SYOさんが天国に帰ってから、激泣きの回数も少しずつ減ってきたような気がします。
もともと寂しいけど辛くはありません。
もうそろそろ別の記事も書けそうかも、、、
今日は、実は久しぶりにピアノの蓋を開けました。
久しぶりすぎるだろ~~~~!!
4月から早速SYOさんの後任で奏楽の奉仕をすることになっていて、
いくらなんでも、もう練習せねば、、、
どんだけ音楽と離れてしまっていた!?
ヨッパで激泣きしてしまうことがあるのは、もうひたすら神さまへの感謝とか、「神さまほんとにありがとう」という想い。
神さまが私とSYOさんの出会いからお別れまでのすべてを計画通りにしてくださったのだという想い。
そして、ひとりになっても、私はこれから、賛美リーダー(歌)だけでなく、奏楽者としても用いられていくのだ。
あと、聖書朗読者。
ものすごく嬉しい。
これも神さまの計画。
exintaはギリシャ語で60 ここらかの出発と思えます。
カンレキってなんかイマイチ…いや、イマ∞なので、言いたくないし、なんかオシャレなヤツないんかいと、誕生日頃にいろいろ捜してみてたのですよ~~♪♪
激泣きとは感激泣きです。
激泣きは私にとってカタルシスなのでよいのです。
SYOさんの衝撃的な召天のあと、、家族が心配してほんとうに毎日のように、食事を持ってきてくれたり、顔を見にきてくれたり、電話をくれたり、
そして、各種手続きに付き合ってくれたり、甘やかされまくっていた私。
どんだけ幸せ?
昨日は3週間以上ぶりに仕事にいったけど、全然OKでしたわ。
むしろ、眠くもならず、ランチ後、コール音 鳴り中に、眠気で思考停止とかもならなかった。
「成約」もちゃんととれたし、上出来。
それより、朝の出社時とか、ログイン、ログアウト時、そして帰りの「手順」とかちゃんと覚えてるか、かなり不安だったけど、これもクリア。
まだらボケは進んどらんわ!!
家族がとっかえひっかえ、私のことをかまってくれたのは、TAKAMIがボケないようにと、、、まずソレ!
ひとりでどんよりと誰とも喋らずにいたら、イッキに認知症になってしまうので、それはなんとしても阻止しなければ( ̄□ ̄;)!! …ということで。
ほんとにありがたい家族です。ほんとに愛する家族。
家族っていいなあ。
母にはまたしても以前のとおり、小言もめっちゃ言われるようになった。
まずは「酒飲むな」。
もーこの歳で私の飲酒にとやかく言われたくないよ。
…とも思わなくなったし、母の小言に対しては、ほんとに「かわす」ことができず、真正面から反発して大喧嘩もして、こじれまくってたけど、
カ・ン・レ・キですから
これからは楽しくガンバロウ exinTAKAMI
最近キリスト教とか、神さま系の記事が多いですが、この際ご容赦を。
ついでに。
キリスト教では、「死者の霊魂に話しかけるのは聖書的ではない」のだそうです。
え~~~~っ!!……でしょう?
お墓参りなどしたとき、いや、自宅の仏前に手を合わせるとき、仏教では絶対に亡くなったじーちゃんばーちゃんや従弟などなどに話しかけて、
「これからも穴吹家を守ってね」とかお祈りするのが当たり前だったじゃないの。
それって、すごく信仰深い行為じゃないの、、、?? これを「偶像礼拝」というのか??
現世で亡くなったら、次の世界で仏になる。仏教のお葬式では、その儀式…みたいなのを葬儀の中でやります。
実父は浄土真宗なので、私は、浄土真宗についてはかなり調べましたのです。
浄土真宗では、死者の霊は49日間この世とあの世の狭間を彷徨ったりせず、亡くなったらすぐに仏様の御手に抱かれるそうですし、お盆に家に帰ってきたりもしません。
じゃーなんで四十九日やお盆をやるのだ( ̄□ ̄;)!! …ってことは、どうぞ個々でお調べを。
10年前に、実父と、高校の1年上の、身寄りがないという鈴木一也先輩(当時私のヴォーカルの生徒さん)を、10日違いでお見送りしました。
実父は社交ダンス会のエライ人(肩書きは忘れました)でしたので、お花に囲まれた仏式の盛大な葬儀でした。
一方、鈴木先輩は、ほとんど親族とのかかわりもなく、葬儀費用も全くないと仰るのです。
私がキリスト教の洗礼をお勧めしたところ、彼は喜ばれて真剣にその日を待ちわび、私が父の葬儀で見舞えない期間にはSYOさんが見舞ってくださり、
洗礼に「間にあいたい」と仰っていたそうで、亡くなる前日に洗礼を受けて、クリスチャンとしてキリスト教の葬儀で旅立たれました。
病室洗礼式のときには、私、牧師先生のギターで賛美歌うたいました。
さらに私、なぜか喪主、、お付き合いしていたわけでもなく、身内でも当時はクリスチャンでもないけどナゼか鈴木先輩の喪主、、、、、
さらに葬儀ではSYOさんのピアノで、賛美歌うたいました。
あまりにもスゴすぎで、まあ、ここで書くのもなんです、、、
一応10年前にはこの件については書きまくっていますので検索でご覧いただくことはできるかも。
とにかく、キリスト教では、亡くなった人は「亡き骸」であって、死者に語りかけたりはしない。
亡くなってからのことはすべて神さまが責任を持ってくださる…と、そんな感じです。
ですので、私はSYOさんの霊魂に語りかけたりはしません。自分でもなんかソレ違うと感じるし。
でも、心の中にいるSYOさんとはいつも一緒。
いつも楽しく思い出すし、一緒感ず~~~っと続いています。
たぶんこれからも。嬉しいです。
ですので、時々ヨッパ激泣きはまあよいのではと、、、
ところで宗教によって、死後に行くところが違うのでしょうか?
