WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

久々の「カオマンガイ」

2018-04-14 | よしなしごと





相変わらず引越しの疲れを引きずっていて、
一昨日は欠勤、食欲なく、1日でお粥1合しか食べられなかった。
昨日は出勤したものの午前中で早退させてもらった。
しかし!
なんか食べないと吐き気がおさまらないぞと思い、自転車で帰宅途中、
兼ねてから気になっていたアジアンレストランの入り口にベトナムフォーやカオマンガイのメニューが掲げてあるのを見て、
コレならいけそうかも!
…と思い、入ってみた。
おそるおそる「ほんと~~に少なめで…」といって、カオマンガイをオーダーした。

「カオマンガイ」とは、タイ料理で、鶏肉を米といっしょに炊き込み、ニンニクや生姜、唐辛子などの入った辛酸っぱいタレをかけて食べる。
「シンガポールチキンライス」の親戚のようなもの。

このお店のカオマンガイは、お米も普通の日本のお米だったし、タレも全然辛くなく、
本場のカオマンガイとは全く違う食べ物だったけど、パクチーとニンニクの香りに癒されつつ完食できた。

「完食できた」ことがとっても嬉しい。

でも、「カオマンガイ」なら、次回は自分で作る。
なんといってもこのご飯と鶏肉にかける「タレ」が決め手。これは私、自分で作りたし!!
それに、フォーやら、タイ風お粥(お茶漬け?)やら、
これまで封印して忘れ去っていたメニュー、解禁じゃ~~\(^o^)/

ってことで、早速スーパーマルヨシで、「フォー」を買った。
パクチーは乾燥のヤツしかなかったけど、SYOさんちで育ててくれてるもんね♪
このところスーパーマルヨシはアジアン系も充実していて、激辛唐辛子も売ってるし、
近所のスーパーとしてはめっちゃ優秀\(^o^)/


ところで、先日勤務先で、アメリカから一時帰国している社員の方がメロンパンを差し入れてくださった。
近所の商店街の、わりと新しくオープンした話題の有名店のメロンパン。数種類の中から選んでるとき、「息子はどれが好きかな」…と咄嗟に思った。
…あっ、そうか、息子はもういないんだ、私が食べるんだった。
これからも暫くはこんなことが続くのかなあ、、、

これまでの食生活は完全に息子中心で、
息子の嫌いなアスパラとナスはスーパーで手に取ることもなかった。
未だに冷蔵庫には息子の残骸として、卵とソーセージがかなりの量残っています。
スーパーマルヨシでの買い物は、買い物カゴの底にこぢんまりと、自分の食べる分のみ。

これからは、自分の食べたいものを作って食べられる…っていうのも、なんだか不思議な感じ。
暫くはアジアン炸裂しそうかも。



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息子の引越し完了…めっちゃ疲れた

2018-04-10 | 人生妙なり




これは自分自身(&息子)の記録。つまり、普通の「日記」で、自分の為に書いています。(つまんないと思うのです、悪しからず)


初めてジャンボフェリーに自分の車を載せて、高松→神戸~大阪へ、息子の荷物を運んだ。
せっかく車内用の携帯ホルダーを買ったけど、ナビは設定が不十分で現在地を示すだけで全然役にたたず、まあそれでもなんとか殆ど迷わず辿り着いた。
まずは、フェリーを降りたところ(構内)を、どっちにいっていいのか全く分からず逆走していた模様。誘導のおじさんに「そっちちゃうよ!」と言われ、大阪にいくにはどうしたらいいのか教えた貰った!!

macotoさんからの、高速の下をずっと行けばいいんだよというアドバイスと、
「佃」という、息子のアパートの住所の標識が出てきたので、このあたりで高速の下の幹線道路から外れてみようと思ってちょっとふつーの道へ入りこんで、ローソンで訊ねてみようとしたら、
たまたま郵便屋さんのバイクがいた。
その方に目的地の息子の住所を言ったら、郵便局専用ナビ?で調べてくれた。
目的地のすぐそばまでの案内で、とってもわかりやすくて、そこまで行ったらまた別の郵便屋さんのバイクに会った。
そのおじさんは、現地までバイクで誘導してくれた!! なんというダブルラッキー\(^o^)/
「おじさん」たって、2人とも私より若いんですけどね。

大阪の人ってなんて親切なんだ!!

