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「追想の女の胸像」(ダリ)
私はピアノ&ヴォーカルの講師をやってます。
習いにいらっしゃる生徒さんは、
ピアノ
ヴォーカル(声楽)
弾き歌い
それらのミックスもあり。
毎週土曜日ははシェイリンとアンナのレッスン。
シェイリンは弾き歌い。コードネームや、ピアノ伴奏の奏法(今は、ブロックコード(和音を弾く)、ブロークンコード(和音を分散して弾く)etc.)を習っています。
彼女は、ピアノと、セオリー(楽典や聴音)と、弾き歌いを習っていて、週3日レッスンに来ます。特に弾き歌いには気合が入っている模様。私の子供時代とそっくりです。
私は、当時ピアノしか習ってなくて、かなり物足りなかった。彼女には、多少厳しくても次々に課題を与えて、音楽的欲求を満たしてあげたいと、私も気合が入ります。
アンナは、ピアノとヴォーカル。今は、自作の曲を歌いたくて、彼女が作ってきた歌に、私がコードを付けている段階。
なかなかレッスンは進みません…
でもそのうち曲を完成させて、自分で弾いて歌う流れにしていく予定。
彼女の作った歌の歌詞の意味が私はイマイチわからないので、教会で、英語の堪能な方に教えてもらうつもり(^_^;)
心のおもむくままに創って歌っているので、音楽的には、4拍子が途中からキープできなくて、拍子がぐちゃぐちゃになったり、
コードをつけるのも、「色」や「空気」にたとえて、寒い、暗い、冷たい…なんて感じ(^_^;)
「これでどう?」「うわぁ~~センセすご~い!!どうしてわかるの!?」「メロディーを聴くと色が浮かんでくるのよ」「私のつくった曲なのに、センセのほうがよく知ってるってすごい!」
私は英会話が超苦手だし、アンナは日本語が苦手。
こんなんでも、レッスンは成り立つ。
この日は、少し前までレッスンに来てたケイトが一緒に来ました。
ケイトは、お引越しで、レッスンの継続が難しくなってしまったのです。
彼女は、最初に来たとき、日本語も英語も全く話せませんでした。
それでもピアノのレッスンは成立するのです。
コレはダメ。これはいい…という真似だけでOKなのです。
せっかく久々にケイトにも会えたので、みんなで歌いましょう…ってことで、
「故郷」を歌いました。
いろんな事情で、日本で生活している外国人の子供たちに、日本の歌を覚えて心をこめて美しく歌ってほしい。
日本で生活していたときに覚えた日本の歌を、母国や、世界に歩みを進めたときに、歌ってほしい。
「兎追いし」は、外国人もやっぱり、兎が美味しいって思うのよね(^_^;)
私も、つたない英語で、この歌の意味を伝えて、最後に志を果たして帰るところはHome…それは天国、、、と伝えています。
「故郷」の次は「埴生の宿」じゃ。
でっ、レッスン中には、待ってる子はポテチやグミや落花生などのおやつ食べ放題。
テーブルには、おやつBOXがあります。
「センセ、喉かわいた、お水ちょうだい」
レッスンの時間も長めに設定してあるので、歓談?を交えながら…
外国人の、日本語がストレートに通じない子たちには、待ってる間は画集を用意します。
ダリ、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ピカソ…
ケイトはダリの大きな画集を1ページずつめくりながら、冒頭の画像のこのページに至り、とてつもなく大笑いしました。
なんといっても「ダリ」だからね。ほかにも、ヘンなのがいっぱいあるワケよ(^_^;)
キモかったり、ちょっとエッチだったり…
思春期のアンナは、「きゃ~っ!見ちゃダメ見ちゃダメ!」といって目を覆う。
「ダリじゃなくても、ミケランジェロも、ヌードの彫刻創ってるし、教会の壁画にもヌードは描かれてるのよ~ これはアートよ。」
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さらにピカソの絵にも大笑い(^_^;)
うちには、いろいろ取り混ぜ画集が20冊前後あるのですが、この子たちはあまりアートに触れる機会がない模様。
今度、リビングに画集コーナーを設置しようかな。
…といっても、場所がないから、ピアノの下にでも…
いろんな事情で日本で暮らしているこの外国籍の子ども達は、日本の公立学校に通っていません。
「ホームスクーリング」という選択をしています。そして、教会が子ども達を集めて、「ホームスクーリング」を強力にサポートしている感じ。
私は、その中の「音楽」を担当しているというような感じのようです。
親御さんや、教会の先生からそんなことを具体的に頼まれているわけではないのだけれど、
私のところに音楽を習いに来るのが、彼女たちにとっては音楽の勉強として「単位」の中のひとつになるようです。
かたちとしては、私のところでのレッスンは教会とは全く関係ないようです。
外国人の女の子が私のところに最初にピアノを習いに来た当初、どうしてこの子(と、そのきょうだい)は学校に行かないのだろう?と思い、暫く経ってから、お母さんにお聞きしました。
お母さんの話では、彼女たちは、いずれみんな、アメリカのハイスクールに通うというビジョンがあり、その為には、日本の義務教育を受ける必要はないとのこと。
ハイスクール受験の資格を取ればいい。
グローバルな視野で、娘たちの教育を真剣に考え、必要なものを選択し、与えているというわけです。
一方、Takの同級生に、アメリカ人のお友達がいて、彼とそのきょうだいは、事情があって日本に来たけれど、
お母さまは日本人で、できるだけ早く日本の文化に馴染んで、日本人として中、高生としての日常を送らせたいという親御さんの希望があるように感じました。
そして、公立の小中学校に通い、ものすごく早いスピードで日本に馴染んでいきましたが、
私のところに来ている外国人の子ども達は、少し違います。
私がこの子供たちに音楽講師としてできることは、音楽そのもののレッスンはもちろんだけれど、
日本に暮らして、日本の文化の中でも、こと音楽に関しては、この子達がいずれ日本から巣立っていったときに、たくさん培ったものを、自分で伝えられるようになってほしい。
それをサポートすることだと思います。
ただ沢山の日本歌曲をストックして、世界をステージに披露するのでなく、子供時代~思春期に暮らした日本の文化を、自分の中で咀嚼して、自分の一部として、世界に伝えることができる人になってほしい。
外国人の生徒さんたちのことについてばかりではないのです。
私は、私のところに来てくれた生徒さんには、演奏を通じて、伝えることができる人になってほしい。
「表現したい」思いをずっと突き詰めると、
心から心へ、伝えること、相手に届き受けとめられることこそが、アートの真髄と思います。
受け止めた人は、それをまた自分のかたちに作り変えて、次へと投げかける…そのリレーだと思う。
「表現」したい強い欲求をを不特定多数に配信するという方策もあるけど、私は敢えて、ひとりでもいい…というミニマム型で、丁寧にやっていきたいです。
自分のできることには限界があることもよくわかっているし。
これが私のライフワークなのじゃ。マジじゃ。