、、
朝まで寝られそうだった。
私は、寝っ転がりながらカッシーとレコーディングした「川のほとり」と「引き潮」をとんちゃんにお聞かせした。
この場所から生まれたうきうきの歌と、TAKAMI創作史上いちばん暗い歌。
こんなところで、こんなヨッパで、とんちゃんに聴いてもらえるのは嬉しかったなあ、、、
ベランダは、いつしか酔いが進むにつれて、なんだか異空間…
こんな新しい部屋が突然出現してる感じ…
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私の緑内障と息子の帰省

2023-03-20 | 人生妙なり


ちょっと深刻な話。

今日は香大医学部付属病院に、かかりつけの先生からの紹介状を頂いて、緑内障の検査と診察に行きました。
このところ、特に左目の進行が早く、焦点に近いところの視野が急激に欠損しているので、手術を行うべきかどうか検査と診断をしていただくというもの。
結果、手術は当面はしないことになりました。これが先生の見解。
私も心の底で、そうなることを願い、祈り、信じていました。
「オカリナようちゃん」(眼科医眞鍋先生)の時代から、緑内障でずっと通院していたのですが、
当時は、おともだちでバンドメンバーようちゃん…ってこともあって、おサボリしまくってました。
だって、眼圧低く安定してるし、視野欠損の進行も特に進まないし…と。ようちゃんに叱られても「てへへへ…」な感じだったのです。
その症状が急激に進行したのは、コロナ禍とSYOさん急逝後の「いろんな事後処理」のストレスによるものと思われます。
緑内障だけじゃなく、皮膚のあちこちがかぶれたり、髪の毛が抜けたり、ふらつきがきつかったり、私も人として、女として、もうこれで終わりか…とマジで思ったものだったなあ、、、
しかし、「いろんな事後処理」が終って、仕事も退職して、私は蘇ったのだ。
しかし…緑内障だけは…進行してしまったものは治りません、、、
でも、もうストレスがなくなったので、今の視力と視野で、きっとまた進行はゆるやかになると思うのです。
緑内障の手術というのは、視力低下が伴うとのこと。
視力が低下しても、失明を防ぐ…とかいう攻防のようで、ひぇ~~~っ!私、それほど切羽詰まってないよ。左目は右目で補ってるし、、、
まあいろいろ不便ではあるんだけど、本を読んだり、譜面書いちゃダメということは全くないとのこと。
これからも、点眼を忘れず日々の儀式とします。

でっ、その検査と受診には待ち時間含め2時間余りを要したんだけど、突然帰省している息子から、待っている間に「うどんが食べたい」とLINEが来て、
「山田家」に行きたいというので、懐かしの山田家、SYOさんと行きまくった山田家、息子と2人、いいねー-ってことで、ものすごく久々に行きました。
ここもまたコロナ禍以来。
平日なのに、県外ナンバーだらけ。昨日は日曜日、明日は祝日…

「釜ぶっかけ 卵黄付き」をオーダーして、器をもうひとついただくのだ。
卵黄は釜玉に、ネギやゴマも半分投入。すだち、おろし大根や生姜などはふつーのぶっかけに…と2種類味わえます。いいよ~~~





息子はこのたび、母校の定演のために帰省したんだけど、卒業して5年も経っているのに母校定演のために帰省するとはなんという部活愛…
凄く羨ましい、いいね、私はいろいろ事情あり、高校は暗黒時代。だからよけいにいいね!って思うよ。
今回は、私もいろいろ忙しく、自分のバンドのリハや、教会奏楽の練習あり、息子とセッションとかやってる時間なかった。
でも、語る時間は断片的にあって、「やっぱり音楽ってホントにいいよね」となる。
でっ、彼も絶対続けていきたい、続けるべき、続けることが人生…みたいに感じている模様。





よかったなーこんな息子を産んで、こんな大人になってくれて。

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2023TAKAMI専用カレンダー

2022-12-28 | 人生妙なり


本日、書人池田秋濤先生に、2023TAKAMI専用カレンダーを頂きました。
嬉っしゃ!
それぞれの言葉は私が選びました。
センセが「書いてあげるよー」と言って下さったので、6枚分、選びました。
私にとっては、絶対「歌詞」。
でも、あんまりフレーズが長くてご負担をかけてもと思い、短い方言も選びました。

あまりじっくり選ぶ時間がなかったけど、

毎日ダイニングで、練習しながら、ゴハン作りながら、センセの作品を見てそして、自分の中の「愛」を確認しながら過ごしていけるのだ。
なんという幸せ♪ ああもうホントにものっそ! 嬉っしゃ!!

秋濤センセは、「生活の中の書」をモットーとしていらっしゃいます。
だから私も、自分の気持ちを自然に表していると思うフレーズを選びました。

まあ、2023のTAKAMIはこんな感じ。うきうき、嬉しく、楽しい、愛だ、愛。
私にとって愛は「ひたひた」じゃない。SYOさんがいなくなってからは。




「街を渡る風」より


SYOさんが天国に帰ったのは1/28
やっぱりこの季節は私にとって特別だ。
SYOさんのお誕生日や入籍の日や結婚誓約式の日はもちろん覚えてるし、すぐに言えるよ。
だけど、当日になるとうっかり忘れてたりするんだよねーー-
彼がこの世界にいたときの記念日のことはもういいような気がする。
でも天国に帰った日だけは忘れないよ。「命日」。
こんなに愛したままでいさせてくれるSYOさんと、これからも心で繋がって一緒に生きて…はいきません。
私はこの世界で次にいく。SYOさんはもう神さまのみもと。彼を私のところに引きずりおろしたくない。
でもまたいつか会えるときを魂が楽しみに待っています。




「世界一のクリスマス」より


「あなたと歩く」…は、人生を一緒に歩く…な感じでもいいかもねと思って選んでみました。
だけどそれ以前に、誰かと一緒に語ったり笑ったり、他愛もない冗談を言ったりしながら歩くのって、すごく楽しくてすごく幸せな時間。
特に飲んだ帰りとか
恋人じゃなくて、友達でも、息子でも。




