WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

職場復帰

2012-11-30 | ダブルワーク




みなさま。


今週から「スーパー」に復職しました♪♪♪♪♪
ギプスは外れたけど、暫くは強力なサポーターを装着しなくてはいけません。
¥8700もするヤツ。
あとで戻ってくるとのことだけど、一時立替だって(@_@;)

でっ、立ち仕事約5時間。
いきなりで、大丈夫だろうか?倒れないかしら…と内心ちょっと不安だったけど、
杞憂でした(*^_^*)
お客としてギプスの足を引きずって行ってた近所のスーパーと違って、
久々の職場としての売り場は嬉しい場所、楽しい職場♪
なんだかいきなり、爽快感、充足感ありまくりでした♪♪ コレ、意外。

でも、やっぱり1ヵ月以上ぶりなので、たくさん忘れてる。
身体で覚えたことは、動いてるうちに思い出すけど、アタマで覚えたことは、片っ端から忘れていて、
「あっ、そうだった…」と、あまりにもたくさん、さっぱり忘れてたことが、、、
やっぱ、加齢とともに脳も衰えてるってもんだなあ、、、
ただでさえ1ヵ月職場のみなさまにご迷惑をかけまくったので、早く取り戻して頑張ろう!!

本日2日目いってきました~
もうすっかり涼しい時期は過ぎて、寒くなっちゃったけど、この気候では、暑い夏のように消耗が激しくないのが嬉しい。
夏場は、仕事が終わったらヨレヨレで、お昼に何を食べたいか…っていうより、何だったら食べられるか…みたいな感じで、へろへろで自転車漕いで帰ってたっけ。

冬場はいいです。
寒いチャリ通勤も完全防寒防備すれば。

やっぱり、健康で元気で働けるって、ほんとに素晴らしいよ。ありがたいです。

みなさまからの、たくさんのお見舞い、激励コメント本当にありがとうございました。


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父の一周忌

2012-11-28 | 実父





25日(日)は、父の一周忌の法要でした。
集まったのは親族約20人。

お寺で法要のあと、お墓参りをして、それからお食事会。

この日は、抜けるような晴天で、ぽかぽかと陽射しもあたたかく、風もなく、のどかな小春日和でした。


瀬戸内海を一望できる高台のホテルの和室で皆でお膳を囲みました。
父の遺影を床の間に飾って。






会食のお開きには父が好きだったお茶が租供養に、ヒロコさんのメッセージとともに配られました。

隅々まで、父のパートナー、ヒロコさんの想いがこもっていて、私の気持ちはあの1年前の父の看取りと、葬儀のときに瞬時に引き戻されました。
ヒロコさんは、法要や、会食の挨拶のたびに、涙ぐんで声をつまらせていました。

私は娘だから、父を見送るのは悲しかったけれど、これが「順序」なのだと、受け継ぐとか、引き継ぐ…という立場でいて、これから頑張るよ、、と思えるけれど、(弟も同じだと思う)
ヒロコさんは、「もぎ取っていかれた」立場なんだ…
だから、今でも、1年前と全く変らず、悲しみも、父への想いも、そのまま…


法要の行事がおわったあと、ヒロコさんから個人的にご挨拶の長いメールをいただきました。
明るく振舞っているけれど、ほんとは今でも寂しいし悲しい…というものでした。
そして、いつも、今でも、その時々で、先生の声が聞こえてきます…と、、、
「先生(父)の声」なんて、我儘や文句が大半じゃないのぉ~~…と思うけど、
私も、父の病室で、我儘をたくさん言われたし、眉間に皺を寄せて「いらん」…などと、文句をたくさん言われてきた…それでも、あの子供みたいな表情がすごく懐かしい。
でも、父とヒロコさんの間には、子供たちに対する小言や我儘とは違う、特別な「ことば」がたくさんあっただろうな。
人生のパートナーであるとともに「ダンス」のパートナーだったんだもの。
私には、その深い意味がものすごくよくわかる。




父の菩提寺




少し前に、同窓生のお友達の仏具店で買ったお香、父へのお供えではなく、ヒロコさんにと、贈りました。
父の仏前で、父と2人の時間をゆっくり過ごしてくれたらいいなあ…と、、
ヒロコさんは、そのお香の香りに包まれながらメールを下さったのです。

私は仏教の死後の「極楽浄土」とか、「涅槃」とかの世界のことについてはあまり知識がありません。
でも、ヒロコさんと父は、住む世界が違ってしまっても、こんなに心が通い合っている…ということのほうが、知識よりもなによりも「確信」なのです。
再び会えることを、お互いに強く願い求めているのだから、その願いは、必ず叶うと。


この世でともに過ごしたつれあいと、次の世でもずっと一緒にいたいと思えるとは、本当に幸せな人生だなあ…

でも、ヒロコさんも、まだこれから父が逝った歳まであと20年以上もあるのだし、
父を心にいだきながら、この世での幸せを積み重ねてほしいです。
そうは思いながらも、最も大切な人をもぎ取られた片割れのこの世の幸せとはなんなのか、わかりません。
その大切な人から貰ったものを、今度は他の人へ与えるようなことなのかもしれないし…
それ位しか思い浮かびません。

「命」のことは、何にもまして、いくら考えてもわからないもの。
確信できるのは、父の「命」は、いまもあるということです。
どこで何をしているかわからない。宗教じみた薀蓄??はどうでもいい。


「天国の窓を開けて、ありがとうと言っているのが聞こえる」
…と、ヒロコさんからのメールに書かれていました。
「おとーさーん♪」…と、天国にアンテナを向ければ、いつでも交信できる…ホントにそう感じます。



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薬と栄養(追記、訂正あり)

2012-11-25 | 健康とダイエット



昨日、やっとギプスが外れました。
仕事には火曜日から復職。

さ~~これからガンガン働いて、Takの進学塾を真剣に検討しなくては。


木曜日、Takが部活からヨレヨレで帰宅し、そのままベッドになだれこんだ。
あまりにも汗臭いので、私は蒸しタオルを作って、嫌がるTakのワキと足を拭いて、全身着替えさせた。

Takは、夜、39度超の熱を出し、朝になっても38~39度で推移、食欲もなかった。

3連休初日の祝日は部活を休ませ、朝からスーパーにTakのリクエストの「グミ」「桃缶」「ハム」「マスカットのヨーグルト」を買いにいった。
桃缶は、中国モノと国産では値段が激しく違うけど、本人が「国産」を所望するので、500円の国産にした。
骨折で仕事をしていない私にとってはコレを何食分も買うのはかなり泣きたくなる…
さらに、ハムも高いので、ふつーあまり買わない。
どうせハムなら、「無えんせき」にこだわっていた私なのだが、ここは、フツーのハム、しかも30円引き…とかいうのにした。
アクエりとかも買うべきかと思ったけど、「桃缶」でかなりへこんだので、医師のお友達から私が胃腸炎で絶不調のとき教えていただいた「経口補水液」を手作りすることにした。

食料調達のあと、午前中レッスン。

それから暫くしてTakの体温はは39,6度になった。
辛そうなので、家の薬箱を探したら、消費期限ギリギリの小児用鎮痛剤があったので、ものすごく迷ったけど、とりあえず飲ませた。

でもって、これはもぉ、休日診療を受診だろう。
休日診療はだいたい混んでいて、待つだけでも消耗するので、できれば今日は栄養補給して静養、明日を待ちたかったのだけど、、、
新聞の休日診療医院の記事を調べて、ネットで検索して、TELで混み具合を問い合わせて、「よしっ!ココだ今すぐ行くぞ!!」と、思い切った。
解熱鎮痛剤を飲ませるより、もっと迷いまくった。

今は殆ど待ち時間はないと言われたにもかかわらず、それから15分後に到着した時には、かなり混み合ってきていた。
30分以上待たされた。
休日診療で30分なんて、全然ラッキーな気がする。
東京時代は1時間以上は当たり前だった。


インフルエンザの検査もしたけれど、陰性。
先生の診断は、突然高熱が出るタイプの風邪のようなものでしょう…と、、
Takは、高熱にもかかわらず、頓服や、抗生物質は処方されなかった。


私は、Takの診療が終わってから、トイレに行っていたので、お薬はTakが受け取った。
なので、薬の説明書を読んで、少し質問事項があったので、受付に問い合わせたら、すぐに薬剤師らしい方がいらして、細かく説明をして下さった。

私の質問は、

通常、当然のように処方される、熱の高い時に服用する「頓服」がないのは、ウチに解熱の常備薬があるからとの判断からなのか?
(消費期限ギリギリを飲ませたぐらいなので、そんなものはない)

少し前に服用したその薬で、とりあえず熱は少し下がっているけれど、家に帰ってすぐ食事をして、これらの薬をさらに服用してもいいのか?


