WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

「私が連れ込んで押し倒しました」3

2019-07-24 | 人生妙なり





朝の7時過ぎに、実家の母からTELがありました。

「今すぐTakを迎えに来い」


本来なら、息子は10時半~11時ぐらいに、母または父がうちに送り届けてくれることになっていました。
私は姑息に、その時間までにSYOさんをご自宅にお送りすればよいと思っていたのでした。


何故突然息子を迎えに来いと言ったのか詳細は忘れました。
恐らく、母は卓球関係で、選手だったり、審判もしていたり、結構その世界ではわりと有名人?なので、突然のご指名とかがあったのではと思われます。

そして有無を言わさず、Takを残してもう出かけるから、すぐに迎えに来るようにと言われたのでした。


大変だ! 1時間ぐらいしか寝てないし、最後のほうはさすがにもう飲んでなかったけど、それでもまだ酒が残ってる。マズイ。しかし迎えに行く以外の選択肢はない。


私はすぐにSYOさんを起こしました。
一緒に息子を迎えにいくのに付き合ってほしいとお願いしました。
(さらに押し倒しまくる)


だって、息子を迎えに行って帰ってきたら見知らぬ男が部屋で寝てるって、めっちゃマズイじゃ~~~ん。


実家に行って、ひとりで私が迎えに来るのを待っている息子を連れて、車に乗り込みました。
助手席にはSYOさんが座っています。

「SYO Michaelさんよ。ピアニストで、お母さんの音楽仲間よ。」と紹介しました。
息子はすぐに打ちとけました。
SYOさん、こんなちっちゃい子ども、だいじょうぶかなあ…と、ちょっと心配だったのでした。
まだ全くといっていいほどSYOさんのプライベートなことを何も知らない私は、ナニゲにちょっと不安だったのでした。

車の中でどんな話をしたのか全く憶えてないのですが、息子は家に帰ったとたんに、すぐにピアノの下から、入学のときに叔母(私の妹)に貰った自慢の地球儀を持ってきて、SYOさんに提示しました。そして

「しょうまいけるさんのおうちはどこ?」

と言いました。
「しょうまいける」とは、日本語を話す外国人だと思ったのだろうか??
息子はまだ2年生なので、地球儀の中で日本の四国がどこにあるのか…さえもあまりよくわかっていません。
でもSYOさんは、一応、日本の四国の小さな香川県を指差して「この辺や」とちゃんと答えて下さいました。


それから、SYOさんと息子はすっかり意気投合して、お友達同士のお付き合いが始まりました。


私がまだSYOさんのプライベートなことなどなど、全然お聞きしてないうちから(ほんとはシャイでおくゆかし~んだよ私は)
SYOさんと息子はどんどん仲良くなっていきました。
「連れ込んだ」日、SYOさんと私はたぶん音楽の話しかしませんでした。(しつこく、ほんとはシャイでおくゆかし~んだよ私は)


しかし、SYOさんと息子の当日「地球儀事件」のあと、帰宅してから少々ですが、拙宅でほんのちょっとセッションタイムありました。
何を演っていただいたのかは全く記憶にないのですが、TAKAMI家リビングがJAZZで満たされてとっても嬉しかったのでありました。
それは息子にも伝わったてはと思います。
ここから3人の付き合いが始まったのだな~~と、、、、
あくまでも3人。SYOさんと私の2人ではありません。

私は、SYOさんの過去?を聞き出すのにも、それからさらに数か月かかっているのです。
聞き出す…って、そんなに強引に聞き出さないよ。
自然にわかってくるのに…です。
SYOさんは「アレがアレや」などと言うので、「アレ」を類推しなくてはならない。
おくゆかしい私は、その場でストレートに聞けないのだ。
今は聞けるけどね。