「バースデーケーキ」より


AC(アダルトチルドレン)じゃないよ
たまたま若き自分の誕生日に、ピアノのレッスン室にてするするーっとできた曲だけど、
きっとアーティストはみなさん、子供のままで大人になった人。少年少女だ。
これからも高らかに歌い続けます。
今では子供やワカモノ達へのはなむけソングですけど、すべてのアーティストのみなさまに心から贈りたいうたです。


 

「ああ うれしい 本当に」


「嬉っしゃ!」は私、よく言いますし、叫びます。書くにも便利。
標準語とか東京弁で言う(書く)としたら、「すっごくう~~れ~~し~~!!」のようになります。
抱きつきたい感じ。…を抑えて言葉で表現する。
これから残りの人生、たくさんの「嬉っしゃ!」を言いたいな。
まさに、本日秋濤センセが「カレンダー書いたのでこれから持っていくよ」「嬉っしゃ! ありがとう!」




「あなたが好きだ」


私、最近素直に好きなものは「好き」と伝えていると思うのですが、「あんたが好っきゃ」という讃岐弁は照れてよう言わん。
今年の集大成として、無償の愛のうた、つくりましたけど、あと、ほんとにあとちょっと。
「私には見えない時間も、あなたには幸せでいてほしいよ。」
こうして、だんだん私の2023の人生の輪郭が見えてくる…





秋濤先生のこの書、私は頂いたカレンダーの中でいちばん好きです。
「神さまありがとう」
このひとこと、私の中ではこの書この感じ。
私はクリスチャンですので、日曜日には礼拝にいって、神に祈り、賛美していますが、私の日常における神さまありがとうは、これです。
この「神さま」と一緒に日々を過ごしています…という思いをそのまま表現して下さっています。














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息子の誕生日と私の黎明

2022-12-27 | 人生妙なり



息子の誕生日にスコッチウィスキーを送りました。
今年の年末年始には帰らないとのことだし。

しかし…今無職の私にとっては

たっか~~~~!! 高高高高高高高高高…

この酒いつのまにこんなに高くなってたんだ!?
私が20代後半の頃、最も好きな酒だったので、今年の誕生日にはそろそろこれを…と決めてた。
それに加えて、私が20代の頃から、最も好きだったリキュールも一緒に送るつもりだったけど、
ウィスキーがあまりにも高くて(私にとっては)、相当怯んでしまって、買うのは見合わせた。
「さあ注文しよう」というときに、こんなに高くなってることを初めて知ったのでしたとほほほほ。

私が20代の頃は、1万円以下だし、安いときは4000円前後だった。
…しかし、こんなに高くても、やっぱり、「じゃあ別のヤツにしよう」とはならなくて、もうしょうがない、
「ええい!!」だ。
私がこれを息子に送ることに意味があるのだ。

リキュールは、まあTAKAMI家の年末年始の経済状況をみながら、別の機会に送るとする。
一緒に送りたかったんだがなあ~~~

彼が高校生まではサンタクロースに体張ってた私なので、これからは誕生日プレゼントに命を燃やすとしよう。体はもう張れんわ。
私、嘗て、車のトランクに隠していたプレゼントを真夜中に取りにいって、駐車場の縁石に蹴つまずいて、顎が裂けたことも…
そして、バンドエイド貼って仕事に行ったら、「ソレ、絶対マズイから今すぐ病院に行け」と言われたこともあったな~~~


閑話休題。



先日のストリートライヴの空き時間に、bass KAZUさんと喫茶店で、いろいろ本番に向けての作業をしていた時のこと。
私の楽譜は古いファイルの空きスペースに入れてたんだけど、そのファイルは、98.1.4に高松の「シシリー」というライヴハウスでやったときのライヴのファイルなのでありました。
全然気にもとめてなかった私。
東京でライヴ活動始めました。ぜひ故郷高松の人たちにも聴いてもらいたい…というもの。
その日付を見つけたのはKAZUさんで、当時2歳のKAZUさんがもうこの世にいて、息子はまだ生まれてもない。
しかもこの日は、SYOさんがたまたま初めて見にきて下さり、アンケートを書いてってくれた日。
「今年こそloveがあってほしい」とのメッセージ(意味不明)。
私はその日まだSYOさんの顔も知らない。
そのKAZUさんと私が今一緒に WIND AND SOUND2 をやっていて、SYOさんはもういない。


そのときのSYOさんのアンケート(意味不明)


シュールだ、、、
シュールすぎて、この感慨は言葉で表現のしようがありません。

周りばかりがどんどん激しく変化していって、この私だけ、なんだかひとりだけ激流の飛び石に取り残されているような… 思いでした。

でも、確実に時間は過ぎていく。平等に。
その「時間」を掴んで自分の中に生かしていかないとね。

来年はきっといろんな展開があると思います。

ひとつひとつ、私が掴まえた時間と、ほんとにほんとに大切に過ごしていきたいと思います。


ほんとは一緒に送りたかったヤツ 書けば長いのでいずれまた
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「岳人の森」そのたGWまとめ

2022-05-22 | 人生妙なり


なかちゃんに、GWに「岳人の森」(がくじんのもり)にお誘いいただきました。
私は「ふらつき」でお山がダメになってしまったのです。
ここは標高1000mまで車で行けて、標高1000mで咲き誇る高山植物たちの森。
徳島県那珂郡神山町…
嘗て私はここに本籍を置いていたこともあったなあ。。









この季節はシャクナゲがほんとうに誇らしげに咲いています。

そのほかにも、私の知らない花ばかりでした。







自然の中に咲き誇る花、好きです。

野草はわがからねんごげに えばることはせん
野草は自然がくれた めんめの季節に
そっと可憐に化粧する せらうわけでもなく
だれっちゃ見とらんとこで咲き だれっちゃ知らんとこで散る