薬剤師の方は、処方された2種類の薬に対して、とてもわかりやすく、(自信をもって…と感じた)説明をして下さった。
1種類は漢方系の薬のようで、これまで処方されたことのないものだった。
もう1種類が、頓服のようなもので、これらを毎食後服用することで、症状は治まっていくと思います。
1時間前に頓服を飲んでいるなら、少なくとも4時間はあけてください…
くれぐれも水分はじゅうぶんに摂って、、、


私は「抗生物質」というのがだいたい何なのか、イマイチよくわからない。
私が知っているのは、「抗生物質は細菌には効くが、ウィルスに対しては無効」ということぐらい。
検索などしてみても、素人にも簡潔でよくわかり、且つ偏った考え方でないサイトというのをなかなか発見できずにいる。
なぜウィルスが原因らしき風邪に抗生物質が使われるのかということさえ把握できてません。
(ご存じの方、どうか教えてください)

以前、議員秘書業務時代、議員会館内の診療室で受診したことがあります。
部屋は全然診療室っぽくなく、先生も白衣は着てなくて。
それも、ピシッとした感じじゃなく、ワイシャツの上にベストとか、カーディガンとか、なんかあまり覚えてないけどそんなラフな感じ。
昔の片田舎の小さな診療所の、なんでも診る経験豊かな名医さん…というような感じの方だった。
国会議員詰め所の診療所の先生は、こんな方なのか…と、ちょっと意外だった。
でも、ホントに一目で赤ちゃんからお年寄りまでが、好きになるようなタイプの方だ。

たぶん私は風邪とかそんなので、忙しくてかかりつけの病院に行く時間もなく、とりあえず会館内で薬だけでも処方してもらおうと思って行ったのだと思う。
その時、初めて受診した私に、処方箋を書くとき先生は、仰いました。

「私は抗生物質は不必要に使わないようにしていますが、いいですか?」

そのとき、私は抗生物質について全く知識がないことを恥じた。
この短い言葉には、裏にいろんな意味が込められているのだと思った。

国会議員もここで受診しているのだ。医療や薬価に関する法案を審議している議員が、「抗生物質」について無知なワケない。


私は、大昔から、病院にいくと、いつも大量の薬を処方されるのが本能的にイヤだった。
「処方された薬は最後まで飲み切るように」と冊子やネットでもよく目にするけれど、
体調が回復したら、薬のことなんかさっぱり忘れてしまう。ふと薬が目にとまっても、「こんなに元気なのに」飲む気にならない。
正直に書きますが、飲みきったことはほとんどありません。
どうして最後まで飲まなくてはいけないのか、ご存じの方、教えてください。

膀胱炎のときだけは、痛みがなくなって治ったと思っても、菌は残っているので、絶対に最後まで飲み切るように!と、毎回、ものすごく念を押されるので、これだけは言うことをきいてきた。

でも、私の「感触」では、「とりあえず○○と○○を出しましょう」といっている医師は、
「これであなた(または息子)が治ります」と言っていると思えないし、
私は、病気を治すのは本人の気力や体力だと思っているし、薬の説明書を読んでも、症状を緩和して楽にするのがこの薬なんやね…という以外のポジティヴなことは感じない。
それどころか、副作用のことも正直に書かれてるし、、、


風邪を治すには、まずは栄養と睡眠ではないんだろうか?…と素人は思う。
薬は、今の辛い痛みや熱を緩和するもので、楽になって、ぐっすり寝ている間に自力で治るのではないのだろうか??
ホント~に無知なので、どなたかご存じの方がいらっしゃれば、教えてください。
風邪のウィルスに効く特効薬とか抗生物質というのはあるのでしょうか?


でっ…

Takは、昨日の夕方には平熱になりました。

でも、薬の解熱の効果と思うので、まだまだ静養が必要と感じる。
食欲も普段の半分もないし。
もしこれで、病院に行っていなければどうなっていたのか、、ホントに対照実験してみたいけとね~、、、、


そして、昼は、Takがこれなら食べられるという、「うどん棒」のちゃんぽんうどんを食べに連れ出し、
夜は雑炊。一昨日は「唐辛子系はNG!」というので、醤油味で、肉系はナシ。
昨夜は、豚肉も脂身がなければOK、唐辛子全然OK、香菜めっちゃOK~~♪ と、、、
それで作ったのが、冒頭のエスニック風の雑炊。
具は、脂身は極力削ぎ落とした豚肉、エビ、白菜、人参、椎茸、卵、香菜。
タカノツメとコチュジャンは、容赦なく日常的に。
ママ友系のみなさん、こんなふうな、子供の病気の回復期って、やぱり、病人の食欲や睡眠が治療の要であり、バロメーター…とおもいませんか?


そんな中、今日はは父の一周忌の法要。
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昼鍋パーティー

2012-11-22 | 人生妙なり





すみません、、、

画像もないし、全くのプライベートな記事なのでありますが、、、


先日、ウチで鍋パーティーやりました。正午スタートで、、、
めっちゃ楽しかったので、記録をしておこうと、、、、


足を骨折してから、引きこもりになりまくるとともに、家でも、とりあえず、レッスンのスペースだけはなんとか整える…という日々でありました。
1ヵ月でお取替えのコンタクトもとっくに使い終わり、このところはず~~っと20年以上前の眼鏡。
バブル期の「ニコル」で、かなりのお値段だったのですが、デザイン的に今やオバサンのダサイ眼鏡よ。
家の中をうろうろするだけだと、この度の弱い眼鏡のほうが便利なのよ。
譜面も本もコレで読むのがラクチン♪

この肢体不自由状態で家に引きこもっていると、高齢者の方がたの心境がものすごくよくわかりました。

颯爽と歩けないことがどれほど「どんより」するか、、、
私はやっぱりせっかちなのだなあ、、、
ゆっくりのんびり楽しく歩けばいいじゃないの。
家の中を歩くだけなら、それほど不自由を感じないのだけれど、スーパーで買い物をするだけで、これまでどれだけフロアーを自由に歩いていたのかと、よくわかりました。
スーパーの駐車場に車を停めるにしても。
なるべく入り口の近くに停めたいけど、混雑時、ほんの30mほどの距離がどれほど長く感じたことか。
ほんとに私は「散歩人種」ではないらしい…

先だってもちらっと書いたけど、「ギプス」で着られるおようふくを買おうと思っていった店では、
広いフロアーを歩いて目的の商品を探すだけでも大変で、ショートパンツとか、イマドキの可愛いカッコの女の子たちが闊歩しているお店で
ものっそ(ものすごく)ど~~~んよりしてしまったのでした。

自宅のレッスン室(LDKなんですが)にしても、普段はモップでお掃除してるけどある日雑巾がけをしたところ、隅っこにたくさん埃がたまっていた。
眼鏡だと、立った位置からじゃ見えないのだ。
こんなところでレッスンをしていたのか…と、、( ̄_ ̄|||)
身体のあちこちが衰えつつある高齢者の方がたは、こんなふうに日々を過ごしていらっしゃるのだろう、、、
私はもうすぐギプスが外れる。そしたらまたスーパーも、「ゆめタウン」も闊歩できるけど、もっと高齢者の方たちは、逆戻りするということがないのだ…
そしていずれは私も、いよいよそうなる時がくる、、、


…と、またまた前置きだけでもこんなに書いてしまった~~~!!







さて、「宴」であります(^_^;)



あまり引きこもりになってても精神衛生上よくないし、たまにはウチにお友達が来てくれるってなったら、ちょっとは掃除や片付けにも身が入るだろうと思って、
「でもホントに鍋しかやんないよ。買い物もめんどくさくて、近所のマルヨシしか行かないからね。自分の飲む酒を持ってきてくださればよいですから。
しかも、それはTakのテスト前日。なので、本人が帰ってきたら、早めのお開きでお願いします。」
と、めっちゃ横柄なワシ…

これが人をお招きする態度か!?!?