思ったよりあまりにも早く息子のアパートに着いたので、敷地内に車を停めて、駅までの道を歩いてみたり(これも工事のおじさんに尋ね、親切に教えていただく。)
息子が来るまで周辺を散策して時間を過ごした。

息子は入学式からこの日まで2日間ホテル暮らしをしていて、学校が終わって、不動産屋に鍵をもらいに行って、初めての入居。

私が車で運んできた荷物を部屋に運んでから、ホームセンターやスーパーで買い物して、
この地域は、あまり日常生活に必要なものを買うのに充実してないよね~~って話に、、
物価も高松と比べ高い。
特に、駅のスーパーは、2ℓの水が¥100越えしか置いてない( ̄□ ̄;)!!
ライフラインなのにどーする!? 肉も野菜も、品揃えショボく、高松より高い~~~

ウチの近所のスーパーマルヨシがどれほど営業努力をし、品揃えを充実させているかがよ~~くわかった。

2人ともお腹すいてるんだけど、私は全く食欲なくて、(ヘナチョコなので、なんかこのように緊張とか、環境変わるとこーなる)とりあえず幹線道路沿いのしゃぶしゃぶ系のお店に入った。
かなりお高そーだけど、もぉ他を捜す気力もない。
「しゃぶしゃぶ」なら食べられそうかも、、、
そこで、小鍋のしゃぶしゃぶと、その他2品よりどり…のセットをオーダーしたんだけど、
これ、ご飯やお味噌汁がついてない( ̄□ ̄;)!!
全く酒のアテなメニューじゃん。
やっぱ、大阪って、昼から飲む文化!?
初めて息子の専門学校を見学に言った日にも感じた。(この日も食欲ナシだった)
梅田のレストラン街、昼酒大歓迎ムードだったよな~~


鰹のたたき(全部息子が食べた)
蛤と筍の網焼き(これは大変美味しかったので、1個ずつたべられた)
天ぷら盛り合わせ(全部息子が食べた)
豆腐のサラダ(これなら食べられると思ったけど、ごまドレッシングがダメで3匙がんばった)

遅いランチで息子との会話は、
入学式と2日間のガイダンスで、誰とも会話をしていない。自己紹介もない。このままではマズイ俺はボッチ(ひとりぼっち)突入か!?
入学式で、隣のヤツはずっとスマホでLINEしてた。
クラスに数人外国人かいる。

などのような、新しい環境に馴染んでいないものだった。


遅い昼食後、家に帰ってある程度部屋を整えて、調理実習ってことで夕飯用に買ってきたカレーを作る。
油を買い忘れてたが、もぉ~今更買いに行く元気ないし、、、
肉と人参とかなり多めの玉葱を時間かけてじっくり煮込んだところ、野菜の甘みでかなり、いや大変良い仕上がりとなった。油も使ってないので、さっぱりしてるし。
この頃には多少食欲も回復し、グラタン皿にかるぅ~く食べることができた。









とにかくキッチンが狭くて使い勝手が悪すぎ。
最近のワンルームマンションはみんなこんなのか、、
もっと古くてもいいからキッチンが充実してるところがいいのになと私は思ったんだけど、家具、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ付きでこの家賃…はとってもお値打ちで、これは逃せない物件だったのだ。


夕食後は、息子推奨のアニメを見つつ眠くなって寝た。


翌日は、朝から本格的にホームセンターとダイソーとスーパーを巡り、リストアップした生活必需品を買う。


なんと、アパートの前の道路が通行止めになっている。水道の工事をしているらしい。
ただでさえ超狭いのに、迂回とな! 全然土地勘ないのにどうする!? 
いやマジで、車一台やっと通れる、公道とは思えない狭さなんですけど。しかも左右には溝!香川県人には想像できない…というか、こんな公道、いまだ嘗て経験ないよ。
どっち行けば安全に広い道路に出られるの??…と右往左往しているところに、近所のオバサンが、、、
「どっち行きたいん!?」
香川ナンバーだから、声かけてくれたのかも?
「そこの道路なんですけど、この鋭角、私には無理なので、息子に他の道を捜しに行ってもらってます」
「ここなら曲がれるよ。私が誘導する。」
「いや、息子に誘導してもらったけど私には絶対無理なので、、、」
「息子さん、免許ないんやろ? 私に任して!大丈夫曲がれる!」

…てことで10分近くかかって、非常に難しい鋭角を彼女は誘導してくださいました。この人、絶対タダモノではない。運転関係の人や。
彼女は、鋭角を無事に曲がりきったら、運転を変わって、広い道路まで行ってくださった。鋭角だけじゃなく、もぉ道自体が狭すぎて、両脇に溝があって、新参者には無理!
なんと親切な方なのだろうか。大阪人の「おせっかい」は、ホントにありがたく、骨身に滲みます。



物干し竿・トイレ掃除用ブラシ・三角コーナーいらず・選択バサミ・ゴミ箱・まな板・布巾(その他数十品目)、、、
何がどこにあるのか捜すのにウロウロしまくり、
こういうとき、お金払ってもいいから「ご案内係り」の人がいてすす~~っと目的の商品のところに次々と連れてってくれたらどれほどラクチンかと、、、
こーゆうシステム、導入してほしいな~~~

正午を過ぎ、息子も私もかなりヨレヨレで「お昼何かたべないとね~~」
せっかく大阪だし、お好み焼きとか食べたいよね…と安易な発想なんだけど、もぉ、近くのスーパーの駐車場に車を停めて、近くのお好み焼きやさんにIN。

ここがまためっちゃ「昼酒」系のところ!!










