彼女が私を産んだのは24歳。
まさに高度成長期、なんでもアメリカの真似をする時代でした。
私は物心ついた3歳にして自分の部屋とベッドを与えられ、両親と一緒に寝た記憶はまったくありません。
おかげさまで、私は今でもスキンシップというものが非常に苦手です
(-_-;)
この「突き放す」育児が昨今、イケてません。子供を夜になったらベッドに放り込んで放っておくってのもイケてません。
スキンシップと対話。受容。
コレが今の育児の主流でありますが、
「そんな流行に惑わされるとは情けない。ビシバシ体罰で躾けるときはきちっと躾ける。昔の人はみんなそうしてきた」
と、母は申します。
20代で育児してたんだもんな~
今思い返すと、母の育児は完全主義で時にヒステリックだったような…
昨日も書いたように、私は音楽の夢を託されて、幼稚園の頃から毎日1時間ずつ、母が付きっきりでピアノの練習をしてきました。
私のピアノのテキストは、イライラした母の爪痕があったり、
私は怒る母に腕を引っ張られて脱臼したことも…
おかげさまで、私は音楽が大好きで、今も音楽とともに生きておりますが、ピアノの練習だけは今でも苦痛で苦手。
高校受験のとき、音楽の道へ進むからといって、勉強をおろそかにすることが許せなかった母は、成績が振るわない私を毎朝5時に起こして、勉強机に座らせました。
そのとき、彼女は一緒に起きて私の隣で、「写経」をしていました。
願掛けの写経ってヤツ…
大学受験前には、東京や大阪でのレッスン代を惜しみなく払うために、
必死で働きまくっていました。
母の恐るべきパワーは、子育てにも歴然と現れていたのです。
母は私を完璧に教育しようとして必死だったのだと思います。
その熱意だけは伝わってきたので、どうやら私は脇道にそれることなく、
人生途中で放棄することなく、
まっすぐに?育って来れたのかしら~~??
母の衰えることを知らないパワーは、Takの教育にも向けられています。
母にいわせると私の子育ては間違いだらけ、
Takはすでに失敗作だと言ってのけます…(-_-;)
そんな母ですが、子育てに関しても名言がひとつ。
「子供は親を超えて、親より立派になっていかないかん。
子供がみんな親を超えていったら、世界はよくなっていく。」
これは私の座右の銘のひとつに数えられます。
私はどうやって母を超えたらいいのだろうか。
母が負けず嫌いで、完璧な教育をしようとした反動からか
私は全く闘争心というものがありません。
「勝ち負け」ということに興味がありません。
だからいつまでたったもビンボーなのかもね(^_^;)
母は、卓球に燃えていますが、「勝負がはっきりと決まるところがいい」のだそうです。
だから、闘争心を掻き立てられて、「よしっ!この次は!!」と、目標がたてられる。
もっともなことだと思います。
しかし、音楽には「勝ち負け」がありません。
自分の納得、自分の中でよりよいものを創る。
結果、それが他人に受け入れられて、それが収入に結びついたとしても、
決して基準を他人の評価におく類いのものではありません。
そういう意味で、私は母とは全く違った土俵で生きていると思います。
母を否定している訳ではないけれど、
私は違うんだ!違う人間なんだから!という反発が心にあることは否めません。
母の価値観とは違ったところで生きて、母の歳になったときに、
私なりの「人生の果実」を味わっていられたら、
そのときに私はやっと母を超えたことになるのかもしれません。
その時になって、
「やっぱり母と私のしてきたことは、根っこは同じだったんだ。
実は同じ価値観の現れかたが違っていただけだった。」
と、気付くかもしれません。
===================
今年の日記はこれにて終わりです!
