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昨日から今日にかけて、LIVEのメンバーに送る譜面を書き、つくりかけの曲を進め、LIVEのセットリストを見直し…
いろいろと作業は続く。
本番は8月、まだまだ先…とメンバーの方たちは思っていることだろうけど、私は、もぉ切羽詰まって、死ぬかやるか状態ですわー。
これって私、なんか欠落してるんだろうなあ。たぶん私「普通の人」と違うんだ。
それはまあ、これまでの人生的に自覚はあるけど、音楽的欠落というのはどぉよ、、、
いちばんヒドイのは、ピアノが弾けない。
私、ピアノのセンセもやってんだよ。
コロナでいったん休業したけど、今でも細々と、、、
なのに、自分で作った曲を練習してもしても弾けない。
譜面と脳と指が乖離している、、、ような感じ?
子供の頃から、ピアノは苦手だった。
私の練習は、右手と左手を別々に完全に覚えるまで弾く。
それから両手で弾く。
徹底的にこれをやって(やらされて?)きた。
大譜表(右手と左手)を読みながら両手で弾くということを一切やってこなかった。これが弊害??
うーん、だからこうなった…というのとも違うような気がするなあ。
私の教会のピアノ科出身の奏楽の先輩は、これが一致しています。譜面と脳と指。「きっぱり」感がすごい。私には全然ない。
彼女の奏楽はいちばん身近に聴くので、特にそう感じるのですが、他のピアニストの方たちも当然のように譜面と脳と指も一致しているのだろうなあ、、、
その前提のもと、音楽性とかの面でそれぞれ努力されているのではと思う。
なんで自分の曲なのに弾けないのか。
わたしは、深夜にヨッパでピアノを即興で弾きまくっ遊ぶことがわりとあります。
もうすごく楽しくて、浸りまくります。
そんな時、ピアノの鍵盤は、「距離」みたいな感じになります。
白鍵と黒鍵は全部おなじ。「ドレミファソラシド」はない。{調性」というものがない。
この距離で鍵盤を押さえよう、、みたいな。二次元の。
でもその中で弾いてて、ときどき鍵盤が普通に見えて、コード(メジャーとかマイナーとかふつうのヤツ)も弾きたくなる。
「安定」とか「完結」を求めたくなるのかもしれない。でもそれも、ただの「ドミソ」じゃない。
でもこれって、誰かに聴かせるのじゃなく、ものすごーく自己満足なのです。
とりとめなく、しかしめっちゃ楽しいんだよね~~~~~~~~~~ん♬♬
それから私は、どんな音を鳴らしても、不協和音…というか、濁った汚い音には聞こえません。ドレミファソラシドを同時に鳴らしても。
だから、そんなのを弾くのがものすごく楽しいのは、やっぱ、フツーとは違うのかなあ…
しかし、うたは違う。
うたは、私が学んできた西洋音楽で、人にお聴きいただいて、受け入れていただけるものを作っていると思っています。
最近作ったのは、私が通っている教会の今年度の主題聖句。
2部合唱にしました。会衆のみなさまに喜んで賛美していただけたら嬉しい。
これらすべては、天から降ってきた。私は媒体。
それから今作っているのは、「母の名言」
ある日母に聞いてみた 羊水検査ってしたほうがいいかな
母は言った 自分が産んだ子どもは どんな子でもかわいいものやろう
だから お腹に子どもがおるときは ゆったりと構えて
いい子が生まれますようにと願いながら過ごしたらわ(過ごしたらどう?)
以下まだヒミツ。
私は、やっぱりうたがいい。
ことばと音楽がぴったり重なりあっている世界。
私の生きていく場所はここだなー。
歌は、ピアノも併せて、ものすごく緻密に作って譜面も書いているつもり。
…というか過去の譜面を見て「こんなに緻密に作ったのだなあ」と思う。
人にお聞かせしたいものと、自己満足的な世界は違うんだなー--
そう、それで。ピアノのパートを譜面に起こして、それを右手左手それぞれ覚えるまで弾き込まないとちゃんと弾けない…からなのか??
もぉ、この効率の悪さは、加齢とともに低下の一途を辿るしかないのか、、、
でも歌はそうじゃない。数か月歌えず音程が不安定になりまくっていたのも、短期間に戻る。
音程だけじゃない、発声や、アーティキュレーションも、わりとすぐに自在に歌えるようになる。
ずっと大好きだったSYOさんも
今大好きなカッシーも、
ミュージシャンとして、ほんとーに私はおふた方をリスペクトしてます。
彼らは私のことを音楽的に「ヴォーカル」とか「歌詞」とは全く違う対極のところからサポートして下さって、
私のつくる歌の歌詞なんか、どうでもいい。それってどぉよ!と思ってたこともあったけど、
今はその感性をすごく理解できる。
SYOさんは、「どんぐり」という、息子の保育園時代のことを歌ったうたで、「おかーさー--ん!」と叫ぶアレはなんなのかと訊いてきたことがあって、、
全然わかってくれてなかった。愕然としましたわ、、、
そして、私のLIVEの曲順はすべてSYOさんが決めてくださっていました。
歌詞による曲順こだわるのではなく、リズムやキーによって、お客様を飽きさせないようにしなくてはという、私には全くない視点なのでした。
カッシーとは現在、「この曲、飛行機のエンジン感や、時空を超える感を表現してくれるとうれしいな」みたいなやりとりをしている。
私のこのように文学的な表現に対して、
カッシーは、ここは間奏が長すぎるとか、ここを繰り返すのはくどいとか、いろいろ数値的なところで、対極からの意見炸裂しまくり、
まだ完成には至ってないけど、お互いに納得のできる着地をすると思います。
めっちゃ楽しみ。これも次回LIVEで歌うよーん。
…ってまー私いま、「死ぬかやるか」的瀬戸際的だけど、
本番までの、日々、料理を作る時間もすべて含め、楽しくやらせていただきますよーん!!
午前2時の帰宅
エンジンを止めながら
あなたの声が聞きたくて 携帯を鳴らしかけたけど
思わず次のメモリーの人を呼び出してしまう
あまりにもあなたが好きだから 私を全部見せられない
あまりにもあなたが大切だから 私を全部ぶつけられない
好きなように生きて輝いてと 私を突き放す
それが愛のつもりねあなたの
今日も夢中で1日を駆け抜けたけど ほんとは
あなただけに向かって輝いていたい
切なくて苦しくて 朝まで走りたくて
助手席に乗るこの人はひたすら温かく
心をほどいて 私を溶かしてくれる
でもあなたじゃない
午前2時のマジック
揺れながら サイドミラーにあなたが浮かぶ
夜明けまでのトリック
闇を走れば 心の中のあなたが消える
孤独と愛 闇と温もりの間で揺さぶられ
あなたに背いてみたくなる瞬間
ひとりでも生きてゆけるような気がするの
夜明けまで走り抜けて輝く私を見て
今日も夢中で1日をかけぬけたけど ほんとは
あなただけに向かって 輝いていたい
やっと「午前2時」のピアノ譜に着手。
いつまでもコードだけ見て弾いてると、全然ポジションが固定せず、「今頃かよ」って感じだけど、
これでダラダラにならず、効率的に練習ができるぞっ♬
うまくいけば(つまりは私のピアノが)この曲は今回のLIVEの中で、いちばんカッコイイ曲になる予定。
インストもカッコイイんだよーん。
しかし、ひどい歌詞だなあ、№2の男子、振り回されまくって、なんと気の毒な、、
コレ、私の実話じゃないからね。
前にも書いたけど、私の「詞」は、「きっかけ」となる事実の部分はほんの「かけら」ほどあるけど、
あとは、どんどん空想が膨らんでいくのだ。
この曲は、東京で初代夫と離婚した頃、1人暮らしを始めたときのアパートの「カプセル風呂」に浸かりながらできたのだ。
木造築30年越と思われる、つまり私が生まれた頃からあったような。
当時は既におひとり様は「ワンルームマンション」に住まうのが主流って感じだったけど、私は狭い簡易キッチンはイヤで、
ガスコンロは2口。それに古くてもいいから、ある程度のスペースが欲しい。
ってことで、6畳、4,5畳、「台所」に後付けの「ほくさんバスオール」 これだよ!懐かしい~~
カプセル風呂だ! 初めてみたよ、こんなの!!