だから、とんでもない全く逆の解釈を何週間もしていたときもあった。
この件もスゴいんですけど、さすがにSYOさんの過去のプライベートなので控えておくよ。



その後はまあ、徐々に画像もアップするようになったので、ご存じのとおりです。ですので、今回の連載はこれにて終了~~とさせていただきます。


この連載を書くにあたって、当時のことを検索したりなどしながら、SYOさんとTakのツーショットをたくさん見つけました。
でも、ここには限定2枚のみアップします。
あまりいい気になると息子に文句言われそうだからです。
当時息子はは大変あつかましい子供で、SYOさんだけでなく、誰でも自分が「好きだ」と思った人の膝に乗ったり、何でもタメ口で言いたいことを言う。
この無遠慮さにどれだけハラハラしたことか…
しかしその息子はもう今日はいません。息子は分別のある大人に成長しました。

私としては、これまでブログに息子の成長記録として、いっぱい画像や文章をアップして残してきて、本当によかったな~~~~と思います。





このたびは、SYOさんとの「なれそめ」をセキララに書くのが目的だったと思います。
しかし、こうして書いているうちに、SYOさんと私の「なれそめ」よりも、SYOさんと息子Takの出会いに気持が移行していったかな。





また、初期の頃ブログには書いてなかったエピソードなども時折ご紹介させていただきます。


御清読ありがとうございました。



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「私が連れ込んで押し倒しました」2

2019-07-23 | 人生妙なり





さて。

ことが起こったのは、2007年6月Speak Lowのセッションの日です…から、第3金曜日。
当日のブログによると私はどなたかヴォーカルのお友達と一緒にセッションに参加したらしい… けど、全く誰と行ったのかは憶えていません。

そして、セッションはとっても楽しかったと、ブログにはしれっ…と書いています。今となっては全く憶えていません、でっ、その後。

私は、流れで、SYOさんと、そのお友達の男性と3人で二次会に行くこととなり、居酒屋のお座敷で気持ちよく飲みました。
そして、その男性ともお別れして、私はSYOさんを私の自宅で3次会やりましょとお誘いしました。
まだSYOさんと私は、地元大御所ミュージシャンと、これから高松で活動しようとしているミュージシャンのはしくれ…というカンケイなのであります。

フツーよぉ誘わんわ。よぉ誘ったわヽ(`Δ´)ノ
よほど気分良くヨッパであったと思われます。SYOさんはとってもいい人なので、とりあえずまあいいか…と応じて下さったのだと思います。いや、心からのんベーだったってのもあるかもな。

当時は、自宅マンションは、まだ引っ越して1年余り。部屋の手入れもちゃんと行き届いており、誰をいつお招きしてもよい状態でした。
今なら絶対ムリ!
しかも、私はチャリだったので、SYOさんにチャリの二人乗りを強要しました( ̄□ ̄;)!!  よぉ言ーたわ。もうこの時点から「押し倒して」います。
いや、3次会にお誘いした時点で押し倒しています。

SYOさんがチャリを運転して私が後ろに乗るのですが、もぉ~~これで違反だろっ!?
私のチャリの後ろには、息子のために一応子供用のカゴのようなチャイルドシートが備え付けてあるのでこれで大丈夫…とヨッパの頭で思ったらしい。

そして、SYOさんの運転で、スリムな腰の私はチャイルドシートにオシリを突っ込み、ニケツで自宅マンションへと向かおうとするのですが、SYOさんはあまりにも自転車に慣れておらず、フラフラで運転おぼつかないので、
私は、早々にタクシーを捕まえて、運転手さんに行き先(自宅)を告げて、SYOさんをタクシーにねじ込みました。






ところで。
この日は、「セッションデー」ってことで、息子は、実家に預けていたのでした。
小学2年生だからね。1人でお留守番はようせんわ。
もちろん最初からSYOさんを連れ込むためではありませんからね!!
でもまあ、今日は息子がいないからSYOさんを連れ込もう…ぐらい気が大きくなっていたのかも、、、、いんや~もうシラフだったら絶対あり得ない展開。


ねぇねぇ、これも神さまのご計画だと思う????


でっ、リビングで2人で飲みつついろんな話をしたけど、殆ど憶えていません。残念だったな~もったいなかったな~~
SYOさんの年齢は伺ったような気がするけど、それもさえも翌日になったら忘れてたし。
とにかく、かなりどっぷりと長~~~く語ったので、だんだん明るくなってきた。季節は夏至の頃。
私もヨッパではありましたが、正直なところ眠いし、でも、このあとどーするべき??と思いましたとも。どうやって寝ようか…と、、、

「うちは8時から音出しOKなので、それまでちょっと仮眠しましょぉよ。そんで、8時になったら、ピアノ弾いて~~~~!!」
…と、お願いをしたのである。
とこまであつかましい私!!!


