昨夜、12月9日、鈴木一也さんは、天に召されました。
前日8日に洗礼式が行われ、クリスチャンとして、まっすぐに天国へ、神さまの御もとへといかれました。
前回の記事のあと、ご報告が送れてしまったこと、申し訳ありません。
彼はまっすぐに天国に召されましたので、どうぞ、祝福してあげていただきたいと思います。
今日、教会で納棺式が行われました。
鈴木さんの寝顔はやすらかでした。
今にも「あーよく寝た」といって起き上がりそうでしたけど(*^_^*)
明日は葬儀。
天に召されたことを祝福するセレモニーです。
以下は、私の、自分の記録としての日記ですので、ご了承願います。
私はクリスチャンではありません。
キリスト教の言い方でいうなら「求道者」の立場です。
教会用語も、「死」についてのとらえかたも、わかっているつもりでも、言葉が不適切かもしれません、重ねてご了承願います。
私が、この日の朝、出勤前に鈴木さんを見舞ったとき、もうこの世での命が風前の灯となったことが、すぐにわかりました。
父のときと同じように、心電図などを計測する器具が、ベッドの脇に取り付けられているところでした。
まもなく、彼は、大部屋から個室に移されました。
個室は、奇しくも父がこの病院に転院してから「療養病棟」に移るまでの1ヵ月を過ごした部屋でした。
勝手知った、なつかしい病室でした。
私は、短時間で必死で?迷って、この日のアルバイトを欠勤させていただくと連絡をしました。
「彼はこの数時間ですぐに亡くなることはないだろう、でも私はこの場を離れて仕事にいくべきか」
欠勤すれば父の葬儀に続いて、2度も連続でご迷惑をかける。
でも、生きている私は、アルバイトや、レッスンの穴埋めは、あとでいくらでもできる。
今は鈴木さんだ。
私の、胃の内視鏡の検査結果も、大腸がんの検査結果も、異常がなかった。
父と鈴木さんの付き添いの日々の中、「自分はだいじょうぶだろうか」と不安になって受けた検診でした。
働ける力があるとは、そして、働いたお金で、食べたいものを買って、美味しく食べられるということがなんと幸せなことかと、
父と、鈴木さん、二人の付き添いの日々の中で、日に日に体力も食欲もなくなっていく様子を目の当たりにしながら、心の底から感じたことでした。
個室に移った鈴木さんの大量の荷物の引越しを終えて、不謹慎かもしれないけど、私は
彼がこの病室を出るときのために、荷物のまとめをしなくてはと思いました。
ベッドで、鈴木さんが「この世の最後の使命」であると牧師先生が仰った最大の死の苦しみを味わっているところで、私はなんということをしているのだろう、、、
彼は本当に本当に苦しんでいました。
鈴木さんがその手を握ってもらって「だいじょうぶよ」と本来声をかけてほしい人は、私ではないのです。
私にはどうすることもできないし、その瞼を自分の力で閉じることもできなくなったうつろな目を見守っている時間が途方もなく長く、やるせなく、何かしていよう…と、、、
それでも、彼が苦しそうな声をあげるたびに、手を握って、顔を覗きこんで、
「おるよー、だいじょうふよ、安心してね」と言うと、
彼は頷くのです。頷くということは、意識があって、本当に苦しんでいるのです。
さて、いったいどこから手をつけようか…
コートやブルゾン、何足もの靴、ネクタイ、ノートパソコン、思い出の写真、他人にはガラクタにしか見えないような貝殻、なんでこんなものを…
家を処分してしまっている彼は、帰るところがない。
それでも再び体調が回復して、退院できる希望を捨ててはいなかったのでした。
やれやれ…と、心を落ち着かせながら、とにかくいちばん大きな袋に、まずはもうこれはいいよね…と思える着古した部屋着や、靴下から、、、
その時。
突然どこからともなく「きよしこの夜」が聞こえてきました。はっきりと。
最初、クリスマスだから、どこかの病室か、ホールで流しているのだろうか…と思ったけれど
聞こえたのはその1曲だけだったし、
突然始まったその曲は2コーラス半ぐらいで静かにフェイドアウトしていきました。
天国から御使いがきたのかな…
この音楽は、鈴木さんにも聞こえているのかもしれない。
もし、私が音楽系じゃなく、美術系だったら、御使いが降りてきたのが見えたのかもしれません。
いずれにしても、これは天国からの音楽だと私は確信しています。何の不思議なことでもないと思えます。
でも、なぜ「きよしこの夜」なのかはナゾですけと…
主治医の先生が、いらっしゃいました。
先生は、鈴木さんと私との関係を聞かれ、本来ならご家族やご親族の方だけに話す病状と今後の処置方針を、
今なお、いろいろ複雑で、ご親族にお話ができそうもないので、やむを得ず…ということで、ご説明下さいました。
それまでは、お見舞いや付き添いはしても、私の立場では病状などについては個人情報なので当然のことですが全く知らせていただけません。
彼を見舞ったり付き添ったお友達は誰もそうでした。
看護師さんたちからも、心苦しく思いつつ、最低限のこと…たとえば、「洗礼式を行うなら、早めにして差し上げるほうがいいかと思います」、、など、
