WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

諸葛亮の死後

2017-07-31 | 三国志沼





さて、私の崇拝する諸葛亮さまは、志を果たせずに亡くなりました。ショボン、、、
仇敵司馬懿(しばい)を焼き殺す完璧な策略が、突然の豪雨によって大火は消されてしまいました、、、、(史実かは不明)

これぞ「天命」

私にとっては、この場面がめっちゃクライマックスなのですが、
これを熱く語っても、世間一般の方には大変なご迷惑かと思いますので、
諸葛亮死後についてご紹介させていただきます。


この策が失敗に終わり、諸葛亮は病に伏し、復活することなく、亡くなります。
しかし彼は亡くなる前に自分の木像を作らせ、馬車に乗せて戦の軍の中に配置して、
司馬懿に、諸葛亮は生きていると思い込ませるという策略。

「死せる孔明(諸葛亮)生ける仲達(司馬懿)を走らす」

司馬懿は、これにも地団駄を踏んで悔しがりますが、諸葛亮の木像をなんとしても手に入れよと命じます。


司馬懿は、諸葛亮の木像の前に、自分が座る椅子を持ってきて、ゆっくりと座って、対面します。
そして、諸葛亮の木像に向かって語るのです。
これが冒頭の画像。


「孔明よ、なにゆえ死んだのだ。
そなたがこの世を去っては寂しいではないか。
我らは百年に一度まみえるかの天敵。
されど同時に千載一遇の知音(ちいん)であった。」


ここで、じょわ~~~~~~っっっと涙が、、、

「知音」って知ってる? 恥ずかしながら私この歳まで知りませんでした。
ひらたく言えば、「親友」



三国志出演者のみなさん、天国で仲良く心ゆくまで仲良く語ってください。


私もいずれ参ります、、、、


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三国志のクライマックス

2017-07-30 | 三国志沼


うな重ではありません




毎度お付き合いいただきありがとうございます。

三国志のクライマックスは、天才軍師同士の策略戦です。

三国とは、魏、蜀、呉。

私が大好きな、崇拝する諸葛亮さまは、「蜀」の軍師であります。
諸葛亮の仇敵、司馬懿(しばい)は、「魏」の軍師。彼もまたとても魅力的な人物です。

軍師とは戦における「最高司令官」のようなものであります。


本日は私が大好きなこのシーンをご紹介させていただきとうござりまする。


司馬懿が、あまりにも戦をせず引きこもっているので(これが司馬懿の得意とする作戦)
諸葛亮は、司馬懿を挑発するために、使者に書状とともに贈物を届けさせました。

まずは、使者が司馬懿に
「贈物を持って参りました」
と挨拶する。
「殺されるのを覚悟でか!」
と、威嚇する司馬懿。
敵陣に書状と贈物を持って来たのですから、ただならぬことなのです、、、

使者
「丞相(じょうしょう…諸葛亮のことね)は申しました。
大都督(だいととく…司馬懿)は偉大で勇猛。知者で壮大。
立てば泰山の如く、ツラの皮は城壁より厚い。
如何なることがあっても心の内は表さぬゆえに、
大都督が私に怒りをぶつけることはないと。」


司馬懿「さすが私をよく知っているな。受け取ろう。」






その贈物とは、女人の衣。
女子のめっちゃ派手なステージ衣装の如くキンキラの上着なのである!

さて。書状であるが、、


「亮(諸葛亮、自分のことね) 武勇優れる司馬懿どのをかねがねより慕うも、
大軍を統べながら斯様に首をすくめ動かれぬとは、命を大事に穴に潜むは女人といずこが異なろう?
亮、ゆえにこの麗しき衣を贈呈せん。
戦わぬとあればお納めを。」


この屈辱に、部下達はたまりかねて剣を抜こうとするのであるが、司馬懿はそれを諌める。
使者は
「まこと美しき衣でございますな。お召しになって着心地を試してみられては?」


…と、さらに屈辱に屈辱を塗り重ねまくるのである。
しかし、司馬懿は平然と上着を着る。
部下達は、怒りで頭が沸騰しまくり。




「どうだ似合うか?」
「よくお似合いです。まるで杯と蓋が寸分の互いもなく合わさったかのようです」
「戻ったら孔明殿に礼を伝えてくれ。みごとな衣、まことにかたじけないと」
「承知しました」


いんや~~すごいテンション。こわっ!


そして司馬懿はさらにこの使者に酒を振舞う。
ふつーの使者ならそんなことはしないんだけど、この使者は諸葛亮の旧知の友人なのです。
司馬懿は使者に訊ねます。
「孔明どのはお達者かな。食事はとられようか? 睡眠は? 公務は?忙しいであろう」
使者は、諸葛亮が、睡眠は足りていなさそうだけど、心身ともに元気だと答える。



司馬懿、使者に酒をふるまう。立ち飲みなんだけど、これもまたあり得ない場面。


「人は欲をかかなければ枕を高くして眠れる」

…と、諸葛亮への伝言を使者に伝えて見送る。

その後、司馬懿は女子の上着を即座に脱ぎ捨てます。
屈辱を決して人前では表さない司馬懿。


司馬懿からの伝言を聞いた諸葛亮も、「彼は私のことをよくわかっている」と感嘆します。


この天才軍師たちは、仇敵ながら地下水脈で繋がっているところが私にとってはたまらないのです。

つづく。
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オフィスでお昼にうな重をいただく

2017-07-26 | ダブルワーク





(7月24日)

今日のランチはうな重でした\(^o^)/

めっちゃ美味しかった~~~~!! 
最後にうな重食べたのいつ!?