正直いって、見すぼらしいぞ、、、
いちばん左の、浴槽と、体を洗うスペースもついてるヤツ。
シャワーの蛇口をひねれば、ちゃんとお湯が出る進化型のものだった。
しかし! ジミーというペンキ屋さんでギタリストのお友達(日本人)が、この部屋の壁をキレイに塗り変えてくれたのだ。
大家さんは、もちろんプロが壁を塗り替えてくれるというので、喜んでOKしてくれた。
キッチンはうっすーいミント色。カプセル風呂も同じ色。
和室はうっすーいぴんく。和室の柱もこげ茶色に塗ってくれて、、床にはウッドカーペットを敷いて、なんだか古民家リフォームのようにかわいくなった。
ジミーはプロのペンキ屋さんなので、マスキングテープなんか貼らなくても、すいすいと手際よく、すいすいときっれ~~に仕上げてくれました。
このお部屋、これまでの人生の中で、一番思い出深い、懐かしい場所だなあ。
そして、私の財産は友人…なのも、そのころからずっと変わらない。
夜のアルバイトなどもやっていて、帰宅が深夜~午前様になることが多かった。
よく友達が遊びにきてパーティーやって、
{習字バー」というイベントをやった。
飲みながら、半紙に筆で、ひらめいた言葉を書くというもの。
みんなヨッパなので、きれいに上手に書こうとかそんなの全然なくて、前の人が書いたものからインスパイアされた言葉を次々と書いていくのだ。
「男と女」→「愛欲」→「恋愛沼」→「泥泥」…(ここの部分はウケまくったのでよく覚えている)
今だったら私は、「矍鑠」をゼヒ書きたいな。
「燦〃」もいいなあ…
失恋もいっぱいしたけど、めちゃくちゃ楽しかったなあ、、、
そして全ては音楽のコヤシとなっている…
そして今現在の私がいるのだ。
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「花はらはら」
あなたに抱かれて目を閉じて感じていると
はらはらと花びらが舞い降りてきた
いくつも幾千万の花びらたちが舞い降りてきた
よくみれば花びらはわたしのことばだった
ことばはうたになり うたは世界になって
はらはらはらはら 舞い降りてきた
世界を敷き詰めてあなたとわたし
ゆらゆらとたゆとう 時の波間に
いくつも幾千万の時の波間にたゆといながら
あなたの瞳の奥は無数のことばだった
ことばはうたになり うたは宇宙になって
きらきらきらきら 輝いていた
宇宙を閉じこめてあなたとわたし
いつまでもいつまでも
いだきあっていた
四半世紀以上前に作ったと思われます。
少なくとも息子が生まれるより前。
しかし作ったものの、こんなエロい歌は人前でよー歌わん…と、これまで一度も日の目をみたことがなかったこの曲。
それに、この曲は「宇宙を閉じ込めて」の前に、ホールトーンスケール(全音音階)のアドリヴの間奏を入れることになっているのでした。
それが私にとってはハードルが高すぎたというのもありました。
でも、私にとっては「ムーンライトワルツ」(これもエロい)と二部作のつもりなこの曲。
そろそろレパートリーも限界に近づいてるし、歌ってみようかなー…と思って、たぶん15年以上ぶりにクリアケースから譜面を出して、
ピアノの譜面台に広げて弾いてみました。
もちろん、あまりにも時間が経ってるので全然すらすら弾けない。
でも、すごく綺麗で、すごく丁寧に作ってあって、なんか感動した、新鮮だった、、、
自分の作品な感じがしない。
当時の私は、今の私とは別の人…な感じ。
これは次回LIVEで歌おう。じゃなきゃ曲がかわいそうだ。
もうこの曲は、ホールトーンスケールのアドリヴ以外はすでに完成していて、私を離れてちゃんとひとり立ちしているのでありました。
それなのに、「エロいからよー歌わん」なんて言ってる場合か私。
ホールトーンスケールのアドリヴが弾けないなら、書き込もう。きれいに、丁寧に。
初演だ。がんばって仕上げよう。当時の私と、この曲のために。
ところでみなさま、聖書には「雅歌」という、若い夫婦の官能的な恋を祝福し賛美する項目があるのです。
クリスチャンでない方は、知らないでしょうし、
クリスチャンでも、礼拝で「雅歌」の中からの箇所を牧師のメッセージ(説教)としてお聞きになった方はあまりいらっしゃらないのでは?
少なくとも私は一度もありません。
しかもこの恋人たち→夫婦は、一時お互いの間に暗雲がたちこめたけれど、神が創られた自然の中で愛し合ってふたりの絆を取り戻すのです。
https://www.youtube.com/watch?v=EP3nAYZ3Xmw&t=1641s
私の敬愛する中川健一牧師の「雅歌」についての講解メッセージです。
聖書にこのように官能的な恋人同士や夫婦の愛が祝福され賛美されている以上、私はもうなにもエロい歌も躊躇うことはございません。
さあ、ホールトーンスケールの間奏を作って、完成させて、練習しまくろう♬♬♬
さて。
「ダシアン」の季節となりました。
毎年この季節、ダシアンの画像だらけ。
今年もイキます。
先日、ものすごく久々にミュージシャン友達ミホコさんのLIVEにいきました。
ていうか、LIVEが久々で、ミホコさんのLIVEは初めて。
このところ、年末あたりからたて続けに不意の出費が続きまくり、家計が大きく赤字に転落しているので、
超絶節約生活をせねばならず、ライヴも自粛してました。さらにまだ自粛中。ごめんなさい。特にメンバーのみなさま。
ミホコさんは、ギター&ヴォーカルで、保育園に通う2人の子供さんのお母さんで、
仕事を続けながら子供を育てながら、ライヴ活動もされているところが嘗ての私とめっちゃ重なるところがあり、この日をとても楽しみにしていました。
以前は同じ職場だったので、お互いのCDを交換したこともありました。
彼女の歌は、「生きる」ことについての大きく暖かなな意思が感じられて、コアな部分をシシンプルに表現しているところがとっても素敵なのです。
他の出演者の方たちにもそれは共通していたように感じました。
一方、私は「恋のうた」だらけ。
なんで私、こんなに恋のうたばっかり作ってるんだ?
私にも「生きる」意思はあるよ。「生きる」こだわりあるよ。
だけど、それを歌詞で表現するということをあまりやってこなかったなあ。
今思いつくのは「樹のうた」くらいかな。
自分の生きたい生き様を、樹の成長になぞらえて歌ったもの。
「いつまでも歌っていたい、 愛が溢れ出して止まらない」
なんて一人称では絶対言えないよ。こっぱずかしい。主人公は🌳(君)
シャイですから私、、、
あとは、殆どが「あなたと私」の歌だな。
恋の歌はこっぱずかしくないのか!?