野にある花は 理屈げにせん
              (藤本 誠「野草は雑草」より抜粋)

もう過ぎ去ってしまいましたが、GWには息子も帰ってきたし、
新しく立ち上げたバンドのリハもやりました。

息子は夜中に酔っ払って男子や女子を連れて帰ってきては熟睡している私をたたき起こし、お互いに自己紹介をさせられました。
すみません、私、ヨッパで寝てるので記憶があまりないのですけど、、、
てことで、男子や女子の自己紹介の内容は忘れないように手帳に書きました。
そして深夜に語りを入れるハメに、、、
うちの息子、そういうのが好きなんです。語るのが。しかも異世代で。






いやー書いてなかったら絶対覚えてないし、写真撮らなかったら来たことさえ覚えてない可能性も、、、

でも、楽しい3日間でした。


そして、やっと秋に「WIND AND SOUND2」LIVEが決まりました。
本来なら今年2月にやる予定だったのですが、いろいろと相続や住宅の売却関係が進まず、心折れそうな中、LIVEの心境にはなれず、いったん却下致しました。
前のバンド「WIND AND SOUND」のメンバーにはお別れを告げまして、新たな人たちにお願いすることに致しました。
みなさん、SYOさんを介して知り合った人たち。
このご縁を大切にしたいです。








このたび3月にSYOさんの納骨を済ませました。
この箱の中の右半分にSYOさんのお骨が入っています。
SYOさんのお骨は、なにやらかなりずっしり重く感じます。
そして、私の名前も刻まれており、いずれ私もSYOさんと一緒に教会の納骨堂に納められます。
きっと私の骨はからんからんと、軽いだろうなーー


それまで私は誰とも結婚せず、「寡婦」(やもめ)としての人生を送るのです。

って、それ当たり前だと思うんだけど、「いやいやもうひと恋」とか、「脳の活性化の為にももうひと恋」とか、、、
なんかそれが当たり前のように望まれてさえいるカンジ。
近親者が特に言う、、、それは私がマジでボケてほしくないためと思われます。


私も、それ自分のことじゃなく、他の人だったらもうひと恋大賛成です。
60になっても70になっても…90になっても恋はしたらよいと思います。
私にはSYOさんに優る人は絶対にこの世にはいません。

ですので、「恋」ではなく、「音楽」に生きていきます。
音楽パートナーは「夫」よりも深い地下水脈で繫がっている…とも思っています。


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SYO Michael studio 売却しました

2022-02-17 | 人生妙なり



投稿が滞りまくっていました。ごめんなさい。
これからは書きます。


SYOさんの召天一周年を向かえ、さらに時間を重ねています。
正直いって、この1年は本当に長かった。
みなさん、「もう1年、はやいねー」と仰いますが、私にとっては仕事をしている時間だけが普通の流れ方で、それ以外はもう、重くのしかかる足のすすまない、本当に長い長い時間でした。

さて。
まずは、SYO Michael Studio を売却しました。
どうしてそーなる!!
私はSYOさんの遺志を引き継いでここで残りの人生をひとりでも楽しもうという気満々でスタートしたのでした。

でも、そこにはいろいろな壁があり、結局は自分の体力や私が死んだらこの家はその後どうなるか…など、
いろんなことをたくさん考えに考え、時には迷走しまくりましたが、SYOさんの「命日」に売却はまとまりました。
次に住んでくださる方も音楽関係で、お子さんやお孫さんもいらして、ファミリーでとても楽しみにされているご様子。
私は、これが神さまの導きだったのだと思っています。

実は今日、「竜雲」(うどん店)に行く途中、ついつい元SYO Michael Studio の前を通りました。
庭はどうなっただろうなーと気になって徐行して見てみようかと、、、
そしたら、おじいさんがウッドデッキに座っていらして、その奥には小さな子供がいたようでした。
まさか人がいるとは思わなかったので、ささっと通り過ぎました。
この方たちはきっと、あの荒れた庭をのんびり手入れしてきれいにして下さるだろうな…と一瞬のことでしたが、そう感じました。

冒頭の画像は、SYO Michael Studioを出て行く最後の画像。


ものすごく久々に「竜雲」(うどん)にいきました。
平日限定、和風中華そば。
ものすごく長い間行ってない間に、コロナ対策完璧に!
おでんはセルフじゃなくなったし、私が3枚あるメニューカード大小のうち、小のほうを落としてしまって、拾おうとしたら、お店の人が取りに来た後、消毒して持ってきてくださいました。




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虚無がよこたわっている

2021-09-06 | 人生妙なり



心の中に虚無が横たわっている


何もしたくない…何をしていいかわからない…


例えば。

SYOさんと一緒にいったところはほんとにものすごく好きな場所やお気に入りの美味しいお店ばっかりなので、
1人でも自分で車を運転して行ってみたいな。
しかし、そしたらSYOさんとの思い出に浸るドライヴになる。
そんな過去に引き戻されるようなことはしたくない。
考え込むところ。

夏はSYOさんと海にもいって、いや、夏じゃなくても、気持ちよかったらそのまま海に入った。
水着もなくてどうやって入ったのか覚えてないけど、SYOさんとだからまあなんとかなる…てな感じ。
楽しかったなあ。

行基の湯
まんのう公園
numar
汐さぎ!庵
数多

今私はSYOさんにあまり話しかけたりしません。
彼はもうパラダイス。神さまの御手の中です。
だけど、永遠の愛を感じます。離れてもなお愛されていることをいろんな場面で感じています。
私が話しかけなくても、私は永遠に愛されている。お祈りで言葉にすると涙が出ます。


でも、「虚無」でない残り半分の私は、まあ普通に仕事にいったり、コロナ禍でいろいろ制限ある中、普通に暮らしています。
免許更新にも行ってきて、「違反講習」受けてきましたとほほほ。

