今日は、時間をかけて、Takの部屋を片付けようと、決めてました。
高松に引っ越して以来、土曜日は二人であまり外にも出かけず、まったりの日。
いつのまにかそんなふうになりました。
私は、1週間溜まった家事、掃除や洗濯、アイロンかけなどなど、、のんびりとしている横で、Takは、ひとりで、ブロックや工作、DVDをエンエンと観ることも。そして、時折一緒に遊んでとせがまれて、「おうちごっこ」をしたり、絵本を読んだり。
Takも私も、ゆったりした気分で、自然体でいられて、いいカンジの週末なのです。
ちなみに「おうちごっこ」っていうのは、「おままごと」と同義語のようで、ブロックで小さな部屋をつくって、そこで男の子(Tak)と女の子(母)の人形が寝たり起きたり、ゴハンを食べたり、飛行機や車にのって、キャンベルロッジにいったり、ゆみゆみと一緒にジャンゴさんのハンバーグやさんにいったり、富士山に登ったりするのです。
(これは本日のストーリー)
でも、今日はちょっといつもと違うぞ。
昨日から、「明日はTakの部屋を大掃除して、不要なオモチャを一掃する」と宣言してありました。彼も覚悟はきめてました。
何を捨てられても仕方がない、自分が物を大切にしなくて失くしたってことは、そういうことなんだと、自分でも納得していたようでした。
先日の記事のコメントレスにも書いたように、
「自分のものは全部、何から何まで、置き場所を自分で決めて、すべてのものがどこにあるのか、自分で把握して、管理する」
片付けやすい環境づくりからやり直しってワケです。
でも、悲壮感?てのはなくて、午前中、「おうちごっこ」をやったり、ブロックで一緒に迷路をつくって遊んだりしたので、和気藹々モード。
ひとつひとつの引き出しなどの中身を全部だして、
「これは要る? 要らない?」と、いちいちやりました。
あきれたことに、Takは、ほとんどのオモチャに執着がなく、「要らない」「捨てる」などといって、惜しげもなく捨てていくのです。
「捨てないで」と自己主張したのは、いつも話し相手にしているぬいぐるみたちと、私の友人たちからプレゼントされた電車や、虫の模型など。保育園時代の自分の作品集(そんなの、捨ててといわれても捨てないけどね)。
要するに、「心」なのです。
心が通い合ってると思っている?人形たち。男の子でも、6歳児ってまだこんなもんなんでしょうか。
Takは新しく何か作るたびに、人形たちに見せて対面式をやるのです。。
「おかあさん、じんべー(鮫)喋らせて」「くまちゃん、喋らせて」…といって、私にぬいぐるみ役をせがんで、新しい仲間を紹介する。
この儀式に、Takのぬいぐるみ達はなくてはならない存在のようです。
そして、それ以外のオモチャも、大好きな人から貰ったものは、ずいぶん前の電車や虫の模型でも、どれが誰に貰ったのか、ちゃんと覚えています。まあ、当たり前か。
結局、引越で半分以上捨ててきたのに、それからさらに半分以下に減って、Takの収納は気持ちいいほどすっきりしました。
引っ越してから手付かずだったダンボール2箱も開けて、保育園時代の思い出の物も整理しました。
…しかし、肝心の「腕時計」はついに出てきませんでした。
Takは覚悟をきめて、大好きな「すずくん」にTEL。
こわいよ~~~~…と緊張しまくりながら、失くしてごめんなさいと伝えると、あっさりといいよという答えが返ってきたらしく、ホッとしまくったらしく、ハイテンションになって、「これってホメことば~♪」とか歌って聞かせたりしてたし(-_-;)
風邪気味で寝ていた「すずくん」をドッと疲れさせてしまったようでした。ごめんなさい。
ほんとにTakは、「性根に入って」いるのだろうか?(讃岐弁)
これだけやっても一度で性根を入れ替えるのは無理だと思います。
伝え続けなくては。
それも、ぎゃん氏のいうように、叱りとばすだけではダメなのだ。
こちら側にも熱意と根性が必要だ。
…とりとめなくてすみませーん。
連日なんだかバタバタと過ぎてゆき、この日のことも、もっとすっきり端的にまとめたかったのだけれど、も~体力ありません(T_T)
そうこうしてるうちに、どんどん時は流れ去るので、とりあえずアップしときました。