「あなた」は恋人だったり、友達だったり、飲み友、夫婦や、好きな人、秘密の恋のひと、たった今別れた人、1年前に別れた人、これから出会う人、亡くなった最愛の人、
‥などなど、相手のことを思う歌が殆どだなあ。
たぶん、きっとこれからもそうだろうなあ。
これについては、TAKAMIの歌は実話なのかとか、モデルがいるのか‥な方向に発展していきそうなので、本日はこのことについて語ってみようかと、、、。
私のうたに…モデルは、、わりとまあ、います。
このうたはこの人との出来事や、感じたことから始まった…ってのはあるんだな~~実は。
だから、私の中では、「この曲はこの人とのかかわりの中からできた歌」ってのはまあ結構あるのであります。
◇プラトニックな両想い
「私たちのカンケイはファミレスのパーキングから入口まで10メートル手を繋いで歩いた だだそれだけ」
ただそれだけ。
「え~~!!」っていうちょっとした事実からどんどん発展していったのだった。
最終的には、私は私ではなく、創作となって、うたう時にはこの歌の主人公になりきるのであります。
◇オリオン
「別々の場所で夢を叶えよう」
「僕は今は満天の星の輝く空の下」
この2人はもともとはフツーにお友達と私なのだけど、彼はネパールに赴任した。オリオン座のことなんか話したこともない。
これもまた創作が膨らんで恋人なストーリーとなった。
◇クラウン
「あなたの白いきれいな顔」
…な男子がいた。ただそれだけ。
ピエール=オーギュスト・ルノワール『 白衣のピエロ 』
まあ、1曲ずつ書いてると、際限ないのですが、殆どは、なんかそんな「きっかけ」があって、発展していくのです。
こーゆーの、歌にしたくなるんだよね~~~ん!!
だから、「モデル」とはいっても、それはきっかけに過ぎず、出来上がったときには、全くその人の歌ではなくなっていて、
私も、出来上がった歌の主人公になりきって歌う。
だから、全くこっぱずかしくないんだよ。
だから、ご本人に「コレはオレの歌だな」と思われることは一部除いて殆どありません。
殆ど…ということは、ちょっとだけはあります。結構具体的な描写があったりして。
♪「ご機嫌でお料理したり、突然不機嫌になって、真夜中に部屋を出てったり」などという事実。
でも、それも「うた」となってしまえば、モデルご本人様は、「自分のことをうたっている」などど悦に入ったりする余地はありませんのです。
これを「芸のコヤシ」というのだろうか?? うーん、どう思います??
ま~~私は、いろんなシーンをカットして、それを膨らませていろんな創作をしてきたと思う。
べったりそのまんなま歌というのは、1曲もない。
話は先日のLIVEに戻りますが。
また、別の男性ヴォーカルが、母親への感謝の思いを歌っていました。
うーん私もそろそろ母の歌を作ってみようか、、、と、聴きながら真面目に思った。
しかし、この方のような曲には絶対ならないぞ私は。
母と私は反りが合わないのだ。
彼の素直な感謝の歌を聴きながら、私だったら‥と色々溢れてきた。
そんな中で、まず歌いたいのは母の名言だ。私には、一生忘れられない母の名言というのがある。
そして、母とは感じ方も価値観も全く違う私は、この男性ヴォーカルの方のような「ひたすら感謝しかない」みたいな歌詞は絶対書けない。
きっと「あなたとはこんなに違う私だけど、違う道を歩いて行くけど、あなたの言葉はいつまでも忘れない」
みたいなのになるのかなあ。よくぞ彼の1曲を聴きつつ、その間にここまで自分の思いをまとめたもんだ!
…しかしこれは「ホンネ」の歌になる予定。かなりこっぱずかしい。
でも、今年米寿を迎える母への感謝をこめて、そろそろ作るべきな気がしてきた、、、
ミホコさんのステージは、CDやSYOさんのスタジオで遊んだ時のひたすら楽しかった時間とは違って、
彼女の存在感、確信感?のようなものが漲っていて、素敵だったなー。
ステージに立つってコレだよね。
私は躊躇いなくこんな確信漲るステージを作ってこれたかなあ‥‥
私は、次回LIVEのピアノは、自分で弾くことにしたのです。
もうそろそろ、私とピアノ、また繋がったらいいんじゃない?
SYOさんと出会う前の、東京フラミンゴ時代から、私はピアノはピアニストまゆこちゃんに委ねていたのでした。
キーボードはかずみちゃんに…
SYOさんと出会ってからはさらに…
もう長い長い間、ピアノ放棄状態だったのでした。
でも、ここにちゃんとあるんだ、ピアノ譜。自分で弾こうよ、、、、うん。そうしよう、、、
私のうたを自分で弾き語ろう。
母の歌をつくろう。
もう残された時間は、これまで費やしてきた時間よりうんと少ないのだ。
そして、1回ごとのステージを「確信」をもってうたいたいよ。
私の音楽人生も、実りのとき、収穫のときに差し掛かっている。
音楽のハーベストタイムだ、、、
「蜜蜂と遠雷」第1次予選が終了。
これから読んでみようと思ってる方は、以下ネタバレ含みすので、ご注意ください。
2度目なのに、1度目より多分泣きまくっている私。
それぞれのコンテスタントの演奏が終わっての観客の反応なども、超リアルに頭に浮かんでしまって、ここにも泣けるのだ。
そして、初回は、もう風間塵にとにかく夢中になってしまった私は、亜夜とマサルについては、あまり掘り下げていなかったのでしたが、この2人の知音的深い関係もスゴイ。羨ましい。
巷のこの世代の男女が、恋愛とか、それにも満たないようなペラいような関係をやってるときに、こんな深いところで共鳴しあえるのっていいなあ…
…と、マジで登場人物に本気で感情移入しまくれるところまで書き込む作者はほんとにスゴイ。
そして、恩田陸さんと、編集担当者、志儀保博さんとの関係もふっっっか~~~く知音だ。
めっちゃ羨ましい関係。
このお2人は小説の登場人物ではなく、実際のナマミの方々なので、もう、ぐぐぐぅぅぅ~~っと超羨ましくてたまらん。
文庫本「蜜蜂と遠雷」の志儀さんによる解説を読んでると、作者への深いリスペクトと深い愛情がひしひしと感じられます。
さて、読書しつつ、私の新曲も、整えつつあります。
まだまだ先は長い。
私はこの曲を令和のバラードにしたい。
同世代の男女は、みなさん、「昭和回帰」みたいな感じなようですし、カラオケで歌う曲は小学校高学年あたりの「明星」や「平凡」の歌本にあったものとか、セイコちゃん初期や、明菜、伊代などなど。
一方、息子が帰省した折に息子が聴いている音楽は、「時代は流れて今はこうか…」と、感慨深いものがあります。
私の印象としては、ドラムやベースがどどーんと底辺で主張している上に、ギュイーンなギターソロがあって、ヴォーカルはあくまでも飄々と、「ぴゅあ」な歌詞が流れていく感じ。
昭和のドロドロ感、恨み節…みたいなのは全然ない。
時代はとんどん次へ次へと進んでいく。
先日、カッシーと新曲のアレンジについて「音声」したところ、
カッシーに
「そんなに広い部屋なら、まずはPCを部屋の真ん中に設置して、そこで部屋の中のすべてを制御できるようにするべきだ」と言われた。
さらに中央にどーんと2台、スタンドのついたステレオのスピーカーを設置して、日中いちいちイヤフォンやヘッドフォンで、あちこち移動してちまちまと聴かなくてもよい環境にするべき…それが「令和」だろぉ。とも言われた。
PCは隅っこに追いやり、ピアノ下のアンプとレコーダーとマイクからは大変遠いのです。アンプはモノラルだし。
うーーーん。仰るとおり。いいなー、やはり令和の環境で令和の曲を作るべきだな。