本日、夕方の新幹線にて帰省いたします。
最後になりましたが、今年はたくさんの災害がありました。
世界中の犠牲者のみなさまの御冥福をお祈りするとともに、
被災者の方々にこころからお見舞い申し上げます。
来年は良い年になりますように…
まさに高度成長期、なんでもアメリカの真似をする時代でした。
私は物心ついた3歳にして自分の部屋とベッドを与えられ、両親と一緒に寝た記憶はまったくありません。
おかげさまで、私は今でもスキンシップというものが非常に苦手です
(-_-;)
この「突き放す」育児が昨今、イケてません。子供を夜になったらベッドに放り込んで放っておくってのもイケてません。
スキンシップと対話。受容。
コレが今の育児の主流でありますが、
「そんな流行に惑わされるとは情けない。ビシバシ体罰で躾けるときはきちっと躾ける。昔の人はみんなそうしてきた」
と、母は申します。
20代で育児してたんだもんな~
今思い返すと、母の育児は完全主義で時にヒステリックだったような…
昨日も書いたように、私は音楽の夢を託されて、幼稚園の頃から毎日1時間ずつ、母が付きっきりでピアノの練習をしてきました。
私のピアノのテキストは、イライラした母の爪痕があったり、
私は怒る母に腕を引っ張られて脱臼したことも…
おかげさまで、私は音楽が大好きで、今も音楽とともに生きておりますが、ピアノの練習だけは今でも苦痛で苦手。
高校受験のとき、音楽の道へ進むからといって、勉強をおろそかにすることが許せなかった母は、成績が振るわない私を毎朝5時に起こして、勉強机に座らせました。
そのとき、彼女は一緒に起きて私の隣で、「写経」をしていました。
願掛けの写経ってヤツ…
大学受験前には、東京や大阪でのレッスン代を惜しみなく払うために、
必死で働きまくっていました。
母の恐るべきパワーは、子育てにも歴然と現れていたのです。
母は私を完璧に教育しようとして必死だったのだと思います。
その熱意だけは伝わってきたので、どうやら私は脇道にそれることなく、
人生途中で放棄することなく、
まっすぐに?育って来れたのかしら~~??
母の衰えることを知らないパワーは、Takの教育にも向けられています。
母にいわせると私の子育ては間違いだらけ、
Takはすでに失敗作だと言ってのけます…(-_-;)
そんな母ですが、子育てに関しても名言がひとつ。
「子供は親を超えて、親より立派になっていかないかん。
子供がみんな親を超えていったら、世界はよくなっていく。」
これは私の座右の銘のひとつに数えられます。
私はどうやって母を超えたらいいのだろうか。
母が負けず嫌いで、完璧な教育をしようとした反動からか
私は全く闘争心というものがありません。
「勝ち負け」ということに興味がありません。
だからいつまでたったもビンボーなのかもね(^_^;)
母は、卓球に燃えていますが、「勝負がはっきりと決まるところがいい」のだそうです。
だから、闘争心を掻き立てられて、「よしっ!この次は!!」と、目標がたてられる。
もっともなことだと思います。
しかし、音楽には「勝ち負け」がありません。
自分の納得、自分の中でよりよいものを創る。
結果、それが他人に受け入れられて、それが収入に結びついたとしても、
決して基準を他人の評価におく類いのものではありません。
そういう意味で、私は母とは全く違った土俵で生きていると思います。
母を否定している訳ではないけれど、
私は違うんだ!違う人間なんだから!という反発が心にあることは否めません。
母の価値観とは違ったところで生きて、母の歳になったときに、
私なりの「人生の果実」を味わっていられたら、
そのときに私はやっと母を超えたことになるのかもしれません。
その時になって、
「やっぱり母と私のしてきたことは、根っこは同じだったんだ。
実は同じ価値観の現れかたが違っていただけだった。」
と、気付くかもしれません。
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今年の日記はこれにて終わりです!
本日、夕方の新幹線にて帰省いたします。
最後になりましたが、今年はたくさんの災害がありました。
世界中の犠牲者のみなさまの御冥福をお祈りするとともに、
被災者の方々にこころからお見舞い申し上げます。
来年は良い年になりますように…