お友達にも遊びに来ていただき、一緒に飲んだりお泊りいただいたりもしています。

うちのLDKの場合、お越しいただくのはお1人様限定。わりと大きめのダイニングテーブルなので、
斜めに座って、ドアは開け放ち、フロアー全体の南北の窓で風通しをすればイケると考えてます。
でも、それもお互いの合意のもとです。
このようにしてレッスンもやってます。合意のもとです。

バンドのリハなどは、まだ今は無理かと思います。私が歌うので。声出すので。

2月11日予定だった配信LIVEは延期にいたします。
きちんと準備をしたいのです。
なんといっても新メンバーで炸裂したい。


久々の更新が、こんな内容でごめんなさい。
文面はくら~~いとお感じになるかもしれませんが、私は明るくはありませんが、全然暗くはありません。
久々の投稿ですが、なんか、「私元気でーす!」みたいなこと、嘘なので書きたくありませんでした。

なんというか、、、ニュートラルな日々が続いてます。。
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結婚1周年

2021-05-25 | 人生妙なり


昨日は結婚1周年記念日だった。…けど、実はすっかり忘れていた。
ちょっとまーいろいろ遺品整理系とかそのたいろいろありまくり、もうそんなこと全然思い出さなかった。
結婚一周年で夫がいないのに、どーやって過ごすのよ。そう思うとむしろ忘れててよかったよ。
あっという間の1年だった。でも、もうきっとこれからもこの日を思い出すことはないような気がする。




今日、教会の牧師先生に、日曜日(一昨日)体調不良で礼拝に出席できず、賛美の奉仕ができなかったことのお詫びの電話をした。
そしたら、先生は一周年をきちんと覚えていてくださって、「1年経ちましたね…」と。
それで初めて…ああそうか。
一瞬何が一年経ったのかもわからなかった。
今日お詫びの電話してよかった。昨日だったら、結婚記念日に牧師先生に電話しているところだった…
「誓約式」(結婚式)をいつにするのか、コロナ禍で翻弄され、二転三転しまくり、結局は誰もお招きせず、牧師先生と私たち二人と、役員の方数名だけの式となった。
SYOさんは、LIVEやセッションを賑やかにやりたかったのです。
私はまず誓約式をやりたかった。息子に参加して貰える日最優先…と思ってたけど、コロナで、息子参加はムリで、パーティーははそのうちやろうねってことで。

SYOさんの葬儀もコロナ禍なので、最小限の方たちにお知らせして、本当に身内の質素な式となった。
東京にお住まいのSYOさんの息子さんとお嬢さんは来られず、しかし私の妹と弟は参列した。
なんだかとても不思議な感じだった。
本来、いちばんSYOさんをお見送りしたいのはお子さん達なのに…
でも一方、弟、妹は、私がこれから夫を失って1人で生きていくことをとても心配してくれているのだ。
喪主とはある意味、いちばん悲しみを抱えてこれから生きていく人だ。

みんなコロナに翻弄されている。

私、「元気、もう全然大丈夫」と周囲に言っているし、それは本心です。
でも、生活の、心の中身??があまりにも変わってしまった。
日常はあまり変わらないのだけど。仕事とかそのたいろいろ。
休日はいつもSYOさんとランチや温泉にいって、ものすごくたくさんお喋りした。多肥自宅でも、電話でも、もうほんとうにたくさんお喋りをしました。
信じられないでしょ?
SYOさんは、めっちゃお喋りで、面白い人だったのです。
そして、私のお喋りをいちばん聞いてくれる人。
そして、我儘なTAKAMIをほんと~~~~に全部受け容れてくれる人。

一緒に行ったいろんなレストランやカフェを思い出します。
今いちばんに思い浮かんだのは、「ビーフレストラン ウエノ」一度しかいったことないですが、あの昭和レトロ感がグサッときました。懐かしいな~

もちろんいつも一緒にいってた
瀬戸きぼう恵味屋
エシカルガーデン
串揚げ山活
これらはもう特別。
ほかにも、うどん店やしゃぶしゃぶや、塩江温泉周辺の店や…

そんなところに1人で行って思い出探索してどうする……
いや思い出探索じゃなくて、あの味をひとりでも味わいたい。
どうする? どう思いますか?

ま~~いっちょ塩江温泉、ひとりで行基の湯にいって、谷岡食堂でご飯食べてみるか。
すごく好きだったコース。
しかし、家に帰るまでは酒はナシか。
やっぱちょっと、思い出探索のようで寂しのいかなー。

…まあでも、やってみないとわからないので。
またレポート書きます。








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このところ日々雑感

2021-05-16 | 人生妙なり

久しぶりにカオから登場


今日からこのSTRONG ZERO のTシャツ着てます。
昨年、シールを集めてゲットしたヤツ。送られてきたのはもう晩秋頃だったような、、、
SYOさんと一緒にスーパーマルナカに行ったら、SYOさんは必ずまず酒コーナーにいって、私に遠慮するスキを与えずSTRONGをカゴに入れてくれます。
これはSYOさんが集めてくれたシールでゲットしたもの。

私がCOVID-19でレッスン室をいったん閉じて、ほぼ失業となってしまったとき、「全部俺に頼っていいよ」と言ってくれるSYOさんに、なかなか素直に頼れなかった。
結婚も、息子は自分の手で育てるからといって、長い間待ってもらった、その名残が、、、

昨日は、多肥宅周辺の「いでさらい」(ドブ掃除)の日でした。
町の子の私は、全く経験もないし、どうしたらいいかわからず、父に代わりにやってもらうことに、、、
経験者の父は、ちゃんと手袋や長靴を用意してきて、頼もしく働いてくれた。
私はそのあとすぐに教会の奏楽なので、「教会の奏楽」のカッコで高みの見物ならぬTAKAMIの見学でした。めっちゃヘンなオバサンだったと思う。
すっとワンピで一緒に移動しながら見学した。
次回からは参加することになるかもしれないんだけど、まずはどんな様子なのか、全くわからないのですから。


