現在、瀬戸芸・直島「家プロジェクト編」気合を入れて執筆中なのですが、
発表会前のため、雑多なことたくさんあり、なかなか進みません。
そのあとには女木島再訪編もあるのです。
必ず仕上げる所存でありますので、気長にお待ちを、、、
昨日は、生徒さんたちの発表会のコーラスのリハーサルしてきました。
「365日の紙飛行機」を合唱します。
事前に淳子先生から参考音源とカラオケのCDをいただいて聴くまで、私はこの曲を知りませんでした。
そして、「が」の衝撃!( ̄□ ̄;)!!
AKBの子たちは、「が」を鼻濁音で歌っていない!!
今日という1日が
笑顔でいられるように そっとおねがいした
ねがいのせて 飛んでゆくよ…
とにかく、すべて「が」が鼻濁音になってなくて、違和感ありまくりました。
最近のJ-POPでは、ヒップホップのような曲も多く、
「…して shite → shte こう発音すると、2音節が1音節で済みます。
「…しなくて」 shinaukte → shnakte こう発音すると、4音節が2音節になります。
このように、母音を省略して、母音と子音で1音という日本語の原則が崩れていることが多くあります。
そのほうが、英語っぽくて、リズミカルでかっこいい。
鼻濁音ではなく「が」も「g」の子音を強調するほうがリズムがよりいっそう強調されます。
歌の「歌詞」よりも「リズム」最重視。
Hip hop は本来そんな音楽なのでは。
私も自分の作る歌のなかに、この方法は、昔からかなり取り入れていましたが、
最近は、hip hop や ボカロなどのテンポのとても速い曲のメジャー進出で、かなり氾濫してます。
私も、こういう曲はかっこいいなと思うし、この場合、日本語の原則が壊れていることや、子音の「が」が強調されていることにもあまり違和感ありません。
さらに、創作者の若い感性の中に哲学を感じたりも。
そんなことで、だんだん鼻濁音はどうでもよくなっていったのではと思います。
しかし、これがJ-popの最先端というのなら、もっともっと、韻を踏んだり、研究重ねて、日本語でもこんなカッコよく美しい曲ができるんだっていうところにいかないと!
今でもかなりいい線いってるとは思うのですが。
一方、私は、子どもの頃から学校の合唱団に入って、日本語の歌詞を美しく歌うため、「鼻濁音」は絶対でした。
今でも、クワイヤーのサポートなどの時には、賛美歌の「鼻濁音」は、しつこく、きちんと歌っていただくようお願いしています。
「365日の紙飛行機」だって、これ、同声2部合唱で、美しいピアノと相まって流れる美しいメロディーなのに、、、、
オリジナルのCDが鼻濁音やってないので、私は生徒さんたちになんの指摘もしませんでした。
…ってかできないよ。オリジナルがやってないんだから。
…こうして、歌の中の日本語も変化していくのだなあ…と、今更ですが、衝撃を感じました。
しかし、古典的な賛美歌や、日本歌曲、童謡などは、ぜひとも鼻濁音を用いていただきたいです。
ちゃんと音楽のジャンルを理解して、両方を使い分けるようにしたいものです。
美しい賛美歌の中にたくさん出てくる「主が」なんていうのを「主が」とやられるのは大変心が痛みます。
何度も書いているので恐縮ですが、言葉は生き物で、どんどん変わっていくのも楽しくて私は好きなのです。
「ヤバくね?」「ヤバいっしょ」「やっべー」
…の「ヤバイ」自体の意味が真逆に変化していってるところなんか、すごく生きた言葉の変態を目の当たりにしているようで、楽しいのです。
プライベートでは、めっちゃ新造語、使いまくってます。
美しい日本語保存委員会のみなさま、ごめんなさいm(_ _)m
とはいえ、私は電話オペレーターでもありますので、
「よろしかったでしょうか」
「…のほう」「…のかたち」「…になっております」
「仰られる」「お伺いさせていただきます」のような二重三重敬語、
「資料は届いていらっしゃいますでしょうか」と、モノに敬語を使う
これら、絶対に言いたくありません。自分自身に許せません。
パブリックはパブリックなのです。
ところが、若い優秀なオペレーターでも、平気で何の疑問もなく、これら、業務で、お客さまに言っています。
だからといって業務に差し支え、全くないし、、、
敬語はこれからどこへ向かっていくのやら~~~~???
美しい日本語と、変化、変態していく日本語。
美しい歌の歌詞と、変化、変態していく日本語の歌詞…
私としては、まもるところはキッチリと護り、そして、変化も柔軟に受け入れる…という態勢でいきたいなあ、、、、
いかがでしょうか、みなさま?
それから、私、方言も大好きで、讃岐弁にはただならぬ愛着もあります。
讃岐弁には「鼻濁音」というのがありません。
それはそれ。
讃岐弁で歌う「うどんデート」は、鼻濁音は用いません。