Takを先日から教会の日曜学校に通わせることにしました。
ここに至るまでには、まあいろんな経緯があったのですが、実は私、ずーーっと前からTakに神さまのことを伝えたいと思っていたのです。
私がいつも感じている神さまのことを、Takにも伝えたい。
私はクリスチャンではないし、何の宗教にも所属していません。
そんな私にも、神さまがいつも傍にいてくださる…というよりも、神さまに包まれているような感覚だろうか?
Takにもそんな私の思い結構伝わっているようです。
このブログ内を「神さま」で検索してみたら、いろんな場面が出てきたよ。
私は、Takに神さまのことを、ことあるごとに伝えてきたんだなあ…
特に、Takの「いつも神さまと一緒にお食事をしている」発言は、感動ものだったな…
TAKAMI:お月見のときにお団子をお供えするのはね、神さまと一緒に食事をいただくっていう意味があるんだって
Tak :神さまは、宇宙を全部包み込んでいるんだから、お月見のときだけじゃなくて、ぼくたちはいつも神さまといっしょにお食事をしてるんだよ
コレです。
もぉ、Tak勉強ができなくても、忘れ物してもいいよ…ってなもんです(^_^;)
Takは家に帰ってきたら、必ず「ただいま」と、家に向かって言う。そして靴をきちんと揃える。「いただきます」と「ごちそうさまでした」を手を合わせて言う。
これだけ!はいつもちゃんとやるのでそれだけはエライと思うわ。それだけはね。
そんなTakに、「教会学校はどう?」と尋ねてみたら、「僕にはよくわんない難しい話もあるけど、とってもいいお話が聞けてすごくいい」んだってさ。
Takは、土日しかTVを見せてもらえないので、休日の午前中はTVに釘付けなのに、私が仕事の日曜日も、ちゃんとTVのスイッチを切って、遅刻せずひとりで教会に出かけていきます。徒歩50m。
「Tak君が、将来、『洗礼を受けたい』と言い出したらどうする?」ってお友達に聞かれました。
私もある時期、そんなことがありました。母に説得されて思いとどまりました。
母は私にこのように言いました。
「宗教に入信することは、簡単なことだし、素晴らしいことだ。でも、まだ若いあなたがここで自分の宗教を決めてしまったら、アタマでいろんなことを考える理屈っぽいあなたはこの先に悩むことがあるかもしれない。洗礼はいつでも受けられるのだから、もっといろんな人生経験をして、よく考えて、納得のいく答えを出してからにしても遅くはないと思う。」
私の母は天敵のような人ですが、たまにスゴイことを言います。
Takを妊娠して、「羊水検査」を受けるかどうかを決めなくてはいけないとき、夫の母には受けることを勧められました。私は高齢出産でしたので、、、
検査を受けて問題ありとなったら、その子供は中絶する…という前提なのです。
私もそのときは悩んで母に相談しました。母はこう言いました。
「子供にどんな問題があったとしても、自分の子供はかわいいもんだ。それでも産む覚悟をしているのなら、出産までの時間を穏やかに、生まれてくる子供は、元気で健康だと信じて過ごすのがいい。だから、受けなくていいのでは。」
そして、私がいちばんスゴイと思う母の名言は
「子供は親を超えていかなくてはいけない。そうやって、世界はよくなっていく。」
母も、特定の宗教を信仰していません。でもきっと母も神さまとともに生きてきたのでは。
お盆やお彼岸にお花を買ってお墓参りをして、手をあわせてご先祖さまに感謝をする。こんな気持ちに「正しい」とか「間違っている」なんてあるの?
母は偉大です。
でっ、Takが「洗礼を受けたい」と言い出したら、私は、息子と、真剣に向き合って、人間同士として、「神さま」の話ができる、それは素晴らしいことだと思うのです。
私たち親子の間では、ほんとによく「神さま」の話題が出ます。
もうすぐクリスマス。
去年は、Takに、神さまとイエスさまとサンタさんの関係を聞かれて、考え込んだっけな~(^_^;)
スーパー「マルナカ」の駐車場で、クリスチャンのお友達にtelして、助け舟を出してもらったけ(*^_^*)
サンタさんは、神さまのお使いで、「この子にとっていちばんいいプレゼント」をもってきてくれると、心の底から信じているのです。
すごいわ~~
私がTakの歳には、もぉとっくに醒めてたもんね(^_^;)
今年はね、きっとTakの部屋に書棚が設置されて、そこに児童文学全集が並ぶんだよ。
これに関しては、Takのとーちゃんとも金銭的折り合いをつけるため、折衝しなくてはいけませんけれど(^_^;)