私たちはスジコン(牛筋とコンニャク)のネギ焼きと、イカとエビのモダン焼きをオーダーした。
オッサンたちが焼酎お湯割りやら、ビール大やらをオーダーしてくつろぎまくっている、、、私も車でなければ完璧に昼酒モードになるところ、、、

そして、めちゃウマかった!! 
高松のお好み焼きと全然違う。高松にもウマいお好み焼きあるけど、根底から違う。
これが本場なのか。

解説大変難しいんだけど、粉のかたまり具合? たこ焼きもそうなんだけど、中の「しゃびしゃび」感。
小麦粉をパンケーキのように固めない、表面はカリカリ、しかしこの絶妙のゲル状で具材を包み込んでいるところがスゴイ!!
う~~~また行きたい、絶対次回は徒歩でいって昼酒飲みたい!!

スジコンのネギ焼きは絶対に近々自宅にて作ってみる。あまりにも美味しかったのに、やはり食欲不振で残してしまい、無念!
モダン焼きは、中華そば入りお好み焼きですが、広島焼きとは違う。これも大変なボリュームで、エビがぷりっぷりの特大で参りました。

その後車を停めさせていただいたスーパーで今夜の食材を買う。
「研修」なので、まあ肉野菜炒めあたりから。

息子は、チャーハンもオムライスもフライも餃子も作れるのだ。
しかし、このミニキッチンの使い勝手の悪さでは…しかも電熱器で炒飯つくる気になれないとエラソなこと言う。









さて。
帰宅後、大量の荷物を運び、セッティングして、いよいよ疲れはピークに、、、

お互い別々にぼぉ~~~っと小一時間。

そしてこの日の夕飯は、塩胡椒のみの肉野菜炒めと、昨日の残りのカレー。
も~この疲れ具合だったら普通ならもぉ絶対外食!ってとこだけど、昨日の「煮込み系」に続き、電熱器調理で「炒め系」がどこまでできるかの実験も兼ねて、、、

それに私、一日の終わりの夕飯とともに缶チューハイも飲みたかったし。
そして、アルコールが身体に浸透していくとともに眠気が追いかけて、、、


翌朝、息子は学校に出かけていき、私は出発の時間まで超暇だったので、冷蔵庫の残り物でカレーを作った。
でも、そのカレーは、市販のカレールゥの作り方に限りなく近く、予め肉と野菜を炒めてから煮込む。
初日に作った野菜の甘みたっぷりのほうが断然美味しかった。


帰りは来た道を帰ればいいのに、最後の「ジャンボフェリー乗り場」に行くところで、迷い、余裕もって出発したのにギリギリセーフだった。
帰途の「43号」(高速の下の道路)で、息子が良い先生や友達に恵まれて、志を果たせますように…と神さまにお祈りしていたら、涙が溢れてきて困った。
タオルやティッシュの入ったバッグは、後部座席を倒した荷物置き場の隅で、走行中取り出すことは不可能。
ひたすら手で涙をぬぐって、声に出してお祈りするのは走行中危険なのでやめた。


無事、予定のジャンボフェリーに乗船できたあとは、もうひたすら泥のように寝た。


2泊の間、とにかく、息子の新居を整えるところまでは母の務め…と思って、ひたすら買い物をしては荷物を開き、後片付けをして、
気持も張り詰めていたので、1日の疲れは一晩で回復したつもりでいたけど、寄る年波には勝てないことを思い知った。

先日、両親が私の大学入学のとき、軽トラで香川から東京まで荷物を運んで来てくれたこと書きましたが、その当時の養父は35歳、母は42歳。若い!!
走行距離は全然違うんだけど、私、この歳でよくやったなーと思うよ。


高松に着いてからすぐにSYOさんに無事帰ったよとTELして、つもる話もいっぱいあるので近所の居酒屋で飲むことになった。
ずーーーーっと食欲不振で、あまり食べられなかったけど、少しずつ「現実」に戻ってきて、
「山芋とろろ鉄板焼き」とか、モロキュウとか、いろんな話を聞いてもらいながら食べて飲んで、最後にはお茶漬けもちゃんと食べられた。


