子供の頃の食生活というのは、いろんな意味で後々の人生に影響を与えるものだと思います。
中高生の頃、学校から帰ってきて、玄関まで夕飯のおかずの匂いが漂ってきていて、
「今日は八宝菜か。ちぇっ」とか、
「今日はビーフシチューだ!ラッキー♪」
とかって、なかったですか?
私の場合、母は働く人だったので、夕飯をつくるのは主に祖母だったのですが。
小学生の頃、「夕飯なに?」とかって聞くと、祖母の機嫌が悪い場合、
「なんでもええやろ!出されたもんを黙って食べまい!(食べなさい)」と
叱られたものです。
そうなる前段階として、夕飯のメニューを聞いて「なーんだちぇっ!」とかって
ブツブツ文句をいったりしてたことにも起因しているのですが~~(^_^;)
私としては、本日の夕飯は◯◯…と覚悟することで、身体がその料理の受け入れ体勢をつくるみたいなのが、一応あった訳ですが。
今思えば、高松時代は瀬戸内海の海の幸に恵まれた、とっても美味しい「夕げ」の食卓でした。
子供の頃は、サザエや渡り蟹をザルいっぱいおやつに茹でて食べたりもしてたし…
でも、私は、不幸にも、小学校6年生の「フナの解剖」ショック以来、大学で上京してお酒を飲むようになるまで、魚介類が食べられなくなってしまいました。
「魚の内臓」を連想させるようなものは一切NG。
握り寿司、鮭の切り身、イクラ、蟹の足…など、食べられる海の幸は、激しく限定されてしまいました。
母も祖母もこれについては諦めてくれたのです。
イカナゴ、シシャモ、カレイ、メバル、サンマ…などなど、頭からしっぽまでどど~んと出てくるメニューのときには、私には別のものが用意されました。
それから、祖母と母は、幼稚園と中学高校、合計9年間、お弁当をつくってくれましたが、その中身は私の好きなものばかりでした。
もともと、「解剖ショック」以外には、殆ど偏食のなかった私ですが、
「今日のお弁当は美味しかった」とか「ごはんの胡麻を黒胡麻にして!そのほうが美味しそうに見えるから」などと感想やリクエストをした時は、すぐに反映されました。
子供の食事をつくることで、食事のなかに愛情を込めてくれていたんだ…と感じます。息子の食事をつくるようになって、わかるようになったことです。
今でも書きながら涙ぐんでしまいます。
今、帰省して、中学高校時代に食べられなかった瀬戸内の海の幸を食べるのがとっても楽しみです。母も、私が帰省したら、そういう料理を用意してくれます。
東京では高価で食べられないぷりぷりの白身や、「地物」の小魚。
高松ではそれらが「日常食」です。
あとは、ビンボーな私がもったいなくて買えない大量の牛フィレの鉄板焼とか…
「TAKAMIに食べさせてやろう」って親心なんだな。
おいしい、おいしいといって食事の時間を楽しく過ごせるのって、ほんとに幸せなことだと思います。
母は、今でもその時間を楽しみにして私の帰省を待ってくれているんだと思います。
ところで私が「フナの解剖」の呪縛から解かれたのは、「酒」のおかげです(^_^;)
飲み会で牡蠣鍋を囲んで、「どれ、いっちょ…」と、酔った勢いで小ぶりの牡蠣をぷるん!と箸でつまんで「えいっ!」と食べてみたのです。…美味しかった。
もともと子供の頃からの素地があるので、だた、ほんとに「呪縛」だっただけなんだな。
もひとつ蛇足。
私はアルバイトで「トリプルワーク」でクラブのおねーさんをやってた頃、お客さまとの話題に行き詰まると「嫌いな食べ物」の話を聞き出すことにしていました。いいトシした社会的なポジションもある男の人が「これが嫌い」っていうところで、なんだか童心をふわっ♪と出したりするのです。
「食」の話、特に子供の頃の話は聞くのも楽しいし、話す人はもっと楽しそうです。
ぜひこれをお読みになった方は、なんか話していってくださいね。
中高生の頃、学校から帰ってきて、玄関まで夕飯のおかずの匂いが漂ってきていて、
「今日は八宝菜か。ちぇっ」とか、
「今日はビーフシチューだ!ラッキー♪」
とかって、なかったですか?