私の勤務先の社長が、高松センターのテレオペたちに土用丑の鰻を…と、
40人分の冷凍うな重を差し入れてくださったのであります( ̄□ ̄;)!!

予めこのことは周知されており、休憩室に電子レンジは1台しかないので、ランチにみんなで食べるのは難しい…冷凍うな重を持って帰るクーラーボックスなどを各自持参するように…との通達があった。
…ので、私も息子のランチバッグをを奪い、「今日の弁当はナシ、コンビニで買え」と言い渡しました。


出勤してみると…
ランチタイムが時間差になっている( ̄□ ̄;)!!
普段は当然12時から一斉にお昼休憩だけど、今日は私は13時から。
なるべくランチにレンチンした「うな重」が食べられるように…との計らい?かも…
ランチバッグを持ってきた私ですが、その場で温めてお昼にいただきたいってもんだ。

社長は、このめっちゃ美味しいうな重を、できればコールセンターのみんなで美味しいな美味しいなといって、一緒に食べてほしいんだ。
そんな社長の思いを、社員の方たちが受け止めているに違いない。
私が「今ここでランチにうな重食べたい」と申しましたら、社員男子が、うな重を温めてくださいました。
セルフサービスとちゃう!!
他の本日ランチうな重希望者の方々にも、社員男子やら、支店長自らが温め供していらした模様。

さて、「レンチン」完了、いざ食べようとしたら、お箸がないヽ(`Δ´)ノ
しょうがないから給湯室のスプーンで食べようとしたら、
社員男子がどこからともなく割り箸を調達してくださり、その間にご飯もい~い具合に蒸らされて、
ホントにえもいわれぬ、ほかほかでふわふわで薫り高いうな重でございました。
ご飯も、実はこだわりのお米…のようでグレード超高し!
「冷凍うな重」侮れません。
お召し上がりになった方、あまりいらっしゃらないと思いますが、、、

これをオフィスの休憩室から建築現場を眺めながら、ゆるゆるといただく昼下がり…
フツーあり得ないシチュエーションなので、なおさら感慨がひたひたと満ちてくるのであります。







どこのうな重かはナイショ。
知りたい方にはこっそりお教えします。



この職場に来る前、私はスーパーの女でした。
スーパーでは、季節ギフトの際には、パート社員にも「ゼヒとも一人一品」といって、
土用丑の鰻を買わされていたのだよ。
いや一応強制ではなかったことも申し添えておきますが、、、
クリスマスやおせち系、その他季節ごとにいろいろ買ってくださいねというプレッシャーがつきまとっていたのであります。

土用丑の日に、社長からうな重が差し入れられるような職場は、ダブルワーク始まって以来初めてだったのです。

ですから、ついにこんなスッピンのツラを下げて、登場致しました。



びょびょびょ~~~ん



社員男子O氏が、社長にオペレーターの喜びを画像で伝えると仰るので、思い切り喜びを表現しました
…が、コレまだ食べる前ね。
ここまでのところは、社長のお取り計らいに素直に喜んでいるTAKAMI。

いんや~~~スッピンのツラは、TAKAMIの日常。

LIVEの画像は厳選画像…  

どぉする、このギャップヽ(`Δ´)ノ


なーんてことはどぉでもよくなる、良い昼下がりだったのです、、、、










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三国志時代のコンプライアンスのナゾ

2017-07-23 | 三国志沼


歓びを隠せない司馬懿




私は、コールセンターでオペレーターをしております。
ダブルワークの中でもコールセンター歴はかなり長く、計算するのめんどくさいけど、通算10年は越えています。

当然「守秘義務」というのがあり、
コールセンターというところはとりわけ厳しく、業務の内容、お客さまとの通話の内容など、すべて外部に漏らすこと厳禁。
もちろん家族にもです。

長年やっていると、めっちゃオモロイこと、ブログネタに最高なこともあまたあるのですが、
お伝えできないのが大変残念です。



さて。
この夏は、三国志沼に浸かっているTAKAMIでござりまする。


私は諸葛孔明(しょかつこうめい)が大好きですが、司馬懿(しばい…孔明の仇敵)もかなり好きです。
2人の天才軍師の策略には、わくわく、ドキドキを越えて、感動、感激、感涙…なのであります。

我が息子は、いつぞや、紀元20年ごろにタイムスリップして、公生涯前のイエス・キリストにお会いして話がしたいと申しました。
私にとって、生涯忘れられない息子の言のひとつ。
あまりにも畏れ多いこと、、、私はようせん。
なれど、私も、220年ごろにタイムスリップして、諸葛孔明殿と会うて話がしてみとうござる。(ついでに司馬懿殿とも、、、)


以前、周瑜(しゅうゆ)のお葬式に諸葛孔明が弔問に訪れた件について書きましたが、
三国志物語、最後には、孔明VS司馬懿、天才軍師同士の策略戦となり、壮絶なクライマックスとなるのでござります。



…毎度前置きが長うてあいすまぬ。



今宵は「三国志時代のコンプライアンス」について。
コンプライアンス…法令遵守。特に「守秘義務」についてでござる。

三国志戦国時代。
皇帝、軍師、将軍…それぞれの家には、使用人がおる。
ストーリーの中では皆頭を垂れ、存在しておらぬかのように気配を消しておる。
されどもこの者ども、持ち場を離れれば、、、


城中はもとより、軍師邸、将軍邸、使用人だらけであるが、この者どもに「コンプライアンス」を如何様に徹底しておるのであろうか?