SYOさんもまあ、気持ちよく酔っていたのであろうけど、「このオンナなんじゃ~~」とも絶対思っただろうな。
まあ、それで「8時よっしゃ」ってことになって、私の部屋に連れ込みました。めっちゃ連れ込んだ自覚はあります。たぶんですけど、6時台だったと思います。


しかし実際には押し倒してはいません

手をひっぱって連れ込みました。ハイこれが事実です。
言っとくけど、私は最初からSYOさんを連れ込んで押し倒そうとは全く思っていませんでしたからねっ!



ホントに前後不覚で泥のように1時間ほど寝ていたところ、、、


8時から私の自宅リビングがJAZZで満たされる至福の時間のつもりだったのが、とんでもないことが起こった。

息子を預かってくれている実家から7時ごろに突然電話がかかってきたのである。





つづく




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「私が連れ込んで押し倒しました」1

2019-07-23 | 人生妙なり


数少ないツーショットを探しまくっておりますが、 もう限界




昨日は、入籍の件、ついにブログにて発表し、FBにもシェアしたところ、とてもたくさんの方からお祝辞をいただきました。
ありがとうございました。
SYOさんの教会の牧師先生に「誓約式」の相談に言ったことを書いたときにも、たくさんのお祝辞をいただきました。
ありがとうございました。

素直にとっても嬉しいのです。
しかし私は、「私が連れ込んで押し倒しました」をいつか書いてやろーと思っていて、まずは入籍することになったことから書かねば…と、
その時を虎視眈々と待っていて、ついにその日が来たのであります。


ではまずSYOさんとの出会いから…

…といきたいとこだけど、SYOさんとの出会いについては、これまでに複数回アップしています。
ので、省略…というか、ご存じない方はこちらをどうぞ。


Zac Bran Piano Trio 11th 応援演説


まあ一応概略を。

ご存じの方は目にタコです。スルーしてください。

私は30代の頃に東京で自分のバンドを立ち上げ、精力的にオリジナルを作っては発表していました。
これをゼヒとも地元高松でも!と思いました。経済的にメンバー全員を率いてくるのは無理なので、音楽やってる弟、妹、そして、弟が紹介してくれた地元ミュージシャンと一緒にやりました。
その時に知り合ったベースの高橋修さんは、今でもずっと「WIND AND SOUND」でベースを弾いて下さっています。
そして、LIVE当日、高橋さんの案内で、SYOさんが聴きに来て下さったのですが、私は全く当日はお会いもせず、お話もしていません。
ただ、「アンケート」を書いてくださり、それがきっかけで、年賀状だけのお付き合いが10年以上続きました。
アンケートも画像アップしています。
1度もお会いしたことのない人との年賀状が10年も続くとは、稀有なことです。
私は年賀状は律儀に書くタイプでしたが、SYOさんはそれ以上に律儀な方です。
そして、私が離婚して、息子を連れて高松に帰ることとなった時、SYOさんに、「高松で音楽活動をやっていきたいので宜しくお願いします」と手紙を書きました。

ま~~続きは、ご興味のある方は上記リンクをご覧ください。


この記事ははSYOさんと私の出会いがテーマではなく、「ZAC BRAN PIANO TRIO」の応援演説なのです。
しかし、今読み返して、ミュージシャンとしてのSYOさんへの尊敬の思いは今でも全く変わっていません。
(まあ、12年もたてば、私も相当ズケズケとモンク言うようになりましたけど。音楽的にも、日常生活的にも。)


それが1番。
2番目は息子のことです。
どれほどいろんなところに一緒にいって、楽しい時間を過ごしたことか。
息子が高校生になり、一緒に行動しなくなってから、そして最近ではさらに、息子と一緒に遊んだ公園やあちこちに出かけて、当時のことを2人で懐かしんでいる今日このごろ。
息子の父親でもない人が、こんなに息子のことを愛情をもって見守ってくれていて、今もなお全く変わらずに愛してくれていることは、どれほどの喜びでしょうか。



イカン、、、なかなか「私が連れ込んで」…が書けないな。
次回こそは!