さあこれからは、息子は自力で羽ばたくので、放っておかねば。
放っておく母にならねばなーー



帰りのジャンボフェリーからの夕日(冒頭の画像とともに) 





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息子のアパートに荷物運ぶ

2018-04-07 | 教育ママ日記

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スマホの電池パックが今日届いた。(品切れで入荷待ちだった)
スマホの車内用ホルダーも買った。(ナビ用)
ガソリン満タンにして、タイヤの空気圧もチェックしてもらった。
なんたって17年モノのToppoやからね。
本日これで息子がこれから住む住む大阪に荷物を運びます。









40年前。

私が東京の音大に進学することになった時、
私はブルートレイン「瀬戸」で1人で東京に向かいました。
このブログのどこかにも書いているのですが、出発する前に、私は実家の仏壇に手を合わせ、
「私はもう二度とこの家には帰ってきません。ご先祖様、どうか家族をお護りください」と祈りました。

もうここに住民票を置くことはないって意味ね。帰省はもちろん何度もしてますけど。

朝、ブルートレインの中でスーツに着替え東京駅に着いてから、駅のトイレで顔を洗い歯磨きをして、中央線に乗り換えて立川へ向かいました。白のスーツにピンクのブラウス。これが勝負服。
入学式は「立川市民会館」で行われました。
立川駅からバスで現地に向かいます。
そこには、両親に連れ添われたお嬢さまやお坊ちゃまだらけで、私は場違い感200%…いやそれ以上。
ドレス着た子もいる、、、( ̄□ ̄;)!!
「お母さま…」と叫んでる子もいる( ̄□ ̄;)!!
音大なので、新入生に送る奏楽を、現役のオーケストラが演奏して下さるのですが、何だか霞のかかったような、あまり感動的でない演奏に、私は気持が限りなくどんよりと落ち込んでいったものでした。
私はなんと場違いなところに来てしまったのだろうと…

息子も私のように「ここには帰ってこない」と決心をして旅立ち、志望大学に合格できなかった挫折を味わいながら、入学式に臨んだかも知れない…

私の両親は、軽トラで、私の荷物を運んできてくれました。
そして私のアパートに1泊して翌日帰りました。覚えてないけど、私はもう一晩泊まってと言ったらしい。
でも、両親は仕事があるから延泊はできないといって帰っていった。
帰途、母は劇泣きしたそうです。もう一晩一緒にいてやればよかったと。
その話は、つい先日、息子の荷物を車で運ぶ話をしたときに、母から聞きました。初耳。

ですので、私、いちおー2泊できるよう、シフト&レッスン調整しました。甘いな~~ヽ(`Δ´)ノ

私も、息子を送り出して、荷物を運んだ帰り、泣くんだろうか?
私には、「次いこ次!」みたいな思いがあって、息子がいなくなると同時に、具体的にくっきりとしてきている未来があります。
18年間息子を育ててきたことは、ほんとうに幸せな人生だった。
この私が子供を産んで育てたなんて、奇跡だ…


「いろんな出来事かあって君は泣きじゃくってきたね
だけど泣きやむたびに一段ずつ階段を昇った」
(バースデーケーキ)






私はここで息子ロスに心行くまで浸ろうかと思ったけどこの状況、桜いつまでも咲いてない。「次いかねば!!」



私の今後の計画


1 結婚する
2「ミュージックあにまあと」を大人のPiano&Vocal教室としてリニューアルする
3 教会のワーシップチームとクワイヤーを育てあげる


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お花見ダイジェストつくってみた

2018-04-05 | 光と風と旅

息子が大阪へと旅立ちました。今日が入学式。

息子のアパートの入居は明後日なので、私は引越し荷物を積んで、明後日の早朝に「ジャンボフェリー」で出発します。
17年目の軽なんだけどだいじょぉぶ?
この車での高速走行経験がないので、いちおー、高速の下の一般道を通って行くつもり。
どこまでも危なっかしいね~~~~( ̄□ ̄;)!!