冒頭の画像は司馬懿が心踊り、歓びを隠せず自邸に帰ってきた場面。
常にポーカーフェイスで何を考えておるかわからぬ不気味な司馬懿であるが、
ある日、めっちゃ嬉しいことがあった。
帝位についたばかりの若く未熟な皇帝を、アホな側近どもがそそのかし、司馬懿を危険人物と刷り込み排除しようとして、偏狭の地へ左遷させることとなったのであるが、
実はその地はこれから要衝となることを司馬懿は見通しておったのである。




使用人に門を閉じさせ小躍りする司馬懿




息子に「なんかエエことあったんちゃう?」と言われ、
「イカンイカン、顔に表れてしまっては…」と、使用人に門を閉じさせた後、司馬懿はさらにめっちゃ嬉しそうに小躍りしながら、息子に顔がほころんでしまうワケを語るのである。
父と子の超プライベート且つ重大な会話である。
しかし、そこにも使用人は気配を消して立っておる。
(画像には映っておらぬ。あいスマヌ。)






またこれは、皇帝と司馬懿の大変重大な密談なのであるが、ここにも気配を消しておる人あり。
…いや気配全然消えてないって!!
めっちゃ2人の間におり、一部始終を聞いておるではないか! 真ん中の黒い人ね!
大丈夫なのか!?!?
はたまた聾唖の者を雇っておるのかヽ(`Δ´)ノ







先ほどの画像で向かって右脇に立っておったこの官吏は、門前で馬車から降りた要人を皇帝のところへ案内する係りなり。
門から宮殿までは長い階段があり、金比羅宮ほどではあらぬとしても、由緒ある神社の鳥居から本殿までの道のりを登るようなものである。
その道のりをあまたの要人と雑談をし、また皇帝と要人との談話の際にも斯様に脇で待機しておるのである。
大丈夫なのか!!
この職は、よほどコンプライアンスが徹底していなければ勤まらぬであろう。

この使用人、官吏たちから、機密事項が漏れることはないのであろうか??

また一方、女子の使用人などは、厨(くりや)や更衣室(そんなんあるんかい!)で噂話などはせぬのであろうか?

絶対しておる。

各々、「さっきの軍師のあの言はどぉよ!エラソげにうまげに言うでないんな。
 皇帝も言いたい放題よくもあそこまでヌケヌケと!アンタどう思う!?」などと言っておったに決まっておるわ。
外部には漏らさずとも、同僚女子同士とあれば、、、

…と、本筋とは全然関係のないことが気になるのだわい。



我らコールセンター女子も、厳重な守秘義務ゆえ、その分、内部では、あること、あること、笑えること、ムカつくこと、喋りまくって発散しておるのだからな。






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カレーショップ「マドラス」我が青春

2017-07-20 | 人生妙なり







高松周辺のみなさま。
カレーショップの「マドラス」ってご存じですか?

中央公園の南、菊池寛通りに面した、小さなカレーショップです。
間口がそう広くないのであまり目立ちません。

県外のみなさまには、さっぱりわからないローカルな話題でごめんなさい。



「マドラス」は、私が子供~高校時代、中央通りの税務署隣で営業していました。

今のように、アジア系のカリーの店など全くなかった時代、「マドラス」は画期的でした。
店舗は広々として、丸テーブルの周りにゆったりとしたチェア…まるでホテルのラウンジのような空間。
そこで供されるのは、平皿にひらべったく盛られたターメリックライスと、別途カレーの銀のソースポット。

憶えていらっしゃる方がいらしたら、ゼヒともコメントいただきたいです。

そしてなによりも、マドラスのカレーはさらさらで、中身は煮込んで溶けてしまって何もない( ̄□ ̄;)!!
ですので、「チキンカツ」「エビフライ」…などなどをトッピングしたメニューが当時からあったのか…は憶えていません。

その「マドラス」がこのように変化しているとは信じがたく、ホントにあの「マドラス」??
なにしろ、中央通沿いの「マドラス」に行ったことがある人は、私の周囲に一人もいません。
経営者とか味とかも変わって、名前だけ残ってて別の店と化しているんじゃないの?
…という疑念を抱きつつ、私は先日、おともだちとランチで「マドラス」に約40年ぶりに行きました。歳がわかる!!
いや年は拙ブログでは度々公開しているのであるが、ご新規様にはご存じない方もいらっしゃいます、、、(-_-;)

しかし。まぎれもなくあの「マドラス」の味でした。
「味」の記憶とは、本当に何十年の歳月を隔てても失われないもの。
鮮烈に甦り、時間を越えて、当時の味の記憶とともに、その時の印象や情景がうわ~~っ!!と押し寄せてきました。
とてもとても感動的でした。

銀のソースポットは当時、巷にあるにはあったような気がする。
しかし、平皿にひらべったくよそってあるターメリックライスと、このさらさらのカレーをどうやって合わせて食べたものかわからず、
私は、ご飯をお皿の半分に押しやってスペースを作り、カレーをイッキにお皿に流し込んだ。
それを見たお友達(しょうこちゃんという人)が、びっくりした顔をしたので、
「しまった。これはテーブルマナーに反するのか」
…などと思ったこと、、、



そして、昨日もまた行きました。
マドラスのカレーは私にとっては全然辛くありません。
通常ならマイ「舞妓はんひぃ~ひぃ~」など持参してお好みの辛さにするところですが、
ここのカレーはそのままでいただきたいのです。
前回はエビフライカレーのランチ、昨日はフィッシュフライカレーのランチ。
ランチについてくるサラダは、キャベツの千切りにフレンチドレッシング…みたいな、
昭和の時代のお母さんが作るようなもので、これがまた超懐かしく、先日の「温故知新」でいただいたサラダとは対照的です。