…その方向で歩もう。
最近は、牡蠣鍋マイブーム。
何時間もかけてゆるゆるいただいております。
昨年「オカンは絶対にこれを読め」と言って、息子が一冊の本を買ってくれました。
「蜜蜂と遠雷」(恩田陸)
これ、ホントに絶対私が読むべき作品だった。
息子は、「これを読め」とか「観ろ」とか、「聴け」とかいって、いろんな作品を紹介してくるんだけど、
その殆どが「うわーっっ」とツボにハマりまくり、感動してきました。
そして、「蜜蜂と遠雷」は、息子に紹介された中で最高の作品だった。
この1冊の中でどれだけ激泣きしまくったことか。
簡単にご説明させていただけば、これは「ピアノコンクール小説」。
そして、そこに登場するコンテスタント(コンクール出演者)の演奏を、予選から本選まで、たくさんの曲を言葉で表現している描写が素晴らしくて、
私が激泣きしたのも、殆ど、本番の演奏の場面でした。
そして、スポットがあてられている4人のコンテスタントの幼少時や、思春期~青春の時代の描写。
彼らに深く感情移入しまくって、読み終わるのがもったいなくて、先へ先へ読み進めたい気持ちを我慢しまくり、最後までじっくり読みました。
本日から、また2度目を読み始めました。
こんとは、さらにじっくり噛みしめながら、もっと時間をかけて、彼らとの再会を楽しみたいのです。
塵くん、こんにちは、また会えて嬉しいよ…
今年の初夢に、風間塵くんが登場しました。
彼はこの作品のコンクールが終った後、数年後にとある国際コンクールに優勝して、
塵くんと私はハグして芝生をころげまわって喜ぶ…という、なんと嬉しく幸せな夢!
私の人生の初夢としては、最高~~でありましたよ!!
これをお正月帰省中の息子に話したら、
「なんでオカンが塵と知り合いなんだ、年齢差を考えろ!」とか言われたけど、
スマヌが私、歳カンケイないし、夢の中では特に!塵くんも私も20代なようだったし、問題ナシ。
前々回の記事、「昼ワインランチ」で、お友達が貸して下さった「祝祭と予感」
「蜜蜂と遠雷」のスピンオフ小説なんだけど、上京の折、移動中に読むつもりだったけど、ここはやはり、もう一度本編を読んでからにしよう…と思った次第。
息子も、買ってはいるものの、同じこと言ってたなー。
年末年始からいったん日常を取り戻して、落ち着いてから再読しよう…と思った次第。
息子は、塵くんとSYOさんがオーバーラップしたのだそうだ。
それは私が読後、あとで聞いた話。
私はそんなこと、全く頭になかった。
だって、歳も違うし、クラシックとジャズだし。
でも、SYOさんは一貫して独学でピアノを練習して、全く誰にも師事せずに自分の感性だけでやってきた。
JAZZといえど、日本にそんな人はたぶん殆どいないのではと思う。
クラシックのピアノからJAZZに転向したり、JAZZにもジャズスクールというのがあったり、何かしら、どこかで習う。
SYOさんは一切それをやってこなかった。
自分の感性だけでピアノを弾いてきたのだと思います。
そんな人と、アカデミック系の私が一緒に音楽をやってこれたのは、ものすごく特殊で幸せだったと今になって思うけど、
当時は、そこまで感じることができない私でした。
だから、海外から帰国されたミュージシャンの方などに、「日本人にもこんな人がいたのか…」とか思われていたようだけど、
私は、そんなことはあまり深く考えたことがありませんでした。
いろいろ今になって、感じること、後悔…などもあります。
でも、もうSYOさんの時代は終わりました。
SYOさんが召されたのは3年前。もうすぐ召天3周年になります。
それも、2年なのか、3年なのか、あまりにも混乱が続いてたので、今年で何年なのかもちゃんと把握してなかった。
マジで今、ブログの過去の記事を辿って、あー3年だったか…って本日確認した次第。
でも、少しずつ、いろいろなことが戻ってきて、やっと平常に戻ってきて、次にいくよ。
私、このあとも、音楽人生続は続く。
これが私の生きる道。これ以外にあり得ないのです。
カッシー宅のレコーディングルーム
私は、自分の作った曲に「解説」をつけたくない。
ライヴのMCでは「この曲はこんな経緯でできました」とか言いたくない。
そんな解説を語ったり書いたりなさるアーティストの方もいらっしゃいますが、
私はそれを読んでから作品を鑑賞するのが、その枠の中に入って見たり聞いたりしなくてはいけないことに、正直とても束縛を感じます。
自分の自由に観たり聴いたり、読んだりしたい。
作者の意図が「正解」とは思わない。
私は、私の歌は、どうとでも自由に感じて受け止めてほしい。
それが、全然私が作る曲の「出発点」でなかったとしても、それは全く違うかたちでその人に受け止められたのだと思うと、それこそがすごく嬉しい。
…とか言いながら、私はこのたびの「新曲」と、「改定した古い曲」についてこれから書きます。
私が書きたいから書くだけなんです。
以下画像はカッシー宅滞在中に二人で飲んだり食べたりしまくった記録 まずは温かい白子ポン酢とあん肝
これは、私がずーっとずっとお世話になってる大好きなアーティスト、カッシーとの創作の歴史の一端でもあり、
彼との創作の経緯であり、私の生活の中の創作は、自分と切り離すことができない。
出来上がったものは、もう自分を離れて自由に羽ばたいていくものだけど。
…と、大袈裟な前書きを書いてしまった。
ふろふき大根のとろろ昆布かけ レバーとニンニクのコンフィ
このたびのクリスマスに、私はカッシーにレコーディングを2曲、依頼しました。
1曲は、新曲。
内容は、
「私たちはお互い違う時間の上を歩いていくけど、あなたには、私の見えないところでも幸せでいてほしい
私がどんなに汚れても泥だらけになっても…」
とても久々に作った恋の歌のつもり。
しかし…ここまで歌っていいのか、これって恋じゃなくね?
恋ってもっとどろどろしたり、ジェラシーとか独占欲とか悩みとか、それをため込むととってもツライもんじゃない?
…と、ちょっと正直躊躇あった。
TAKAMIの歌はキレイすぎると言われたたこともあった。
TAKAMIさん、ドロドロ、どよどよの失恋の歌つくってくださいよー…と言われたこともあった。
「そうか、うん」と思って、やってみたこともあったけど、
歌を作っていく過程で、詞はだんだん浄化されていって、何を作っても結局清らかに完成してしまうのだ。
まあ、私の歌はこんなだよ…ってことで、よしとするか、、、、
楽天王府 紹興酒と青椒肉絲 おひとり様¥1100で1杯と絶品おつまみ2品 別件で友達と宴やってきたのに飲み足りなかった私
そんな折、ドラマ「JIN-仁-」を久々に観た。たぶん3度め。
きっかけは、このところハマってた「きのう何食べた?」の内野聖陽さんが坂本竜馬役だから…ってことなんだけど。
医療系、タイムスリップ系、幕末系のヤツね。
幕末にタイムスリップした医師の「仁」をそれぞれのかたちで命がけで愛する二人の女性、武家のお嬢さま「咲」と、花魁「野風」。
以前観たときには、私にとってはそこがテーマじゃなかったけど、まさに、仁が未来に帰って、違う時間の中をこれから生きていくそれぞれの運命。
あまりにも無償の愛だ、いや、無償じゃない、自己犠牲だ。自分の創作と重なり激泣きした私。
そうだ、コレでいいのだ、私の恋のうたは。
躊躇は消え去り、確信となった。
キュウリのたたき ネギチャーシュー 味絶品だ! ゼヒ私も挑戦するよ 来年の課題だ!