私はそうは思いません。
人間の「死」とは、誰も等しく「死」だと思うのです。
霊魂の行き先が、生前に信仰していた宗教によって異なるなんて、誰が決めたのだ?…そりゃ人間が、、、
宗教ってなんだろう?? なんの為にこんなにいろんな宗教があるのだろう…
と10年前の、父と鈴木先輩の葬儀に際しては混乱しまくりました。…し、いろいろ考えまくりました。
しかし、私は実は物心ついた頃から、小さな子供の頃から、この世界は神さまがつくったものと感じていたのです。
キリスト教の神さまが、私が子供の頃から信じている世界を創造した神と思います。
さらに中学生の頃、TVでイエス・キリストの映画を観て、イエス様がめっちゃ大好きになったのです。
「進化論」は全然ダメダメだし、30代の頃、家族と初めて伊勢神宮にお参りしたとき、ものすごく楽しみにわくわくしていたのだけど、
ここに祀られているのもやっぱり「人間」なのかーということにもえ~~…とかなりガッカリしましたのでした。
すみませぬ。
いろんな考え方があると思います。
しかし、これが私の感性なのです。
聖書の神は、残虐で、生贄を求め、異民族を聖絶せよと言う。
そんな神をどうして信じられるのか、、、、
では他にどの神がいるのか。
…ということになるのですが、
私は世界の始まりから終りまで綿密に正確に記している「聖書」を全面的に信じています。
そして神さまの私への無限の愛と恵みも全面的に信じています。理屈ではなく、魂なのだと思います。
以上。
まとまらない文章だからこそ、今のたかみちゃんの心象がよく表現されていると思います。
「寂しいけど辛くありません」、「激泣きとは感激泣きです」は前向きでいいですね。
私は今のたかみちゃんにかける気の利いた言葉を持ち合わせていませんが、人間は悲しいことを忘れられるから生きていけると云います。
時の経過とともに、きっと楽しいことは増幅し、悲しいことは退化していくのでしょう。
私は最近、ショーちゃんと一緒にプレイした音源CD
をよく聴いています。
ショーちゃんがswjoを離れてからは、年に一度香松で会うだけでした。
山ほどある音源を、毎晩子守歌代わりに聴いていると、よりショーちゃんの存在が身近に感じられます。
ショーちゃんの良さは何と言ってもクラシック・ジャズです。
リストの「愛の夢」や「ラ・カンパネラ」、そしてショパンの「バラードNo.1」など、ジャック・ルーシェやオイゲン・キケロを彷彿とさせる名演奏ばかりです。クラシックとジャズ両方のソウルをよく熟知しているからでしょう。
ステレオのスイッチさえ押せば、いつものショーちゃんワールドに入れます。
これからも仕事、音楽、教会活動など、できることから少しずつ始めてくださいね。ボケるなんてとんでもありません。
最後にこんな一節はいかがでしょう。
『悲しんでいる人たちは、幸いである。彼らは慰められるであろう』 (マタイによる福音書)
ほんとうにめっちゃありがとう。めっちゃ愛を感じるわ~~~
私、前向きっすよ。
私は、SYOさんのクラシック・ジャズ…以前に、彼が完全に独学でピアノをやってきたことによって、SYOさんの体の中には、フツーにピアノを習ったり、アカデミックに学んだりしてきた人とは全然違う、SYOさんが本来持っているプリミティヴ?なリズムや音の感覚をそのままで保ち続けてきたのだ…ということがわかりました。それってスゴイなあと、今さらですが感じています。
それがいきなりちょん切れてしまったのはとっても残念です。やっとわかったので、これから一緒にやるLIVEでは「さあこれから!」と思っていたところもありました。
実は私、SYOさんのLIVEのDVDとかどっか捜せばあるだろうけど、今すぐに視聴ができません。聴きたいなあ、、、もしお差支えなければ聴かせてね。
それと、人生最後の香松の演奏についても伺いたいなあ。
そして、マタイのみことば、めっちゃありがとうございます。
キリスト教じゃない方から、こんなふうに聖書のみことばから慰めのことばをいただいたのは、なかちゃんだけです。
どれほどなかちゃんが、SYOさんとの音楽活動を大切に思われていたか、そして、SYOさんとTAKAMIとのことを思ってくださっていたのかが伝わってきます。
ほんと~~~にありがとうございます。