さて。

実は私、もうたまらず、「マドラス」にTELしてしまいました。
営業時間だったのですが、お客さまはあまりいらっしゃらなかったようで、奥さまがじっくりと対応して下さいました。


ご興味のない方はスルーしてください。

私が聞きたかったのは、あのホテルのラウンジのようだった「マドラス」が、半世紀を経てここで、今のような形態で営業している経緯です。

奥さまのお話によると、初代「マドラスは」RNC、四国新聞社系列の「RNCパック」という会社が経営しており、
当時ご主人は、そこの食品事業部の社員で、開店当時から厨房責任者として配属されたとのこと。
そこで、心身砕いてカレーの研究を重ねられたのだそうです。
開店当時は、奥さまはまだご結婚されてなかったそうで、開店年は不明。恐らく1970年頃とのこと。
しかし諸事情で「RNCパック」のマドラスは1982年に、業務終了となった。
そこで、ご夫婦はマドラスの味をそのまま受け継ぐことにして、マドラスの支店であった片原町の店舗を譲り受け、ご夫婦で個人営業としてスタートした。

その後、ご主人が亡くなり、1987年に、現在の場所に店舗を移し、以来ずっと変わらない味を受け継いで営業しているとのことでした。

ざっくりと書いてしまうと、あまり感慨が伝わらないと思いますが、奥さまのお話に、どれほどこの店に思い入れをもって受け継がれてきたのか、とてもよくわかりました。

「マドラス」は、最初のスタートはRNC系の企業とのことでしたが、
ラウンジのような丸テーブルの広々とした店内で食べた当時よりも、
今の「マドラス」の店舗が、このカレーの味にはとても馴染みます。


新しい、感動する美味しい店はたくさんあるけど、半世紀ずっと変わらずに味を保って人々に受け入れられ続けている老舗は、感動に加え、またさらなる深い感慨があります。
これからもずっと続いてほしい。

インド系、タイ系、エスニック系カリーがどれほど台頭しようと、
「マドラス」のカレーは、いわゆる「カレーライス」でもない、どこにも真似のできない「マドラスのカレー」なのです。

Comments (2)
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「山田家」の冷やしうどん

2017-07-16 | 美味礼讃




今日は山田家に冷やしうどんを食べにいってきました。
ものすごい人でしたが、山田家は敷地が広く、庭あり、ベンチもあちこちにあり。
「行列」はできません。
レストランのように、名前を書いて、敷地内を散策したり、日陰のベンチに腰掛けたりして、呼び出されるのを待ちます。
私達は、2枚目の3分の1番目ぐらいのところに書きました。
「しょう まいける」
平仮名でフルネームで書くのです。
これだけ名前がずらずらと並んでいたら、1時間以上待ちか!という勢いですが、山田家さんは、キャパもあり。
20分程度で名前を呼ばれ、平日には使われていない、「こんなとこあったのか!」っていう初めてのところに通され、
「冷やしうどん」と、「ひやかけ」をオーダーしました。
オペレーション最高。





麺も出汁も、この混雑の中、これだけしっかりと納得のグレードというのは、ほんとに、さすが山田家さん…と思いました。
キンキンに冷えた「冷やしうどん」というものは、麺が締まりすぎて、うどんとしてどうか…という説もありますが、
山田家さんの冷やしうどんは、さにあらず。
氷水で締めているわけではなく、そっと氷水に浸けてあげている感じ。
ひと目みただけでそれがわかります。
1本味見させていただきましたが、見た目通りの味でした。
ひやかけも、なんと気持よさそうに冷たい出し汁の中に浸かっていることか…
まるで自分がプールに浸かっているかのような気持ちよさになります。



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15日(土)LIVE ゼヒきてね!

2017-07-13 | アーティスト魂




あさっての土曜日は、ラ・フォンテーヌのLIVEです。
8:30start
TAKAMI&SYO michael は9時頃からの予定。


詳細は拙ブログ、こちらにアップしとります。



今日は、SYOさんと近所の「温故知新」でランチのあと、リハやりました。
冒頭の画像は、超美味しかったサラダ。

一応ランチ全貌もアップしとく。







SYOさんとバンドやデュオをやるようになってもう10年越。
JAZZピアニストのSYOさんですが、私のオリジナルや、日本の歌、世界の民謡などにもお付き合いただいています。
当初は、香川に来たばかりの若輩者のワタクシが、大御所SYOさんに「ここはこーやりたい」などということはさすがに申せずに、
まあこんなもんか…というレベルでやっておりましたが、
今ではまことにズケズケと言いたい放題。
されど、これこそがホントに楽しい\(^o^)/
やっぱ、リハは楽しい。楽しすぎるのであります!!めっちゃいい感じ♪♪♪
ゼヒゼヒ、お出かけください。
お待ちしてますよぉ~~~\(^o^)/


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「とうきびごはん」私も作ったよ♪

2017-07-13 | 宅飲み&うちごはん



これは、炊く前。




おともだちのeowynさんが去年、ご自身のブログにアップされていた「とうきびごはん

ものすごく美味しい美味しいと書きまくっているので、私も作ってみようと思ったまま、去年は放置してしまった。

そしたら、今年はおともだちayaちゃんが、またまた美味しい美味しいとアップしていた。

こりゃーイカン、私も急いで作らねば!!
…ってことで、はやる心でとうもろこしを買いにいきましたとも。

「とうきびごはん」はeowynさんのブログでのネーミング。
ブログのレシピどおり作ったので、拙ブログでもこのネーミングを採用。

四国では「とうもろこし」のことを「とうきび」という人はいませんが、
北海道では「とうきび」。
一面に広がる「とうきび畑」に思いを馳せつつ、「とうきびごはん」を作る、、、、

