WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

「が」の衝撃

2016-09-26 | アーティスト魂





現在、瀬戸芸・直島「家プロジェクト編」気合を入れて執筆中なのですが、
発表会前のため、雑多なことたくさんあり、なかなか進みません。
そのあとには女木島再訪編もあるのです。

必ず仕上げる所存でありますので、気長にお待ちを、、、


昨日は、生徒さんたちの発表会のコーラスのリハーサルしてきました。

「365日の紙飛行機」を合唱します。

事前に淳子先生から参考音源とカラオケのCDをいただいて聴くまで、私はこの曲を知りませんでした。
そして、「が」の衝撃!( ̄□ ̄;)!!

AKBの子たちは、「が」を鼻濁音で歌っていない!!

今日という1日
笑顔でいられるように そっとおねいした

いのせて 飛んでゆくよ…


とにかく、すべて「が」が鼻濁音になってなくて、違和感ありまくりました。

最近のJ-POPでは、ヒップホップのような曲も多く、

「…して shite → shte  こう発音すると、2音節が1音節で済みます。
「…しなくて」 shinaukte → shnakte  こう発音すると、4音節が2音節になります。

このように、母音を省略して、母音と子音で1音という日本語の原則が崩れていることが多くあります。
そのほうが、英語っぽくて、リズミカルでかっこいい。
鼻濁音ではなく「が」も「g」の子音を強調するほうがリズムがよりいっそう強調されます。
歌の「歌詞」よりも「リズム」最重視。
Hip hop は本来そんな音楽なのでは。

私も自分の作る歌のなかに、この方法は、昔からかなり取り入れていましたが、
最近は、hip hop や ボカロなどのテンポのとても速い曲のメジャー進出で、かなり氾濫してます。
私も、こういう曲はかっこいいなと思うし、この場合、日本語の原則が壊れていることや、子音の「が」が強調されていることにもあまり違和感ありません。
さらに、創作者の若い感性の中に哲学を感じたりも。

そんなことで、だんだん鼻濁音はどうでもよくなっていったのではと思います。

しかし、これがJ-popの最先端というのなら、もっともっと、韻を踏んだり、研究重ねて、日本語でもこんなカッコよく美しい曲ができるんだっていうところにいかないと!
今でもかなりいい線いってるとは思うのですが。

一方、私は、子どもの頃から学校の合唱団に入って、日本語の歌詞を美しく歌うため、「鼻濁音」は絶対でした。
今でも、クワイヤーのサポートなどの時には、賛美歌の「鼻濁音」は、しつこく、きちんと歌っていただくようお願いしています。

「365日の紙飛行機」だって、これ、同声2部合唱で、美しいピアノと相まって流れる美しいメロディーなのに、、、、
オリジナルのCDが鼻濁音やってないので、私は生徒さんたちになんの指摘もしませんでした。
…ってかできないよ。オリジナルがやってないんだから。

…こうして、歌の中の日本語も変化していくのだなあ…と、今更ですが、衝撃を感じました。



しかし、古典的な賛美歌や、日本歌曲、童謡などは、ぜひとも鼻濁音を用いていただきたいです。
ちゃんと音楽のジャンルを理解して、両方を使い分けるようにしたいものです。

美しい賛美歌の中にたくさん出てくる「主が」なんていうのを「主」とやられるのは大変心が痛みます。


何度も書いているので恐縮ですが、言葉は生き物で、どんどん変わっていくのも楽しくて私は好きなのです。
「ヤバくね?」「ヤバいっしょ」「やっべー」
…の「ヤバイ」自体の意味が真逆に変化していってるところなんか、すごく生きた言葉の変態を目の当たりにしているようで、楽しいのです。
プライベートでは、めっちゃ新造語、使いまくってます。
美しい日本語保存委員会のみなさま、ごめんなさいm(_ _)m


とはいえ、私は電話オペレーターでもありますので、
「よろしかったでしょうか」
「…のほう」「…のかたち」「…になっております」
「仰られる」「お伺いさせていただきます」のような二重三重敬語、
「資料は届いていらっしゃいますでしょうか」と、モノに敬語を使う
これら、絶対に言いたくありません。自分自身に許せません。
パブリックはパブリックなのです。
ところが、若い優秀なオペレーターでも、平気で何の疑問もなく、これら、業務で、お客さまに言っています。
だからといって業務に差し支え、全くないし、、、
敬語はこれからどこへ向かっていくのやら~~~~???


美しい日本語と、変化、変態していく日本語。
美しい歌の歌詞と、変化、変態していく日本語の歌詞…


私としては、まもるところはキッチリと護り、そして、変化も柔軟に受け入れる…という態勢でいきたいなあ、、、、

いかがでしょうか、みなさま?