そしたら、kyokoちゃんは、前日にワインと鍋の材料のお野菜を宅配しに来てくれたし、
atatachanは、サンドイッチとくら寿司と、サラダとかワインとかいっぱい持ってきてくれた。
SYOさんは、カニしゃぶ用のカニと美味しいお豆腐を差し入れにきてくれ、しかも、まずは純正女子会を…とのお気遣いで、いったんお帰りになった。

結局私が用意したのって、出汁用の手羽元と豚肉とコンブと椎茸だけじゃん、、、
すみませんすみません。

最初の2時間ぐらいは純正女子会。
その後、SYOさんと、atatachanのottoさんが合流して、宴たけなわ♪♪♪
テスト期間中…っつか、テスト真っ最中のTakも帰宅し、おやつ代わりに鍋を食べて、
その後、教会へ英語のお勉強に…

牧師先生の奥さまが、Takの英語を見てくださるっていうことで、テスト前2日連続で、マンツーマンで、レッスンをして下さいました。
あまりにもありがたすぎます。しかし、その間、飲んでる母ってどおよ(-_-;)
Takが帰ってきたらお開きにしようってことだったけど、
教会へお勉強をしに行くというので、宴会はご延長タイムに突入。
そこからまたさらに盛り上がりまくったんだってば。


ところで、この日の宴会は、全員高校の同窓生。
当時のお友達の話で盛り上がりまくり、もぉ~~たぶん、私も含め、みなさん酔っ払うと楽しくって、
何度も何度も昔の同じ話を繰り返し語っているのでは??
それって、子供が大好きな絵本を、結末がわかってても、繰り返し繰り返し読むのと同じなのでは?

宴たけなわ状態のところに、英語のお勉強から帰ってきたTakは、「ちょっと座れ!」と私たちのテーブルに着かされ、酔っ払いの大人軍団に、「勉強せーよ」と諭される…(-_-;)

なんといっても、全員同窓生。
こーやって、お勉強の時代を通過して、楽しく人生謳歌しとるんじゃ。
アンタならやればできる!頑張れよ~~とみんなで激励してるつもりなんだけども、
この超絶酔っ払いのオッサン、オバサンたちに言われるってどおよ…(-_-;)


Takは、いったいこんな酔っ払いの母と、母の友人一同とのかかわりのなかで、何を感じ、成長していくのだろうか!?!?


…てなわけで、Takの帰還をもって、めでたくお開きとなったのですが、めっちゃ濃くて楽しい宴でありました。もっとずっと盛り上がっていたかった、、、

また続編やる予定(^_^;)


これを書いている本日、Takはテスト2日目。
昨夜は夜中の2時まで頑張ったけど、ギブアップ、今日も6時に起きたけど、テスト範囲の課題がこなせず、途中で泣きべそかいていた。
そんなん、ちゃんと計画立ててやらないアンタが悪い。
だけど、甘い私は、ギリギリまで勉強させて、車で学校に送り届けました。
部活に楽器も持ってかなきゃいけないので、、

テスト期間なのに、Takがお友達と一緒に勉強するといって、家に友達連れてきたり、まあいろんなことがあったテスト週間。

私は母として、テスト前日に自宅で宴会をやることはマズイぞというアタマはもちろんあったよ。
言い訳はしません。



さきほど帰宅のTak、早速1日目の社会のテストが帰ってきたんだって。
「何点だった?」
「73点」(Takの目標は80点以上だった)
「平均は?」
「54点」

ひぇ~~(@_@;) それって、約半数は50点台以下ってことじゃん??
公立の中1のテストで、平均点って、そんなに低いんだ、、、ってことは難問ってことだよね? あまり難しすぎるとヤル気そがれるよね~~~
こりゃー今後のテスト対策はさらに困難になっていくだろう、、、

でも、母たちの宴会がお開きになってから勉強した社会でしたので、参加のみなさまにも一応ご報告まで。
実は、Takは1学期の期末テストの社会は50点台で、平均点ギリギリで、サイアクだったのであります。

最後の最後の逆境にもメゲずに、今回は1人でよく頑張ったと思います。

ありゃ…同窓生の宴の話のつもりが、息子のテストの話題に…

近々また、リミットなしのクリスマスパーティーやるので、そのときにはたくさんの画像とともにアップいたします♪♪


素材提供一実のお城




atatachanがFBにアップしてたの貰ってきた、唯一の宴会風景…もう完全にできあがっている、、、



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私にとって投票史上最も虚しい第46回総選挙

2012-11-17 | よしなしごと







衆議院が解散しましたねー、、、、


私は、政治や、時事系の記事は、思うところあり敢えて書かずにやってきた。
震災や原発についても、自分自身(Takとのやりとりも含め)の問題としてだけを書いてきた。


今回もそういうスタンスなのですが、、、、


私が国政の世界に関わっていたのは、もう15年も前のことか…と驚き、しみじみします。
(私は、ある時期、永田町の議員会館でとある衆議院議員の秘書業務をしていました)

それ以後総選挙のたびに、いろんな候補者の主張に真摯に耳を傾けてきた。

あの15年前から、日本は良くなっていっているだろうか?その兆しはあるのだろうか?
選挙のたびに「争点」があり、それは概してパフォーマンス的で、有権者は、興味のある人、ない人、それなりに振り回され、盛り上がってもきた。
しかし、、、、


今回の解散は、、、あまりにも虚しい…。







(以上素材提供一実のお城


96年、私が携わった最初の総選挙(第41回)、私は、国の借金はこれだけで、それは国民1人あたりに換算するとこれだけになる…というような資料を読み、
当時3%だった消費税を増税しなくても、「これら」を整理して「ココのところ」を削ればなんとかなるのだという、候補者の論理を演説用に3分にまとめて、
公示前に、候補者不在の、政党の街宣車を、団地などに停めて、スピーカーから流す原稿を作った。
原稿を読むのは、学生ボランティアなどなど。当時30代だった若き候補者の周囲には、未来に希望を抱く若い人たちがたくさん集まっていた。
団地や駅前で、彼らは、その原稿を心をこめて読んで訴えた。

その当時の「国の借金」は、あれから僅か15年で、倍になって、今年度1000兆円を超える見通しに、、、
あの時、候補者が語っていた論理はなんだったのだ? 
彼が嘘をついていたとは思わない。
候補者は、「追い風を受けて」の初当選以来、順風で、実力も伴い大臣にもなったが、先の選挙では逆風で落選。
このたびは、起死回生の立候補をなさるようで、私は心の底で応援しています。
総選挙や、統一地方選、私はいつも嘗て親しくしていた仲間やスタッフのことが、当然のことながら、気になり、心で応援しているのです。
いろんな表面的な政治的、主張の違いはあっても、彼らは根本的にはいい人なのだ、、、、

しかし当然「いい人」だけでは政治はできない。

あなたは、国の借金が15年で2倍になったことに、責任を感じていますか。
私の息子や、あなたの子ども達の重荷が2倍になったことに。

「あなた」とは、すべての政治家であり、その人を選んだり、選ばなかった有権者であります。私自身も含まれます。

これから生まれてくる子供は、生まれながらにして1000万もの借金を負っている。
(高齢者も含め国民ざっくり1人あたりなので、実質はもっとずっと多い)
自分の借金を請け負わせるために子供を生む親はあまりいないと思う。
自分が作った借金は、自分が死んだらそれで終わりにしたいってもんだ。だから、個人的な負の財産は相続放棄できる。死んだらゼロだ。
でも、国が抱えている負の財産は放棄はできない。

将来に明るい展望のない社会で、明るい気持ちで子供を産むなんてムリだ。


子供を愛する親は、当然次世代のことを考えるけれど、そのまた次世代のことは考えるだろうか?
私は3世代も5世代も先の、自分の子孫や世界のことを今ある自分の生活と同じレベルでは考えられない、浅ましい人間であります。
ましてや1000年先のことなんて。
自分と、自分の意識の届く範囲の人々の「幸せ」を願う。あまねく世界のとわの平安を願うことが私にはできるんだろうか。
あなたにはできますか。
気持ちはあります。いつも祈るときはまずソレです。祈るにはなんの犠牲も伴わないから。
きっと、神仏に手をあわせるとき、誰もが「世界の平和」を祈ることだろう。


しかし私は、本当に自分や自分の子供を大きく犠牲にしてこの世にまだ生まれてもいない人たちのことを祈り願うほど強くも清くもない。

私にできる少しの犠牲?は、この先進国にに生きる中でのギリギリの生活(元い、これは自ら招いていることなので、犠牲とはいえない)、無駄遣いをしないこと、節電や節水、資源ゴミの分別、その程度だ。
「苦痛」を伴わず感謝の心でできることといったら、たったその程度なのだ。


