画像提供:まんべくん
私の小中の同窓生の「おっさん」(愛称)が亡くなった。
同級生で、小学校の頃から「ボス」だった。
晴れやかにお見送りしよう…と思ってたのに、ダメだった。
昨日はひとりで飲みまくった。
酔いが進むほどにおっさんとのいろんなこと思い出し…
友人がFBにがアップしてるこの画像を見て、またさらに寂しくなった。
おっさんとの思い出を語らせていただきます。
おっさんとお友達になったのは、たぶん、何十年ぶりの小学校の同窓会で再会した頃からだった。
よくあるパターン。
二次会、三次会、四次会…と、最後の最後まで残った5人ぐらいの中に、おっさんも私もいて、
それ以来、おっさんは東京に出張のたびに声をかけてくれるようになった。
2人で、おかまバーにいったり、他のお友達も一緒に食事したり、
私、当時は離婚して独身だったので、フットワーク軽く、呼び出してくれたら飛んで行った。
高松に帰ってきたばかりの時も、まずはおっさんにランチに連れてってもらったような気がする。
「アリスイン高松」
「どっかお洒落なとこにつれてって~」とお願いしたのだ。
「そんなん全然知らん」というおっさんのアタマに思い浮かぶのは「アリスイン高松」ってワケだ(^_^;)
おっさんと私がランチするにはめっちゃ似合わない、30Fから瀬戸内海を見渡せるロケーション最高のレストランで、
いちばん高いランチをご馳走になった。
「ここって、お見合いによく使われるんやってね」
「そらそーじゃわ。お見合いにはええわ~ 相手が気に入らんかったら、黙って外見よったらええけんのー」
それから暫くして、私が就活で、試験に落ちたときは、その後、速攻「大川」の鰻を食べに連れてってくれた。
高松で、音楽関係のお友達が広がっていく中、おっさんとはあまり2人で会うことはなくなっていった。
そのかわり? 「こんな人たちとこんなお店に行きたいんだけど、どっか知らない?」というTELを何度したことか。
夜の帝王のおっさんは、その都度、予算やシチュエーションにぴったりなお店を教えてくれた。
「ここへ行け」と、強引だけど、ホントにいいお店ばっかり。
ワイワイできるところ、おもてなしできるところ、、、
TELで予約までしてくれたことも…
ヘルプデスクとして、どれほどお世話になったことか。
これから、それらのお店に行くたびにオッサンのこと思い出すんだなあ…
個人的なおっさんとの思い出を語っていますが、
何も、私に限ったことではなく、
オッサンと私がひとときでも特別だったわけでは全くなく、
みんな、こんなふうにおっさんとの思い出をたくさん持っていると思う。
今日の葬儀も盛大だったけど、昨日のお通夜は、さらにもっと、おっさんを偲ぶ人で溢れかえっていたとのこと。
その1人1人のひとたちが、きっと私と同じように、おっさんとの懐かしい、いい思い出を持っているのだ。
おっさんは、私たち同窓生の中心にいつも暖かく存在していた。
建築にたとえるなら「基礎」
音楽にたとえるなら「ベース」
そして、いつもきらきらしている美人やクレヴァー女子や(我らが同窓生は美人やクレヴァー女子に満ち溢れている)
各方面でこれまた颯爽と活躍している男子を立てて、まるごと包み込むおっさんの懐の大きさは、小学生の頃からだった。
天性のものだったんだね。
おっさんの人生は「与える」人生だったと思う。
友達の片隅にいるような私でさえ、いっぱい与えてもらったと思えるんだもの。
年末におっさんを囲む同窓会があった。
おっさんの病気のことを知っている友人たちが、県外にいる同窓生たちにも事情を説明して集まった、内輪のぷち同窓会。
私は行かなかったけれど、その時の画像を拝見して、ほんとうに和やかで、いい会だった、私も参加したかった…と思った。
でも、一部友人によると、おっさんはその時も具合が悪そうだったとのこと。
彼は少し無理して参加したんだろうな。
自分を囲む会だということも承知で、、、
そして、会の途中でいつのまにかフェイドアウトしたとも聞いた。
おっさんはそういう人なのだ。
おっさんを囲む会といいながら、みんなで集まって、みんなが楽しく和やかなときを過ごすことをいちばん喜んでくれる。
いつ死んでも悔いがないような生き方をしているように、私には見えた。
好きなことを思い切りしながら、実は繊細で気配りの人だったと思う。
おっさんは、四方八方に向かって、そういう与える人生を生きて、もう与えつくした。
だから神さまが呼び戻したんだと思う。
お疲れさまでした。安らかに。…と、ほんとはあまり言いたくない
ほどなく、またすぐにでも、「おっさん追悼同窓会」が行われると思う。
おっさんのいない同窓会なんて、あり得ないよ。
おっさん、これからも私たちの真ん中にいてくれるよね?
画像提供:まんべくん