WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

大豆を炒るTak

2007-02-26 | しろかねも くがねも玉も何せむに…
                                            
             

                解説不能…







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もうすぐ1年

2007-02-25 | しろかねも くがねも玉も何せむに…
Takはこの冬、ずっと半袖半ズボンで学校に通いました。
冬休み明けの、寒い朝は、さすがに上着を着なさいといって、むりやり長袖の制服(ガクラン)を着せましたが、それでも学校につくとすぐに脱いでしまっていたらしい、、、
担任の先生にも、学童の先生にも、様子をお聞きしてみたところ、寒がっている様子はないとのことで、先生方も、薄着はいいことだとおっしゃるので、そんならまー、、、と、私としては風邪をひかないかハラハラしながらも、ついに一度も長袖のポロシャツを着ることなく1年が終わろうとしています。
Takのクラスでは、ただひとり。1年生には、あと1~2人、半袖の子がいるようなんですけど。
だいたい学年に2~3人ぐらいいるらしい、冬中半袖で通すヤツに、まさかTakがなるとは!!
保育園時代は、真冬には普通に寒がっていたのですが。

なんで突然こんなことになったんだろう…と考えてみたのですが、これって、もしかしたら、食べ物に関係があるのかも?
全くの憶測なんですが、なにしろ、野菜の量がすごい。東京にいた頃と比べると、大袈裟でなく、食生活が変わった感じなのです。
東京でも、ベネッセの宅配で、無添加、地物中心のメニューではあったけれど、今思い出すと、肉や、魚料理に野菜が付けあわせ…って感じだった。それが長い間の食生活だった。サラダにしても、レタスやサラダ菜をちぎってふわっと盛り付ける程度。
ところが、今は、鍋をやると、野菜ばっかり大皿にてんこ盛りにしてもきれいになくなるし。
旬の地物パワーなんだろうか? 根菜パワーなんだろうか?
とにかく、親が「おいおい…」と不安になるほど食べるんだから、食べるもので、体質が変わるって、じゅうぶんあり得ることかも。
私の半分以下の体重で、私の1.5倍食べるんだもんね。

食習慣の長年の積み重ねっていうのは、もしかしたら、人間性にまで影響を与えるものかも…っていうか、私はそう信じているのですが、信念に従って食べている…というほどでもないのです(^_^;)

でっ、寒さ知らずのTakと私が一緒のベッドで寝るということに、だんだん不都合が生じてきました。
ふかふかの羽毛布団は、彼には温かすぎて、めっちゃ汗をかく。深い眠りに入っているTakは、びっしょり汗をかいたままでじっと寝てるので、私が寝ようとして布団をめくったら、もわぁ~~ん&じっとり状態。
一瞬おねしょでもしたのかと思うほど。
それから、こんどは、暑くて暴れだします。
布団を蹴飛ばされる。何度も蹴飛ばされては布団をかける攻防。

ついに、Takは、ベッドで一緒に寝るのをやめて、ベッドの横に布団を敷いて、ひとりで寝ることになりました。
甘えっ子Takが自分から言い出した。
嬉し寂しい成長です。
自分で床を雑巾がけして、自分で布団を敷きます。
押入れから出すのはさすがに無理なので、和室の隅に畳んで置いておくことにしました。
しっかし、これ、めっちゃ時間かかる!
私がやればものの2,3分なのに、15分はかかる(-_-;)

みなさまから提案いただいた本の読み聞かせも毎日やるとなると、30分は早く夕飯を食べ終わる必要があるわ。
でも、TVの時間がなくなったぶん、なんとかこれでいけそうかも。

最近、いろんな習慣が少しずつ変わりつつあります。
もうすぐ高松に引っ越してきてから1年。
4月からは一気にいろんなことが変わっていきそうな気がしています。
生計も崖っぷちなので、私もこれまで以上に真剣に「働く」ってことに比重をおかなくてはいけないし、今年は私は「仕事」の年です。


そんな中で、Takと、昨日から交換日記をすることにしました(*^_^*)
ふたりで一緒にいないときの出来事や、思ったことを書こうってことで。
実は、以前にもやろうと思いついて提案したけど、丁度、そのために買ってきたノートを学童用にしてしまって、このアイディアは立ち消えに、、、
しかし、このたびの「読解力問題」もあり、文章を読む、書くの習慣としてもいいかもねと思って、今度こそは!と、100均でノートを買ってきた。

