WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

桜はよ咲け♪

2017-03-31 | よしなしごと



さぬきのめざめ(約50cm)




最近、投稿が停滞してます。


あまりに毎日が濃いので、、、


TAKAMI家、毎年毎年、年度末はカツカツで、どうやって乗り切るか、闘いの様相。
各種滞納を支払い、今年度の赤字ン十万円。
これを毎年繰り返し、自転車操業状態がもうずっと続いている次第。

ベランダで夜、洗濯物を干しながら、下ばかり眺めてどんよりしている時に、
「おかあさん、みて、お星さまだよ」
…といって、私の視線を上に向けてくれる息子にどれほど救われたことか。


「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイの福音書6章34節)

私はこれを地でいっている。
もうどんよりはしません。
この聖句、簡単にいえば「なんとかなる」ってことだ。
必ず神さまがなんとかしてくれるので、思い煩うのは無駄ってこと。


私の周囲を見渡せば、私ほどの貧乏な人はいない。
この歳になれば、みなさま、お子さんを育てあげ、それなりの収入、それなりの貯蓄、
定年後の人生の準備も整いつつある世代。
ところが私はこれから、息子に最もカネのかかる時代に突入。
どうすんだ!?
いや、どうもしない。
毎日毎日を大事に生きよう。



さて。

このところのお気に入り画像アップしとく。














今年は桜が遅い。
でもウォーキングでは、こんな風景も。
空気がゆるんでる。
今年はイッキに満開になりそうですね♪






SYO Michaelガーデンのポタジェでは、パクチーが常緑樹と化していて、
あまりにも生い茂っているからと、大量にいただきました。
どぉすんの!?
とりあえず生ける、、、






これは、「ラープ・ムー」というタイ料理。
豚肉の辛酸っぱいサラダ…とでもいう?
ハマったのは四半世紀前頃でした。
タイ料理店にも行きまくったけど、自宅でも作りまくりました。
当時は「ナンプラー」さえ入手できるお店が限られていたし、国分寺駅ビルの青果売り場の担当の方にに「パクチー」を入荷してくださいとお願いしたら、
担当者さん、ワケわからず、翌日ほうれん草のような大量の束で売られていて、大喜びしたっけな~

高松でタイ料理店に行ったことない(T_T)

自分で作るしかない。
大昔の記憶を頼りに作ってみた。
味や香りの記憶って、すごく鮮明で、すぐに甦る。

しかし…SYOさんに頂いたパクチーはこんなんじゃ消費しきれないよ(^_^;)








これは、昨日の黒毛和牛丼。
彩りわろし…ですが、息子はそんなの関係ねーーー!!

マルナカ仏生山店、新装オープンタイムセール。
黒毛和牛ステーキ肉、100g480円、あり得ない安さ!!
1枚買った。2枚は買えなかった(-_-;)
息子3/4  私1/4 …

周囲の脂身をすべて削ぎ落とし、みじん切りにして焼付け、ガーリックライスに混ぜ込む
…ことによって、メシのボリュームを出し、
少量の肉で満足感を与える。

これ、八王子「うかい亭」のパクり。




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秋濤センセのメッセージ展にいってきた

2017-03-24 | アーティスト魂




NAYA-NANYAで開催されている、3.11からのメッセージ展に行ってきました。

今回が29回目とのことで、先日もご案内させていただきました。
26日まで開催されています。今週末、ぜひお出かけください。

あちこちの学校での展示で大移動をしてきた書は、角がつぶれていたり、表面が少し毛羽立っていたり、うっすら汚れていたり。

それら、みんなNAYA-NANYAに帰ってきて、それぞれの姿で迎えてくれました。

「おかえり」って気分でした。
やっぱり、このメッセージ達は、ここで味わうのがいちばんいいな。
じっくり膝をつきあわせて向かい合って、たっぷりと受け止められる。

「つぶれ」や「汚れ」にもいとおしさを感じました。




早朝に、池田秋濤センセから電話のあった日のことは、今でもはっきりと覚えています。
センセは、震災の後、すぐにボランティア活動を始められました。
被災された方のご仏前にと、砥部焼きの湯呑み茶碗に、1個1個「やすらかに」と書いたものを、ご自身で被災地まで届けていらっしゃいました。