さて。本日の所用までにちょっと時間があるので、ナニゲにこれまでのお花見画像、振り返ってみました。
以前にもアップしてるんですけど、補遺ってことで。
毎年毎年、いろんなシチュエーションでお花見してきた記録は、すごく懐かしいし、ここまでやったら人生の記録…ですね。







2017 峰山公園




2017峰山公園



2017峰山公園



2016 栗林公園



2016 栗林公園



2015 井の頭公園



2014 詰田川



2014 詰田川



2014 塩江



2014 まんのう公園



2014 まんのう公園



2013 男木島



2013 沙弥島



2012 栗林公園



2012 栗林公園



2011 成田山



2011 成田山



2011 峰山



2011 峰山



2010 塩江



2010 塩江



2010 亀鶴公園



2010 亀鶴公園



2010 公渕公園



2010 公渕公園



2010 公渕公園



2010 峰山



2010 峰山



2010 五色台



2010 五色台



2009 白鳥→徳島土成ICの途中



2009 あすたむらんど



2009 土器川



2009 公渕公園



2009 公渕公園



2009 公渕公園



2009 公渕公園






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栗林公園の夜桜

2018-04-05 | 人生妙なり





翌日、4/31には、栗林公園春のライトアップに行ってきました。

こちらも満開。
日曜日なので、お祭りのような賑わいでした。



一昨年だったか、平日の夜に訪れたときはこの小路はひっそりと静かでした。
でも、お祭りのように人で溢れかえったこの雰囲気のほうが好きかも…

芝生の広場には、レジャーシートを敷いてお花見をしている人たちがたくさん!
平日にも、仕事帰りに立ち寄って桜の下で飲んでる人たちが大勢いて、とっても楽しそう。



写ってないけど、この樹の下では、もはや錯乱状態のお花見客が、、、




ここにもね



栗林公園さま、期間限定とはいえ、こんな名勝にて、こんな飲みの場所を設けてくれるなんて、粋じゃん!?
私も、来年こそは…といいながら、結局は静かな佇まいの場所でのお花見を選択してしまうのですが、やはり一度はゼヒとも、名勝「栗林公園」にて、お花見セッションやりたい!!
いかがでしょうか?ランチセッションメンバーのみなさま??






傍らでひっそりと、水面におのが姿を映して佇んでいる桜も…



本日早朝、いよいよ息子が大阪に旅立ちました。今日が入学式。

私は明後日、引越し荷物を載せて、17年モノの軽乗用車で息子の新居に向かいます。
無事に辿りつけるんだろうか。うん、きっと大丈夫。

現地では、息子の新生活のための買い物などやることやって帰ってきたら、私の次なる人生のスタートです。

息子ガンバレ。私も頑張る。




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峰山→我が庭詰田川 お花見ハシゴ

2018-04-04 | 光と風と旅






厳寒の日々がやっと過ぎ去ったら一気に桜が満開になって。
息子の入学や引越しの準備に追われて、今年のお花見はタイトなスケジュールの中むりやりねじ込みました。


峰山、我が庭詰田川のほとり、翌日は栗林公園の夜桜。


満開が土日と重なったこともあって、公渕(きんぶち)公園、亀鶴(きかく)公園など、香川の桜の名所は大渋滞で駐車場も満車との情報の中、
私たちは、亀岡町のスーパーマルナカでお弁当を買って、峰山公園へ。やっつけ感満載。


「はにわっ子広場」は子供連れのファミリーで大賑わいでしたが、そこから少し登ったあたりはとてもゆったりで、視界に人がいません。
峰山には、桜以外の花もたくさん咲いていて、ゆっくりゆったりのんびり花を愛でながら飲めます。
土曜の昼下がり、ほど遠くの子供たちの歓声をBGMに、五感すべてで春を味わい心と身体が歓んでいる…これが花見の王道だろーー!!


























レsジャーシートに寝そべって、下から眺める桜…

のんびり、ほんわりと、暫し現実の重荷をコトリと降ろして…の、良い時間でした。
STRONG 500ml缶は、リーズナブルに短時間で「ほどよく」出来上がっていい感じ、、、、、



しかし!
夕方以降はレッスンと、教会ワーシップチームの練習があり、酔い覚ましに向かわねば!! 次いく。





詰田川のほとり。

我が家から徒歩1分。
目の前には墓地が並び、対岸にはお洒落なラブホが林立しているという地帯。
しかし、この季節、満開でひしめき合っている桜で、ここからはそれらは全く見えません。
ほど近くの街道の橋を渡る車の音と、鳥のさえずりがBGM。
ゆったりゆるゆると飲んで、いつまでも桜に埋もれていたい、、、千鳥足で帰りたい、、、、