しかし、1日めのTakの日記は
「きょう、たまごどんぶりをたべておいしかったです」以上(-_-;)

まっ、いいんだ、2日目の今日はもーちょっとマシだったのよ。
いつまで続くかなあ。私の予想(&希望)では、これがいずれメール交換になり、いずれ、別々に暮らすときまで、お互い、壁のない状態でことばでのやりとりができるのよ♪

                

今日もめっちゃ食った。チキンスティックのオーブン焼き/ 蕪の葉とさつま揚げのお浸し/ 大根と卵のスープ/ 大量レタス 
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46点(-_-;)

2007-02-23 | 教育ママ日記
先日学年団テストだかの結果の「テストファイル」を持って帰ってきました。

国語 46点
算数 7?点(国語にびっくりしすぎで忘れた)

どーすりゃいいんだこりゃ~~( ̄_ ̄|||)
あまりにもびっくりして、目が点。どー受け止めていいのかもわからん!

国語はね、後半4割は白紙。途中の問題で、どんなに考えても意味がわからなかったらしく、そこで止まってしまってるってワケ。

でも、国語も算数も、解いた問題の2割以上はは間違えてるってことじゃん!
しかも、いちおう検証してみましたが、
「問題の意味がわかっていない」(-_-;)
「文章の流れの中に書かれている答えでなく、勝手に自分で考えたことを書いている」

私は、教育ママのもとで、小学校の学期末テストは、90点未満は許されなかった。パーフェクトを目指して、95点ならまあしょうがない、でもそれ以下は大いに反省させられて復習しまくり!の世界だった。
当時の私の成績は、母の努力の成果以外のなにものでもなかった。
だからといって、それが私の将来に役立ったとは思えないんだけども、
それにしても、自分の子供時代とのあまりの落差に、どー考えていいのかアタマ真っ白状態ですわ~~
私が「成績の悪い子」の親になってるとは(^_^;)

自分なりにコレを消化しようとして書いているのだ(^_^;)


いや…しかし…小学校1年生のテストってのは、やはり、塾などにいっている、テスト慣れしてる子供はいい点が取れるのだと思う。
もちろん、学力や、アタマの良さもあるけど、テクニックってのがある。
これは、お受験予備校で仕事をしていた経験から、間違いないわ。
しかし、46点だったからといって、慌てて塾にブチ込む気はなし。
いや、もしも私の収入が溢れるほどあったとしてもです。

しかし、Takは、やはり、文章を読むことが苦手っていうのは、私がTakの宿題や勉強を見ていてもわかるんだ。
彼は、一字一句、丁寧に読み取るということができていない。雑なのだ。
これは、「読解力」に問題アリってことだ!マズイそ!!
いや、それ以前に、生活態度、習慣からきているってことも多々あるぞ。
…でも、決定的にヤバい、とも、Takはアタマが悪いぞともあまり思わず、騒いでいるわりに、心の底ではわりと楽観的な私がいます。

学校の宿題や、「進研ゼミ」の勉強では、だいたいのところはクリアーできていると思って、そんなに問題あるとは思っていなかった。

しかし、しか~~~し!!
とにかく、勉強ってのは、テストで点をとるためにするもんじゃないんだ。
さ~~て、これからどうする…(-_-;)

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嘘はいけません(反省)2

2007-02-19 | しろかねも くがねも玉も何せむに…
トイレから出てきて、黙々と食べているTakの隣に座って、穏やかに
「Takがおかあさんのこと好きっていう気持ちは、とっても嬉しいんだけどね、、、」
と、やりはじめたとたん、
「うわぁぁぁ~~~~~っっっっ!!」
と、大泣き。
「おかあさんは、ぼくのことが嫌いなんでしょう?」
「好きだよ」
「嫌いなんだ。だって好きだったら出ていけとなんか言わんはずや!」

私は、食事中のTVについて話をしたかったんだけど、、、

ここで、「食事のときのTV」が、自分のことを好きか嫌いかに掏り替わっている…
いつぞやの、「漢字の書き順」事件とパターンとしては同じかも。
「人生で最も大切なことなの?」
「ぼくのことが嫌いなんでしょう?」
極論に持ち込む。
これが彼の思考(いや、感情の)パターンか…
私は、叱るときに、Takをここまで追い詰めているんだろうな。