今の日本は、一部の物欲や名誉欲に縛られている人以外は、殆どそういう善良な人たちで構成されていて、それでも、自分と、その子供の世代では解決できないほどの重荷を負っている。。
生まれながらにして背負う国の借金だけでなく、原発の負の遺産は、これはもう真剣に考え始めたら気が狂う。対峙したくない。…のが正直な気持ち。

震災後初めての総選挙であるにもかかわらず、「原発選挙」にならないのは何故か。
それは、政治家、経済界側の都合だからだ。


現実の問題はあまりにも重く、だからだかなんだか、宗教系、スピリチュアル系、いたるところから「次のステージ」へ向かうためのメッセージが発信され、
この世が即天国…のような個人に対する変化、救いの波動を広げていこうという風潮もあり。
「自分が変れば、世界は変る」
ほんとうに、できることならそうなってほしい。そう思う、心から。
物欲を今よりも少しマイナスにして、精神性を少し高めれば、世界はよくなっていく…とは理に叶った考え方だ。
(提唱者の方がたがいっているのは、そういう意味ではなさそうだけど)
しかしそのような提唱者の中には何万円ものセミナーを開講したり、鉱物を加工したものを、高価で売っている輩もあり、全く混沌として、そんなところに先は見えない。


…そんな中での解散、総選挙。


立つ人は、この国の現状、ホントのことを知らないわけがない。精査しているはずなのだ。
軽率で思慮のないよほどの人でなければ、どれほどこの国が切羽詰ったところに追い込まれているかは、わかっているはず。
その「真実」に、きらきらした言葉のパウダーをまぶして、自分へ、わが党への票をとにかく集めようというのだろうか。

放射性物質で汚染されまくった生地を、あらん限りの経験と調味料で美味しく焼き上げ、美しくデコレーションした作品に投票するような選挙のように、私は感じてしまう。


自分はどうなってもいい、100年後、1000年後に向かって、だんだん良くなっていくために

…と思って立つ人、投票する人がいるだろうか。いると信じたい。


これまでの選挙で、いちばん虚しい投票になるような気がするけれど、
どうせそうなら、1000年後の日本に向けての構想を持っている人に投票したい。






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「貧しい芸術家はいません」

2012-11-13 | アーティスト魂






「バベットの晩餐会」

これを最初に観たのはもう20年以上前かと思うけれど、今でも私の大好きな映画。
その時の気分もあるし、映画の作品に順位をつけることはできないけれど、
「ひとつ選べ」と言われたらコレです。

まあ、無人島に1冊本を持っていくとしたら、、みたいなね。

これまで、この映画についてブログを書き始めてから一度も書いていなかったとは、自分でもびっくり。
またまた暇にまかせて、レビューなど書いてみます。



時代は、19世紀後半、舞台はデンマーク偏狭の地ユトランド。貧しい村で慎ましやかに暮らす人々。
プロテスタントの牧師(既に故人)を父として、生涯を神に捧げる敬虔な老姉妹のところに、嵐の夜、憔悴しきったバベットが、1通の書状を持ってやってくる。
彼女は、フランス革命後のパリで、パリコミューンによって、夫と子供を殺され、自分自身も処刑されかかったところを、亡命。
その書状の主は、かつてパリで一世を風靡していたオペラ歌手。
数十年も前に、ストックホルム公演に訪れた折、この偏狭の地を訪ねて、姉妹の「妹」に恋をしたが敢えなく失恋。姉妹への敬意を受け取ってほしいとバベットに手紙を託す。
姉妹が「私たちはあなたを雇うお金がない」といって辞すと、バベットは「給料はいらないのでどうかあの方のお友達に仕えさせてほしい」と哀願する。
彼女は、異郷の地で家政婦をしながら、生涯をこの姉妹に捧げると決心していた。

それから十数年の歳月が流れ、牧師館に集う信者たちも高齢になり、諍いが絶えなくなってきているある年のこと、
姉妹の亡き父である牧師の生誕100年を祝う会をささやかに催そうと、姉妹が信者たちに提案した。
折りしも、バベットは、パリの親友が毎年買ってくれているという宝くじに当選して、大金を手にしたところだった。
バベットはその会に、今回に限り、フランス料理の晩餐を自費で作らせてほしいと姉妹に願い出る。
姉妹は、バベットの初めての頼みごとと承諾したが、海を渡って運ばれてきた生きた海亀や鶉などの食材を見て恐れ、不吉なものを感じ、
「みなさんの魂が危険に晒されることになってしまった」と、信者たちに涙ながらに詫びる。
信者たちは、食事を舌で味わうことなく、この小さな舌は、祈るために使おう、食事中、食べ物のことは決して口に出さないように…などと結束を固める。



ストーリーは、美しい風景の中で淡々と、殆どBGMなしでゆっくりと展開していきます。
なので、ストーリーの中で歌われる教会や牧師館での賛美歌や、歌のレッスンでのオペラのデュエットや、舞踏会の室内楽などが際立っています。

…映像も音も、ストーリーもすべてが私にとって好ましいのであります。                                 

晩餐会のシーンにも音楽は殆どありません。
その場には、昔、姉妹の「姉」に恋をしてやはり叶わなかった元士官(今では将軍)が数十年ぶりで同席することになります。料理の味に言及するのは彼ただ1人。
12人のナイフとフォークの音と、亡き牧師を懐かしみ、称える会話がゆっくりと流れていきます。
それぞれのキャストが、食事を口にするときの微妙な表情とカメラワークが素晴らしいです。
バベットが、厨房で、晩餐も終盤、すべての料理を作り終えて、ワインを味わうときの表情も思わず唸ります。
バベットは、確か、厨房で、2度ワインを口にします。1度目はテイスティング。
この違いも私は見逃しませんでしたよ~~♪♪


この映画は、バブル期1987年のデンマーク映画で、当時の日本では、「グルメ映画」のように評され、この晩餐と同じメニューを食べる企画があちこちのフレンチレストランで企画されたとか(@_@;)


…しかし、この作品のテーマはそんなことではないのです。

私にとって、この映画のテーマは、「芸術」、そして「魂の幸福」…だろうか?

そして、さらに、今では名実ともに私自身も「熟年」となり、晩年へと歩みをすすめていくにあたり、
老いて、死に近づいていく中でのこの世での幸福とは何か…という思い、そして「あの世に持っていけるのは人に与えたものだけだ」という作品中の言葉が深く心に残ります。


良い映画は、何年経っても自分の歩みに寄り添って、ともに歩んでくれるものですね。

記事のタイトルは、この作品を初めて観たときから、最も好きな言葉。


ただ、原作の小説は、少し違うようなのです。
「芸術」についてのもっと重く深いテーマが底に流れているようなのです。

…それはまたの機会に。


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ガブリエル・アクセル,カレン・ブリクセン,ユスツ・ベツァー
紀伊國屋書店



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生きて「死を思う」

2012-11-12 | 人生妙なり





この文章は、仕事を休職して、暇になってから書いては修正…をずるずると繰り返していたのですが、そろそろアップしようかと、、、



骨折休職の暇にまかせて、去年の今頃の日記など読み返していたら、本当につい昨日のことのように、いろんな思い出が溢れだしてきた。

特に、父とのこと、続いて亡くなったヴォーカルの生徒さんの鈴木さんのこと、
昨年末は、ほんとうに怒涛の日々で、揺さぶられまくる心を、ブログに書いて吐き出すことで平衡を保っていたような感じだったなあ。


そして、一連のこと(特に鈴木さんのことに関して)の終わりに

「私にはなにも悔いは残っていません。
これからの日々は、思い出は自分の胸のなかに収めて、これから一緒に生きていく私の大切な人たちと、毎日を大切に過ごしていきたいと思います。」


と、書いて締めたことを、自分でもとてもよく覚えています。
でも、父のことについては「悔いはない」のはウソ。…っていうか、当時はそう思っていた…というより、自分でそう思いこもうとしていたんだろうな。



あれっきり胸に収めていた怒涛の日々を今日は解禁にして、語らせてください。


この日の日記の続きです。


その時、書かなかったことが大きく2つあります。





その1

鈴木さんが危篤に陥って、ご親族の方が見えたとき、葬儀はどうするのかという話になりました。
ご親族と、ダイニングで会談をしていたら、看護師さんが別室を用意して下さいました。
他の患者さんやご家族たちへの配慮でしょう。