しかし、カッシーにはこんな蘊蓄は全く関係ない。
「歌詞」は関係ないのだ。ずっと昔から。アプローチが全く別方向からなのだ。
私はカッシーにこの曲を「令和バラードにしたい」と言った。
「令和バラード」とは具体的にどんなものかと言われた。
そういわれてもなー… 私は息子が時折聴かせてくれる曲が、「令和だなあ…」と感じる程度で、それを深く分析なんかしたことがなかった。
そこで、息子にヘルプ!で、令和バラードの音源を送ってくれるよう頼み、息子も協力してくれた。
…とかいろいろあり、カッシー宅初日には、明け方まで、昭和→平成→令和の曲を聴きまくった。
…というより、カッシーが「これでもか!」というほど聴かせてくださいました。
そして、素晴らしかった昭和のヴォーカリストの素晴らしかった曲も聴き、令和の曲とはどういう方向性にあるのか…その方向性もある程度見えてきた。
翌日からラフなアレンジが始まり、私が別件で不在にしている間もカッシーは作業をずっと続けていてくれたり、今回は、年末、クリスマスシーズンということもあり、なかなか2人で一緒にレコーディングに取り組める時間のない中、カッシーはできる限りのことをやって下さいました。
豆腐の一口揚げは調味料が1個ずつに丁寧にまぶされていて、それが仄かな梅の香りで薄味で絶妙 これにも挑戦するよ
2曲めはリニューアル曲。
フラミンゴ初期に作ったもの。
内容は、
「あなたと一緒だったころはあなたしか見えなくてそれが幸せだった
でも、ひとりになった今いろんなものが見える
風の色 雲のうた 囁く木漏れ日たち…」
帰ってきた自分の世界がそれはそれは清らかなのだ。
私はこの歌を「チョイ汚れ系」にしてみたくなった。
帰ってきた自分の世界は、ぬるまったビアジョッキの水滴や、夢に渇く男たちがいて、空気は淀んている
でも、これが本来の私の世界だったんだなあ…
みたいなヤツ。
そのほうがコントラストがくっきりしてていいのでは?
でもやはりこの主人公の心の中はやっぱり清らかだ。
私自身は、全然そんなに清らかじゃないのですけど…
でも、私が求めたり、理想としている世界なのか?
それは私には今もわかりません。
蒸し鶏のサラダ 鶏肉の辛い鍋
カッシーはそんな歌詞にもやはり興味がないので、
「コード進行ももソロもちょいエロ系にしてほしい」とお願いした。
前回レコーディングのときに「引き潮」という曲をギターとのデュオにリニューアルしたんだけど、
それが私もすごく好きだったし、好評だった。
めっちゃ失恋の歌だけど、これもやっぱり清らかで、
「エロ清らか」なところがウケたっぽい。
東京最終日、ゴジラ-1 観にいきました。もうお互い別々に予定があって、絶対無理と思ってたけど、長い付き合いの中で、カッシーと初めて映画にいった
そして歌舞伎町の鰻店「うな鐵」にいきました ビール小瓶もいただきました これから真剣にレコーディングの仕上げなので1本だけ
この2曲が、どんなふうに仕上がっていくのか、
まだまだ「あーだ! こうだ!」 という、カッシーと私の攻防は続いていくのであります。
カッシーはものすごく優しくて思いやりのある人です。上の画像は、私が飲み足りなくて自分用にストロングとカッシー用にハイボールを買って帰った日に、
やおら枝豆を焼いてくれた。
枝豆を焼く?
しかもソレには昆布の極細千切りのようなのが入っていて、なんだかわからないぞと怪しむ私は、お箸でどかしながら食べていた。
カッシーのギターの練習の区切りのいいところで、コレ何?と聞いてみたところ、輪切りの唐辛子だとか。
どかしていたヤツを急いでかき集めて食べました。
しかし、私の感じるところでは、生粋東京ネイティヴ男子はみんな優しいのだ親切なのだ。チャキチャキと機転がきくのだ。
関西系四国系男子とは違うのだ。
それが東京ネイティヴの習性で、TAKAMIに特別…ってことではない。
とはいえ、音楽パートナー知音関係のカッシーと私ならでは…てのもちょっとはあるような気もちょっとはする。
これからも、私としては緊張感を保ちつつ、ずっとこんなお付き合いがしたいと心から願うのであります。
「カッシー好きだよ」「あーどうもね」
最後にカッシーほんとにいつもたくさんありがとうね。
まずは和室の畳をはがすところから。襖も張り替えていただくので、建具屋さんにお預かりいただきます。
ベッドと学習机がなくなったら、ものすごく広いわ~~
そしてこの部屋は、南向きで日当たりもとってもよくて、いちばんいい部屋なのです。
フローリングは明るめの木目調。襖とのクロスは城。天井は木目調のままなので、なんとなく和風感があって
入口には暖簾代わりにこんなハンカチを…
「外面如菩薩 内心如夜叉」(げめんにょぼさつ ないしんにょやしゃ)
片づけをしていると、ハンカチやタオルハンカチが山のように出てきて、全然使ってなくて殆ど忘れ去っているものが殆どだったので、
半分以上処分しました。
残ったものは、アイロンがけをしました。
ハンカチのアイロンがけなんて、普段は全然しません。「パンパン」と伸ばして干すだけ。
中でもこのハンカチは存在すら忘れていて、どなたに頂いたのかさえ覚えていません。
でもいちばん好きで、時々使うだけではもったいないので、このように飾ることにしました。
「女性は、うわべは菩薩のように柔和で美しく見えるけれども、心のなかには、残忍で恐ろしい夜叉のようなところがあるというたとえ。」
…転じて、「ワタクシ、優しい人みたく振舞ってるけど、あなたが一歩ここに足を踏み入れたら夜叉になって喰い尽くしますからね」
ジョークよジョーク。
その1でもご紹介した自室
一間半の押し入れもリニューアル
チェストと小さい本棚はこちらの部屋へ移動。
さあ、次は壁をブチ抜くのだ。
またしてもご無沙汰しております。
実は私、部屋をリフォームしました。リビングと自室の壁をブチ抜き、自室は息子の部屋だった隣の和室へ。
和室はフローリングにして、1間半分の押し入れは、まるごとクローゼットに。
押し入れの上下の仕切り板を一部切り取って、ドレスやワンピも収納できるようにして、衣替えしなくてよい仕様にしました。
ひろーいL字型のLDKになりました。
作業は、大工さん、クロスやさん、電気屋さん、それぞれベテランの職人さんが担当して下さり、手際よく、素晴らしい仕上がりになりました。
でも、その後の片づけがまだ終わってなくて、リフォーム全貌をここに公表することができません。
あと1週間お待ちを…
なにしろ、1人で段ボール箱を3個運んだだけでもう腰痛くて、遅々として進まない。
ですので、今日は別の話題を書きます。
薦田義明先生の「リーダーアーベント ~ドイツ歌曲の夕べ~」のご案内です
薦田先生は、私が高校時代の部活(音楽部)のご指導に時々来て下さっていました。
東京藝術大学声楽科出身で、数々のオペラや、第九、メサイア、レクイエム等のソリストとしてご活躍。