Takは、自分のしていることと、叱られ方の「バランス」に敏感らしい。
漢字の書き順のときも、「人生で最も大切なことじゃないなら、そんなに怒らないで」と主張していた。
一方、朝、食事をのろのろと食べていて、時間が来ても半分も食べ終わっていないときに、私が烈火のごとく叱りとばすことには、こういう反応はしません。
泣くことはあるけれど、「はい」と、素直なのです。

今回は、TVを見る見ないどころの攻防ではなく、家から追い出される…ということになってしまった。彼にとっては、まったくこれが100%の現実なのだ。「嘘だろう」なんて微塵も思っていない。
そして、おかあさんが好きだから絶対に一緒に暮らしたい気持ちを、ほっぺにキスすることで表現したんだ。

私は、Takが大好きで、毎日一緒に過ごせるのがとっても楽しいし嬉しいし、心底、神さまからの賜りもののように思っているのに、「出て行け」などとは、全く大嘘で心にもないこと。こんなことを本気で言うとしたら、それはTakのことが嫌いだからだ…という彼の主張は全く正当なのです。

「出て行け」「追い出す」なんて、絶対言っちゃいけない。
これは卑怯な脅しだ。
しかも、こんなことをやっていると、自分の心にしっぺ返しがくるに決まってる…

…というわけで、私としては、深く反省致しまして、
今晩のおふろでは、「Takが好きだから、おかあさんも、Takがじーちゃんちにいったら寂しい。だから、いろんなことを話し合って協力して一緒に暮らそう」と、話しあおうと思います。
全く、いちいち烈火のごとく叱りとばしまくって、極論に至るというパターンは、いい加減でやめなくては。
いや、叱り飛ばすのはいいと思うけど、嘘はいけません。

私も、子供の頃嘘をついて、「矯正施設」に入れると親に脅されたことがあったのを、とてもよく憶えています。よく憶えているだけに、「あれは脅しだった」とか、後になっていろいろなことがわかって、いずれ醒めた目で親を見る日がくるのだということも、わかるのです。

やっぱり私はいつも正攻法でTakと向かい合っていたい…というか、Takには、大人の嘘やハッタリは通用しない、そんな子供が私んところにきたもの、「大いなる必然」かもしれません。


            
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嘘はいけません(反省)1

2007-02-18 | しろかねも くがねも玉も何せむに…
TVを物置にブチこみました。見るのは土日限定にしました。
いちいち線を繋いだり抜いたりしてると寿命が縮まるでしょうか??

夕飯のときに、TakがTVを消さないので、いよいよの強硬手段となったのだ。
「そんなにTVが見たいんなら、じーちゃんちで暮らせばいい。
じーちゃんちなら、ごはんの時にTVを見ても叱られないから。
ご飯のときにお話もしないでTVばっかりみて、お手伝いも協力してくれないんじゃ、家族で一緒に暮らしてる意味ないから。
明日送っていくから。学校の勉強道具も服も、ブロックも、全部運んで、明日からじーちゃんちでばーちゃんと3人で暮らしなさい。」

ばーちゃんに「明日からずーーーっとTakを頼む」とTELしました(嘘)。

ゴハンを食べながら話を聞いていたTakは、だんだん泣きべそになって、
電話が終わったときには大泣き。
じーちゃんちなら、いつでも見たいときにいくらでも見れるよと言うと、

「いやだ、TVが見れなくてもいいからお母さんと暮らしたい」

相当こたえているようで、泣きながらも、一生懸命食べている。
その間、私は、洗濯を干しにベランダへ。
暫くするとTakがご飯の途中でやってきて
「おかあさん、ぼくにカオがよく見えるように近づけて」
「なんのこと? おかあさんが今なにやってるかわからないの?」
冷たくあしらう母。
Takは干し終わるまで待って、もういちどカオをよく見せてという。
「なーに」

するとTakは、いきなり母のほっぺたにキスをして、恥ずかしそうにそそくさと自分の椅子に戻って、ご飯の続きを食べはじめた。

さてどうする!?
恋人の喧嘩じゃないんだぞ。
とりあえずトイレに逃げ込んで考える母。

Takは、母が大好きなんだということを、表現したかったんだ、粋な善後策を思いついた…なんていう余裕じゃないってことは伝わってきた。


このあともあるんだけど、、、、

敢えてここでいったん区切って提出します。

             
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それぞれの感受性 3(未完)