ところで、SYOさんを画像で拙ブログに初登場させたのがコレです。



2007/10



ナイショでしたからね~~当時は!! SYOさんは虫捕りがかなり得意で、息子にいっぱい伝授してくれました。M氏とは、「Michael」のMでありますが、名前の公表もNG。
でもこれ、今こうしてみたら、後姿、絶対SYOさんや~~ん\(^o^)/

その後だんだん規制緩和されてきて、SYOさんはTAKAMIの音楽パートナーな様相になってきて、そのうちもぉ既成事実として開き直ってきたな。



「連れ込んで押し倒した」日のことは、当時は「しれっ」と書いているのがあまりにもウケる。
いやまあ、次回こそ赤裸々に書きますので、お楽しみに。

いやもう、これから早速書く。


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「私が連れ込んで押し倒しました」序章

2019-07-22 | 人生妙なり






ついについにSYOさんと入籍することとなりました。

おめでとうおめでとう…とまずはSYOさんと私自身に心から言いたい。


お付き合いを始めて12年。あまりにも長すぎて、もぉ別に今さら結婚なんかしなくてもいいじゃん!
お互いにこの年齢で、これから家族となっても子孫が増える訳じゃないし。

…とは思っていません。


SYOさんは、息子が4年生だった時のある日、私にプロポーズをして下さいました。

その時、私は「うん」とか、
なんだか忘れたけど、承知を表明したのです。
そしたら、SYOさんはなんて言ったと思う?
「やった。」

少年じゃ~~ん、、、


私はそれまで2年近くものお付き合いが日常化しているので、特に「結婚」に日常的な意義は感じませんでしたが、お互いにクリスチャンとして、神さまの御前で結婚の誓約を交わすのは素敵だな…という思いは私にもありました。

しかし、その時に私はSYOさんに、息子が18歳になるまで待ってほしいと申しました。
何故なら、うちは母子家庭で、児童扶養手当を受給している、さらには、息子の父親から養育費も頂いている。
息子が高校卒業するまでは、この状態で自力で息子を育てたいと。
SYOさんに、息子のことで経済的にお世話になることには、自分自身大変躊躇がありました。

息子は高校を卒業し、希望していた公立大学が叶わず、大阪の専門学校に通うことになりました。
経済的に「浪人」という選択肢はありませんでした。
彼は、専門学校では水を得た魚のようで、勤怠も成績も良く、特待生となりました。
そして、学費の減免を受けられることとなりました。

しかし、学費の減免には、家庭の状況や収入の制約があります。
その為にSYOさんとの結婚はさらに延期になり、また今年も減免申請でさらに延期になり、、、、
ようやく今年度の息子の学費減免の申請が受理されました。


さっ! ほな結婚!!

…という訳ですわ~~~\(^o^)/
しかしもう、あまりにも長すぎて、入籍もいったいどのタイミングで…とかも、どうでもいい感ありまくり。
一応教会の牧師先生には相談はしたものの、なんかぼんやりなカンジでしたが、
ついについに!!ですわ~~\(^o^)/


(つづく)


次回からは、SYOさんとのなれそめ
「私が連れ込んで押し倒しました」をいよいよ連載予定。
乞うご期待!!







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創世記が深すぎる

2019-07-13 | キリスト教のこと
  

ベツレヘムのお土産やさんにて「最後の晩餐」の木彫りのおみやげ




先日まで、中川健一牧師の、210回に及ぶ「メシアの生涯」(イエス・キリストの生涯を、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの4つの福音書から時系列で解説したメッセージ)を夜な夜な聴いて、ついに終わりました。
1回1時間。これを定期的に毎日続けたわけではなく、この極端な私ですから、イッキに数回分ってこともあったし、本日は休みってこともたまにあったし。
だから210日はかからなかったなあ,,,