私は、ご親族の方々から、彼はどれくらいお金を持っているのでしょうか…などと聞かれたが、そんなことは全く知らない。
2日前、自分の命が終わるのがまもなくだと感じた彼は、「棺桶を買うお金を下ろさねば」というので、病院のATMに車椅子で預金の引き出しに付き合ったけど、実際に引き出した金額は知らない。
肝心?のところは敢えて見なかった。お財布に収めているのは万札がぱらぱら…と、数枚程度に見えた。
その通りのことをお話しし、また、彼は洗礼を受けて、教会での葬儀を希望されているとの書面があるので、それを親族の方にお見せした。
その書面は、鈴木さんの最後の力を振り絞ったサインがされている。
案の定、親族の方は困惑していた。
私は、彼に洗礼を勧めた立場なのだけれど、キリスト式葬儀希望の書面にこのような状態でサインすることには、
なんとなく「宗教の勧誘」の行き過ぎと周囲から反感を持たれるのではと思って、気がかりながらも立ち入らずにいた。
実際、私は彼のこころの平安を願っていたのであって、亡くなったあとのお葬式は、どうでもいい気がしていた。
鈴木さんは、もう痛くて苦しくて弱りきっていて、本人が書くのはムリだというものを、お友達二人が、「これは本人の最後の意志なのだから」と、
手を添えてあげたりなどして、ようやく読めるほどの弱々しいものだが、何とか書き上げたのだった。
亡くなる前日、洗礼式の後のこと。


私は、鈴木さんの洗礼式の前に、牧師先生と、「彼にはお金がないようだし、ご親族もいないようです。その場合葬儀はどうなるのでしょうか?」と聞いた。
(親族は実はいたのけど、ずっと絶縁状態で、病院から彼が危篤との連絡を受けてようやく現れ、私にあとのことを任せて帰っていった)
先生は、そんな場合は、教会の献金で葬儀を行いますと仰った。


それにしても、本当に、鈴木さんの最期が迫っているとき、誰もキリスト式の葬儀については、何をどうしていいかわからず、私から牧師先生に連絡してみることになった。
先生は、差し支えなければ、いろいろご説明に今すぐにでも病院に伺いますとのことで、ご親族もそれを望まれたけれど、病院側で、フロアーの看護師長が、
「病院で葬儀の話をするとは不謹慎。まだ生きておられるのに、牧師を呼ぶとは強く違和感を感じます」
と、語気を強めて仰って、受け入れていただけなかった。

仏教のお坊さんと違って、キリスト教では、本来、牧師は臨終にも立会い、信者が安らかに天へ召されるようにと祈る。
それで、牧師先生も、危篤となった鈴木さんのところに出向いて祈り、親族に会われて今後のことを説明されるのは、キリスト教の死生観においては全く自然なことであり、
クリスチャンを多く看取ったり、見識ある病院であれば、常識的に受け入れられているらしいけれど、
ここの病院では、この対応からするとそういう例は殆どないらしい。

この時、私は、「まだ生きておられるのに葬儀の話とは不謹慎」仰った看護婦長の言葉を聞きながら、
それは、個人の死生観、宗教観。この方は語気を強めて仰ったけれど、看護、介護という立場から、この患者に対してあなたはどれほどのことをしてきたのかと、心の深ーーいところで憤りを感じました。

「アンタ、ほな、この人に対してこれまでどうやって接してきたの? 
殆ど放置やろ、義務感やろ、どーせもうすぐ死ぬし、生活保護世帯で医療費タダやし、死んで悲しむ人もあまりおらんようやしと思って、ゾンザイに扱ってきたやろ。」

私は、鈴木さんを見舞うたびに、肌でひりひりとそれを感じた。私だけじゃない。
10日前にこの病院で父を見送った私には、正直「差別」と感じました。
病院が患者を差別しているはずはなく、人の心が故意か、あるいは無意識にしていることと……


鈴木さんに「さらに強い薬」が投与された後のことは、私は立ち会っていなかったので、
この先は書きませんが、
もう彼は、死を超えて、その先への希望を握り締めて旅立っていったのだから、その後、どんな浅ましいことや、醜いことがあったとしても、彼には関係なく、
私は彼の魂は真っ直ぐに神さまの御許へと帰っていったことを信じます。

「信じる」だけです。







その2

鈴木さんの亡骸は、牧師先生が手配された葬儀社の車で、教会へ運ばれました。
親族の方が2人ほどだったか、一緒に行って、葬儀の打ち合わせをするとのことで、私も親族と教会を結ぶただ1人の者として、同行したほうがよかったのだろうと思います。


でも、この日は、実はSYOさんのお誕生日だったのです。


長い長い1日の終わりに、やっぱり、この日のうちに、SYOさんのお誕生日のお祝いをしてあげたい。

鈴木さんは、もう天国、神さまの御もとです。
あの日の私は、自分には生きていく体力があることを本当に実感し、感謝し、
今は仕事ができず職場にも迷惑をかけ、収入がなくても、「あとで取り戻せる」と思いました。

私は精一杯やった。
さあ、これからは、Takとの生活(生計)、日常にシフトだ。

「これから一緒に生きていく私の大事な人たちとの毎日を大切に」

それは心の底からの想いなのでありました。


教会へと向かう鈴木さんを乗せた車をお見送りしてから、私は家に帰りました。
夕方に病院からいったん戻った時、Takは公文にいっていなかったけれど、その後帰ってきたTakにtelで鈴木さんが亡くなったことを伝え、ひととおりのことが終わったら、SYOさんちでパーティーやろうと言ってありました。
Takは、家で夕飯も抜きで、私の帰りを待っていました。
長い間放ったらかしだったTakをピックアップして、オードブルやおでんなどなど、コンビニやスーパーの残り物を調達して、SYOさんの家に向かいました。
あまりにも長い1日だったので、Takとも、なんだかものすごく久々に会ったような気がしました。
実際、Takと向き合うのも本当に久しぶりだったかも。

Takには最初から鈴木さんの病気のこともすべて伝えていましたが、
10日前にじーちゃんを亡くしたばかりで、あまりにも重過ぎるので、細かいことは言わずに、毎日、今日も鈴木さんのお見舞いにいかなきゃいけない…とだけ伝えていました。

でも、これで、すべて終わった。

SYOさんの家で、3人で宴が開始となったのは夜10過ぎだったかなあ…
ピアノで「Happy Birthday」を弾いて、Takと一緒に歌って乾杯してお祝いしました。
話題はやはり鈴木さんのこと、本日の報告や、私にはさっぱりわからない初めてのキリスト教の葬儀のことなどだったと記憶してますが、どんより感はなく、飲んで、たくさんピアノを弾いて歌って、明るく楽しく過ごしました。
解き放たれた宴でした♪♪

「鈴木さん、あろうことかSYOさんのお誕生日に死ぬなんて、私にずっと忘れないでと言いたかったんだよね、きっと」


忘れないよ。鈴木さん♪





さて。もうすぐ父の一周忌。

父は今、どこで何をしているのでしょうか?
これは、本当に、いつもいつも、考えても仕方がないのだけど、心の中を巡っています。
キリスト教と浄土真宗で、死後に行く世界が違うなどとは、私は全く思えません。


この件はまたいずれ改めて…


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Takは夜明けとともに朝練に行った

2012-11-10 | TakのMusic Life





Takの学校の吹奏楽部は、基本的に「朝練」というものはないのですが、
年末に「アンコン」(アンサンブルコンテスト)ってのがあるらしく、
各セクション、気合入ってるらしい…

今朝は、6:30から朝練だというので、「ホンマかいな、学校開いてなかったらどーすんの!?」とちょっと心配だったので、ご令息をお車でお送りしてまいりました(-_-;)
校門は開いてました。
やっぱ、やるんや…6:30から朝練、、






陽炎の舞踏/Dance of Haze



Takたちサックスは、「陽炎の舞踏」(八木澤教司)


先日、スコアー(全部が書いてある譜面)を持って帰ってきて見せてくれたのですが、サックス四重奏のスコアーというのは、画像の左上にもあるように inB♭とかinE♭入り乱れて、
アタマの中で読み替えしなきゃいけないので、とても曲を聞きながら譜面で音を追うことができない(@_@;)
初見はテンポの変化と変拍子についていきながら、リズムを追うのが精一杯…