2007-02-17 | アーティスト魂
                        


さて、話はまた、感受性のかけらもないと言い放つHIROくんママにいったん戻ります。

彼女は、一昨年、フラミンゴで子供のクリスマスコンサートを催したとき、急遽「チケットもぎり」をお願いしなきゃならない羽目になって、「もぎり」どころじゃなく、当日のマネージメント全般を、ものすごく頼もしく引き受けて下さいました。
チケットの釣銭用の大量の両替や、受付で小銭を並べるケースや、私には全く思い至らないような「経理系」の冴え渡る頭脳を、ここぞとばかりに発揮して下さり、ホントに、彼女がいてくれればこそ…いや、いなかったらいったいどんなことになっていたんだろう…( ̄_ ̄|||)
フラミンゴや、その周辺の協力して下さった人たちには、彼女のような経理系頭脳の持ち主は誰もいなかったのです。
HIROくんママは、フラミンゴのコンサートに、ふっか~く参画してくれたのでした。

HIROくん親子には、プールや、イベントや、いろんなところにお誘いいただいて、ものぐさTAKAMI&Tak親子は、ものすごく充実した府中時代を過ごすことができました。
音楽は、そんな私の生活の中で、私達とともにあるもの…だったと思う。ここからここまでが、音楽…と、区切ることができないもの。「演じ手」と「受け手」の境界線も必要がない、「生活とともにある音楽」とは、そういうものだという気がしています。

音楽には「つくり手」「演じ手」と「受け手」がいて、さらに「担い手」(スタッフ…といえばわかり易いんだけど、、、なんか違う)がいる。
実はこの三者っていうのは同じ時間を共有してる…っていうより、一緒になって時間を紡いでいるのではないかと思う。それぞれの感受性で。
「演じ手」の私も、その時その場で、「受け手」になっていたりする。

フラミンゴのLIVEやコンサートも、フラミンゴ美人ユニット「風の鈴」のボランティア活動も、HIROくんママの発表会参加や、卒園の謝恩会の演奏も、ピアノの生徒のご父兄からのイベントの依頼も、全部、私にとっては1本の太い流れだし、その時間って、そこにいる人たち全員で紡いでいる時間だった。

私が求めているもの、大切に思っていることは、その時間のうねりの中での「呼応」なんだと思う。

私はうたを創って歌います。でも、その課程で、産みの苦しみや独りの練習や、いろんなところを通過するけれど、いちばん大事なのは、人に投げかけて受け取ってもらう、その瞬間なのだと思う。
そこに「創り手」と「受け手」の境界線ってあるのだろうか?
                               

大学時代の「音楽鑑賞論」の講義で、「作曲家の譜面(神からの啓示)」「演奏者の出す音」「聴衆」このうちの、どこに「音楽」があるのか、「解釈」とはなにか…などという問題を、1年間かけて、いろんな学者の学説を学ぶ…ってのをやりました。
(おもしろいことに、この学説ってのも、時代とともに変遷していくのです)
こんなことを真剣に考えて時間を費やす哲学者がいるんだなあ…などと、その時には思いながら、一応レポートも書かなきゃいけないので、自分なりにもアタマを沸騰させて考えてみたものでしたが、私が今書いてることってのは、正にそれに繋がるのかも。

音楽とは、単なる伝達の媒体。
「おもい」を伝える媒体なんだけど、100の「歓び」を表現した創り手に対して、受け手のなかで、10の歓びと90の「孤独」に還元されてしまった…としても、総量100の伝達は完了、成功。

私は、モーパッサン「女の一生」のある場面をモティーフに「ムーンライトワルツ」をつくりました。この本の内容は全く憶えていません。思春期に読んだ本なんて、殆どそんなもんなのですが。(なんだか全部がゲル状になって集まって、生きてはいるけど、底のほうで、目立たないように眠っている感じ。)
物語のテーマとはあまり深くかかわりのない、なにげない情景描写の美しさを、何十年も記憶の底で眠らせておいて、それが全く違ったかたちで自分の表現に生かされる。
私は「女の一生」をうけとめて、作者の意図するところ?とは全く関係のないところに反応してしまったワケなのですが、これもアリだと思います。こんなことからも私は、「音楽と、音楽でないものの境目」も、「創り手と受け手の境目」もどうでもいい、生活とともにある音楽を続けていきたい…というような思いが強くなっていったんじゃないだろうか、、、

うーん、書いてることが飛躍しているのはわかってるけど、どーやってまとめたらいいんだい…???