毎年そう思いつつ、今年も「酔い覚ましお花見」となってしまいました。




















明日の朝には息子が旅立ちます。
自分の羽で羽ばたこうとする息子をそっと見守っていたい気分。

明日はまた、散る桜に埋もれて「無」になりに行こうかな、、、




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macotoさんとの建築巡り春爛漫ツアー 後編

2018-04-02 | アーティスト魂






この日は、本当にお天気がよくて、お昼に「わら家」でたらいうどんを食べたら汗ばんでしまい、みんな着てきた上着を車の中に脱ぎ捨てて、四国村探訪となったのです。

「四国村ギャラリー」を堪能してから、私たちはさらに坂道を上へ。

そこには満開のチューリップと、灯台、そして灯台退休所(宿舎)。イギリスの「灯台の父」といわれる、ブラントン技師の設計によるものだとか。







photo by macoto



ここでは「はめ殺し」窓のお勉強。
そしてこの洋館、天井だけは和風。
西洋の建築のこと、殆ど何もしらない日本の大工さんが作る洋館、、、、これもまた、驚きや困惑、そして感動の連続であったことであろう、、、、







photo by macoto




photo by macoto




この場所が四国村のいちばん高いところで、ここから、なだらかに下りながら歩きます。
途中、満開の桜や、これから咲く桜に出会い、気分はハイキング。









そ土地の風土や生活スタイルから生まれた建築、どれも個性豊かで、しかも職人さんの技のすごさと心意気が伝わってきます。

四国村だけでなく、私は、地域の博物館、郷土資料館…などを見学するのが大好きなのですが、いつも、その時代、その風土の中で生きてきた先人の知恵に感動したものでしたが、
そこで生きていく人々の住居や、仕事場を造るという仕事は、そこで生活し、働く人の命を守るということだ。




photo by macoto




photo by macoto




photo by macoto



屋根の瓦は、江戸時代後期に普及したそうです。江戸の火災から家を守るため、また、戦争の戦術の変化に伴い、城を守るため…
こうして、命を守るために建築も進化をし続け、今日は、地震、津波から人を守るための、耐震の対策が国や自治体で進められています。
耐震補強ができない場合は、冒頭に挙げた「船の体育館」のように、使用できなくなり、解体となってしまう。

そして、今日は、ほとんどの住宅が「プレハブ」。これは prefabricationが語源。
あらかじめ部材を工場で生産・加工し、建築現場で加工を行わず組み立てる建築工法で、
使用する建材や、設置に要する時間的なロスを徹底的に軽減できることが長所である反面、規格化され融通が利かない構造や、耐久性の低さが短所とのこと。
もはや、「家」も消耗品の時代に、、、、
これが進化の行き着く到達点?


建築とは、本来こういうものではないのだとmacotoさんは熱く語ります。
「プレハブ」は建築とは認められないと。

四国村に集められ、復元された住宅や蔵、作業場などは、それぞれの時代の建築士の知恵と技を結集したもので、風雪に耐え、移築してなおその尊厳が輝いているように感じます。

曲がった木をそのまま梁に使うこと、そのたわみを経験と勘によって導き出すこと。
それらは、物理の計算によってコンピューターに答えを求める現代の建築技術者にとっては、神業のようで、きっとコワくでできないのでは…などと思う、、、
もしも間違って、もしものことがあったら…とか思うじゃないの。


macotoさんは、千利休の茶室についてもたくさん懇々と語り聞かせてくださいました。
なんで、そんなことまで知っとんじゃ~~~!!
というくらいに、建築の世界は無限に広くて奥が深いものなのだ…と、改めて感じました。



photo by macoto




photo by macoto




photo by macoto




photo by macoto







ところでmacotoさんは、CIDP という末梢神経の難病を患っています。以前にも拙ブログでご紹介させていただきました。

四国村を後にし、カフェで暫しくつろいだ後、macotoさんをご自宅までお送りしている折に、この病気についての経緯を、改めていろいろと伺いました。

一般的にはいったん罹ったら、「寛解」と「再発」を繰り返し、完治することはないのだとか。
macotoさんは発症してから2年もの間、激痛と闘い、歩くことも手を動かすこともできず、心砕かれた…という話は、想像に余りあります。
それでも、治療によって、痛みが軽減したら、リハビリに励み、これまた、想像を絶する努力をされたのだとお察しします。
現在のmacotoさんは、「寛解」の時期とのことで、両四肢は痺れはあるものの、日常生活も仕事も普通にできるようにまでなっていらっしゃいます。
このように健常者と何ら変わらないほどになる人は、この病気の患者さん全体の4%しかいないとのこと。
それでも、このまま回復に向かい完治することはなく、あくまでも「寛解」なのだと医師の先生は仰るのだとか。
まあ、それもしょうがないです。医師とは、次の思わしくなくなった場合に備えて、次の治療法を準備しておく、、それが使命のようなものなのだから。元気なときには不要。
安易に「もうここまできたら大丈夫」とは絶対に言えない。
macotoさんが四国村を歩き回る姿は、病気とか、障碍者とは全く思えず、この広い四国村をこんなに颯爽と歩いているのに、いつか再発するなんて信じられません。
いや、信じていません。
macotoさんは、このまま再発せずこれからも颯爽と歩き回る奇跡の人です。