ネーミングだけで引っ張るね~~~\(^o^)/スマヌm(_ _)m


さて。

作り方は簡単!
お米2合にトウモロコシ2本。芯も入れる。
塩小匙1
酒大匙2…はないので入れてない
お米の普通の水加減で普通に炊く。
お好みでバター少々混ぜこむ。
以上。

炊いてる途中からえもいわれぬ良い香りが漂ってきます。


この話を、職場のおともだちにしたところ、
トウモロコシの芯というのは、それだけを煮てミキサーにかけて漉して、すごく美味しいスープができる
…というのを、TVで見たことがあるのだとか。
ナルホドそれか!!


今回は、淡路島産ホワイトコーンを使いました。
淡路島って、玉葱も甘くて美味しいし、淡路島牛乳も美味しくてTAKAMI家御用達。







炊き上がった「とうきびごはん」は、ほくほくシャキシャキ。
バター入れなくてもあまりにも美味しい。
でも、バター入れたら、これまたいい感じ…で、粗引き黒胡椒ほんの少々とパセリもあしらってみました。
めっちゃイケますよん。


しかし、お米2合にトウモロコシ2本の量は、当然親子2人では一度には食べ切れません。
できれば一度に食べきれる量がオススメ。
やっぱり炊きたてに優るものナシ!

…そして、残りの美味しい美味しいとうきびご飯は、息子Takの翌日のオムライスとなるのであった、、、
まだ続いてるのよ、オムライス。たぶんもう半年以上。
(ご存じない方へ:我が息子は、今年のいつだったか忘れたけど、今後の弁当は毎日オムライスがよいと申したのであります。)

今はこんな感じ。
大量すぎて包めませんので、卵は四角に畳んで乗せてます(^_^;)







さて、またまた後半もオムライスで引っ張ります。

でっ、その「とうきびご飯のオムライス」どうだった?とTakに訊ねてみたところ、
「びみょ」
そのワケは、甘いとうきびご飯に辛い唐辛子のコラボが「びみょ」とのこと。
「イマイチ」でもなく「びみょ」ってところが私にはかなり理解できるんだな~~これが!!
これまで何度か、さすがに毎日同じってどぉよ…と、さすがに自分で気持悪くなって、
レタス炒飯オムライスだの、スパム入りだの、味付け変えたり、時々バリエーション試したのでありますが、
結局彼は、スタンダードなヤツが良いらしい、、、、キモチワルイが受け容れるしかない、、、



ところで、先日、オムライスの美味しい作り方をTVでやっているのをたまたま観ました。
どこやらのホテルのレストランのシェフのご教授だったかなあ…?

全容は覚えてないけど、印象に残っているのは、

① みじん切りにした玉葱と肉を炒める段階でケチャップを投入する
② ご飯を入れたら弱火で最低でも5分以上じっくりと炒める
③ 卵は強火でかき混ぜながらイッキに炒める 

実は私、②はやってませんでした。なるべく早く炒め上げようと…
この番組を見てから、やはり、当たり前だがオムライスと炒飯の炒め方は当違うのだ…と、やっと目から鱗、悟りを開きましてござりまする(^_^;)


三国志沼で暮らしておるゆえ、ついつい斯様な物言いになること、許されよ。
実は今日は、美容室に行って参った。
三国志のDVDをお貸しくださったオーナーの美容室でござる。
もぉ~~カット&カラーに行ったのか、三国志の話をしにいったのかわからなんだわい。


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周瑜(しゅうゆ)のお葬式

2017-07-10 | 三国志沼





今日も暑い1日、
三国志沼でぷかぷかと泳いでいるTAKAMIでござりまする。

一応、一般の読者さま(なんて失礼な言いようで申し訳ござりませぬ)にもご理解いただけそうな記事にしますゆえ、ゼヒともお付き合いくださりませm(_ _)m


「周瑜(しゅうゆ)のお葬式」



子供の頃から、中国人は、お葬式のときに「泣き男・泣き女」などというプロを雇って、盛大に泣きまくるお葬式をやる…という話聞いたことありません??
ご存じなら嬉しい\(^o^)/
ご存じな人、ぜひコメントしてね♪

それが事実なのかどうかは、ちゃんとは確かめておりません…ちょっとだけググってはみましたのですが、同じ動画が出てきまくるので、のちほどご紹介します。


DVD三国志においては、あらゆるお葬式の場面で、参列しているすべての人がめっちゃ泣きまくります。
泣きながら、棺の前で故人への弔辞を述べるのです。
死を悼み、功績を称える弔辞には、述べる人の価値観や人生観までもが見えるのです。
コレ、異文化なり。すごく印象的でした。

まあ、とにかくお葬式だけじゃなく、ストーリーの中で、中国男児よく泣きます。めっちゃ泣きます。
日本男児は、武士道的に「男たるものは泣かぬ」…みたいいなのってあるじゃないの。
「泣くな、男でしょ!」みたいな、、、大泣きしながら弔辞を読む人いないし。
人前でなくのは恥ずかしい…とは、男児ならずとも、女子もそうかも。
私は、堂々と人前で泣く中国スタイルのほうが断然いいなあと思いました。