現在は、フラウエンコールという女声合唱団の指揮者でもあられます。
私はフラウエンコールとはご縁があって、数年前から定演のお手伝いをやらせていただいています。
私の役目は、ステージの後ろのスクリーンに、外国語の歌詞の日本語訳を曲の流れに添って流していくこと。
モーツァルト レクイエム(抜粋)を頼まれたのですが、学生時代歌ったこともあるし、懐かしくてお引き受けしました。
そしたら、その後2回、同じ曲の別の「抜粋」もやるハメに、、、
公演近くなると、夜通しエンドレスで曲を流して聴きながら寝たり、
どっぷりと曲に浸れる「非日常感」がよかったなあ、、、
今度は、殆ど知らないドイツ歌曲の世界です。
ドイツ語は「第九」ぐらいしか歌ったことがなく、イタリアオペラばっかりで、ドイツ歌曲は大きく迂回してきました。
そんな私が、薦田先生の「ドイツ歌曲の夕べ」なんて、勤まるワケがないから絶対にお断りするつもりだったのに、
結局いつのまにかやるハメに、、、
でも、資料として本番と同じ曲順のCDを頂いて、譜面を読みながら聴いてみたところ、ものすごく素敵で、すぐに引きずり込まれてしまいました。
歌とピアノのアンサンブルがすごく素敵に映像を織っていきます。
以前コロナ禍中に、先生がご自宅で録音されたというアカペラの日本歌曲集のCDを頂いたこともありましたが、
その時も、先生の選曲は私の好みにとても近くて、私だったとしても同じ曲を選んだだろう…という曲がたくさんありました。
ドイツ歌曲は殆ど通ってって来なかった世界ですが、あまりにも良かったので、日本語の全訳詞も頂いて、聴きこんでいるところ。
本番では、楽譜の付箋の矢印↓に添って次々送っていく作業なので、全訳詞の書き込みがありません。
外国曲をコンサートで歌う場合、プログラムに訳詞を載せて、お客様には読みながら聴いていただく…
そのあたりが一般的だと思います。
薦田先生のように、ステージのスクリーンに歌詞を流す…というのは、私は他には見たことがありません。
それだけ、先生は「歌詞」に深いこだわりを持っていらっしゃるのだと思います。そのところは深く共感しています。
2時間のステージで、先生はご自分の人生の集大成を表現されているのだと感じ、感動しました。
若き日のときめきや恋、そして、人生が深まっていくにつれて、孤独感や苦悩、自分の存在に対する思惟、そして、やがて誰にも訪れる死への思い…
これらを、先生は数多のドイツリートの中から選んで構成されたのだ。
先生のこのリサイタルに対する想いがものすごく伝わってきました。
私もこれから先のライヴ活動、自分の人生のまとめにかかるよ。
「遺作」ともいうべきうたを作る。
ほんとうに、とてもインスパイアされるリサイタルのステージリハでした。
本番まであと3日ですが、まだまだ聴きこみたい。
このリサイタルの…先生の人生の集大成のお手伝いをやらせていただけること、今ではすごく光栄に思います。
薦田先生、素晴らしいリサイタルになるよう、心からお祈りしています。
今日は、男木島で私が超リスペクトしているアーティスト、大岩オスカール氏の作品を鑑賞することができる日なので、めっちゃ行く予定だったのです。
しかし、雨だし、右足外反母趾の関節が痛むし、やめることにしました。
それより、数か月前から、教会で「歌声カフェ」というイベントを月イチでやっていて、
そのための譜面を作らなくてはいけないことのほうがプライオリティ高いぞ…と思って、真面目に譜面を書くことに、、、
「歌声カフェ」とは、主に歌が好きな高齢者が集って、みんなで楽しく歌いましょう…というイベントなのだけど、
ただお茶飲みながら歌うだけでなく、私はまーいわゆる講師のような立場で、少しでもよいコーラスができるようサポートさせていただく…というもの。
1時間で、日本歌曲と讃美歌を毎回1曲ずつ歌います。
初回の日本歌曲は「埴生の宿」を歌いました。
私がいちばん好きな日本歌曲なので、これは絶対にまずやりたかった。
集ってくださった方の殆どは、曲は知ってたけど、こんな歌詞だとは知らなかった…と、すごく喜んで下さり、
その後「ふるさと」や「赤とんぼ」など私の感じるままにサポートさせていただいています。
賛美歌に関しては、私よりもクリスチャン経験の長いかたがたくさんいらっしゃるので、選曲はお任せしていますが、
それでも、やはり「歌は心」ですので、サポートはめっちゃ気合入るし楽しい。
参加のみなさんに、とっても喜んでいただけているのがすごく嬉しい。
毎月少しずつみんなで成長していけたらいいなと思い、重唱や、英語の歌も取り入れることにしました。
さて、今月からは(もう来週)クリスマスの曲を毎月2曲、12月までに6曲のレパートリーを作ります。
クリスマスというと、もう誰でも知ってる華やかな曲が殆どですが、実は私、マイナーな曲も好きなのです。
ですので、6曲中4曲はマイナー(短調)の曲にしたい。
さーやるぞ~~~
ってことで、譜面つくりました。
こんなふうに教会のクワイヤーやワーシップチームの為にどんだけアレンジをしてきただろう、
いや、それだけじゃないよ。自分のバンドもそうだし、、、
演奏する人のこと思いながらいつも作ってきたなあ、、、
だから、メンバーが変われば使えないとか、やり直す…とかもあった。でも全然負担も感じなくて楽しかった。
いつも演奏してくれる人のことを思いながら譜面を書くのは本当に楽しい。
今私がやっているのは、対象は歌の好きな高齢者。
この方たちに本当に楽しんでいただける時間を作るために…
だから、クリスマスソングも重唱はすごくシンプル。だけど相手のパートを把握してお互いに聴きながらハモる喜びを味わってほしい。
男木島には、今週末にゼヒいきたい。
それまでに、「引越し」の準備、各種検診終わらせなくては、、、
もう9月。
1か月以上ブログを放り出してしまいました、、、
エレベーターで住人さんと一緒になったら、「いつまでも暑いですねー」などとあいさつされるので、
一応私も「ホント暑いですよねー-」などとご挨拶するのだけど、
私の中では、空も風も、すっかり秋。
まあ、今日は近況報告も兼ねた雑記ですけど、すごくふっか~~く「ときめき」について語り合った。
まずはそちらから。
コールセンター時代のお友達楓ちゃん(仮名)と1年ぶりで会った。
(その昔にも、クラブ活動時代のおともだちで楓ちゃん仮名…という人がいましたが、別人です。)
それも、同じくコールセンター時代のお友達ミホコちゃんがランチ営業している「わ」というレストランで。
2人ともアーティスト魂で生きている人たちなので、ものすごく嬉し楽しかった。
楓ちゃんは「書」。
ミホコちゃんはギター&ヴォーカル。
ランチタイムには普通アルコールなしなんだけど…特別にオーダーすることができたこのビール、めっちゃ爽やかで美味しい!
