息子帰省中。
まったりな中にもいろいろ超絶新鮮な日々を過ごしていて、何をどうやって書いてよいものか、非常に考え込みます。
まあ、一言でいうと、息子はもうこれまでの息子と違う。
すっかり成長したのです。
心から嬉しい。寂しくはない。これホンネ。
しかし、母はこれから何処に向かっていけばよいのか…
18年間母として生きてきた自分のアイデンティティの足元がが揺らぐのを感じた。
帰省5日目の昨日、起きたらベランダいっぱいに洗濯物が干してあった。
エッ、私、夜中に洗濯したっけ? ヨッパで記憶のない時に干したのか??
…と、まずはふつ~~に思うんだよね~~~ん、、、
これまでにも、財布が行方不明になった時にはヨッパで徘徊してコンビニとかに置き忘れたのかもとか…
おにぎり用の海苔が行方不明になったときには、ヨッパで飲みながら全部食べてしまったたのかもとか…
アイメイク専用リムーバーが行方不明になった時には、古くなったからヨッパで思わず捨てちゃったのかもとか…
どれもすべて後日ちゃんと発見したのだけど、(財布は数日後、海苔は1ヵ月後、リムーバーは数ヵ月後)
絶対あるハズと思いつつ、記憶のないヨッパな私が夜中にナンカしでかしている可能性を危惧してしまうのですとほほほほ。
さて。洗濯物はすべて私のやり方で干してあった。
しかし、違うところがひとつだけあった。
ハンガーが足りずに干せないTシャツを、洗濯カゴのフチにかけて干してある。
ここここれは!?
やはり私が寝たあとで、夜中に息子が干したのだ。
これさえなければ、私は確実に、ヨッパで自分で洗濯して干したのだと思い込むところだ。
息子と私のTシャツもジーンズも、バスタオルも、私のやり方で干してあった。
加えて私のぱんつもブラジャーもフツーにそよそよと風に揺れている。
こんなことはもちろん初めてなので、私は大変混乱しました。
やっべ~とか、どっひゃ~~ん…とか、そーゆう表面的な問題ではなく、、、、
表現する言葉がありません。
「私の息子がこんなことをするようになったのか」
とでも言えばよいのか。
画像はイメージです
そしてさらに、昼には息子が炒飯を作りました。(冒頭の画像)
「お昼は炒飯かスンドゥブチゲ雑炊かどっちがいい?」
「炒飯なら俺のほうが上手い。」
いやまあ、これは一応想定内。
彼は高校時代から炒飯を作るのは得意だった。そして、一人の昼とか、自分の分だけ作っていた。
息子の作る炒飯は私のそれよりはるかにウマいことも知ってる。
息子は北京鍋を豪快に振れるのだ。
でも2人分を振るのは鍋の大きさ的にムリがあったので、2人分を作ることはなかった。
ダイニングテーブルで一緒に炒飯を食べる「昼ごはん」を想定していたところ、
「何もいわずにコレを喰え」といって、息子は私のPCデスクに炒飯を持ってきて置いていった。
初めて食べる、ちゃんと一人分の、息子が作った炒飯。
美味しいとか、感想述べるなってこと?
もぉ、見ただけで美味しいとわかる。
これをPCデスクでこのまま一人で食べろと、、、その意図もわかる。
自分の分はこれから作るのだ。
息子が作った超絶美味しい炒飯を、一緒に食べながら「美味しいね~」とか、ペラく言われたくないのだ。
まあこれが昨日の、母としての衝撃的出来事なんだけど、息子が帰省してから5日め。
彼にとっては、季節はずれの帰省なので、あまり友達と会うでもなく、わりとゆるゆるとした日々を過ごしているようだけど、そんな中で毎日他愛もないいろんなことがあった。
初日に息子は、夕飯のハンバーグをこねるのを手伝ってくれながら、私にこれまで育てて貰った謝意をさりげなく表明した。
ここから始まっていたような気もする、、、
2日目は本人所望の鶏牛蒡鍋…であるが、連日晩ご飯で語りを入れまくるのも気詰まりなので、お互い自分の観たいアニメとかドラマを観つつゆるゆると。
3日目は息子が大変お世話になった、書人で息子の習字の先生の池田秋濤センセのNAYA-NANYAにお邪魔して、昼うどんを挟み、ものすごく長い間語りまくった。
まあ殆ど語って下さったのは秋濤センセだったのだけど、私はセンセのお話を伺いながら、この方はほんとに偉人だと心から思いました。
あまりにも気さくで讃岐弁すぎて、みなさんセンセのこと、ある程度は「めっちゃええ人」とか思ってるかもしれないけど、この絶対にブレることのない愛に溢れるセンセの生き方のスゴさを心底わかっとらんやろ!?!?
センセは、私たちの車が見えなくなるまでお見送りして下さいましたが、息子はそれを認識してました。
そして、「秋濤センセって、ホント~~~に凄いよね、偉人だよね」という私に共感していた。
センセに連れてっていただいた「町川」
松茸うどん 大変美味しかったのに画像がブレまくりで超残念!
そして夜はSYOさんに焼き肉をご馳走になり、私が寝たあとも夜中に2人で語りまくったらしい…
息子は小2のときにSYOさんと知り合ってからず~~~~っと3人でいろんなところに遊びに行きまくった。
SYOさんと息子が初めて会ったのは私の車の中で、私が「しょうまいけるさんよ」と紹介した。
当時私はSYOさんとお付き合いもしてないし、SYOさんのことは殆ど何も知りませんでした。
息子は、家に帰ってから自分の地球儀を持ってきて、SYOさんに「しょうまいけるさんのおうちはどこ?」と言った。
これが、私とSYOさんと息子のお付き合いの始まりだったのです。
この出会いについては、SYOさんとの結婚披露宴にて詳細に語りたいと思っておりますので、興味のある方はゼヒご参加くださいね。
だけど、当然だけど思春期になって、中学~高校時代は疎遠になっていた。
そんな時代も乗り越えて、大人同士として、SYOさんと何を語ったのかは私の知るところではない。
私を除いたSYOさんと息子の人間関係が成り立っていっている。
4日目は、息子の提案で、じーちゃんと私と3人で、私の母方の祖父母のお墓参りに行った。
息子にとっては全く面識もないのだけど、「先祖のお墓」ってことで、義理を通していると思われる。
祖母のお墓は庵治の高台にあるので、廃墟となっている昔住んだアパートにも立ち寄りました
ベランダの鍵が開いていたので侵入させていただきました
2Fの私の部屋だったところ 当時は海が見えたけど、今は埋め立てられて景色は変わりました
久々の「しんせい」(セルフうどん)
景色も味も懐かしい…
…とまあ、そういうワケで、息子はちゃんと無事に成長した。
その息子に対して私は今後どのようなスタンスで対応したらよいのか。
ってとこなんだよね~~~ん!!!!
息子が成長した後のことなんか全く考えとらなんだ!!!地震でした。これまで経験のない進度5強以上。
私はずっと母であり続け、息子に背中を見せ続けるものだという感覚があった。まあ、今後もそれはそうかもしれない…
しかし、親子って、こんなふうな「逆転」の時があるのか。
それに気付くことができた私は親として本当に幸せだと思います。
激泣きしました私。すぐ激泣きする私。
そしてこの逆転、意外としゅるっっと越えました。
「母の世話をしよう」と息子は思っているのだ。
私は素直に「老いたら子に従う」スタンスになればよいのだ。
求められたときにだけ言葉を添えればよいのだ。
何も言わず洗濯物を畳んで息子の部屋に置いておけばよいのだ。