私の場合、母は働く人だったので、夕飯をつくるのは主に祖母だったのですが。
小学生の頃、「夕飯なに?」とかって聞くと、祖母の機嫌が悪い場合、
「なんでもええやろ!出されたもんを黙って食べまい!(食べなさい)」と
叱られたものです。
そうなる前段階として、夕飯のメニューを聞いて「なーんだちぇっ!」とかって
ブツブツ文句をいったりしてたことにも起因しているのですが~~(^_^;)
私としては、本日の夕飯は◯◯…と覚悟することで、身体がその料理の受け入れ体勢をつくるみたいなのが、一応あった訳ですが。
今思えば、高松時代は瀬戸内海の海の幸に恵まれた、とっても美味しい「夕げ」の食卓でした。
子供の頃は、サザエや渡り蟹をザルいっぱいおやつに茹でて食べたりもしてたし…
でも、私は、不幸にも、小学校6年生の「フナの解剖」ショック以来、大学で上京してお酒を飲むようになるまで、魚介類が食べられなくなってしまいました。
「魚の内臓」を連想させるようなものは一切NG。
握り寿司、鮭の切り身、イクラ、蟹の足…など、食べられる海の幸は、激しく限定されてしまいました。
母も祖母もこれについては諦めてくれたのです。
イカナゴ、シシャモ、カレイ、メバル、サンマ…などなど、頭からしっぽまでどど~んと出てくるメニューのときには、私には別のものが用意されました。
それから、祖母と母は、幼稚園と中学高校、合計9年間、お弁当をつくってくれましたが、その中身は私の好きなものばかりでした。
もともと、「解剖ショック」以外には、殆ど偏食のなかった私ですが、
「今日のお弁当は美味しかった」とか「ごはんの胡麻を黒胡麻にして!そのほうが美味しそうに見えるから」などと感想やリクエストをした時は、すぐに反映されました。
子供の食事をつくることで、食事のなかに愛情を込めてくれていたんだ…と感じます。息子の食事をつくるようになって、わかるようになったことです。
今でも書きながら涙ぐんでしまいます。
今、帰省して、中学高校時代に食べられなかった瀬戸内の海の幸を食べるのがとっても楽しみです。母も、私が帰省したら、そういう料理を用意してくれます。
東京では高価で食べられないぷりぷりの白身や、「地物」の小魚。
高松ではそれらが「日常食」です。
あとは、ビンボーな私がもったいなくて買えない大量の牛フィレの鉄板焼とか…
「TAKAMIに食べさせてやろう」って親心なんだな。
おいしい、おいしいといって食事の時間を楽しく過ごせるのって、ほんとに幸せなことだと思います。
母は、今でもその時間を楽しみにして私の帰省を待ってくれているんだと思います。
ところで私が「フナの解剖」の呪縛から解かれたのは、「酒」のおかげです(^_^;)
飲み会で牡蠣鍋を囲んで、「どれ、いっちょ…」と、酔った勢いで小ぶりの牡蠣をぷるん!と箸でつまんで「えいっ!」と食べてみたのです。…美味しかった。
もともと子供の頃からの素地があるので、だた、ほんとに「呪縛」だっただけなんだな。
もひとつ蛇足。
私はアルバイトで「トリプルワーク」でクラブのおねーさんをやってた頃、お客さまとの話題に行き詰まると「嫌いな食べ物」の話を聞き出すことにしていました。いいトシした社会的なポジションもある男の人が「これが嫌い」っていうところで、なんだか童心をふわっ♪と出したりするのです。
「食」の話、特に子供の頃の話は聞くのも楽しいし、話す人はもっと楽しそうです。
ぜひこれをお読みになった方は、なんか話していってくださいね。