今年に入ってから、なるべく毎日ピアノを弾く時間を確保しようとしてますが、、、
まあ、弾けない日もありますが、結構ホドホドに、ちゃんとやってます(^_^;)
練習してるのは自分の曲です(^_^;)
あまりにも長い間弾いていない曲もあったりで、
なんと、譜読みから!っていうようなのもあったりします(^_^;)
Takが生まれてから、ピアノ&ヴォーカルを返上して、ピアノはまゆこちゃんに託してしまったので、ピアニストまゆこちゃん用に、自分で弾いていたよりうんと難しくアレンジし直してあるので、それを練習するのです…とほほほ、、、
でも、自分で改めて弾いていると、「やっぱりこの音は要らない」とか「こっちのほうが自然」とか、少しずつ変化していきます。イントロやエンディングも少しずつ変わっていくと思います。
これがピアノ&ヴォーカルの素敵なところなんだな…
そして、やっぱり私は、ピアノと一体となって「TAKAMI」であるべきなのだ。
もう逃げません…今さらなんですけど(^_^;)
練習のかたわら、即興でいろいろ音をつくってみたりもしていますが、
だんだん勘がもどってきたというか、こちらもとってもイイ感じ。
でも「おおおぉぉ~~イイ感じ」と思っても、2度と弾けないのよ。
次のフレーズが出てきたら、忘れちゃうのよ。
いちいちMDをセットして録音しながらってのもめんどくさいしなーー
いやいや、でもコレ、やろうっと。
手元ですぐにスイッチオンにできるようにセットすればいいだけのことよね。
…いろんな音が聞こえます。
今日はものすごい風。ハードです、、
窓の隙間がぴゅうぴゅういっている。
西のベランダに出してある年末年始のゴミ(缶、瓶、ペットボトル)の袋が倒れて、
ベランダをからからと音をたてて中身が転がっています。
足元には、電気ストーヴのスチームがぐつぐつ…と沸騰している…
思わず浸ってしまう…
昔読んだ武満徹氏(作曲家)の本に、囲炉裏でお鍋がコトコト音をたて、外では子供の声や車の音が聞こえる、そんな中で尺八の演奏を聴いたという話がありました。
しわぶきひとつ排除する西洋音楽のコンサートに対して、この時の尺八は、周囲の音と融合して、それで完成していた…というように、私の中では記憶されてます。
確か「
音 沈黙とはかりあえるほどに」だったかなあ…(違うかも)
私は、武満徹氏の音楽も好きでしたが、著書にも惹かれるものがあって、一時、ハマりまくりました。
尺八のこの場面は、演奏者と聞き手が1対1なのでした。
生活の中の音楽、生活の中のコンサート…
私が向かおうとしているところと近いかも。
先だって、私の大好きな空魚さんに「あなたは、誰に何を表現したいの?」
と、尋ねられました。
私は、自分なりに、答えを見つけているつもりだったけれど、改めてのこの「問い」は、ずうん…と心の奥に落ちていきました。
「正解」というのはないと思う。
でも、「そうだ、コレだよ」といったん気づいて1段階段を昇ったら、そこで「私は答えを持っている」と、安心して、以後、たくさんの「ヒント」を見逃してしまっているかもしれないし。
ヒントといえば、昨年夏の
「真夜中のお茶会」のとき、まりさんがこんなことを語ってくれました。
>アメリカに住んでいる頃、仕事やプライベートで、かなりメジャーなアーティストとの出会いがいくつかあった。
彼らは優れた方々だし、不特定多数に向かって発信して、じゅうぶんな対価も得ている。
その彼らが例外なく言うことは、
「自分の発信しているもの、伝えたいことを、そのまま受け入れてくれる、本当にわかってくれる人がほんの数人いれば、それでいい。」
この人たちは、これからどこに向かっていくんだろう…
今はこれ以上考えてもダメです。
とにかく、私は今年はほぼ毎日自分の曲を弾くぞってことです、、、