さて。
「諸葛孔明」(しょかつこうめい)が「周瑜」(しゅうゆ)のお葬式の弔問に訪れる場面。

細かいことは割愛。





「周瑜」という人は、諸葛孔明と同盟を組み、(正確には国同士の同盟ですけどね)ともに「赤壁の戦い」という、三国志でも超有名且つ超重要な戦いでともに敵と戦って、大勝します。
しかし、周瑜は、孔明の超人的な才能に嫉妬し、隙あらば孔明を殺してやろうと思い続けていたのです。
しかし、孔明にはかなわず。自分のほうが先に死んでしまいます。

「口惜しい・・・。天はこの周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮も生んだのか!」と言って周瑜は息絶えました。

諸葛孔明の才能に嫉妬しまくり、憤死したようなもの。
周瑜はものすごい軍事的才能の持ち主だったのですが、孔明への深すぎる嫉妬心のため、大勢を見失い、ついに死に至りました。

そこへ、諸葛孔明が弔問に現れました。ぬけぬけと。
側近の武将たちが剣を抜こうとします。





泣き男、諸葛孔明アッパレ。


「我らはかくて生きながらえる。公瑾(こうきん…周瑜のあざな)はこの世を去り、これがとこしえの別れとならん。
なんといたましいかな、なんと口惜しきかな!!」
…に始まって、周瑜の功績を大泣きしながら讃えまくるところは名俳優であります。
「公瑾よ、天はなぜかくも薄情なるか。そなたは天下の奇才、天下の名将たり…」


もう一人の聡明な軍師、魯粛(ろしゅく…周瑜の後継者となる人)という人がそれを見ながら、後輩?に言います。
「国を背負うもの、ツラの皮の厚さも必要だ。
公瑾殿の死は、あきらかに孔明が招いた。
されど、孔明はかくも親の死を嘆くが如く、公瑾の死を悼んでおる…」





孔明は、周瑜は敵であったけれど、友であったのに…とさらに泣きじゃくります。
敵同士の立場であっても、相手の才を認め、敬っているのは、嘘ではないのです。
孔明の大袈裟と思うほど泣きながら述べる弔辞を聞いて、敵の武将たち、参列者達も、感嘆し、もらい泣きをします。






私は、この一連の周瑜のお葬式の場面がすご~~~く好きなのよね~~ん♪♪




さて、私が見つけたYouTubeの「泣き女」画像。
これまたスゴイわ~~
こーゆう職業の人がいるとは( ̄□ ̄;)!!
故人を悼んでこれでもかと泣きまくり、功績を称え、泣きながら歌ってパフォーマンスまでする。


葬儀で泣くプロ、中国の「泣き女」



日本人としては、全く理解できないようで、コメント、けちょんけちょんですわ~


しかし。

実は私はこれを見て、選挙のウグイスのとある方を思い出しました。選挙のウグイスというのも、日本独特の文化。
私より若いけど、プロ中のプロの方です。
彼女と知り合ったのは、「綾川」ののどかな「おかげさま選挙」の時です。
香川に帰ってきて、初めて選挙のウグイスの依頼があり、請け負ったのが、綾川町議会選挙、保守系無所属の候補者のウグイスでした。

うどん県人なら誰もがご存じの、名店が数多く、「まんのう公園」もある、田舎の選挙。
最終日、超ベテランの彼女の口から、
「明日の投票日は、〇〇〇〇と、墨痕鮮やかにお書きください」
ってのが出てきたときには、ぶっとびましたわ~!「ボッコン」とな!
これ、とある政党の選挙ウグイスマニュアルにあったと記憶しています。
今時、「ボッコン」が出てくるとは( ̄□ ̄;)!! いくらなんでもレトロすぎる。
しかし、これが田舎の「おかげさま選挙」には通用するのだ。
彼女は、走りながら、手を(口を)抜くところは抜き、大きな通りの交差点の信号待ちの時には街宣車の窓から身を乗り出して、演説をします。
演説といっても政策を訴えるわけではないのです。
ひたすら、通行人、ドライバーのみなさんに「お願いします」を訴える。
この説得力がスゴかった。中身ではなく、臨機応変な言葉の組み立て方が素晴らしいのです。
実際、何度も拍手が起こっていました。
そして、最終日の日も暮れかけた頃、彼女のトークには「泣き」が入ってきました。
これまた「お決まり」なんだけど、彼女の泣きは違う。
最後には泣きながら訴え、すっかり暗くなって陣営(選挙事務所)に戻って来たときも、
後援者の拍手喝采で迎えられ、彼女は泣きながらそれに応えていました。

彼女は、数多くの選挙を戦ってきて、候補者が誰であろうがその1回1回に一声入魂しているのだと思います。
最終日に泣きが入るのも、素人のウグイスさんのように感情に流されるのてはなく、
諸葛孔明の弔辞と同じ領域なのではと…

私は彼女は日本のウグイスの10本の指に入るほどの方だと思いました。
これまで都会での選挙しか経験のなかった私にとっては青天の霹靂!
私は保守系の候補者を破って当選させるウグイスをやってきましたが、
彼女は、「勝てる選挙しか引き受けない」と仰っていました。

この田舎の「おかげさま選挙」というのも、大変お勉強になりました。

一度ゼヒこの方とウグイス同士で戦ってみたいと思ったものでした。


三国志には、奇才の軍師、猛将がたくさん登場します。
敵同士、才能のある人物ほど、名だたる敵の勇者を心で認め敬う心があっても、現世で友となることはあり得ない。
猛将同士のものすごい一騎打ちの場面も何度かありますが、
これら両人は、オリンピックのように、本番で戦ったあとは肩を抱き合って相手を称えることはない、、、