「それぞれの感受性」ということで考えはじめましたが、日々の暮らしの中で、なにかを「感じる」こと、「受け取る」こと、それは誰でも当たり前にしていることだと思います。逆に、あまり受け取りたくないところには蓋もしている。蓋の使い分けも任意にできる。

感じたり受け取ったりしたことは、そのまま、ときにはかたちを変えて、表現したり伝えたりする。暫く寝かせたりもする。
部屋が汚れていたら、掃除機をかけたり、子供に片付けなさいと命令する。
創作活動やその他で崖っぷちのときには、「散らかってる」を感じる心には蓋をする、または寝かせておく…ってなもんです。
お友達の家に遊びにいったら、とっても美味しい料理をご馳走になったので、作り方を聞いて帰って、自分でつくって家族にも食べさせる…とかね。

幸せに豊かに暮らすということは、この「感じる」「うけとる」「あらわす」「つたえる」などの循環が自然にスムースにできるってことじゃないでしょうか。健康な体を血がさらさらと流れるのと同じように。
                    
この長い文章は、未完で終わりにしようとおもいます。
ここから先は、また自分の「暮らし」の中から紡ぎつづけていくしかないです(*^_^*)

                           
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Takの食欲2

2007-02-12 | しろかねも くがねも玉も何せむに…
(本日もTakの成長記録です、悪しからず)

連休の日曜日には、実家にatatachanに貰った野菜を持っていって、ロールマンバと白菜ベーコン煮を作りました。これでもか!と大量に作ったつもりだったけど、
あっ!!!!という間に売り切れになってしまった~~~ヽ(`Δ´)ノ
父と妹とTakと私の4人の予定が、母もなぜかお腹をすかせて早く帰ってきて、めっちゃ予定狂ったわ。

本日のメニューはこの2品と、前日大量に作った豚汁、それにリクエストのプレーンな卵焼き。
この家族、こんなんじゃ全く物足りないらしい…(-_-;)
ロールマンバなんて、放っておいたら、20個ぐらい食べそうな勢い!!
私が作ったのはたったの6個。
だって、他にもおかずあるしぃ~ひとり2個でじゅうぶんじゃん、Takと私は1個ずつでいいしぃ~~
マンバが足りないので、残りの肉でハンバーグを作りました。
Takは、あわせて3個も食べるし。
豚汁は、酒の肴にはならないので却下されまくり。
感覚が違うのよ。
そして、わが家の1週間分の食材を、この家族は、たったの1度の夕飯で食べつくしてしまうようだ。
私がこの日食べたのは、白菜ベーコンと、豚汁と、ご飯。…と味見に玉子焼き一口。

でもでも、私、むさぼり食う人たちを目の前にして、キッチンに立って次々になんか作り続けるのって、結構好きなんだ。
また近々、この雪辱戦をやらなきゃ!!!


でっ、翌月曜日。
Takといつもの休日。
午前中は一応お勉強もしつつ、だらだら過ごし、午後は近所のプールへ。
市営なのに高いじゃ~~ん!! 府中の2.5倍よ~~!!
でも、子供用プールは貸切状態で、2時間たっぷり恋人のような親子で堪能して、その後スーパーのお買い物も楽しかったね~~
今夜の夕飯は鍋ってことで決定済みみなんだけど、
「おかーさん、明日はポトフにしようよ~~」
「ポトフ?いいね~いいね~ 賛成!」
ここで、「ポトフの素」を持ってこようとするTak。
なーんだ、この「ポトフの素」が目についたからか(-_-;)
「そんなものを買わなくても、おかあさんは、絶品の特製ポトフを作ってあげます」
素直に信じるTak。いい子だ(^_^;)

でっ、今夜の野菜しゃぶしゃぶが冒頭の画像です。
これにプラス豚ロース200g弱。
さっぱりたいらげたもんね。

もぉ~まさに「食べるために働く」状態ですわーーー!!