アルトサックスは、「ドレミファソラシド」と吹くと、実際に出ているのは、ミ♭から始まる変ホ長調の音階です。
…なので、アルト用にinE♭で書かれた譜面をピアノで実音で弾くには、移調しなくてはいけないのです。

Takは、それを母に当たり前のように、これをピアノで弾いて、自分の練習をサポートしてくれと、、、(-_-;)
めっちゃめんどくさい。しかし、これもいちおーピアノ講師である母の意地。

あとたったの1ヵ月で、コレを完成形にしなきゃいけないって、どぉよ!
楽器も読譜も、全くビギナーのTakが、、、
(む~~~り~~~~~…と私は思うのだが、できるところまではサポートしてやりたい親心)


しかし、この年代の子供の吸収力っていうのはスゴイ。
そういえば私も、中学のとき、現代音楽が大好きだった。
武満徹が特に好きで、和声的に(和音が)複雑すぎてワケわからない、一瞬ぐちゃぐちゃに聞こえるような音楽がものすごく魅力的だったっけ。
Takも、そういう時代になったのか、うんうん、なんだか微笑ましい。
私が大好きなブレッカー・ブラザーズも、Takに聴かせたら、感動しまくってたもんね。

Takは、ピアノも習ってないし、音楽の素地がない…と思っていたけれど、
よくよく考えてみたら、私が子供の時の何倍も、ナマの音楽を聴いて育ってきたんだな。
ベビーカーで、スタジオの大音量の中ですやすやと寝ていたり、ハイハイする頃には、Takを放しておけるスタジオを選んで、リハをやったっけ。
そして、LIVEやコンサートにもたくさん連れていった。息子のためではなく母の都合で。
私もダンス教師の両親のもとで、ダンス音楽のレコードを大量に聴いて育ったけれど、
Takは「ナマ」の演奏をたくさん聴いていた。それはきっと大きな違いのような気がする。

Takが物心ついたころ、彼の音楽のカテゴリーは、「おかあさんが作った曲と、そうでない曲」だった(^_^;)
「今日はLIVE」というと、「お母さんが出るか、出ないか」だった。


この曲がカッコイイと思って、難しくても「やろう」と思う気合が一番大事だ。
…にしても、基礎もほとんどないビギナーにはあまりにも無謀な挑戦とは思うのだけど、
成長や、上達の仕方にもいろいろあって
☆少しの努力で超えられる低いハードルをひとつずつ確実にクリアーしていくやり方と、
☆高い目標を掲げて、到達を目指すけど、時限的に達せなくても、結果的には、ものすごくレベルアップしたというもの。

レスナーとしては、両者をそれぞれの生徒さんによって、バランスよく配分することが求められる。

…私は、前者に偏っていること、自覚あり。
今できること、身につけたテクニックだけで表現できる音楽は無限にあるのだとわかっているので、
ハードルをクリアし、それを噛み締めて味わうことなく先走ることがもったいない…と思ってしまうのだ。
それが絶対的に良いとは思っていません。
ホントに「この曲がやりたい!」という人は、後者を突っ走りたい。
それも生きがいだったり、青春だったりする。素晴らしいことだし、そこから突出した人が生まれる。


今回の投稿のカテゴリーは、自分の「アーティスト魂」じゃなくて、「TakのMusic Life」。

彼が、この曲をどこまで吹けるようになるのか、楽しみ。
32分音符や、64分音符、あまりにも随所に当たり前のように出てくる臨時記号、変拍子、、、
それらに果敢に挑んで、「今日の部活は最高に楽しかった」といっているTakは、なんだか無謀…と思いつつも、ちょっと頼もしい。
Takは、「俺、ちょっと楽譜が読めるようになってきた…」というのだけど、
彼の楽譜と耳で聴く音との重ね合わせかたのテクニック?というのも、自分なりに習得していっているのだと、わかります。
Takにとって、楽譜もある意味「図面」なのだ。
これは、実は、スゴいことだと母は密かにものすごく感心しているのです。

私には「図面」として楽譜を読む能力はあまりありません。
あまり…というのは、とりあえず少しだけはあるので、そこが現時点で私よりも秀逸な息子がスゴイな~と思えるということです。



母とは、本当に面白く楽しく、日々子供から次々と発見させられます。幸せです。


音楽系に関しては、当然ですが私はしゃしゃり出ず、ヘルプを求められたときには、愛をこめてピシリとやるつもり。
…でも、音楽でさえ、私はTakにかなわないところがあることを、これから思い知らされていくのかも、、、


お勉強に関しても、そうすべきとアタマではわかっているのに、何故にしゃしゃり出て怒りまくるのだろうか…




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ゆるゆる

2012-11-09 | よしなしごと





暫く引きこもりになっておりましたが、今日はゆるゆると海岸沿いを走り、津田の松原にちょこっと立ち寄り、「絹島温泉ベッセルおおち」でお風呂に入りました。

午前中は臨時にレッスンだったし、夕方もレッスンだったので、お昼過ぎから4時間コース。

どーってことない津田の松原ですが、とってもお天気がよくて風もなく、ゆるゆるでした~♪

ギプスじゃなきゃ絶対海に浸かってたよ。

「ベッセルおおち」では、まずお昼ごはん。
暫く(半年以上は確実)行ってない間に、メニューが変ってる。
チョイスしやすくなってるし、「松茸&栗釜めし」もあったよ♪
でも私は「海鮮釜めし」にしたけどね。








見てみてこのハマチの刺身!

ものすごく新鮮でぷりぷり♪

クラッシュドアイスの上に網がのっかって、きれいに盛り付けされていたのですが、
はやる心で思わずすだちをぎゅぅぅっっ!と絞ってしまって、
携帯をオンにするのにもたもたしてるうちに、氷も融けかかってしまったし(T_T)
パーフェクトな盛り付けを撮りそびれたのが残念!!

生ビールとともに最初に出てきた突き出しは、白身魚の南蛮漬けでしたが、
これも、ものすご~~~~く美味しかった♪

釜めしが炊き上がるまで、ゆっくりゆるゆると美味しいアテで生ビールを…。
(でっ、釜めしは、やっぱり撮りそびれました)


お風呂は、やっぱりご家庭のお風呂じゃ、足を上げて、トホホなカッコで狭い湯船に浸かるのでくつろげないから、めんどくさくって、、、
ベッセルおおちは、あまり「温泉」な気分じゃないけど、それでも、露天風呂から瀬戸内海を見渡せるのがいいよ。
内湯も「スーパー銭湯」って感じだけど、足を出して浸るように入れるのは嬉しいし♪

加齢とともに(このフレーズ、自虐的に使ってるつもりだったけど、最近だんだん馴染んできたような気が…) 温泉も、小ぢんまりしてても、少々古びててもいいから、鄙びたフィトンチッド溢れる森の中でのんびり…みたいなのを求めるようになるってもんだけど、
怪我の身では、まずは「足を出して楽に横たわれる湯船」だな。

Takが赤ちゃんの頃は、それなりに赤ちゃんのための配慮のあるところを求めて行ってた。
そのときも、「ベッセルおおち」はホントによく来てたっけ。
妊娠中も、Takが生まれて間もない頃にも…


少し身体が不自由になると、いろいろ視点が変ったり、見えるものも違ってきたりする。

これからは、「加齢とともに」きっと、もっといろんな視点が変っていくのだろうな。
それをネガティヴにとらえたくないですよね~みなさん!

楽しく享受し、楽しくボヤき、かしましくいきましょ!


七十而從心所欲、不踰矩

五十になって天命をわきまえ、
六十になって人のことばがすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった♪



これはついでにTAKAMI家朝のお茶漬け





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プレゼントありがとう!

2012-11-09 | よしなしごと





先日は、おゆきちゃんからTakへ、サックススタンドが、

そして、今日はなべさんから、骨折お見舞いの「赤霧島」が届きました。


ほんとにありがとう♪


他にも、たくさんたくさんの、いろんなお友達からのプレゼントを頂いてきましたが、
私はその都度アップしてはきませんでした。
いただきものはプライベートなものだし、ブログにアップよりも、ご本人に感謝の気持ちを伝えることかと…



ほな、なんで、たま~にいただきものをアップしてるかというと、、、


それは、たまたま画像がうまく撮れたりなんかのときなのであります(^_^;)

うまく撮れなかったときは、頂き物もだけど、「うちゴハン」なんかも、ちぇっ、美味しくできたのに…と思いつつボツ。
それ以前に、撮ることなんかすっかり忘れているというのが正直なところなのです。


「赤霧島」
ピアノの上に鎮座して、やわらかな陽射しを浴びて、ゆるゆると、解禁のときを待っております(*^_^*)


「サックススタンド」は、モノだけみると、なんだかワケがわからなくて、
今日、Takの同級生の男の子がピアノのレッスンに来て、Takが折りたたんだ状態のスタンドを見せて、「これはなんでしょう?」と言ったら、
「う~~ん、、健康器具?」と、、  ホントにそーいえばそう見えるし(^_^;)
しかし、こうして本来の任務を遂行してるとき、なんと元気で美しいことでしょうか!!
 