「偶然」も「奇跡」も、表には現れずに常に働いている神さまの業…




photo by macoto







さーーーーて。

息子との生活もあと1日となりました。
自分の羽ではばたこうとしている息子をそっと見守るつもり。




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macotoさんとの建築巡り春爛漫ツアー 前編(追加画像あり)

2018-04-02 | アーティスト魂





3月28日。

息子が建設専門学校に進学するにあたって、一級建築士であり、私の音楽パートナーの、SYO Michael STUDIOの設計者であり、息子の進学する専門のOBであり、このたび息子の先輩となったmacotoさんに、
この機会に、建築について語りつつ、高松の建築を巡るツアーにご案内してほしいと厚かましくお願いしておりました。
SYOさんには運転係としてお付き合いいただきました。

汗ばむほどの陽気で、とっても素晴らしい1日となりました。

どど~~~んと、じっくりと、長々と書きますので、ご興味のある方はお付き合いください。
そうでない方は画像のみご覧いただいて文章はスルーで結構ですので(^_^;)


macotoさんが計画してくださったコースは、



船の体育館(前香川県立体育館)
   ↓
船の体育館展(田町商店街のギャラリー)
   ↓
香川県庁舎東館(車で通過のみ)
   ↓
わらやで昼食(うどん店)
   ↓
四国村



香川の代表的な建物といえば、丹下健三氏による「香川県庁(現在の東館)」と、「船の体育館(旧香川県立体育館)」
これは、小学校の頃から、ナニゲに授業中にインプットされてきました。








特に船の体育館は、今でこそコンピューターの3Dの技術でかなり簡単にできるようになったけれど、1960年初頭に、これをアナログの技術で建設したとは、
どれほどのハードルを乗り越えてきたことか…なんて、これまで現実的に考えてみたこともありませんでした。
いやもうそれ以前に、この建物を、県が…というか、当時の金子知事が「ゼヒに」と、このような流れも、今では考えられない。
高度成長期前期の香川には、こんなにパワーがあったのだなあ…と、ここも感慨深いポイント。

今この体育館は、耐震構造の観点から危険であるとのことで閉鎖となっており、さらに取り壊される方向とのこと。
しかし、建築家やその周辺の方々から、保存を強く求める動きがあり、団体も発足しています。
「どうやって残して保存していくか」についても、いろんな議論があるようで、とても興味深かった。

船の体育館展は、田町商店街の小さなギャラリーで地味に開催されていましたが、
macotoさんと、スタップの方がたは、熱く語り合っていました。




私は、この建造物をを「使えないけど保存する」のではなく、ここを有効利用して市民の活動の場にできるような方向希望。でもそれにもいろんな高いハードルがあります。


私達の世代にはお馴染みの「香川県庁舎東館」も、工事中でした。
耐震対策のため、古い建造物が次々と改修工事中の模様。



ところで、「船の体育館展」に行く前に、macotoさんが若かりし頃、設計に携わった田町のビルに案内して下さいました。
コンクリート打ちっぱなしで、安藤忠雄氏の影響強し、ここまでやるかというほど模倣したのだと説明して下さいました。
そこは、なんと、鈴木一也さんが住んでいらしたマンションでした。1~2Fにはテナントが入っています。
彼が癌で亡くなる前の1年足らずの間、ヴォーカルのレッスンや、キリスト教の洗礼式、引越しの手伝い…などに深く関わり、
お母さまとご一緒にお住まいだったこのマンションの彼の部屋にも、何度か行きました。
エレベーターが旧式な感じで、古いマンションだとわかるけど、デザインがすごく新鮮な感じで、素敵なマンションだなあ…と思っていたら、macotoさんの設計によるものだったとは!

これって偶然? …いえずっと前からもはや偶然とは思っていません。macotoさんとの出会いは。


さて、午前の部、終了。

これから「四国村」に向かいます。


まずは「わら家」(これも藁葺きの古民家を改装した手打ちうどん店)で腹ごしらえ。
4人で「家族うどん」という、鮨桶のようなたらいに入ったうどんを4人で食べました。



そして、いよいよ「四国村散策。


四国民家博物館は源平の古戦場として知られる屋島山麓の地に、四国各地から古い民家を移築復原した野外博物館です。
昭和51年に開設して以来、社会教育の場また観光スポットとして、「四国村」の愛称で多くの方々に親しまれてきました。
自然あふれる約50,000m2の敷地には、江戸∼大正期にかけての地方色豊かな建物が配置されており、当時の生活の様子がうかがえるよう、たくさんの民具も展示されています。