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それぞれの感受性 2

2007-02-12 | アーティスト魂
            

喧嘩したフラミンゴ某メンバー(それはDs.)とは、和解済です。

「感受性がない」話のときに、私が即座に「それは違う」といいたかったのは、フラミンゴのメンバーのそれぞれ、周波数の違う感受性と、メンバーの調和。

Ds.はひとの心の奥底を感じる心をもっている。
経験や、アタマの回転の良さで相手の気持ちを推測したり、分類、仕分けしたりするのと違う。
だから、どんなバンドでも、メンバーが求めることを一生懸命に音にしようとするところが、凄い。時に思いつめるほど。
パーカッショニストとして、キューバに勉強にいったり、キューバ音楽関係の人たちと関わりながら過ごしてきた時代の話を聞いていると、私には、この人は「心の皮膜」というものがないのだろうか…と思うほど。
「皮膜がない」ってことは、直接ひりひりと感じて、さぞかしいろんなところでいろんな痛みも味わってきたんだろうなあ…
心の皮の分厚い私はDs.に「TAKAMIさんには、鈍感力がある」と言われてます。
なんも反論できん(-_-;)
いや、「鈍感力」って、素晴しいパワーらしいよ… 読んでないけど。

以下、B(ベース)G(ギター)…と、それぞれに書き始めるとめっちゃ長くなるので、これはまたの機会に。…てか、今までもたくさん書いてきたよね。


生活のなかに音楽を持ち込んで、自分のできる範囲で納得のいく演奏をしたいという思いは、共通のものだと思います。
「私は生活とともにある音楽」を、これからも続けていこうとしてます。
生活から切り離したところには行けないし、いきたくないのです。
自分で作るうたも、自分自身の生活の中から拾い集めたものを繋ぎ合わせて紡いでいるのだし、等身大、自然体、そのまますぅ~~っと人にうけいれて貰えるような、そうそう、てるてるちゃんのクッキーや、うさぎさんのパンやケーキ、atatachanの野菜と同じなんだよ。
私の音楽は、ドレスアップして特別な記念日に行くレストランの料理と違う。
だからといって、かるぅ~く思いつきだけでフンフン♪と鼻歌混じりに作れるものとも違う。
もちろんレベルの高低とも違う。
(てるてるちゃんは、あのやさしいクッキーを、素材を厳選し、お正月のお休み3日間に、精神集中して、平均睡眠時間3時間で作ったとおっしゃってました。匠の技です。)

私は、最晩年、高齢者施設の談話室で車椅子で童謡をうたう数十年後の自分の姿
など思い描きながら「生涯現役」などと豪語??してるワケですが、そこへ至る自分の道のりに重なり合ってみえるシーンをあちこちで見つけてきました。

「劇団グスタフ」の、のどかな芝居小屋での公演

炉辺で聴く鍋のぐつぐつや、外の子供たちの声と融けあう尺八の演奏

「蓮の露」の貞心尼と良寛さまの歌詠みの時間

じーちゃんのお葬式のときの、田舎家での奏楽付きのお経

…などなど、共通しているのは、「生活とともにあるアート」だと思います。
ドレスアップして、オペラを観にいく、フレンチのディナーにいく
巨匠の大回顧展にいく
というのは、コレはコレで、「切り取った時間」として、とっても意義深いです。
非日常の時間や、非日常のテンションが人にもたらすものはとてつもないと思うけれど、自分の役割は違うと思う。
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Takの食欲

2007-02-11 | しろかねも くがねも玉も何せむに…
「それぞれの感受性」は、まだまとまりがついていないので、こちらを先にアップしときます(*^_^*)

このところ、Takは、学童から帰ってきたら、おなかぺこぺこで、ものすごい食欲。
いちお~迎えに行く前に夕飯の下ごしらえをしてるんだけど、ゴハンができるのが待ちきれなくて、お菓子を食べたり、冷ご飯にふりかけをかけて食べたり。
ゴハンができても、全部のお皿をテーブルに並べるのが待ちきれない様子。
この小さな身体の胃袋にこんなに詰め込むのか!ってほど。
私の1.5倍以上食べてるし…
全部食べ終わったあと、「まだお腹すいてる」とか言うし(-_-;)
だったらご飯のおかわりしろよ…

atatachanに大量の野菜をいただいてから、白菜&ベーコン煮、餃子、お浸し、クリームスープなどなど、白菜料理オンパレードだけど、食べる食べる!!
特に、白菜&ベーコンはホントにおいしいね~~
お水を使わず、白菜の水分だけで蒸し煮するので、お鍋いっぱいぎゅうぎゅう詰めの白菜が1/3~1/4になるし、味付けはブイヨン少々と胡椒のみ。
atatachanは、これをご飯にかけるって言ってたっけ~なるほどなるほど。
いただいてから1週間が経ちましたが、まだ半分以上あるよ(^_^;)