…なんだか、贈りものたちも、とっても嬉しそうな気配が、、、







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老人のきもち・子供のきもち

2012-11-06 | よしなしごと





昨日はヘルパーSYOさんが来てくださり、整形外科を受診して、診断書を「スーパー」に提出して、近所でランチして、ダイソーで割れたグラスの補充をして、銭湯にいってきました。

これだけのことをやるのが、とっても億劫。

とにかく、行動がのろのろなので、駐車場から建物まで50m足らずを歩くのも「のろのろ」でもどかしいし、
スーパーや、お店の中でもてきぱきと思うように移動できないのはストレスだし、、
健常者の人と同じペースで行動できなくて、迷惑かけたくない、心配されるのも申し訳ない…と思ってしまうのは、A型だからか!?(^_^;)

その前に、なにより、出かけるときの着替えや準備がものすごくが億劫。

整形外科では、レントゲンを撮ったところ、まだまだ骨はくっついてないし、ギプスが外れるには、2週間以上かかるし、
その診断書を職場に持っていったら、各種休職関係の書類を提出するためにまた行かなきゃいけないってことだし、、、やれやれ。

家にいるときはなんとも感じないけど、外に出ると、怪我の身に、どことなくどんよりしている自分がいるのです。

高齢者で、足腰などの痛みや衰えを抱えている人って、きっとこんなだろうなぁ…と、ふと思いました。
それでついつい、家に引きこもってしまうのかも。
私は、SYOさんがいなかったら、きっとめっちゃ引きこもりになってしまうだろうな。
あまり歩き回るのも、骨折にはよくないんだけど、
家で引きこもってるのは、絶対精神的に老化しちゃうよ。
私はギプスが外れたら、元の生活に戻れるけど、もっと高齢者の方は、自分の身体が当たり前のように思い通りに動かせた若い頃には戻れないのだ、、
私とて、身体のあちこち、いろいろ問題点が増えている途上なワケなのだし。
だんだん自分の思い通りにならなくなっていく自分の身体と付き合っていくのは大変なことだろうな。


ちょっとスーパーの買い物ぐらいは車で1人でいけるのだけど、昨日、入り口付近がいっぱいなので障がい者用駐車場に停めさせていただこうと思ったら、
各駐車スペースの真ん中にどーんと「ここは、障がい者専用の駐車場です 香川県」みたいなたて看板みたいなのが置いてあるのよヽ(`Δ´)ノ
なんだコレは!
いったん車を停めて、車から降りて、この看板をどかしてから入れなきゃいけないってこと!?
夕刻で混み合ってる駐車場で、そんなめんどくさいことやってたら、他の車の迷惑になるじゃないの。
ドライバー本人だって2回乗り降りしなきゃいけないんだよヽ(`Δ´)ノ
何考えてんだ香川県は!?
結局私は、入り口から遠~~~~~いところに停めて、のろのろと歩きました。
ドライバーのマナーの悪いことで有名な香川県人、健常者も障がい者用スペースに平気で停めるから、ただでさえ予算がないのに、こんなものを作るのに税金を使ってるのかと、憤慨してしまったよ。

(さすがにこの件は、他のお客様からクレームがあったらしく、翌日には、「香川県」の看板は、車止めの向こう側に移動されてました)








…また別の話だけど、整形外科での出来事。


私が受診して、足のレントゲンを撮っていただいて、結果待ちの短い時間に、Takが通っていた小学校の6年生の男の子が、足からダラダラと血を流しながら、近所のお友達のお母さんという方に伴われて来た。
その子は、下校途中、友達と鬼ごっこだかなんかをしてて、他人の家の庭に入り、犬に噛まれたとのこと。
犬はリードを付けており、繋がれていたけど鎖がものすごく長くて、逃げる男の子に飛び掛って噛み付いたのだとか…
こんな場合、学校にも、犬の飼い主にも、責任はないのでしょう。真っ直ぐに家に帰らなかった「アンタが悪い」ってことで、、

まずは看護師さんが処置室で血を拭き取ったり洗い流したりしたらしいけど、その時点で、男の子は、実際の痛みより視覚的にショックだったらしく、「もうダメ、もうムリ!」と叫んでいました。
さらに、噛まれた傷は深かったようで、「縫わなイカンかも」などど看護師さんが言ってるのを聞いた男の子は、ビビりまくり、トイレに逃げ込んで鍵をかけて、閉じこもってしまった。
(実際は、犬に噛まれた場合、縫わない。まずは、傷口に麻酔注射をして、傷口の深くまで洗浄するそうです。これもまたキモチワルイけど。)
このあたりで、学校の養護の先生がいらして、付き添いの、お友達のお母さんは、事情を説明して帰っていった。

さて、これから、トイレに閉じこもってしまった男の子の説得が始まるのであります。
看護師さんと養護の先生で、いろいろ宥めたりすかしたりしてるようなんだけど、
男の子はあまりにも頑なで、何をいってもダメなので、私が帰る頃には、先生と看護師さんは
「アンタ、6年生にもなって、その態度はイカンやろう。ここのトイレは、家のトイレと違って、他の患者さんも使うんや。」
などと、脅し、叱る方向へと展開していた、、、


犬に噛まれて血をだらだらと流しながらやってきた男の子は、最初、妙に無表情で、ショック状態だったんだろうなと推察されます。
そして、自分の傷口が、血を拭き取ったら、とってもグロかったので、さらにショック、しかも縫うとか、狂犬病とかっていうやりとりを聞いていたら、逃げ出したくなるのは当然だよね。
でも、たぶん周りは「アンタが悪い」から始まって、痛い処置も「自業自得」というスタンス。

私は、養護の先生が、トイレに閉じこもっている男の子を𠮟っているのを聞きながら「それじゃーダメじゃん、ますます出てこないよ」と思ってしまったよ。

じゃあ、アンタならどうする!?

……


まずは、いったん、一切呼びかけをやめる。5分も経てば、彼は逆に不安になって自分から出てくるかも。
沈黙の5分は長い。
それでも出てこなければ、ドアをノックする。
彼は、他の患者さんがトイレを使いたくて来たのではと思って、鍵を開けるかも。
それでも出てこなければ、また時間をおいてから、ノックして、初めて話しかける。
とにかく、動転している彼には自分で考える時間が必要なのだ。
トイレを使いたい患者さんには、女子トイレを順番にご利用いただけばいいのだ。

病院は、嫌がる患者に無理やり処置をすることはしない、すべては、本人の意思を尊重することを伝えて、
このまま帰りたいなら帰ってもいい、自分で考えて好きなようにしていいんだよ…

そして、彼が自分の意思で出てきたときに、さらにこれからの処置について、きちんと本人に納得できるように説明してあげるべきだ。

コレが人間の尊厳だろー。たいしたことじゃない。でも、養護の先生は、病院にご迷惑をかけてはいけないと焦ってるんだろうな。

…と私は思ったのでしたが、
時間の事情で、私はこの男の子に全くかかわることができなかったので、何もエラそうなことをいう資格はありません。
Takと1年しか違わない、彼の気持ちは、あまりにもよくわかったのに、、、

トイレの鍵なんて、外から開けられるし、あの様子だときっと無理やり開けて連れ戻し、しかるべき処置をしたと思われます、、、



(素材はこちらよりお借りしています)


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松葉杖ファッション

2012-11-04 | よしなしごと



骨折してから、ギプス状態で穿けるパンツが殆どなく、スカートもあまり持ってないし、
タイツもストッキングも穿けないし、レギンスでさえかなり厳しい…

ってことで、着るものがあまりないので、あまり外に出かけたくない。
引きこもりと化しそうになっているTAKAMIなのでございます。

先日、ギプスでも穿けるワイドなパンツが欲しいなとおもって、g.u.とか、ユニクロなど回ってみたのですが、
特に、オープンして間もないg.u.には、お洒落な若い女の子がいっぱいで、
フツーのオバサンのカッコで足をひきずってる私は、なんだか場違いなところに来たような気がして、どんよりしてしまった。


ワイドパンツなんて、今時ないって!!