スタミナ丼のランチ。私にとっては、超少な目にしてもらったけど、お持ち帰りさせていただき、これが1日分となりました
楓ちゃんは、数年前から書を習っていて、しかも自由に書くことを大事にして下さる先生のようで、
お店で約束の時間の前に、中央公園で「公園書道」とやらをやってきたそうだ。
公園のベンチに腰掛けて、目についたものを自由に書くというもの。
しかも、硯も墨もめっちゃミニチュアで、コースターのサイズのまるい紙に書くのだ、、、
「樹」「鶺鴒(せきれい)」「蟻」「風」…など。
ランチタイムじゃないし、人通りも少ないし、これほどミニチュアだと、何やってるか道行く人にはわからないから、見学にくる人もいない。
この小さな赤い蓋の入れ物がお弁当などの醤油入れ。めっちゃ小さいのおわかりでしょう?
いいなあ~~~~そういう時間。
私もテアトロンのステージなら、ほぼ1人でも歌うけど、中央公園ではちょっとなー--
ランチセッションは何回もやったよね。楽しかったね~~~
またそろそろやりたいな。クォリティを追求するランチセッション♪
音楽は2人以上がいいなあ。アンサンブルが。
さて。その楓ちゃんと語りまくったメインの話題は、心ときめく人のこと。
ご家族もいらっしゃる楓ちゃんですが、特に「字」のこだわりについて、それ以外でも、ものすごく、語れば響く人と出会って、
それがすごく彼女の日常生活の活性化になって、素晴らしい時間だった…という話。
でもそれは終わってしまった。諸事情により、もうその人と気軽に会えることはほぼない。
場所を変えて、さらにハイボールを飲みつつ語りまくる
「え~~なんで、連絡先交換しなかったの!?!」
…と言いたくなるし、私としてはめっちゃもどかしいぞ…と思うけど、
じゃあ、これから時々お茶する関係が続いていくのもどぉよ…という気もする。
この、楓ちゃんのときめく人とは、深ー--い地下水脈で繋がっているのだ。時々お茶するペラい関係じゃないのだ。…と思う。
「恋」とは全然違うのもすごくわかる。
きっといつかまた出会いなおすことがあるような気がする。うん、きっと。
私は?
これからどんなうたを作っていくのか、ずっと模索中なんですけど、、、
たぶんもうあと少しだな。
さて。
閑話休題。ここからは雑記。
最近、無職が続いているので、いろんなドラマを心ゆくまで観てます。
こんかいは「別班」がダントツ…というか、それのみ!って感じであとは全然興味なしでした。
でっ、前のドラマで私がすごく好きだったのは
「きのう何食べた?」 これはストーリーも最高!
それから「晩酌の流儀」 栗山千明の飲みっぷり食べっぷりが豪快すぎて、めっちゃ気持ちいい。
私、この女優、能面のようにどのドラマでも同じ表情で全然好きになれなかった人だったのに、ここまでやるとは!
もう、イッキに惚れました。
でっ、両ドラマとも作るとき「大匙小匙」とか出てこなくて、大雑把で、手順がすぅ~~っと頭に入って、すごくいいのだ。
(きのう何食べた?は、お菓子のときはきちんと大匙小匙の細かい軽量もあり)
「ミステリーという勿れ」を見ていると、どうしたってカレーが作りたくなる
これ、久々に作ったお鍋いっぱいのカレー めっちゃウマし やっぱレトルトとは全然違う!
でっ。
こういうの観てると、やっぱ、作りたくなるってもんよ。
鍋いっぱいのカレーとかシチューとか、、、
「きのう何食べた?」のチキンのトマト煮は2回作った
でもまだ、ドラマのレシピである仕上げにチーズを入れてないので、3回目作る
1日で食べ切れる分だけ買うという方針でやってたのだけど、、
ヒレカツとか、揚げ物系は食べ切れる分だけ買えるし、付け合わせのキャベツやサラダはパックで買える。
でもやっぱり、鍋いっぱいが作りたくなる~~~~
見た目はイマイチだけど、鍋翌日の雑炊 最近、鍋にカボチャスライスを投入しているのでほんのりカボチャの甘みで、いい感じ
ちょっと遡るけど、火鍋
さてどうする。私のときめき、、、、
みっちゃんが帰省しています。
「みっちゃん」とは高校の同級生だったけど、当時は全く話したことがなく、ここ数年で急速に仲良くなった男子。
なんで急速に仲良くなったのかは、まあいろいろ理由があるけど、大雑把には「瀬戸芸」や、撮影や録画…などかなあ、、、「趣味が合う」だな。
前回瀬戸芸からは、かなり濃くご一緒させていただいていたのです。
一緒には行動しなくても、濃く情報提供してもらったり。
今回の帰省にあたって、また遊ぼう…ってことになって、みっちゃんは「めおん」(女木=めぎ島、男木=おぎ島行きのフェリー)に乗ったことがないというので、
そりゃー早く乗らないとね!ってことで、今回は、男木→女木 周遊ツアーとしました。
お互い、瀬戸芸会期に両島には行きまくっています。特に私は初回から毎回、それ以外にも、、、
ですので、みっちゃんは、「めおん」の録画 私は海に浸かることがまずは優先順位№1
第2は、みっちゃんに女木島で「HAKOBUNE」の「鬼の畠バーガー」を食べてもらいたかった。ってか、私も食べたかった!!
…ってことで、8:00出航の「めおん」に乗船。
以前にも書いたけど、この船のデザイン、発表されたときには、不評な意見がかなり多かったのです。
「ふざけとる!」という感じ?
私はヒソカに「えんちゃ~~ん」(いいじゃない)と思ったんだけど、あまりの不評の嵐の渦中言えなかったなあ。
でも、瀬戸内海に浮かんだ新生「めおん」 いいじゃんと思った私の予想をも遥かに超えて、青い、時には銀色に輝く絨毯のような瀬戸内海を悠々と走る姿は、
なんだかすごい透明感があって、生きてるようです。
四国本土から少し離れただけで、もう非日常の世界!
高松港からの女木は目の前 歩いて行ける 泳いではムリ、、
まず男木に上陸。
「男木島の魂」瀬戸芸初回2010から男木港のシンボルとなっている
でも男木島は昔からこんな島
島の最先端の灯台まで遠足しようという案もあったのだ。
朝5時に起きたら、めっちゃ曇りだ、これなら遠足イケるかも…と思ったら、数十分でどんどん晴れてきた。
てゆか、曇りだから、海に浸かる…は却下だなと、準備はナシねと、のんびりしていたのであった。
この猛暑日、島に行くのに海に浸からないでどうする!? …ってことで、私は、みっちゃんに「海に浸かりたい表明」をしてました。
海に浸かるには、それなりの準備が必要。
SYOさんと全く違い、みっちゃんは一般男子??ですから。
しかしみっちゃんも、私が過激に水着とかで海水浴をするのかと思ったんだかなんだか、「俺は浸かっても足のみ」とか「ゆるゆるでお願いします…」というのだ。
私だって、一般男子みっちゃんに気を使わせたりご迷惑をかけないよう、ちゃんと着替えとかぬかりない準備をしますよ。
「一緒に海に浸かろうよ~~気持ちいいよ~~」とか、押し付けないよ。
結局男木灯台までの遠足は猛暑のため却下。瀬戸芸オブジェの「方舟」周辺を散歩しました。
みっちゃんの目標の捉え方はすごく的確で、すてきで、私も同じカンジでやってるつもりだけど、なかなか追いつかないな。
撮影みっちゃん
撮影みっちゃん
男木を軽く散歩してから、「女木」へ。
下船したら一路「HAKOBUNE」へ!