「メッセージ展」とは、仮設住宅に訪れたボランティアの方などへ向けて、
チャリティーとして売られている「栞」や、「千代紙人形」などの中に同梱されている被災者の方がたのメッセージ…心の叫びを、先生が書にされたものの展示だそうです。

朝の電話で、先生は…それらを書にして展示してみた、ところが、額が邪魔だったり、
色紙の金縁が邪魔だったりする。
いろいろ考えながら並べてみた…とおっしゃるので、そりゃ~今すぐ見にいきたい!!
速攻行きました。











5年前の5月30日。


このような被災者の方たちのメッセージを、床に座ってじっくりと向き合い、味わい、受け取るには、こんな相応しい場所はほかに思いつきません。
私はたちまち涙が溢れました。
ここに展示されている「ことば」のひとこと、ひとことが、津波になって、その津波の先端の飛沫のところからどどどど…っと、襲い掛かって、
こころの奥底までなだれ込んで、奪い去っていく…みたいな、本当にそんな感じ。
(第1回メッセージ展の拙ブログ記事より)

















今回は、メッセージ展を見た小学生~高校生達の感想文も、全文ファイルされ、その中から一部、同時に展示されています。

私は冒頭の画像のこの少年の感想に、掛け値なしに共感しました!!

前回記事と重複してしまいますが、今回自分で行ってみて、
これから起こる災害に対する意識を高め、モノはもちろんですが、心の備えをすることについて、
真剣に、重く受け止めていかなくてはと改めて感じました。


さて。
私のアーティスト魂が今回感じた「つぶれ」や「汚れ」についてなのですが、、、
私は、このことが、今回すごく心にとまったのでした。

私も実は、以前センセに「生活の書」を書いていただきました。
「床に傷がつくので、椅子は手で持って引いてください」
という意図のもので、暫くの間、壁に掲げていましたが、
せっかくの作品が時間の経過とともに色あせそうなので、もったいなくて
「もうそろそろいいかなあ」と、ひっこめてしまいました。




しかし、ひっこめて押入れに入れてしまうと、全く意味ないし。
だからといって、大切な作品として額縁に入れるのも意図が違う。

作品の保管ということについて、かなり考えました。
センセのメッセージは、このたびNAYA-NANYAに帰ってきたけれど、
これで終わりではなく、またこれからも、次々と旅に出ることでしょう。
そして、またこれからもあちこちぶつけてくることでしょう。

3.11のメッセージには、センセの落款がありません。(ハンコのことよ)
ですから、先生の作品展ではないのです。
あくまでも被災した方たちのメッセージ展であり、センセはその代弁者のようなスタンスです。
私は、そこのところが、素晴らしいと思っています。
だから、センセは、メッセージがあまりにもボロボロになって帰ってきたら、また新しく書き直すかもしれない。
そしたら、同じ言葉からまた以前の作品とはまた違った思いが伝わってくるかもしれない。
「生活の中の書」とは、そのようなものなのでは…と、これは私の個人的な考えです。

私は「生活の中の音楽」を生徒さんたちにお伝えしようとしているつもりなので、そのように感じるわけです。
そもそも、音楽とは、時間のアート。
風のようなものです。
録音したものを再生するのとは違うし、
コンサートやLIVEに集まって下さる人たちに向かって演奏するのともビミョーに違う。
その時に吹く風と一緒にうたって、今ある幸せも悲しみも噛み締める…
これが音楽の原点だと私は感じています。