…なんてことに感慨をおぼえつつ、三国志沼に浸かっておりまする、、、





Comments (4)
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ラ・フォンテーヌLIVEのお知らせ♪

2017-07-07 | アーティスト魂




前回ラフォンLIVEの画像です




「新生教会チャペルライヴ」の記事アップはどうしたの?
…と、おともだちに言われました。
スマヌ、、、m(_ _)m
画像がないのであります。
終演後、メンバーの集合写真の撮影会?はしたけど、
一斉にみんながスマホを向けるので、どこ見ていいやらわからず、
メンバーみんな視線があちこちに向いてまとまりのない写真しかないのです(-_-;)


ですので、ライヴのご報告記事もアップできないまま、
次のライヴ告知をさせていただきます。







見よこのアナログなシブいフライヤー( ̄□ ̄;)!!
SYOさんが作った。
このシブさ、どぉよ!!



7月15日、ラ・フォンテーヌにて久々にTAKAMI&SYO MichaelのLIVEやります。

START 20:30~


ゼヒゼヒ遊びにきてね♪ おねがい、おねがい!!


ジャンルはナシです。TAKAMIワールドです。ミュージックチャージもナシす。
対バンは、マスター田所さんによるとこんな感じだそうです。

☆アンシャンテさん…女性三人組でキーボード、ギターでの日本の歌のカバーをされる予定です。
☆ジェリービーンズさん…男性3人でギター二本にボーカルで洋楽をされると思います。
☆NAOモードさん…男性弾き語りです。YAMAHAにいらした丸岡さんです。


TAKAMI&SYO Michaelは、2番手、21時頃の出演となります。
ミュージックチャージはナシですよ~~ん!!



前日はJAZZセッションデーですが、ゼヒ連チャンでお越しください\(^o^)/
今回は、MCが長くならないように気をつけようと思っていますが、
6万9千円の車を買った話や、三国志の底なし沼に足をとられている話など
語りたいこと満載なので、真剣によぉ~~~く気をつけます。



いやいや、それより、肝心の曲ですが、、、
今回の目玉は、「アニーローリー」(日本語訳)
この歌にはこんな実話が…



先人たちの日本語の訳詞も、どれもすごくいいです。歌っていて、胸が熱くなります。
すばらしい、、、


学生時代には、世界の民謡の日本語訳って、文語体で、なんかあんまりピンとこなくて、
しかも、なんだか邪道、やっぱり原語でうたわなくては!
…などど若気の至りで訳詞ってものを軽視していたのがとっても恥ずかしい。

男性の熱い想いを語るうたですが、
これを女性がうたうときは、こんな手紙を貰った、愛されまくっているアニーローリーになりきる。
人生のふっかぁ~~いところを見て触れてきた人なら、絶対泣けてきます。

私の中で訳詞№1は「埴生の宿」ですが、アニーローリーは今のところ№2です。


あっ不肖TAKAMIの作品、「うどんデート」も歌うつもり。
この曲はまだまだ改良の余地がありまくりなのですが、、、
リハで歌ってて、いつもうっっっと胸につまって泣きそうで歌えなくなります。
本番では決して泣きませんが。


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Toppoくんが来たよ♪

2017-07-06 | よしなしごと





三菱Toppoがきたよ!

本体価格69000円。平成12年生まれ、走行距離169000kmの老将。
8月の車検の手数料を上乗せしても11万台♪


実は、3月に追突事故を起こしてしまい、17年乗っていたワゴンRが廃車になりました。
私は軽、被害者の方はボルボだったか?の頑丈な車体だったので、私の車は大破し、胸骨骨折したけれど、
お相手の方にはお怪我がなかったことが不幸中の幸いでした。
その骨折も、完治しました\(^o^)/
廃車の車は走行距離7万km弱で、まだまだ状態はよかったのですけど。
別れを惜しむ間もなく愛車は長年お付き合いのある、母のお友達の(私もお友達)車屋さんに引き取られてゆき、速攻廃車にしていただき、
以来、車のない生活となりました。

もともと買い物程度にしか乗ってなかったので、さほど不便は感じませんでしたが、
ある日、美容室に自転車で行きました。
詰田川、春日川、新川を自転車で越えたのは、高校以来ではないだろうか!?
さすがにキツかったっす。
これから、息子Takの面談に学校に行くのもチャリか…やれやれ、、、
と思っていた矢先に、件の車屋さんから、ウチで引き取って代車用にと整備した車があるけど、もしよかったら15万以下で譲れるよと連絡がありました。

まあダメもとで、15万程度で状態のよい軽があったら買いたいとは言っていたのでした。

17歳はワゴンRと同じだけど、17万キロって、未踏の領域。
だいじょぉぶ!?
…って思ったけど、車屋さん曰く、私のような乗り方だったら年に数千キロしか走らないし、
よほどのことがなければメンテをちゃんとしてれば20万キロまではじゅうぶんイケると。
そんならあと6年は乗れる!…ってことで、即決。

そして、昨日納車されたToppoくん、こんなにきれい\(^o^)/

もちろん、納車の前に一度試乗もさせていただきました。
もう4カ月近く車に乗ってなかった上に、サイドブレーキとギアの位置が違うので、
手足がちぐはぐに動いて、バックに入れようとしたらワイパーが作動するし、
駐車場に入れるのにあたふたしてしまいました~~
追突のトラウマもあって、とっても緊張したし~~~( ̄_ ̄|||)