それから、私、方言も大好きで、讃岐弁にはただならぬ愛着もあります。
讃岐弁には「鼻濁音」というのがありません。
それはそれ。
讃岐弁で歌う「うどんデート」は、鼻濁音は用いません。


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瀬戸芸2016 直島 「ベネッセハウスミュージアム」 「地中美術館」

2016-09-15 | 瀬戸内国際芸術祭



8月18日 瀬戸芸 直島。(いまさら、、、)



3回目にして初めて踏み入りました。前回、前々回は、豊島にいくときの乗り換えのみ。

2010、2013と、直島は瀬戸芸の本拠地ともいえる島であり、とても賑わって混雑してスゴイことになっているとの話を聞いていたので、パスしていました。
やっと…の直島です。

今回は息子Takも一緒。

酷暑の中、行って参りました~~~!!
もうかなり涼しくなった今、あまり臨場感のない投稿となってしまいますが、悪しからず。


ここでは、「地中美術館」「ベネッセハウスミュージアム」「家プロジェクト」を中心とした作品群が鑑賞できます。

このどれもが館内撮影禁止なので、何をどう書いてよいのやら、、、

まずはバスで「ベネッセハウスミュージアム」へ。
ここは、ホテルと美術館が一体となった施設で、建築自体もアートです。
設計は安藤忠雄氏。


瀬戸芸・直島は、ここに泊まって鑑賞するのが王道なんだろうなあ、、、しかし高いっ!!

作品の中に、先の犬島で出会った柳幸典氏のものがいくつかありました。

一斉にバンザイしているウルトラマンのフィギュアと鏡を使って、日の丸を彷彿とさせる円を構成している作品、「バンザイ・コーナー」





アメリカが広島に原爆を投下したときの爆弾の名前「Little Boy」が刻まれた「The Forbidden Box」は、原爆のきのこ雲と、憲法9条の条文が描かれた布が2重に配置されています。



柳氏の作品はメッセージ性の強いものが多く、「ナゼこれを?」と思いながら、検索しまくりました。
そして、「なるほどぉぉぉ~~~!!」と、、、、まあ一方的ではあるのですが、アーティスト柳幸典氏との邂逅…となるのです。


実は私、犬島の後、三島由紀夫氏の「檄」(げき)からググりまくり、遂には、決して見たくなかった氏の最期に、心情的にもろに立ち会うに至ってしまいました。
もう、絶対にあり得なかった、考えたくなかった、彼には永遠に作家、文学者でいてほしかった。
しかし彼はそれを望んではいなかった…
めっちゃ尾を引きまくりました。

などなども、瀬戸芸が私にもたらす爪痕であります。


まあ、個人的なことはおいといて、、、、

「ベネッセハウスミュージアム」 興味深い、おもしろい作品が次々と、安藤氏設計の空間に配置されていて、時間、空間、全部がとってもグレードの高いアートでした。


ミュージアムを出て、暫し海辺のアート作品を鑑賞。
酷暑ですが、直島の海の風が心地よかった。











さて、次は地中美術館。


文字通り、地面の下にあるので、外から全体像は見えないとのこと。(冒頭の画像)
地上の光を地中に効果的に取り入れた空間になっています。

これも安藤忠雄氏設計。建築自体が素晴らしいアート作品です。どこを切り取っても、素晴らしい空間です。

そしてこの美術館
たった3人のアーティストの、数点の作品が、これでもかという贅沢な空間を用いて展示されています。


クロード・モネ
ウォルター・デ・マリア
ジェームス・タレル


クロード・モネの作品は、絵画なので、「空間アート」ではありません。
しかし、真っ白な壁に配置された「睡蓮」シリーズ5点は、靴の踵の音も拒まれ、スリッパで入室したとたん、そこには、モネが自ら造園した睡蓮の庭の空間の広がりが時空を超えて感じられる…そんな空間アートになっていました。
それ以前に、地中美術館へのアプローチは、モネの睡蓮の庭を彷彿とさせます。ここからもうすでに、モネの部屋へのイントロダクション。









ウォルター・デ・マリア 「タイム・タイムレス・ノータイム」
この部屋には、直径2.2mという大きな黒い球体が、階段を昇った中央に鎮座しています。
玉座のようであり、教会のようにも感じられます。
天窓からの自然光によって、天候や時間で空間の表情は刻々と変化していくとのこと。
この作品のタイトル知っただけで、1日中この階段の片隅に佇んでいたくなるってもんです。





ジェームス・タレル 「オープン・フィールド」
これもまた、祭壇のような黒い階段を昇りつめたところが青い部屋の入り口になっていて、
映画のスクリーンのような入り口から中に足を踏み入れると、遠近感の全く感じられない、無限が広がります。
靴を脱いで裸足で感じる足元のひんやり感だけを頼りに一歩ずつ移動。足の裏だけが自分の存在感。
これが宇宙の果てなのか…? 




いずれの作品も、この空間に日がな一日浸りきりたい、、、

さっさと見て「ハイ、そろそろ次いこ!」なんていう日常の時間の流れと全く違うところで、時空を超えて存在しているのです。


できることなら、ひと部屋につき一日寝そべって浸りまくりたいです。
…まあ、無理でしょうけど。


しかし、はたと思ったのであった。
アーティストは、神の創造の模倣をしているのだ。
安藤氏を含む4人のアーティストは、神からの掲示によってこれらのアートを創造しているのだろう。
この私でさえ、歌を創るとき、天の神さまから降ってくる甘露をいただいている。
絶対に自分の能力だけでは及ばないことがいつも必ず起こる。
彼らは、神と交信するアンテナが特別に秀逸なのだろう。
スピリチュアルの世界では、「宇宙の叡智」とか「摂理」とか言われているようだけど、
それは「神さま」。
私は、すべての作品のその先に「神」を感じました。



いんや~~~ちょっと語りまくってしまいました。


まだ続きあるよ、直島、家プロジェクトそのた。


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