まずは、私は、今年9月に洗礼を受け、「クリスチャン」となりましたが、ブログのカテゴリーは「求道者ドキュメント」のままにしておきます。
洗礼を受けたとたん、身も心もすっかりプロテスタントの信者…というわけにはいかず、
これからも「求道」は続いていくし、「聖書」や礼拝のときの牧師先生のお話も、エラソげにクリスチャンとしての立場から語れませんし、そうしたくもありません。
私はこれまで、いろんな宗教の信者さんが自分の言葉で語らず、経典などの引用や受け売りをして私を熱心に勧誘したり、一生懸命訴えてこられたことに、申し訳ないけど
何の感動も心の揺らぎも起こりませんでした。
そのことを身を持って体験しているので、私は、「求道者ドキュメント??」を、キリスト教のススメのように書くつもりは全くありません。
ただ、やはり、日常の中では、教会関係のことに係る時間が少し増えたし、その中でいろんなことを感じながら日々を過ごしています。
私が個人的に自から進んで信じる神さまのことや、いろんな感動や疑問や感じたこと…などなどを、これまでどおり自分の言葉で書かせていただきます。
私が洗礼を受けたということで、周囲の方から「私を勧誘しないで」「これまでどおりのブログでやっていってほしい」などのメールを頂いたり、直接伺ったりもしましたが、
私は今後もこのようなスタンスでブログを書いていきたいと思っております。ご理解いただければ嬉しく思います。(以上、長い前置きごめんなさい)
..............................................................................................................................................................................................................................................................................................
私のところには、4人の外国人のクリスチャンの子供がレッスンにきています。
4人ともピアノとヴォーカルを習っていて、ヴォーカルは、発声練習や、ソルフェージュの他は、賛美歌を歌っています。
賛美歌といっても、黒い革表紙の賛美歌の本にあるようなイメージのトラディショナルなものだけでなく、
コンテンポラリーな賛美の歌というのがたくさんあるのです。
彼女たちは、英語でうたいます。
英語てうたうと、なんだか、「Jesus」という言葉がすごく身近で、親しみをもって歌われている感じがします。
「Jesus Loves Me」
という曲があるけど、これの日本語訳は
「主我を愛す」だもんね(^_^;)
Jesus loves me! This I know,
For the Bible tells me so.
Little ones to Him belong;
They are weak, but He is strong.
Chorus:
Yes, Jesus loves me! Yes, Jesus loves me!
Yes, Jesus loves me! The Bible tells me so.
主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ
わが主イェス わが主イェス
わが主イェス われを愛す
彼女たちがうたう「Jesus」は、J-Pop の歌詞の「あなた」や「君」と同じくらい親しみがこめられているように感じるし、
「天のお父様」(クリスチャンはお祈りのときによくこの表現をします)というよりも、なんだか大好きな恋人のようです。
子供の頃から、こうして神さまを身近に…というか、親しく感じて、神さまの愛に浸りきって成長していくって、なんだか羨ましく感じます。
聖書も英訳と、日本語訳では、なんとなく全体を通して、ニュアンスが違うのではないだろうかと思ってしまう今日この頃…
昨日は、9歳と13歳、2人の女の子のレッスンでした。
一緒に来て一緒に帰るので、レッスンの途中、いろんな雑談もします。
モーツァルトの曲のときは、人間モーツァルトの話題になり、結構ブッとんだ人だったようだよ…とか、ある日、黒装束の死神がモーツァルトに、「レクイエムを書け」といってやってきた(有名な逸話)…などと、コワ~イお話になるのよ。
ベートーベンの「エリーゼのために」にも、どうやら、コワイお話があるらしい(^_^;)
この年頃の女の子って、そーゆうのが好きだよね~~それは世界共通!?
でも、「レクイエム」を彼女たちが知らないのは、意外でした。
「レクイエム」とはそもそもカトリックの鎮魂ミサ曲なのであります…ので、プロテスタントの彼女たちには関係ないのだなーナルホド…
昨日も、マヤ暦がおわった次の日ということで、2人の女の子のレッスンの間、世界滅亡の話?で盛り上がりましたわ(^_^;)
マヤの遺跡の周りに集まる人たちや、山の頂上で祈る人たち… You Tube で、いろんな動画に惑わされることなく、でも興味津々楽しく鑑賞していた模様…
「21日に世界が終わるっていってたけど、今日は12月22日!」
…と、彼女たちは、私にもわかるように、日本語で楽しそうにお喋りしてくれました。
世界の終わりの日を特定する預言というのはあり得ないとのことで(これは、洗礼前のお勉強のときに教わった)
どんな優秀な民族も、カリスマ指導者も、預言者も、神さまから「終わりの日」を前もって知らされるなんてことはあり得ない…と、
彼女たちは、子供の頃からそれを刷りこまれてきたんだろうな。
篠崎正喜画伯がブログに次のように書いていらっしゃいました。
「今日は冬至でマヤ暦の単位5126年最後の日。世界各地に地球滅亡を信じた人がいたようだ。
しかし、マヤの末裔には大晦日から新年のめでたい日だった。明日からは次の5126年の新年が始まる。
私はマヤ暦の貴重な新年を祝い、松飾りを飾った。」
うん、そうだ。これが私の感覚にはいちばん近いものだ。
日本に暮らす、外国人のクリスチャンのご家庭で、松飾は飾るのだろうか?
いやそもそも、日本人のクリスチャンはどうなんだろう??
私は、飾ります。お正月だから、神社にも行くし、日本のお正月の風俗習慣は、大切にしたいと思います。
「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」
「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない」
聖書の中で、「神」は、他の神々を拝む民族を容赦なく滅ぼしたり制裁を加えたりしている。
「そこまでしなくても…」と実は思いながらも読んでいるのでありますが、
「十戒」とはやはり、とても興味深いのです。
この10の戒律は、きっと優先順位も順番どおりなのだとおもいますが、
「世界を創造した神」が唯一の神であり、自分の都合でご利益を求め、神を勝手に作るなと言っている。
これが第1番目と2番目の戒律の意味かと…
日本には、「たくさんの神々」が祀られていますが、本当にそこの場所特定に神さまがいるわけじゃないし、
寺社に詣でて手を合わせるとき、その人の心に「神さま」「仏様」が顕れる…のだとしたら、その神さまに、感謝と礼拝を捧げればよいのでは…と思うのであります。
慌しい年末、今年もあと1週間となってしまって、開き直りのTAKAMIですが、
慌しさの中でいろんなことを感じ、書きたいことだらけ!
Takが「受験塾」の冬期講習に行き始めたこと
今年のクリスマスプレゼントのこと
今日のクリスマス礼拝の、牧師先生のお話のこと
年末の「スーパー」について…などなど
全く…毎年慌しいけど、良い年末です。
今日のクリスマス礼拝のときに、教会の方に、大量にお野菜をいただいたので、
これから大鍋いっぱい、ポトフを仕込みます。
それから、年賀状製作。まずはSYOさんの分、私のは明日の予定。がんばらねば!!