遠まわしな、示唆のような仰り方でしか私たち友人は聞くことができないので、
いったい彼の病状がどれほど悪化して、あとどれくらい生きられるのかという、もう本当にカウントダウンの状態になっているのにもかかわらず、
なにもわからず、途方にくれていたので、先生が説明をして下さったことにはとてもホッとしました。
いずれにしても、彼の命がもうすぐ終わることには何の変わりもないのだけれど。
…けれども、この主治医の先生からの説明で、私はまたさらに新たな責任を負ったのだ、、、
それから、同級生のお友達や、長い間絶縁状態だったという親族の方もついに見えて、俄かにあわただしくなり、介護施設に入居されているというお母様も最後のお別れにいらっしゃいました。
私は、ご本人は教会での葬儀を希望されています…などとご説明をしたり、牧師先生と連絡をとったり、、、
特に、親族の方は、長年のぶつけようない怒りを抱えており、私にブチまけてもしょうがないとわかりつつも、言葉の端々から長い間の確執がひりひりと感じられました。
でも、みなさん、それぞれに「宜しくお願いします」といって帰られました。
私の立ち位置はなんなんだ??と思いつつも、、、、
それからまた私は鈴木さんと二人だけになり、静かな時間が訪れました。
「お母さんとお話できてよかったね…」
彼は、苦しみの中で頷きました。
私はやっとパートナーSYOさんにTELしました。
「おなかすいた。肉まんとおにぎり買ってきてくれないかなあ…食べられるかわからないけど。」
SYOさんは、父の葬儀で私が鈴木さんの付き添いができないとき、彼のお見舞いに代理で行ってくださいました。
その折、クリスチャンのSYOさんは、鈴木さんから、「小学校の頃からクリスチャンになりたいと思っていた、早く洗礼を受けたい、間に合いたい。」という話を聞いたそうです。
ずっと寄り添って心配してくださっていました。
彼は、鈴木さんのレッスンのときの「ジュピター」の伴奏や、送迎もお手伝いしてくれたこともありました。
SYOさんが肉まんとおにぎりとお茶を持って来てくれて、それから、私と殆ど同じような立場で鈴木さんのお世話をされている、鈴木さんの高校の同級生のSさんが来てくださり、付き添いを交代する時間になりました。
私は、病棟のフロアーのダイニングルームで、ひとり、肉まんを無心にもぐもぐとお茶で流し込みながら食べました。
介護の係りの方が、患者さんの食事のトレイの片付けにいらして、「お付き添い、大変ですね…」と労ってくださいました。
父の付き添いの折にも見かけた方だったので、父がその後1階上のフロアーの病室で、亡くなった経緯などを少しお話しました。
フロアーが変ってしまうと、その後のことは全くわからないようなのですが、彼女は、私の父のことを覚えてくださっていて、
どちらにしても「非日常」の時間の話題ではあるけれど、少しの間だけ、なんだか鈴木さん以外のほかのことを考えたり話したりできて、ホッとしたのが正直なところでした。
Sさんと私と、付き添いが二人揃った丁度そのとき、また主治医の先生がいらして、様子を見てくださいました。
鎮痛のモルヒネの量をこれまで少しずつ増やしてきたけれど、それでも意識があり、苦しみがあまりにも長く続いているので、この段階に至ればさらに強い薬を投与することができます…
それは、殆ど「安楽死」、法的にもギリギリの処置であるとのこと。
Sさんと私は、それが、本人も、ご親族も、私たち友人も望むことと、承諾しました。
「死なせてあげてください」
「承知しました」
…そういうことが、遠まわしな言葉で取り交わされたのでした。
Sさんに後のことは託して、私はいったん家に戻りました。
放ったらかしのTakはKUMONに行って、いませんでした。
「ああ、ちゃんと行ったんだ、偉いじゃん」
まず、久しぶりにピアノの蓋を開けて、鈴木さんの希望でレッスンしていた「ジュピター」を弾きました。
それから、病室で聞こえてきた「きよしこの夜」を…
自宅に戻っても、そう簡単に気分を切り替えて、日常に戻れないのです。
そうこうしているうちに、昼間お会いしたご親族の方から、「病院から心臓が止まりかけているとの連絡があった」とTELがあり、続いて、Sさんから「今息を引き取った」とのTEL。
クリスチャンとなった鈴木さんの臨終には、牧師先生も駆けつけてくださり、彼の亡骸は、教会に託されました。
今日の納棺式は、同窓の友人数名と、ご親族の方ひとりが立会い、その後明日の葬儀の式次第について、簡単な相談を先生としました。
昨日、ご親族の方がいらしたときから、次からつぎへ、鈴木さんの壮絶な、波乱万丈な、破天荒、むちゃくちゃな人生、親族一同に勘当されてしまったいろんな経緯が暴露されました。
…が、鈴木さんは、今は、神さまの御もとです。
これまでのすべてが許され、きっと今頃は天国で祝宴をしていることでしょう。
私が知っているのは、癌で余命を宣告されてから後の、「私はいまが一番幸せだ」といっている鈴木さんです。
明日の葬儀は、きっと、参列者の誰にとっても、本当にいい時間になると思います。
神さまが鈴木さんと、遺されたわたしたちのために整えてくださる時間だと思えます。