そのまえに、女木港のシンボルは{禿鷹墳上」
会期外なので、帆は張ってなかったけど、ピアノはメロディーを奏でていた
「HAKOBUNE」
撮影みっちゃん
冒頭にもアップした「鬼の畠バーガー」
あまりにも好きすぎて、いろんな人に紹介したい。
「めおん」に乗って女木島行くなら、できれば海に浸かりたい!
まーみっちゃんは、最初はナゼそんなにこだわる!?と思ったようだけど、まー過激系じゃなければ…って感じ??
そして、ここで、みっちゃんにはビールとか飲んでめっちゃくつろいでもらってる間に、私は海に浸かりにいくのでありました、、、、
でっ、海に浸かりました。
も~~~幸せでたまりません。
この日は、風が強く、海も波が瀬戸内海にしては強く、次々やって来る波に身を任せるのが気持ちよくてたまりませんでした。
この日でよかった!!
みっちゃんには、自宅のフロに入るぐらいの時間をくつろいで待ってていただきました。
着替えはバリアフリートイレでできたし、、、。
楽しかったなあ…
あと1回ぐらい、海に浸かりたいなー-
昨日SOUND2のLIVEが無事おわりました。
ミュージシャンとお客様との、とてもいい時間であったと思います。
久々に「配信」ではなく、ここにいらして下さったお客様との濃い時間。
とても満たされました。
そして、サポートして下さったインスト(楽器)の方たちも本当に頼もしく、よかった…よかった!
いろいろ具体的に書きたいことはあるのです…が、もう私は次のことを考えています。
これからも当然、うたは作ります。
しかしどんな歌???
これまで私は恋の歌を作りまくってきたし、昨日も歌いまくったよ。
たとえば「恋のかけら」
超絶失恋でひからびまくっている私の心に突然「恋のかけら」が飛び込んできた。
かけらは歌ったり踊ったりしながら私をくすぐったりからかったりする。
そのせいで、あなたのことが好きになりそうでざわめきまくる。
私、あなたのこと、好きになってもいいの?
かけらは「大丈夫、明日だけを見てね 振り返らないで」と囁く…
こんな歌。今つくれるかなあー--こんな歌。
でも歌ってるときは、その主人公になりきりまくるんだよね。
でも、あるときある人にTAKAMIの歌はキレイすぎると言われたこともあった。
また、とあるLIVEで、「こんなの、どう?」と提案していただいた歌はチョイ汚れ系で、歌詞の意味はよくわかんないけど、チョイ魅力的だった。
あー私もこんな「チョイ汚れ系」つくってみたいなあ…
これからはチョイ汚れ系に向かうのか、、、
しかし、数か月前に私は「雲たちの時間」という恋のうた(のつもり)を作った。
フツー恋って、お互いに愛し合いつつも縛りあい、独占したかったり嫉妬したりするものだろう…
しかし、この歌は、「あなたが好き」を連呼しながら、そーゆうのが全然なくて、あなたの自由に生きてほしい…という歌。
人間愛、人類愛…の世界観か、、、
でも私、ひとりの愛する人にそんな思いを持てなくて、人間愛とか人類愛とか言えるんか!?とも感じる。
もぉ、これ、私の遺作!?とまで感じる。
これはチョイ汚れ系とは全然ちゃうぞ。
私にチョイ汚れ系の歌はつくれるのか!?
実は私、うたを作りながら、歌詞を書きながら、自分が浄化されていく感あります。
ホントは汚れている私も、作りながら浄化されていくんだよ~~~~~ん。
だから、私の歌はキレイすぎると言われるのでは、、、
でっ、私はこれからどこに向かっていくのか全くわかりません。
でも作る、とりあえず作る。
これからも応援してください。
父の日。午後から教会で「歌声カフェ」というのを催しました。
コロナ禍になるまでは、毎年恒例でSYOさんをリーダーとするJAZZのメンバーで「父の日LIVE」やってました。
私もヴォーカルとして参加させていただいていましたが、あまりにも毎回私ではお客様が飽きるだろうということで、
時々お休みさせていただいてましたけど。
そのうち、コロナ禍に突入し、SYOさんも天国に帰って、今回は、教会始まって初めての「歌声カフェ」を催すことに。
奏楽者3名のうち1名司会、1名キーボード 私は、歌唱指導を申し付かりました。責任重大。
とにかく前例がなく、どうやって進めるんだ、、、
冒頭の画像は、「歌声カフェ」のダイニング。SYOさんとの誓約式の後、内輪だけでささやかなパーティーやったときのもの。
趣旨は、「父の日コンサート」と同じ。
教会員以外の、近隣の一般の人たちに気軽に来てほしい。
ターゲットは主に歌の好きな高齢者。
礼拝堂は3F部分なので、1Fのダイニングスペースでやります。人数は10~20人程度。これで、年いちど「父の日」じゃなくて、毎月となります。
とりあえず今回は、1曲は、日本歌曲を部分練習などしながら仕上げて、その後カフェタイム、2曲目にはさらっと讃美歌を歌う。
…という流れでやってみました。
歌は、「埴生の宿」と「いつくしみ深き」
「歌声カフェ」をやるというなら、私としてはまずは「埴生の宿」をやってみたかった。
みなさんに、とても喜んでいただけました。すごく嬉しい。
曲は知ってるけど歌詞を知らない方が殆どで(これ、狙ってました)一行ずつ丁寧にご説明し、味わいながら歌っていただきました。
メロディーは知ってたけど、こんな素敵な歌詞だったとは知らなかった…
と、みなさん仰って下さいました。
でしょーでしょー。私はこの歌が我が人生で一番好きなのです。
歌詞の意味をみなさんに説明しているだけで胸がつまって涙ぐむほどです。いつもそう。
途中で発声練習も少しだけやりました。
それは、この曲の高音域を気持ちよく出すための、ほんの少しのサポート。
「まず発声練習から」というのも本意ではないのです。合唱団じゃないんだから。
そして、仕上げのときには、みなさん、本当に気持ちよく高らかに歌っていらっしゃいました。
カフェタイムには、初めてということで「他己」紹介の時間もあり、隣の方を紹介するというもの。
でっ、最後に私に回ってきて、お隣の方にご紹介いただいたあと、牧師先生から、「何か、他には…」と言われ、
「SYO Michael の妻です…コロナ禍中の入籍、当教会への転籍…いきなり「やもめ」となってしまったので、みなさんマスクで、お顔と名前が全然覚えられません、ごめんなさい…」
みたいなこと申しました。
それをきっかけにSYOさんの思い出話なども始まって、私にとっては、ものすごく久しぶりに、SYOさんのお話が聞けて、すごく楽しかった。
私もSYOさんが召されたときの様子を会が終ったあとで、雑談でお話させていただきました。
SYOさんの召天は、あまりに突然すぎて、みなさんきっと私にこの件については遠慮されていたのだと思います。
画像はすべて2019最後の「父の日コンサート」
SYOさんは奏楽者としても偉大だった、、、、
これからは、引き継いだ3人の奏楽者で、派手なことはできないけれど、歌の好きな一般の高齢者の皆さまに、
ものすごく楽しくて充実したと思っていただけるような音楽のイベントを企画していこうと思います。
きっと「歌声カフェ」もどんどん進化していくと思います。