一応Webで、ニッセンなどざっくり見てみたけど、ショートパンツやストレート系のラインナップに比べ、圧倒的少数のバギーやワイド、、、
あんまりかわいくないし(-_-;)
どうせ買っても、ギブスが外れたらすぐに穿かなくなるんだろうなとおもうと、やっぱ却下。

じゃあ、ロングスカートに、オーバー・ニーのレッグウォーマーにするか、、、と思ったけど、なんとレッグウォーマーも入らないよ~~ヽ(`Δ´)ノ

足が寒いよーーー!特に膝!!
今日は教会の礼拝に、バギーパンツの下に、膝には、苦肉の策でネックウォーマーを付けていきました(-_-;)
あと2,3週間のために、伸びるサポーターとか、ギブス装着者専用防寒グッズ(あるんかそんなの)を買うのはもったいなすぎるので、
さてどうするか…

家の中では、どーにでもなりますが、外に出るとなると、なんだかどんよりしちゃうよ。
いつも行くスーパーを、足を引きずってとぼとぼと歩くのもなんだかとほほな気分だしね。
引きこもりになってやるーーー!!ヽ(`Δ´)ノ…と思ってたところに、、、


今日は、礼拝後、牧師先生とお話しして、今年の12月の恒例、クリスマスのストリートLIVE、私がアレンジやその他、選曲以外の大半を担当することに決まりました。
いくつかの教会に所属しているアマチュアバンドの、野外ステージでの賛美というものです。
さらに、別枠でTAKAMIのユニットのステージをやることになるかも、、、

さ~~またアレンジの日々だ。いきなりやること満載!








とりあえず、暇にまかせて、家にあるもので「松葉杖ファッションショー」やってみました。
あれこれ引っ張り出せば、なんとか外出の着まわしもできそうだけど、
このワイドパンツの中なんだよ問題は!!
ミイラのように包帯巻くしかないのか!?!?

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風はいつも見守ってくれた

2012-11-03 | アーティスト魂






風はいつも見守ってくれた







最近私がハマりまくっている、篠崎正喜画伯の作品による動画です。

篠崎画伯のことは、ネットで、介護関係のページを検索していてたまたま知りました。
氏は、2年前に97歳のお母さまを自宅で看取られました。
その8年間の介護生活の記録が彼のウェブサイトに掲載されていて、その文章がとても心に染みるので、
長大な文章なのですが、ざっくり読むだけではもったいなく、日数をかけて熟読しました。

「介護」についてだけでなく、随所に、生きるに、死を思うに、大切なことばが
野花のようにそよそよとさりげなく風にそよいでいるような文章なのです。



画伯の作品も拝見しました。

絵になにも知識のない私が感想を書くのははばかられるのですが、やわらかく、優しく、
どの絵にも、哀愁をおびて見えながらも希望や楽しみや力があるように感じられます。
そして「少年の心」を感じます。

篠崎氏も、きっと「万年少年」なのだろうなあ…


素晴らしきアーティストはどなたさまも万年少年だと私は思います。




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気まぐれドライヴ

2012-11-02 | よしなしごと


塩江「行基の湯」前



まずは、みなさまにご心配いただいている骨折関連の経過報告ですが…
ギプスが外れるまで休職することになりました。

経過にもよるけど、ギプスを外すのは今月後半の見込み。

収入のことは当然打撃であります。
11月は「スーパー」の収入がゼロ。ギプスが外れたからといって、その時点ではもう次のシフトが決まっているので、12月もほぼゼロ。
やっと、これからの生活のメドがたったばかりなのに、、、
これが神さまから与えられる試練か~~~

しかし、そうなら、これまで何度も、経済的どん底状態を救ってくれたのも神さまだと私は思っているので、先のことは心配せず、
それよりも、ダラダラと怠けまくり廃人になってしまわないようにと心配しよう(^_^;)


昨日はちょっと滝宮までお買い物にいってきました。

岡田佛心堂




私の高校「芸専」時代の同窓生「うねこ」ちゃんのお店であります。
彼女のご両親の代は、仏壇店ということだったそうなのですが、このたび改装オープンして、お洒落で癒しの、とても質のよいお香や、スタイリッシュなお数珠…などなどを扱っています。

もうすぐ父の一周忌なので、パートナーのヒロコさんが、亡き父との時を一緒に過ごせるような癒しのお香をと、求めに行ってきました(*^_^*)、、、
図々しくいろんなことを聞きまくり、結局うねこちゃんの個人的にお薦めのお香にしました。
ビンボー人の私には、日々こんな癒しの香りに包まれた生活は贅沢じゃ…と思うけど、、、
というより、まずこの荒れ果てた部屋を片付けないと、お香を焚くところまで全然至らないよ(^_^;)
でも、お香って、贈答にはすごくいいなあ~~と思うのであります。


うねこちゃんはピアノの先生。
そして、店舗の奥にはレッスン室が…
グランドピアノが2台。
5mの天井。
究極のレッスン室です。なんだかチャペルのようにも感じました。
スゴイです。こんなところでレッスンを受けられる生徒さんはめっちゃ幸せです。
ここでうねこちゃんは、毎日お店番をしながら、ピアノを弾いているのでしょう…




そこへ、いきなり乱入し、私もうねこちゃんのピアノで1曲歌わせていただきました。
久々に純正クラシックな気分で。
めっっっちゃ気持ちよかったわ~~~
コンサートホールのようでした。
なんだか自分の声がめっっっっちゃウマげに聞こえました(^_^;)






また近々いくね、うねこちゃん。突然の乱入に快くお相手いただき、ほんとうにありがとう。



その後、塩江へ…

「谷岡食堂」

ここは、サイモン和尚がブログで絶賛していて、これまで何度も塩江には訪れたにもかかわらず、未踏の地なのでありました。





サイモン和尚お薦めの「中華そば」いただきました~~!!
うん、ウマい! 麺もスープもさりげないのです。ガツンとくるわけでは決してないのですが、ほんのり懐かしく、ふと思い出しては食べたくなるような味です。
これを書いている今も、もうまた食べたい気分が沸々と、、、

店内はなんだか高齢者の方がたのサロンのようでしたよ~~(*^_^*)
70代後半と思われる女性5人組が、お座敷でそれぞれ自分の好みの枚数の座布団を敷いて、五目寿司や、唐揚げ、小鉢などで宴会をしているかと思うと、
こんどは、80前後と思われる男性4人組が、ぞろぞろとやってきて「特等席」を陣取りました。
「ここや。この店はこの席がえんじゃ~~」班長さんが仕切ってます(^_^;)
特等席は、お座敷の脇にある板の間の「応接セット」。

と、ここで、検索をしてみましたら、あしたさぬき超人気ブロガー{^L^}さんが「老人用ロイヤルデート席」とお書きになってました~~♪♪
よし。私もいずれここでデートするぞ!


女性軍団がかしましいのはお決まりですが、この男性4人組は、それに優るとも劣らないスゴイ方たちでした~~~
きっと同窓生軍団なのでしょう。
オーダーの仕方がスゴくて、とにかく我儘放題で、お持ち帰りの品物も注文してるんだけど、パックに詰めて持ってきてくれたあとで、やっぱり数を減らしてくれだの、ぐだぐだと言っている。
店員のおねーさんは、それをイヤな顔ひとつせず、面白そうに聞きながら、「ハイハイ」と…
そして、その後、嫁の話や、お孫さんの話で盛り上がりまくっていました。
舅軍団のヨメの話は、棘がなくって心から楽しめます。
隣の席で中華そば食べてる私は、そのワガママさ加減がおもしろすぎて、人目をはばからず大笑いし続けていましたが、
そのおじーちゃん達は、自分たちが笑われているなんて微塵も思っていなかったことでしょう(^_^;)
お笑い番組を観ているよりもあまりにもリアルで、おもしろすぎました。


七十而從心所欲、不踰矩…
孔子のおっちゃん、八十も欲しかったよ~~ 百まで書いてほしかった!!


とまあ、そんなわけで、私としては、高齢者サロン「谷岡食堂」、これからもずっと、私が80になっても変らず存続してほしい!!


なんだか、これから歳を重ねていくことがますます楽しみになってきたTAKAMIなのでありました(*^_^*)


Comments (3)
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