教会奏楽のあと、とても久々に「中国酒家」にランチに行きました。

 
酢豚ランチ 苦手なロースだけど、脂身も美味しい!ので食べられる  しかし多い、、、 


小鉢やスープも主張せずおくゆかしく大変美味しい


SYOさんと教会の帰りによく来ていたところ。1年以上ぶり??
変わらぬ美味しさなんだけど、私、完食するのにひーひーでした。
小鉢やスープも、どれもこれもさりげないけどすごく美味しい。
以前はギリギリ腹9分ぐらいでとっても美味しく食べられたのに、今回は100%越。
ナゼだ!? 
やはり私は加齢とともに食欲も衰えてしまっているのか、その可能性は高い。
しかし…
1人で黙食する…というのも要因かも、、、
食事とは「黙って食べる」のではなく、気の置けない人と語らいながら、ゆっくりゆるゆると食べることこそが幸せなのでは、、、

しかし、そういう世の中ではなくなってしまった。

リモート食事会や飲み会、どんどんやればいいのでは。リモート飲み会は何回かやった。
遠くの友達や息子の顔を見ながら飲んで語るのはすごく楽しい。
息子の部屋の中の様子や、息子が料理してるところも見られる。
息子は、リモート飲み会慣れしまくっている様子で、キッチンで料理するときはどこにスマホをセッティングする…とかも心得ていて、
大晦日には年越しうどんを作るところを見せてくれたような気がする。

食事は一箇所に集まるんじゃなくて、作った料理をいったん持ち寄ってみんなに配って持って帰って、各ご家庭で配膳してそれぞれ食べる。
そしたら、大声で笑いながらお喋りして、飲んで、そのまま寝れるしね。
これが新しい飲み会のスタイルなのでは! 鍋はムリだなあ、、
あーでも、「猪鍋」とか「鶏牛蒡鍋」とか、テーマを決めてそれぞれのご家庭でやるのも楽しいかも。
鍋やりながら、それぞれのご家庭の味の話もできるよ。

そうそう、あと、配信LIVEなんだけど、常々思っているのですが、視聴デバイスによって金額変えたらいいのではと思うな。
大きさや画質、音質などによって。
スマホで見る人は¥1000 大型TVのモニターは¥3000とか、自己申告でズルする人はいるかもしれないが、私のお客様には殆どいないような気がする。

次回LIVE、来年2/11に決まってます。
ピアニストをCHIKAKOさんにお願いしました。
先日、SYO Micael スタジオで、二人でお泊り飲み会やって、語りまくりました。


すごく楽しかったCHIKAKOさんとのお泊り飲み会


他にも、前回お願いしたKAZUさんや、新しくお願いするIKUTAさんも、みなさん、JAZZのミュージシャンなのに、快諾して下さいました。
コーラスはもちろんきよしげさん。
それに、CHIKAKOさんもコーラスやってくださるとのこと\(^o^)/ めっちゃうれしい!!

すごく暖かくてポップでキュートなTAKAMIワールドが再現できると思う。


今日はパキスタンカリーの「チシティ」でランチしました。
友人に今後のPCについて相談した。なんか、少しでも前に進めるのはすごく嬉しいな。





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1年が経ちました

2021-04-20 | 人生妙なり

今日は冒頭画像にふさわしいものが全くないので 去年の10月の空



1年前の、緊急事態宣言の頃、高松はとても静かだった。
私もレッスンをいったん中止して、収入が激減したぶん、SYOさんの家…今後は多肥(たひ)宅と書きます…で暮らして、
節約生活しながら、庭の手入れのお手伝いをするようになった。
SYOさんは「創造」私は「草抜き」。
全くのぺーぺーの私がSYOさんにご指示を仰いだところ、
「砂利を敷いてあるところに、砂利以外の何もないようにしてほしい」と。
なるほど、砂利は人が歩くところ。

雑草も枯葉もない状態。
当時はそれが普通にできていた。2日で家の周り一周。それでできていた。これからもSYOさんの家の周りを公転し続ければいい。わりと無になれて好きだった。
無心にカタバミを根こそぎ抜くのが好きだったなぁ。

あれから1年。
SYOさんの庭の木は私にはどうしても手に負えないので、ご近所の迷惑にならないよう、すべて切って貰った。もう庭はなくなった。
1年分ごっそり落ちた枯葉やどんぐりも片づけられないまま、1年が過ぎた。

やっと少しずつ草抜きにも着手できる状況になってきたので、
今日は早起きして砂利部分の草抜きにとりかかった。
砂利は雑草の遊び場と化していて、伸び伸びと楽しそうだ。




「砂利以外何もないように」はもはや無理だ。
雑草はなんとかなる。
しかし砂利の中にハマっている大量の落ち葉や小枝ををひとつひとつ完璧に取り除くことはもはやできない。
…いや、膨大な時間をかけて根気よくやればできるか…。
1日2㎡からでもやれば、、もう新たな落ち葉は落ちてこないんだし。
そう思って小さな枯葉や小枝も取り除いていけばいいか…と初めは気を取り直してとりかかった。
SYOさんはずっとひとりでやってたんだから。


2時間でこれだけ


…が、これではマズイ。

やはり「テーマ別」でいこう。
大塚美術館も次回から「テーマ別」ていくつもりだ。

まずは、今日は放射状に葉を広げているヤツ。オオバコ系?? なんか私ヘンなこと言ってたらご指摘ください。
これがいちばん目立ってやぎろしい(見た目悪く邪魔)。しかし、まあまあ抜きやすい。
その傍にはびこっている「カタバミ」も根こそぎひっこ抜きたいんだけど、ここは我慢して、次回に取っておく。

   


最後に手作業で落ち葉をできる限りかき集める予定。
砂利に「がんじき」は、かなり厳しいものがある。
「がんじき」とは「くまで」なのだが、地方によって言い方が違うらしい。