平成14年に新設した安藤忠雄氏設計「四国村ギャラリー」では、絵画や彫刻、オリエントの美術品などを展示し、四国村の新たな一面を見ることができます。
(四国村ウェブサイトより)



四国村には、子供の頃から何度か訪れたことがあります。
でも、こんなに広いことも知らなかったし、安藤忠雄氏の設計による「四国村ギャラリー」があることも知らなかった。
私が観たことがあるのは入り口付近のほんのちょっとの、徒歩40分圏内ぐらいのところだけだったのでした。



さあ、ここから、macotoさんのガイドツアー\(^o^)/











小豆島 農村歌舞伎舞台 photo by macoto


macotoさんのカメラが急に電池が切れてしまい、これは私のスマホでmacotoさんに撮っていただいたもの。美しい~~~~!!!





丸亀藩斥候番所




なまこ壁。
瓦を壁に張り付け、隙間を漆喰を盛り上がったように塗り固めたもの。
雨風に強く、海辺の蔵などにみられる。



photo by macoto



そしてこれがmacotoさんの撮影による同じ場所。撮影したのは数年前とのことなのですが。
こうやって比べると、私がいかにへっぽこかよ~~くわかります。
「なまこ壁」を撮っているのに、私は桜も木の緑も、屋根瓦の影も入れようとして、結果つまんない写真になってしまっています。
この後にもmacotoさん撮影による四国村の画像をお貸し頂いたので、追加アップします\(^o^)/ 






旧河野家住宅


柱や梁、その他木造住宅の基本についてのお勉強。
「ラーメン構造」の基本中の基本。
もっと沢山画像撮ればよかったと大変後悔しています。
住宅や、砂糖しめ小屋、醤油蔵…などなど、それぞれの目的のための「建築」について、macotoさんの熱い解説が続く、、、



じっくりゆっくりと解説していただきつつ歩いたのに、話に夢中になり、写真を撮りそびれまくって、大変残念。


次の画像は、もう「四国村ギャラリー」の庭です(泣)

…と書いてアップした翌日にmacotoさんから写真、いただきました\(^o^)/



「四国村ギャラリー」の設計は安藤忠雄氏。
四国村創設者の加藤達雄が収集した美術品を展示する美術館として、2002年に開館したとのこと。
こんなんあるなんて、全然知らなかった。

そもそも「安藤忠雄」という建築家を知ったのは、瀬戸芸が始まってからでした。

macotoさんによると、安藤忠雄氏の建築の特色は、

住む人や訪れる人が、光や水や風を感じられるように、
雨が降ったら濡れる、風が吹けば気持いい、肌寒い、「しばれる」…
そして、建物の随所にスリットがあり、光を室内に取り入れる
コンクリート打ちっぱなし、ボルトの穴も埋めずにそのまま、角はぴしっと直角
動線はわざと長い



などなど…(私ちゃんと理解できてるかな? ちゃんとみなさまに伝わってるかな~~)



photo by macoto




photo by macoto




photo by macoto




四国村ギャラリーもまさにそんな感じ。


そして、一昨年、瀬戸芸で安藤忠雄氏設計の「地中美術館」に行ったときにも、正にそれを感じました。


角は直角に決まってるだろ~って思ったあなたのおうちの角や、家具の角、ぴしっと直角でしょうか?
ま~るくなってたり、ちょっと削ってあったりしてませんか?

最初にmacotoさんが案内してくださった若かりし頃に設計に携わったというビルも同じ特徴で、「なるほどぉ~~」と、大きく頷く。



ギャラリーの入り口は、狭く、小ぢんまりとしていて、小さなギャラリーのようで、あまり期待感なし。
展示されている美術品も、さほど多くなく、興味のない人なら、ささっと10分もあれば見て回れます。
でも山の斜面を利用したこのギャラリーは、作品を鑑賞したあとにも屋外に通じる廊下があって、ちょっとした迷路のようです。
そして、屋外の庭がこれ。














屋外に出たとたん、高松市郊外の風景、三木町の山々が見渡せます。
最後までこの素晴らしい景観を覆い隠し、いきなりのサプライズ。これまた画像がない( ̄□ ̄;)!!

…ところをmacotoさんにフォローしていただきました\(^o^)/
こういうところも安藤氏の特色なのだとか。



photo by macoto




photo by macoto











深い縁と絆でガッチリと結ばれている3人。



四国村はこのギャラリーで終わりではありません。
まだまだ続く。


Comments (2)
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