伝える…というよりも、分かち合うことなのではと思います。


残り2日となりました。

ぜひお出かけください。





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あれから6年

2017-03-11 | よしなしごと
 Keith Emerson "The Land Of Rising Sun" / キース・エマーソン 「日出ずる国へ」




この日のことは、何年経っても忘れられません。今でも言葉になりません。


この年は、私にとっても壮絶でした。「死」について肌身で感じて考える年だったな。



書人、池田秋濤先生が、NAYA-NANYAで「3.11からのメッセージ展」を開催されています。

センセは(私はそうお呼びしてますので、悪しからず)何度も被災地に赴き、被災された方の思いを書にしたり、
「やすらかに」と書かれた湯呑みを、お仏前に…と寄付されたり、
メッセージ展も、各地で催されたり、
絶えることなく、ずっと活動を続けていらっしゃいます。


今回のメッセージ展は、3・11を思い起こすだけでなく、
これから起こる巨大地震に対して精神的、物質的に備える意識を高めるために…という思いもセンセにはあるのではと思います。

以前、高知の小学校~高校、十数校で、このメッセージ展を行った際に集まった生徒たちからの感想文も、今回は同時に展示されています。

高知は、南海地震の際には最大数十メートルの津波が予測されており、県下の生徒達の防災に対する意識も香川と比べて格段に高いようです。
備えもさることながら、現実となったときに人がどう協力して乗り越えていけるのか、これもまた、大きな課題だと思います。
これまでの価値観が覆ったときに、大人も子供も、なにを拠り所にそこから先の人生を進んでいったらいいのか。


3.11の被災地の方たちからのメッセージは、それらのことを伝えてくれます。


ぜひお出かけください。









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毎朝オムライスを作る

2017-03-05 | 教育ママ日記








ある日、息子が、これからお弁当は毎日オムライスがいいと言った。
以来、私は毎朝オムライスを作っている。
もう1ヵ月以上。
「飽きたらいつでも言ってね」と言ってあるのだが、全然飽きてないらしい。

オムライスは、お皿に盛り付けるのは簡単だけど、お弁当箱に入れるのは難しい。
それでも、毎日作っていると、コツを習得するもんだ。
冒頭の画像は高校入学当初のもの。
これでも結構大盛りガッツリなつもりだった。
今やこんなんじゃ全然足りず、ミッフィーの折り畳み容器。
これ便利。





普通は冷蔵庫での保存に使い、使わないときは折り畳んでしまっておく。
しかし、オムライスを入れるときは、この広口からスムーズにフライパンから滑りこませることができる。
そして、折り畳んで高さを低くして蓋をすればお弁当箱サイズでぴったり。

…ところが、毎日作っているうちに、ご飯の量がだんだん増えてきて、
折り畳んだ状態では収まりきらなくなってきた。
そしてついに、今日は蓋が閉まらなくなった。

なので、伸ばしたままで蓋をしましたとさ。







さらに、毎日使うケチャップ、ごま油、バター、レッドペッパー、減るのがめっちゃ早い!!

TAKAMI家のオムライスは、レッドペッパーを入れる。
その量も、日ごとにだんだん増えていっている。
ある時、香川産のマイルドな唐辛子をふりかけたら、「今日のオムライスは辛く、物足りなかった」と言われた。

TAKAMI家のオムライスは辛くなくてはいけない。

ケチャップがあまりにもなくなるのが早いので業務用を買おうかと思うんだけど、
買ったとたんに「オムライスもう飽きた」と言われたらガッカリなので二の足を踏んでいたが、
まだまだ続きそうなので、次は業務用だな。





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「ロバのパン」に遭遇!

2017-03-03 | よしなしごと






毎週木曜日は終日オフ。

最近は、SYOさんと「フロメシ」というのが定例化しとります。

Takが小さかった頃は3人で動物園、ハイキング、虫捕り…などなど、活発だったのであるが、
やはり、子供の成長とともに、夫婦ならずとも「まったり系」となってしまうのですね。
(いや、夫婦でもますます活発化…っていう方もいらっしゃいますが)

さて、今日は「ベッセルおおち」でフロメシ飲み&昼寝…ってことになりました。
道すがら「青木海岸」に立ち寄りました。





7年前に、TakとSYOさんと3人で訪れたときにも、ここに立ち寄りました。
息子Takが砂浜に「お母さん大好き」って書いたんだよ。懐かしいなあ~~~
彼の心の中は今でもあのときと変わってないと素直に信じるよ母は。



7年前の画像。 ビデオカメラもない私は、こうやって息子に文章と画像を遺すのだ。



さて、このあと、「ロバパン」に遭遇しました。海岸沿いに向こうからやってくる!!