多肥庭は、その名のとおり、砂利の下も腐葉土だ。
ここに雑草が生えない「根まで枯らす」除草剤、何も知らない私にぜひ教えてください。

私は、こんなことやりながら、一緒にいるときには気付きようもなかったSYOさんの心の奥底を垣間見ています。
こうしてSYOさんとの音楽的、プライベート的お付き合いは続いているのだなー、、、


スーパーの惣菜ランチ


午前中がおわって、いつもSYOさんと一緒にいっていた「マルナカ」にお昼を買いにいった。
迷わずロースカツ。これをグリルするとなかなか美味しいのだ。
それに、ウスターソース、ケチャップ、辛子、すりゴマ(ぐるぐるするヤツ)をお好みでやる。完璧だ。

缶ビールも飲んで、ちょっと原稿とか、お手紙とかいろいろ書いたりして、ピアノも弾いたりドラマも観たり…でっ、夕方からまた作業やった。

来週は「カタバミ」に挑む。



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SYOさんの命日(1カ月召天記念日)

2021-02-28 | 人生妙なり



今日はSYOさんの1カ月命日です。キリスト教では、「1カ月召天記念日」というそうです。

自宅マンションでいろいろと「残務処理」のようなことに日々追われて、そう考えるとあっという間の1か月でした。

手続き関係、まだ始まったばかり。まだまだ山ほどある。
ひとりでは途方に暮れるところ、両親、弟妹に支えられて心強い日々です。

仏教では「命日」ですが、キリスト教でも「命日」ってあるのだろうか、1か月の区切りってあるのだろうか、、、
そんなことも全然知らないまま、東京の友人から「命日」のお花を送っていただいたし、
私としてもなんか、なんとなく「区切り感」のようなものを求めて、仕事にも復帰しているので、1週間ぶりにSYO さんの家に来ました。


来たら来たで、ポストが凄いことになって、その中から重要な不在連絡票を探すとかいろいろ、、、


ちょうど妹から電話があり、
「今どこ?」
「SYOさん宅。今日はSYOさんの1か月召天記念日なので、なんか、来たかった。」
妹は、「しょうてんきねんび」とい言い方は悪い冗談かと思ったとのこと。
「一カ月召天記念日」というのがほんとにあるのか、私も知らなかった。
ここに来たからといって、何をしたらいいのかもよくわからない。
SYOさんの霊魂はここにはいないし。

それで、早速ググってみたのでした。
「1か月召天記念日」って、一応ちゃんとした名称だった。
そうか。私の「大切感」は間違ってなかったんだな。

そして、ご遺族によっては、自宅で近親者などを集め、牧師を招いてお祈り、メッセージ…などの式を行うこともあるとのこと。

私は、今からひとりでSYOさんの1カ月召天記念日やります。ミュージシャン的召天記念日。

東京の友人ご夫妻から届いた「命日」のお花。
SYOさんのピアノにも、写真にもとっても似合ってすごく素敵。
召天記念日らしい雰囲気になってきました~~


まずは感謝のお祈り。
そして、讃美歌や、SYOさんと一緒に演奏した曲などなどたくさん歌おうと思います。

可能性は低いですが、途中から激泣きモードになる可能性もあるので、
いや、それよりヨッパには確実になりますので
今のうちにアップさせていただきます。






さて。その続きです。
お祈りから初めて、ひとりでミュージシャン的「1カ月召天記念式?」やりました。
やはり、お祈りのときには泣きましたが、、、
その後、SYOさんと次回は一緒にやりたかったけどできなかった曲を歌った。
さすがにこれは最初は激泣きモードだったけど、だんだん超絶練習モードになった。

これが、神さまも、SYOさんも私に求めていることなのだと感じる。

私は、SYOさんがいなくなっても音楽活動やる。
でもSYOさんの代わりのピアニストはいないから自分で弾く…というスタンスです。
4月のSYOさんのお嬢さんをお迎えしての追悼ライヴでは、私もほんのちょっとこれからやるよ表明もしたと思います。

詳細はまたご案内しますので、よろしくお願いしますね。


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SYOさんのお見送りほんとうにありがとうございました

2021-02-13 | 人生妙なり

父と息子とSYOさんはほんとに仲良しでした


SYOさんとお付き合いを始めた初期の頃、車の中で「私のために長生きしてね」と言ったことがあります。
彼は、「神さまの御こころのままや」と仰いました。

…ここで「仰いました」か「申しました」が考えこみました。
夫ですので、みなさまに対して尊敬語な~~…なのですが、私にとってはSYOさんはいつまでも後ろから追いかけていく人。
二人のときはエラソげなこともいろいろ言いましたが、やぱりこんなふうに書いてしまうこと、ご容赦ください。

SYOさんとのお付き合いは、最初は音楽繫がり。
そして、プライベートでもお付き合いをするようになったのは、息子とあまりにも瞬時に仲良くなって、「親友」のようになったからです。
息子は最初から「SYOくん」と呼んでなつきまくっていました。
「そっちが先」な感じでした。



それで、「神さまの御こころのまま」と言われて、私は当時まだクリスチャンじゃなかったし、「え~~~っっ!?!?」とちょっとガッカリしたのでした。
「TAKAMIのために自分の意思で長生きしてくれようと思わないの?」と、、、、


でも、彼はほんとうに、信仰の深い人なのでした。

今ではすごくあのときのSYOさんの気持ちがわかります。わかりまくります。
彼は子供のように神さまを愛していました。
彼はいつも神さまとお話しをしているのでした。
「お祈り」なのですけど、彼にとってはお祈りは神さまとのお話し。
何でも困ったり壁にぶつかったりした時には神さまとお話をするのだと言ってました。
絶対私のことも神さまとお話ししまくっていただろうなー。
私はどれほどSYOさんを困らせたことか。
どれほど私のことを神様とお話ししたことが、、、
お酒のこと、息子のこと、お金のこと…
SYOさんは私にとって「イエスさまの化身」のような人だったのです。
よくそう言ったけど、笑って否定してたけど。
まあそんなことはないけど、絶対に怒らず、喧嘩もしませんでした。