高松に引っ越して以来、土曜日は二人であまり外にも出かけず、まったりの日。
いつのまにかそんなふうになりました。
私は、1週間溜まった家事、掃除や洗濯、アイロンかけなどなど、、のんびりとしている横で、Takは、ひとりで、ブロックや工作、DVDをエンエンと観ることも。そして、時折一緒に遊んでとせがまれて、「おうちごっこ」をしたり、絵本を読んだり。
Takも私も、ゆったりした気分で、自然体でいられて、いいカンジの週末なのです。
ちなみに「おうちごっこ」っていうのは、「おままごと」と同義語のようで、ブロックで小さな部屋をつくって、そこで男の子(Tak)と女の子(母)の人形が寝たり起きたり、ゴハンを食べたり、飛行機や車にのって、キャンベルロッジにいったり、ゆみゆみと一緒にジャンゴさんのハンバーグやさんにいったり、富士山に登ったりするのです。
(これは本日のストーリー)
でも、今日はちょっといつもと違うぞ。
昨日から、「明日はTakの部屋を大掃除して、不要なオモチャを一掃する」と宣言してありました。彼も覚悟はきめてました。
何を捨てられても仕方がない、自分が物を大切にしなくて失くしたってことは、そういうことなんだと、自分でも納得していたようでした。
先日の記事のコメントレスにも書いたように、
「自分のものは全部、何から何まで、置き場所を自分で決めて、すべてのものがどこにあるのか、自分で把握して、管理する」
片付けやすい環境づくりからやり直しってワケです。
でも、悲壮感?てのはなくて、午前中、「おうちごっこ」をやったり、ブロックで一緒に迷路をつくって遊んだりしたので、和気藹々モード。
ひとつひとつの引き出しなどの中身を全部だして、
「これは要る? 要らない?」と、いちいちやりました。
あきれたことに、Takは、ほとんどのオモチャに執着がなく、「要らない」「捨てる」などといって、惜しげもなく捨てていくのです。
「捨てないで」と自己主張したのは、いつも話し相手にしているぬいぐるみたちと、私の友人たちからプレゼントされた電車や、虫の模型など。保育園時代の自分の作品集(そんなの、捨ててといわれても捨てないけどね)。
要するに、「心」なのです。
心が通い合ってると思っている?人形たち。男の子でも、6歳児ってまだこんなもんなんでしょうか。
Takは新しく何か作るたびに、人形たちに見せて対面式をやるのです。。
「おかあさん、じんべー(鮫)喋らせて」「くまちゃん、喋らせて」…といって、私にぬいぐるみ役をせがんで、新しい仲間を紹介する。
この儀式に、Takのぬいぐるみ達はなくてはならない存在のようです。
そして、それ以外のオモチャも、大好きな人から貰ったものは、ずいぶん前の電車や虫の模型でも、どれが誰に貰ったのか、ちゃんと覚えています。まあ、当たり前か。
結局、引越で半分以上捨ててきたのに、それからさらに半分以下に減って、Takの収納は気持ちいいほどすっきりしました。
引っ越してから手付かずだったダンボール2箱も開けて、保育園時代の思い出の物も整理しました。
…しかし、肝心の「腕時計」はついに出てきませんでした。
Takは覚悟をきめて、大好きな「すずくん」にTEL。
こわいよ~~~~…と緊張しまくりながら、失くしてごめんなさいと伝えると、あっさりといいよという答えが返ってきたらしく、ホッとしまくったらしく、ハイテンションになって、「これってホメことば~♪」とか歌って聞かせたりしてたし(-_-;)
風邪気味で寝ていた「すずくん」をドッと疲れさせてしまったようでした。ごめんなさい。
ほんとにTakは、「性根に入って」いるのだろうか?(讃岐弁)
これだけやっても一度で性根を入れ替えるのは無理だと思います。
伝え続けなくては。
それも、ぎゃん氏のいうように、叱りとばすだけではダメなのだ。
こちら側にも熱意と根性が必要だ。
…とりとめなくてすみませーん。
連日なんだかバタバタと過ぎてゆき、この日のことも、もっとすっきり端的にまとめたかったのだけれど、も~体力ありません(T_T)
そうこうしてるうちに、どんどん時は流れ去るので、とりあえずアップしときました。