ご存じの方もいらっしゃると思いますが、私はクリスチャンなのです。
ですので、たまには聖書やキリスト教についての記事も書きたいのです。
どうかお付き合いください。
私は、中川健一先生の「ハーベストタイム」というサイトが大好きで、一時、これにハマりまくっていました。いや、いまでもハマっています。
聖書の冒頭の、創世記1章1節「初めに、神が天と地を創造した。」
これは、きっとクリスチャンでない方も、聖書を読んだことがない方もご存じなのではないでしょうか。
キリスト教は、「一神教」。 宇宙は神が創造した。…これが私としてはしっくりくるのです。
…というより、「当たり前じゃん」なのです。中学生の頃から。
ビッグバンから始まって、この宇宙は偶然にできて今日に至っているとはとても思えませんし、
神さまがたくさんいてそれぞれにその場所や人の願い(学業、安産、商売etc.)をそれぞれに管轄しているというのも私にとっては思春期の頃から違和感ありました。
私はクリスチャンでない頃に神社仏閣にお参りしても、いつも「御神体」とかどうでもよく、「天地を創造した神さま」にお祈りをしていました。
実は30代の頃、初めて伊勢神宮にお参りに行ったとき、「なんだ、ここにもやっぱり人間を祀ってるのか…」と、ちょっと失望したことも申し添えておきます。
修学旅行で日光東照宮に行ったときも、人間徳川家康を祀っているのか…と、なんとなく納得できない思いあったし、、
人間をどんどん、どんどん遡っていけば、神さまに到達するのでは…という思いがありました。
日本神話って、そういう世界だと思っていたのでした。人間は神さまに繋がっている神さまの子供なのだと、、、
「初めに、神が天と地を創造した。」
中川先生の「ハーベストタイム」では、ここから始まって、創世記の全章をとても詳しく楽しく、1回約1時間のメッセージで解説をして下さっています。
私としては、好奇心の「塊」…というよりは、トゲトゲのように、ぷるぷるのように、ベクトル状態になって、次々と聞きまくりました。
昨年三国志にハマりまくりましたが、ハマり方としてはまあ、あれと似たようなものです。
創世記の登場人物は、ものすごく人間的…というか、人を殺したり、欺いたり、妻が複数いるし、身勝手この上ないような人物が次々と出てくるのです。
そして、神はそんな人間と向き合って、約束を交わしたりする。
中には神に対する深い信仰を持っている人もいるけど、そんな人物でも、日常生活的に清く正しい人が深い信仰を持っているというわけではない…
なんじゃこりゃ~~!? な世界。
そして、創世記の次には「出エジプト記」
「モーセの十戒」のストーリーです。
これもまたハマりまくりました。
三国志にハマりまくっていたことは記事に書きましたが、旧約聖書にハマっています…とは、正直いって自分自身の「信仰」のこともあるので、なんだか書きにくかったっす。
拙ブログに、宗教色はあまり出したくないという思いがありました。
さて。ハマりまくった旧約聖書の「創世記」と「出エジプト記」が終わって、次は「新約」にいってみるべきだな。
「新約」とはイエス・キリスト以降。「紀元後」
イエス・キリストの生涯を記した「福音書」についての解き明かし。
これもまた壮絶で、グサグサと突き刺さりまくりました。
キリスト教の「福音」(良い知らせ)というのは
1イエス・キリストは私の罪のために死んだ
2イエス・キリストは死んだ後墓に葬られた
3イエス・キリストは、死んだ後3日目に復活し、現在も私のために生きて働いている
これを信じて受けいれる人には、次のことが起こる。
1過去、現在、未来の罪がすべて許される(ローマ8:1)
2神の子となる特権が与えられる(ヨハネ1:12)
3永遠の命が与えられる(ローマ6:23)
まずは「罪ってなによ」ってところで、殆どの人がひっかかります。私もそうでした。
私はそんなにひどい人間なのか罪びとなのか、それなりに頑張ってるし、すごく前向きに、これまでも挫折を味わっても、自分の人生、頑張って自分で切り開いてきましたけど。
「罪」とは、聖書的には、「的はずれ」ということのようです。「神さまに向かっていない状態、背を向けている状態」
私個人的には、具体的に私の「罪」とは人を心の中で裁くことだと思います。
心の中で人を批判したり、人と自分を比較して、私のほうが正しい…と思う。
それのどこが悪い、そんな聖人君子になんかなれねーよ、、、、
そーなのだ、人は努力しても聖人君子になんかなれない。
イエス・キリストが私の罪を背負って十字架で死んだ。だから私の罪は赦された。
そして3日目に甦って今でも私のために生きて働いている。
…なんて、ムシが良すぎまくりです。私の罪をイエス・キリストになすりつけてるじゃないの。
…と、このように、キリスト教というのはなかなか、努力を美徳とし、悟りを目指す日本人の性質には受け容れられません。
しかし、神の側からの視点?に立ったとき、「信じるだけでいいんだよ」と、
神さまがどれほど愛に満ちて人を救おうとしているか、神の愛のスゴさが魂にずしずしときます。
今年も父の日チャペルコンサートにお招きいただきました。
去年は「Lush Life」を歌いました。今年は「酒とバラの日々」を歌いました。
どちらも、退廃的な人生の歌で、普通教会で歌うのははばかられるような歌詞なのです。
でも、私は、こんな酒に浸りきった荒れ果てた人たちのことをも神は見捨てない、信じて頼ればその瞬間に神の腕に抱かれて救われるのだと思えます。
「神よ私をお赦しください」じゃなくて、「とーちゃん助けて!」と願えばよいのだ…と、これは今日感じました。マジです。
私がのんべーだからか あはははは♪♪
ちょっとご紹介。キリスト教入門サイトです。
これも私がハマっている中川健一先生のサイトの一部。
ちょっと覗いてみませんか?
聖書入門.com 3分でわかる聖書