こんなとこで出会う!?

車の中からにっこり笑って手を振りまくりましたとも!!
お互いの車を停めて、、、
ホント、お会いできて嬉しいっす!!と、思い切りお伝えしました。
そして、パンを買うより先に、画像、撮らせていただきました。
バックは海だよ\(^o^)/
こんなとこで遭遇ってどぉよ!!

歌詞にある「ロバのおじさん」じゃなく、笑顔のめっちゃ素敵なお兄さんでした\(^o^)/




あ~~ホント、出会えてよかった。
「再会」な気分。

昔と変わらない「蒸しパン」
5種類買いましたが、殆ど息子Takが食べた( ̄□ ̄;)!!
私の口に入ったのは「くるみパン」と「豚まん」のみ。
すごく美味しかった!


「ロバのパン」は、創業1953年。
ピーク時(1960年ころ)には西日本中心に約170台の馬車で引いて販売に回っていた。
現在、正式に本部より承認を受けている代理店は、岐阜県岐阜市、三重県四日市市、高知県高知市、 徳島県阿波市の4店と京都の本部だけとなっている。

…とのことです。
四国ラッキー!!



SYO画伯による「ロバパン」の図



SYOさんのお話しによると、10代の頃に、ロバが引いている「ロバのパン」に何度も出会ったとのこと。
ロバが引く車には、おじさんの他に、販売員?の女子が2人ぐらい乗っていたとか、、
そんな重い車をロバが牽けるの??
いつも翻訳でお世話になっている舟田譲二先生によれば、あれはロバではなく、ホントは馬だったのだとか、、、
ウェブサイトにもそのように記載されてます。
じゃあなんでロバのパン??

私が子供の頃は、もう車になってたけど、ロバパンの曲はずっと変わらず、今も変わらず。

それがいいのですよ~~ ねっっ\(^o^)/







突然ロックやヒップホップになってほしくないよ。
話逸れますが、長い東京生活から懐かしの高松に帰ってきたら高松まつりの盆踊り「一合まいた」がポップス調で、しかもメロディーまで変わっている…って、めっちゃガックリだったもんね。
あり得ん<`ヘ´> やめて~!

ロバパンの歌がロックやヒップホップにアレンジされて流れてきたら、私、もう買いたくないよ。


…とか言いつつ、私はスタンダードの曲をTAKAMIならではのアレンジやってます。
矛盾しとるんちゃう!?

近々、「ALL OF ME 」を、ワルツでディズニー風に、しかもデュエットで歌おうとしてます。
王子さまと侍女ね。
これはこれ。
ロバパンの歌も、トトロも、サザエさんも、LIVEではアレンジしまくります。

話逸れまくりました。sorry。



お兄さんは、ロバパンの歌とともに爽やかに去っていった



さて。この後、「ベッセルおおち」
フロ→飲み→昼寝
全然ゴージャズでもないフツーの日常堪能。
2時間お昼寝しました。













家に帰って、息子Takが塾にいってる間に、こっそり隠しといたロバパンの「豚まん」、レンジでチンして食べた。
すごく美味しかったよ♪

ロバパンの蒸しパンは、表面の皮がはじけて中の具がのぞくように仕上げるのが特徴とのことで、この製法は門外不出の秘伝のベーキングパウダーなのだとか。
今も変わらず、、、

このうたが流れてくるのは、ほんとに稀有で奇跡的です。
ゼヒ、みなさん、駆け足で、チャリで、追いかけましょう!!






ロバパンの袋から検索しました。
「ロバのパン」
特にこのウェブサイトの中で、「ロバのパンの歴史」の中の、日経新聞の記事が感慨深かったです。
分かち合えたら嬉しいです♪♪





Comments (6)
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