だいたい夜はふつーヨッパなので、途中で寝てしまって、目が覚めるのは夜明け。PCつけっぱで、途中から聴き直すってことも度々ありましたとも。
そして、全部聴講終わって、イエス・キリストとその弟子たち、また王や立法学者や、イエスに敵対する人たちが、これまで聖書を読むだけではなんだかモノクロームであったものが、
ものすごく鮮烈に、カラフルに生き生きと心に蘇った感じ。

どの場面も凄い説得力。以前は洗礼者ヨハネの死について紹介しました。
「サロメ」の物語です。

私は、今回は、特にイエスが捉えられて夜中から朝にかけて裁判にかけられる場面がいかに立法違反で、何度立法違反を犯したか…という点が大変興味深くお勉強になりましたが、
「最後の晩餐」の場面もとっても興味深かった。

なんたって、異民族の食事の場面、いつも興味津々。
三国志のときもそうだったんですけどね!!

でっ、「最後の晩餐」ですが、これは「過ぎ越しの食事」という、ユダヤ人の出エジプトを記念する食事で、メニューも供される順番も決まってる。
それを中川牧師はひとつひとつ解説して、この最中のどの場面でイエスが「この中のひとりが私を裏切る」と言ったのかというところまで言及しているところが、大変大変興味深く、
聖書研究がここまで進んでいるということにも感慨深いものがありました。
それ以前に、「最後の晩餐」というと、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画が世界的に有名ですが、あれは全然違うのです。
ダ・ヴィンチが何故このように描いたのか…ということまでは調べていません。ご存じの方もいらっしゃるかと思いますので、コメントをいただければ幸いです。
「過ぎ越しの食事」とはゆるゆると時間をかけて床に肩肘をついて半分寝そべった状態で食するものだそうです。

ちなみに、とある聖書には「誰が裏切るのか」という弟子の質問に、「私と一緒にパン切れを浸している者」とイエスは答えたと書かれています。
日本語聖書にも、いろんな訳があるのです。
しかし、「パン切れ」という単語はは原典にはなく、これは誤訳で、これは実際はパセリのような青物を塩水の入った鉢に浸したのだとのこと。
これはオードブルのような最初のほうに供されるもので、ユダはここで「サタンが彼の中に入った」とされていて、その場を立ち去り、イエスを売りに出ていきました。
その後、イエスの弟子達への長い長い愛に満ちた最後のメッセージが語られます。

私も「最後の晩餐」に同席させて頂いたような気分になりましたとも♪


さて。
210回にわたる長い長い「メシアの生涯」が終わり、「ぽっかり」してる場合じゃない。さあ、次は何を聴こうかな…

ってことで、「再臨待望盛会」っていうヤツを聴くことにしました。

「再臨」というのは、イエス・キリストが再び降臨するということで、聖書に記されています。誰にでも認識できるかたちで…とのこと。
正直なところ、私はイエスの再臨はクリスチャンとして信じているけれど、自分がこの地上生涯を生きている間には実現しないだろうと思っているので、あまり深く考えないようにしていました。
それよりも、今現在生きているときに私には何ができるかを考えなければと、、、
ヨハネの黙示録や、将来についての預言についてはあまり考え込まない様にしようと。
聖書もまだ通読していません。特に預言書の部分は。


しかし「再臨待望聖会」を聴講してみようと思った理由は、ユダヤ人とアラブ人の牧師がお互いに相手の民族のことを祝福してメッセージを語るのです。
この方たちは、それぞれ、ユダヤ教、イスラム教のコミュニティの中で、キリスト教に回心して牧師になった方たちなのですが、そうすることがどれほどのリスクがあるのか。
それぞれ、家族、コミュニティから追放されます。
それでもイエス・キリストこそがメシアだとの思いで熱く語りまくります。
それぞれご自分ではなく、相手の民族の救いについてです。



私は、ここに生きている今、缶チューハイも飲むし、ウマイうどんやカリーは食べたい。
でも、私に何ができるのかはこれからも模索したいな。

世は終わりまで神の支配と計画に従っていくのだ。「創世記」から「黙示録」まで。
それほどまでに神は絶対的な愛と義の存在なのだと思います。




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