私は、「この人とダメだったら誰ともダメ」とか周囲の人みんなに言ってました。
本当に大好きで、掛替えのない人でした。
いんやーーーこう書くと激泣きモードですわ、、、





私はSYOさんがすごく安らかに天に召されるところを見ました。
前回も書いたけど、ほんとうに眠るように、あっという間に、静かに神さまに抱かれて天国に帰っていきました。…と本当に感じたのでした。

これまでにいろいろな人の臨終に立ち会いましたが、殆ど病院で点滴とかいろいろ繋がれて、最後にはぴーーーーとなるヤツ。

彼はなんと幸せだったことでしょうか。
まー私が自分で言うのもナンですけど、愛するTAKAMIと家で一緒に晩酌しながら、横たわってゆったりくつろいでるその時に。

救急隊員の方から蘇生をするようにと言われたので、一応言うとおりにしたけど、「SYOさん、帰ってきて!」と一応叫んだけど、
本当は「もうこれでいい。これが神さまのとき」感がありまくり、逆に引き戻すのは違うと感じました。「SYOさん、帰ってきて!」と思いませんでした。
それほど本当に安らかだったのです。


私は、SYOさんが安らかに天に召されるところをこの目で見届けることができたのです。
ものすごく幸せだったと思っています。
夫婦として、こんな召され方、見送り方ができたことは、本当に最高のことだったと思っています。


前回記事で、まだちゃんと正常じゃないようなこと書いたままなので、
いろいろご心配をおかけしているかもしれず、ごめんなさい。
葬儀の日から、毎日両親と妹が来てくれて、穴吹家とのわだかまりは、あれはなんだったのかというくらい、あっという間に解決しましたし、
自分の音楽活動や、教会の奏楽引継ぎの件、次々と進みつつあります。
もう私は大丈夫です。たま~~~に激泣きはしますけど。
激泣きはカタルシスなのでよいのです。

今日もピアニストチックコリアさんが天国に旅立って、SYOさんとお友達になってね…とか思って激泣きしました。
まあ3日に1度ぐらいなんかの時に琴線に触れて激泣きはしますが、ホントにだいじょうぶで、これからのこと、考えてます。




キリスト教では「冥福」というのはありません。
神さまに抱っこされて、天国に連れていかれる。
私はもう本当にそう感じました。
みなさまに冥福をお祈りしていただいたり、たくさんお悔やみをいただきました。
本当ーーにありがとうございました。感謝しています。

正直なところ、SYOさんの召天は、私にとっては晴れやかなことと感じているのです。もちろん悲しみはありますけれど。本とに3日に1度の激泣きでよいのです。

私は「天国」というところがどんななのかまだよくわかっていません。
とりあえずは安らかに眠るところなのか??
でもチックコリアさんとお友達になって一緒にガンガンにピアノを弾いて盛り上がりまくって楽しんで欲しいなー。
天国って、そういうのが当たり前に、ふつーにできるところな感じがします。

でもあまり「天国」について深く考えることはしません。

私は今生きているこの地上生涯を、SYOさんと会えるときまで、毎日を大切に過ごしていきたいと思っています。
家族も、息子もいます。友人も。仲良くみんなと暮らしていきたいと思います。





みなさま、ほんとうにたくさんのお心遣いありがとうございます。
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SYOさんをお見送りしました

2021-02-01 | 人生妙なり


SYOさんを天国におみおくりしました。

私、まだ全然正常な精神状態じゃなくて、行動も書いてることも言ってることも変だとおもいます。ご容赦を、、、
でもなんだかこうしていないと心の均衡が保てません認知症がイッキに進みそうです。
早く仕事に復帰しなくてはと思っています。

SYOさんの葬儀は、教会で、私と牧師先生と教会の役員の方だけで静かに行うつもりでした。
ですので、SYOさんのお知り合いのミュージシャンの方にはご案内をしませんでした。
でも、どうしてもSYOさんの最後のお顔を見たいという方がいらしてくださいました。
SYOさんのいちばんのミュージシャン友達の國井類さんにだけは、お知らせして演奏をお願いしました。
アメイジンググレイスを演奏して下さいました。あまりにも素晴らしかった。ほんとうにありがとうございました。
もっとずっと聴いていたかった。ご家族で参列してくださいました。

SYOさんの葬儀には、本来なら、もうほんとうに大勢のミュージシャンがお別れにどどどどっっっと集まってくださる…
彼はほんとうに香川の宝でした。
いえ「主にある天の器」です。
教会にとっても、奏楽者として、素晴らしい賜物を自然体で生かされて子供のように楽しく自由に演奏されていました。

私が30代の頃、バンド活動を始めて、高松でもLIVEがやりたいと思い、高松の方がたにもお聴きいただきたくて、音楽に関わっている弟、妹を巻き込みました。
そのLIVEに、SYOさんがたまたま見にきて下さいました。
そして、アンケートを書いてくださいました。
それから毎年、年賀状のやりとりが始まりました。
アンケートを書いて下さった方に、私は年賀状を送ることにしていたのですが、ずっと続いたのはSYOさんだけでした。
お互い顔もしらない同士だけど、年賀状はお互いミュージシャンなので、カオ画像ありです。
30代後半、私は独身、それから結婚して息子を産み、離婚しました。そして、高松に帰ることにしました。
SYOさんもその間にお母さまを亡くし、喪中葉書をいただいた年もありました。
年に一度でも、微かにお互いの状況はわかる程度。

私が高松に帰ることになった、音楽活動はずっと続けたいので、どうかお力添えお願いします…という思いをSYOさんにお手紙を書きました。
彼は、すぐに返事を、私の高松のマンション宛に下さいました。
私が引越しで高松に帰ってきたとき、デスクにSYOさんからの手紙が置いてありました。