朝、野菜雑炊
大根、水菜、なめこ入り…しかしこれはTakには不評。
お味噌汁のなめこはいいけど、雑炊でごはんと一緒に食べるのはイヤなんだと、、

昼、お好み焼き
大量のキャベツに豚少々、さつま揚げ、しらす、明太子入り。
ソースは例によって、ウスターソースとケチャップとプルーンペースト。

夜、豚汁
…といっても、これまた豚ロース少々、さつま揚げ、豆腐、ネギ、大根、蕪、人参、水菜、、、ほとんど野菜





その後、やはりすぐに「まだ食べたりない」というので、
酢大豆をつくる直前の煎った豆をお皿一杯たべて、やっと満腹。


まだまだ減らないので、日曜日は、実家でじーちゃんと妹に大量に消費してもらおう。
リクエストはロールマンバ。
白菜ベーコン煮も食べていただきます!
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それぞれの感受性 1

2007-02-08 | アーティスト魂
           

先日、フラミンゴ某メンバーと電話で喧嘩しました。
自分はTAKAMIさんのように感受性がないから、それが音楽をやっていく上でコンプレックスだというのです。私は、即座にそんなことはない、アンテナの周波数が違うんだといって、その裏づけ?を語ろうとしましたが、さっぱり入り口塞がれちゃって受け入れてもらえないので、私はだんだん不機嫌になって、「そんな頑ななんじゃーコミュニケーションにならないよ!」といって、決裂してしまったのであった.


本日のテーマはコミュニケーションではなくて、「感受性」についてですので、この喧嘩については、「きっかけ」ってことで、とりあえず置いといて、、、

「感受性がない」のでぴーんと一番最初に思い浮かぶのはHIROくんママです(^_^;)
(注:この記事はHIROくんママの了承済です)
府中時代、よくHIRO君親子と一緒に4人で遊んでいましたが、そのときのことをブログにアップするたびに、HIROくんママから言われてました。
「同じ時間を過ごしているのに、なんでこんなに感じ方が違うんだ!?見ているものが違う。私にはまるで感受性がない!!」
彼女は、子供たちが通った押立保育園の園庭に若い桜の木があって、花を咲かせていることを、年長になるまで気づかなかったというのです(^_^;)

うーーん、それは相当重症…とは、私は思いません。
感受性のアンテナの周波数が違うのだと私は思います。

以前、HIROくんママに、フラミンゴ♀3人(ピアノ講師)が主宰するピアノの発表会に出ていただいたことがありました。
彼女は、子供の頃、相当ピアノを頑張っていた人なのです。
HIROくんママんちに遊びにいくと、決まって彼女は「TAKAMIさん、聴いて聴いて」といって、練習中の曲を弾いて聴かせてくれるのです。
ワンポイントアドバイスを…というわけなんですが、ひとつの発表会に向けて、早起きしたり、頑張って時間をつくって練習して、その成果を「聴いて」といって、自分から弾いてきかせてくれるなんて、そんな人、あまり出会ったことありません。
これには私、感心したし、すごく嬉しかった。
でっ、私は、彼女がこんなにきっちりと緻密に練習してることに感動しつつも、「そのぺたぺたした感じのタッチは、もーちょっとかろやかに、こんなふうにしたほうがいいと思う」などと率直に感想を言うと「なるほどぉぉ~~」ってことで、それからは「タッチ」を重点的に練習して、また次に遊びにいったときには「聴いて聴いて」となるのです。

また別のとき、保育園の卒園の謝恩会で、サンバを演奏することになりました。
アレンジは私。園にあるラテンパーカッションを使って、みんなで楽しくできたらいいなと思っていました。
HIROくんママの担当はボンゴ。
フラミンゴDs.から、キューバ製のボンゴを練習用に借り受け、ついでにレッスンも受けて、毎日毎日、彼女はひたすら練習し続けたのです。
そしてみんなで集まっての練習日…
彼女のテクニックだけが際立っている、、、!!
私は、ボンゴやコンガを、正式に叩くのは難しすぎるので、ただ、音の高低をつけた簡単なリズムが打てればいいと思っていたのでした。
ところがHIROくんママは、「そこまでやるんかい!」っていうほど、ハマってひた走ったのでした。
アマチュアでも、初心者でも、短時間でも、やる気になればここまでできるんだ…と、これまた感動、、
ものぐさで、ぐうたらで、瀬戸際オンナの私は、保育園の謝恩会にこんなレベルを求めてはいませんでした、恐れ入りまくりでした。