でも、いよいよお金を払って、鍵を受け取ったときはすっごく嬉しかったな~~。

Toppoくん、これからも末永くよろしくね。
20歳までといわず、もっともっと長生きしてね。


実は私の父は、今でも2代目セルシオを大事に乗っています。
実家は、両親、妹の3人暮らしで、車が4台。
父はセルシオの他に、ボロ~い軽に日ごろは乗っており、セルシオは大事に大事に、
家のいちばん奥の車庫に入れて、ほんの時々走らせている模様。
発売当初、父はこの車が欲しくてたまらず、母に「分不相応だ」と反対されまくっていましたが、
一生乗るなら買ってもいいってことで、許可が出たのです。
本当に一生乗れそう、、、感慨深いものがあります。

ところで高松市内でも時々「香」ナンバーの車、見かけます。
あれって、チョーカッコイイ!!
ほんとにほんとに大事に乗ってきたんだろうなあ。
父の車は「香」ナンバーではありませんが、もうじゅうぶんクラシックカーの域かと思います。
販売終了から10年も経ってるとのこと、知らなかった。
私のワゴンRは、あちこちぶつけまくり、傷だらけでした。
申し訳ないことをしました。
エンジンはすこぶる好調だったのに、、、(泣)
息子Takを生んだとき、私はバブルの落し子のようなMX-6というマツダのスポーツカーに乗っていました。
チャイルドシートが装備できないので手離し、父がTakのために買ってくれた新車でした。
私も、父を見習ってクラシックカーのようにうなるまで
ワゴンRに乗り続けたかった、、、

これからは、ToppoくんをワゴンRの生まれ変わりだと思って、
そして、これまで大事に乗ってきた人に変わって、大切にするよ。

(つづく)
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TAKAMI家のご飯

2017-07-02 | 宅飲み&うちごはん






7月になりました。
なかなか記事更新ができません。
いろいろあるのです、、、、
いろいろ書きたいことはありまくりなのですが、、、、
近日アップ予定。

とりあえず、曹操のご飯に続き、最近のTAKAMI家のご飯。


加齢のせいか、毎日のご飯つくるのめんどくさいことこの上なし!
なるべく手抜きでやっとります。
いや、なるべくどころか超手抜き!
最近しょっちゅう目眩がしまくり、職場にも生徒さん達にもご迷惑をおかけしていますm(_ _)m





冒頭の画像は「チキンのハーブマヨネーズ焼き」

職場の先輩がハーブを下さったので、早速! 
パセリ・セージ・ローズマリーをみじん切りにして、塩胡椒したチキンをフライパンで焼いている間にマヨネーズと和える。
それをパリッと焼きあがったチキンの上にこってりと塗って、オーブントースターでマヨネーズがフツフツ…となる程度に軽く焼きます。



どどど~~~ん



これは毎日作っている息子Takのオムライス弁当。
「オカン、これから弁当は毎日オムライスで頼む」と言われて半年以上。
今や、ご飯一合なので、卵二個ではとても包めないので、上からかぶせています。
豆も置き場所がなく、このようなことに、、、、
そして、我が家のオムライスは唐辛子入り。
唐辛子もだんだんエスカレートして、フツーのレッドペッパーでは全然物足りない模様。



どど~~~ん!!


激辛唐辛子3兄弟。名を「張飛」「関羽」「趙雲」と申す。
わかんね~だろ~な~~~~~


まあとにかく、この真ん中の「黄金一味」というヤツは私がこれまで出会った唐辛子の中でいちばん辛く、値段も10倍、辛さも10倍(以上)
これを常用していたらさすがにこの次どーすんの?…と二の足を踏み、妥協策として「舞妓はんひぃ~ひぃ~」を買いました。
これだって、「世界一辛い」とか書いてんだよ。
いやマジで、黄金一味「関羽」に出会うまではこれぞ最強!と思っておった。

でっ、「張飛」を買って、これを息子Takのオムライスにブチこんだところ、「うん。辛い!」と満足の反応。天晴れ息子。
頼むから、張飛で留まってくれ、、、

アンタらそんな辛さばっかり追求してアホちゃう?と思われる方もいらっしゃるかと存じますが、
辛さの中にはまことに風味もあるのです。


さあ、もう唐辛子の件はご理解いただけない方多数と思われますので次へ。







冷や汁。

正統には、鯵などの白身魚を焼いてほぐして磨り潰して作るんだけど、鯖の水煮缶で超手抜き。
でも、薬味は手抜きせず、茗荷、大葉、生姜は必須。
具は、豆腐、キュウリのほか、トマトは超オススメいたします。
これらを出し汁に味噌を溶いた中に入れて冷やして食べる。
冷やして…というか、もぉ最初から氷水の中に具材をブチ込んで作るのです。
お鍋いっぱい作って3日ぐらい食べ続ける。






ポテサラ。

メインディッシュにならないくせにめんどうな一品でござる。
TAKAMI家では、ポテトはマッシュせず、茹でたのを一口に切ってそのまま他の食材と和える。
ゆで卵もざっくりと切る。
地エビがあれば最高なんだけど、それでもメインディッシュにならない悲しいポテサラ、、
今回は、SPAMを混ぜ込みました。
SPAM、意外といろんな料理に使えて重宝してます。
そして、〆はウスターソース。コレが決め手なのです。ポテサラにはウスターソース!









当たり前の唐揚げ。
これが息子Takには№1 
醤油とすりおろしニンニクに数時間漬け込んで揚げるだけ。しかし、めっちゃウマイ、最高…などと言われる。

彼は手間隙かけるより、斯様なシンプルな料理を好むようなので、私としてはますます手を抜きまくり、料理に対する熱意がそがれてゆきます、、、、



Comments (2)
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