それからSYOさんとの音楽のお付き合いが始まり、暫くして、匠を紹介する機会がありました。
SYOさんのプライベートなことは殆ど知らず、ちょっと不安だったけど、
SYOさんと匠は、ものすごく自然に瞬時に仲良くなりました。
匠を車に乗せて、3人で家に帰ってくるときでした。
「ショーマイケルさんよ。お母さんの音楽ともだちのピアニストよ。」と紹介しました。
匠は家に帰ったとたんに地球儀を持ち出してきて、「ショーマイケルさんのおうちはどこ?」と聞きました。
SYOさんは、小さな香川県を指差しましたが、匠は日本地図さえよくわかっていない小学2年生。
でもそれからSYOさんと匠はずっと仲良く、コオロギの捕まえかたを教わったり、あちこちの公園や温泉や、本当にいろんなところに3人で行きました。
手を繋いだり、腕を組んで、いつもまるで「親友」のようでした。

匠が成人して、家を出てからは、SYOさんは匠ロスで、一緒に二人で散歩したりいろんなところに出かけても、本当にいつも匠の話しをしました。
ここにも来た、あそこにも行った…二人で歩きながら思い出話だらけでした。
どれだけ匠のことをずっとずっと愛してくださっていたのだろう。

SYOさんは、自宅でゆるゆると、楽しく晩酌中にあっという間に天に召されました。

私はSYOさんに愛されていることをいつも感じていたし、匠のこともすごく愛して下さっている、そんな人が私たちを残して自分の意思で天国にいくワケありません。
SYOさんは、神さまの御手に抱かれて天国へ帰っていったのだと感じています。

これから辛いと思われる放射線治療と抗がん剤の治療をする予定だった。
それも感謝して受けいれよう。
その間会えないけど、まず元気になって帰ってきてね。
でも、完治はしないかもしれない、、、、
ピアノが弾けなくなるかもしれない、、、、

そんなSYOさんを神さまは抱っこして天に連れてかえってくださったのだと感じています。
私は、救急車を呼んだときに言われたとおり蘇生の心臓マッサージをしながら、「SYOさん帰ってきて!」と叫びましたが、
神さまが連れていった感がすごくあり、もうそれにあらがうことはできない、、と感じました。
これが「神さまのとき」と感じました。

そして、葬儀の日、私の妹と弟が来てくれました。匠も母を心配して帰ってきてくれました。

普通は当然のことかもしれないけど、コロナ禍で、みなさまにお伝えしないでの葬儀だったので、弟と妹が来てくれることは私にはものすごく意外だった、そして嬉しかった。
彼らはねーちゃんの夫が亡くなったのだから葬儀に参加するのは当たり前…みたいな感じだったと思う。
他のみなさまがたからも、「だいじょうぶ?」とのお言葉をたくさんいただきました。
まだ全然大丈夫じゃないかもしれません。
私はどれほどSYOさんに甘えてもたれかかって頼っていたか。
その人を失って、これからどうやって自分の足で立って生きていったらいいのか、、、、
まだそんなことは考えられないけど、少しずつやります。


まず3つ。これは、私がSYOさんを失ったかわりに神さまが与えてくださったことだと確信しています。

1 これからも演奏は続けていく。SYOさんの代わりのピアニストはいない。私が弾いて歌う。
でもそのためには、めっちゃベーシストに頼らなくてはいけない。一緒にやってくださいとお願いしたところ、快諾してくださいました。ありがとうKAZUさん。
そして、清繁さんにもこれからもコーラスパートナーとして、承諾いただいた。
東京グループのミュージシャンに、「これからの音楽活動はどうするつもり? まだそこまで考えられないとは思うけど」と下手(したで)~~な感じで言われたんだけど、
実はまず「これからの音楽活動」について考えた。もうまずそれ。じゃないと私の生きる指針を失う。

2 教会の奏楽は私が引き継ぐ。
私はクリスチャンとしてもめっちゃ未熟ですし、曲も全然知らない。でも私が継がないでどうずる、、、、
わからないことだらけだけど、みなさまに支えていただき、やるよ。
SYOさんのようなあんな素敵な奏楽はできないけど、私なりのスタイルをつくっていこうと思います。

3 穴吹家はとても複雑だったのです。私と母のこと。母に会って、語って謝る。約3年ぶり、、、
よくまあここまで意地を張ったもんだ。
この機会を与えてくださったかみさま、ありがとうございます。




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SYOさんは眠るように天国に帰った

2021-01-29 | 人生妙なり


SYOさんが天に召されました。

あまりにも突然で、悲しくもないし、涙も出ません。
今SYOさんのPCでこれを書いてるんだけど、今日は(もう昨日)朝から病院に行って、これからの治療方針を先生に伺って、
ほんとうに一生懸命に考えて下さっていると感動して、すごく満足して、先生にお任せしようね…といって、
2月に入院が決まったばかりでした。

そして、夕方4時ごろから、牡蠣やわかめなんかの鍋で、ちびちび晩酌となりました。

SYOさんが入院したら、私は毎日付き添うつもりで、2月は有給を使いまくるつもりでしたが、
この時世なので、普通の病棟でも付き添いもお見舞いもNGとのこと。
であれば、仕事に専念できる。よし、2月は働こう。入院までの間はSYOさんと一緒に過ごそう…と思って
その旨、会社にも伝えたところでした。

SYOさんの直接の死因はたぶん心筋梗塞だそうです。
ほんとうにあっという間でした。
家で心肺停止になったので、夜中に検視官の方もいらっしゃいました。

布団は敷きっぱなしだし、イサムノグチのコーヒーテーブルは無残にガラスが落ちて、鍋もひっくりかえって、
なんか大喧嘩のあとみたいだけど、これは、救急の方が大急ぎだったのでこうなった。

さっきまでここで横たわってのんびり幸せそうだったSYOさんがもういない。
1時間以上も蘇生を試みてくださったけどダメだった。

神さまの時だ。
私はすごくそれがわかる。

SYOさん、天国で待っててね。

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