「私は感受性が全くない」と言い放つHIROくんママは、ピアノの発表会でも、謝恩会の演奏でもとっても素敵でした。

つづく


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たべもののちから

2007-02-06 | よしなしごと


旅先でカレシと冷ややかに喧嘩して別行動になり、ホテルに戻ってみたら、
カレシが忽然と消えていた。
言葉の通じない国での出来事。
さて、私は、ここからどうやって旅を続けようか。
まずは、おなかぺこぺこなので、なんか食べよう。
食べてから考えよう。
ルームサービスで注文したのは、カツレツとサラダとパン。
(これしかわからないし、言えない)
お皿いっぱいに広がったビーフカツレツに、大量のグリーンサラダに、野球ボールのようなごわごわのパン。(大昔の話)

2年めの大学入試の合格発表。
(浪人せず、大学に通いながら、受験勉強をしました。音大ではありがち)
不合格だったことを、まず電話で、実家と師匠に伝えて、
さあ、これからどうする?
…ふらふらとどこをどう彷徨ったか、上野から電車にのって、なぜか吉祥寺で降りて、
とりあえず、なんか食べてから考えよう。
学生たちがコンパで騒いでいるようなお好み焼きやさんに入って、広島風お好み焼きを注文して、ひとりで食べて飲む、、、
オムライスのように包まれた焼きそばってカンジだったっけ。

「まずなんか食べなくちゃ」

とりあえずの食事。
両方とも、食べたものは鮮烈におぼえているのに、味は全く覚えていない。ものすごい勢いで食べたことは覚えている。なんなんだ、あの食欲は…


atatachanから、またまた大量の自家製野菜をいただきました。
ダンボールいっぱいの!! 採れたてで、元気でおいしそ~~!!!
こんだけお野菜がある!っていうだけで、もぉ~~とっても幸せな気分♪
今日も明日も、元気に生きていけるぞ~~ってもんよ。
冷蔵庫は野菜でいっぱい。白菜なんか入らなくてそのへんにころがしてるもんね。

日曜日は早速朝から野菜雑炊。
昼は、キャベツたっぷりのお好み焼き。
(お好み焼きソースがないので、ウスターソースとケチャップとプルーンとチリパウダーでつくりました。GOODです)
夜は白菜入り酸辣湯。
こんなんじゃ全然減らないよ~~

昨日は鍋。大皿山盛り食べました。
仕上げはまたもや酸辣湯。
まだまだ減らない。
今朝も野菜雑炊。

これだけ食べまくると、なんだか野菜が身体の中で「ちから」になっていくのがわかるような気がするよ。気のせいだろうけど、気のせいじゃないかもしれない。
元気な野菜をたべると、元気になる。コレ、あり得るよね。

今夜は白菜クリーム煮にしようかなあ。


「とにかく食べろ」と言われながら全く喉を通らないこともある。


フラミンゴ結成前の、全曲自分のオリジナルの初LIVE。
一緒に出演をお願いしたバンドを含め100人近くを動員した驚異のLIVE。無事終わって打ち上げのときも、固形物は全くといっていいほど食べられず、1日で口にしたのは、水と酒だけだったかも…

フラミンゴ、カッシー(Guitar)と ろな(Bass)と3人で別ユニットでやった、アコースティックバージョンのLIVE。
このときは、3人で、本番前にマックにいったけど、私、ほんの1口も食べられなかったっけなー。あとの2人はばくばくとフツーに食べてたのに。
「逃げ出したい~~!!」なーーんてわめいていたような気が…

要するに、人前でピアノを弾くことのプレッシャーだったんだ。
私はコレに弱いのだ!!
ピアノの先生なのに~~~

しかし、これから残りの人生、私はピアノとともに生きるのだ。
こんなことでどうする!
今後はうちに遊びにきてくれたお友達には、積極的にホームコンサートをやって披露しなくちゃ!!!?
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節分

2007-02-03 | よしなしごと
今日は節分。

豆は炒って歳の数だけ食べました。
やわらかくて新鮮な美味しい大豆。 酢大豆もつくりました。

                 
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