ところで冊子の中で「リテラシー」につて触れていました。
03年に行われたOECD学習到達度調査の結果、世界でもトップレベルの学力を誇ってきた日本が、特に「読解」の能力をはじめとして、レベルが低下しているというニュースは記憶している人も多いのではないかと思います。
「リテラシー」とは、自分の持っている知識や情報を自由に組み合わせ、考え、目的に合った答えを出すことのできる能力ということで、日本人は、「読解」のリテラシーが前回の世界8位から14位に下がったということ。これじゃ~「トップレベル」は返上ですよね…
その冊子には、「例えばこんな問題が苦手」といって、文章を読んで、自分の意見を書くという例題が載っていました。
2通の手紙を読み比べ、「どちらの手紙の内容に賛成するかではなく、あなたはどちらの手紙が良い手紙だと思いますか」というものです。手紙のテーマは「公共物への落書き」について。これを、容認の立場と反対の立場から書かれた手紙。これを「内容」と「スタイル」の観点から分析して、自分の意見をまとめて、説明せよというもの。
なるほどぉ~~、こりゃ難しい。「問題」というと、明確な「正解」を答えるというイメージを持つのが普通です。だから、理系の人などは、答えの曖昧な現代文の読解が苦手だというし、白か黒か、はっきりしたものが好き。最近は若い世代だけでなく、私たちの仕事の現場でさえ「マニュアル」がほしい、「正誤」をはっきりさせてほしい。研修を受ける姿勢も、「そこにある正解を教わる」という雰囲気です。
自分で考えなくても、答えが用意されている状況であふれかえっているので、だんだん考える能力が退化していくのでは…という気もします。
実は私、この文章を書くとき、最初から「読解リテラシーの低下」について、明確な意見を持っていたわけではなく、まず冊子を読んで「うひゃぁ~」というのが、最初の感想?だったのです。
この「うひゃぁ~」をちゃんとした?言葉で表現するには、時間が必要。
それをいうなら、「うかい竹亭」で過ごした時間に感動したことだって、まずは「ひゃぁ~!」「うんめ~~~!!」「いいね~~いいね~~」
こんなもんです。この感動を自分の中だけにしまっておくなら、こんなのでも何の差し障りもない。人に伝えようとするから、表現能力が必要であり、人の意見や感動や情報を受け取ろうとするから、読解力や情報処理能力が必要。
私は、書きながら考えがまとまったり、自分が何がいいたいのか書いているうちに自分でわかってきたり…というのが多いので、私にとって何も書かない毎日より、日記を書く毎日のほうが、いろんな意味でとっても自分にとってイイです。さらにブログとなると、人に伝えることを常に意識しながらなので、さらにイイです~。楽しんでやってますから♪
だからといって、子供に「日記を書きなさい」と強制すればいいってもんでもないし。
でもでもやはり、「自分で考える」「考えたことを表現できる」人になってほしい…これは、Takが生まれたときから変わらずに私の中にある希望なんだよな。でも勉強はできてほしい。成績のいい子がいいな。自発的に勉強してほしい… これは親としてのストレスをちょっとでも軽くしたい利己的願望だよね(-_-;) やっぱダメ??
(やっぱ、明日もつづく)
03年に行われたOECD学習到達度調査の結果、世界でもトップレベルの学力を誇ってきた日本が、特に「読解」の能力をはじめとして、レベルが低下しているというニュースは記憶している人も多いのではないかと思います。
「リテラシー」とは、自分の持っている知識や情報を自由に組み合わせ、考え、目的に合った答えを出すことのできる能力ということで、日本人は、「読解」のリテラシーが前回の世界8位から14位に下がったということ。これじゃ~「トップレベル」は返上ですよね…
その冊子には、「例えばこんな問題が苦手」といって、文章を読んで、自分の意見を書くという例題が載っていました。
2通の手紙を読み比べ、「どちらの手紙の内容に賛成するかではなく、あなたはどちらの手紙が良い手紙だと思いますか」というものです。手紙のテーマは「公共物への落書き」について。これを、容認の立場と反対の立場から書かれた手紙。これを「内容」と「スタイル」の観点から分析して、自分の意見をまとめて、説明せよというもの。
なるほどぉ~~、こりゃ難しい。「問題」というと、明確な「正解」を答えるというイメージを持つのが普通です。だから、理系の人などは、答えの曖昧な現代文の読解が苦手だというし、白か黒か、はっきりしたものが好き。最近は若い世代だけでなく、私たちの仕事の現場でさえ「マニュアル」がほしい、「正誤」をはっきりさせてほしい。研修を受ける姿勢も、「そこにある正解を教わる」という雰囲気です。
自分で考えなくても、答えが用意されている状況であふれかえっているので、だんだん考える能力が退化していくのでは…という気もします。
実は私、この文章を書くとき、最初から「読解リテラシーの低下」について、明確な意見を持っていたわけではなく、まず冊子を読んで「うひゃぁ~」というのが、最初の感想?だったのです。
この「うひゃぁ~」をちゃんとした?言葉で表現するには、時間が必要。
それをいうなら、「うかい竹亭」で過ごした時間に感動したことだって、まずは「ひゃぁ~!」「うんめ~~~!!」「いいね~~いいね~~」
こんなもんです。この感動を自分の中だけにしまっておくなら、こんなのでも何の差し障りもない。人に伝えようとするから、表現能力が必要であり、人の意見や感動や情報を受け取ろうとするから、読解力や情報処理能力が必要。
私は、書きながら考えがまとまったり、自分が何がいいたいのか書いているうちに自分でわかってきたり…というのが多いので、私にとって何も書かない毎日より、日記を書く毎日のほうが、いろんな意味でとっても自分にとってイイです。さらにブログとなると、人に伝えることを常に意識しながらなので、さらにイイです~。楽しんでやってますから♪
だからといって、子供に「日記を書きなさい」と強制すればいいってもんでもないし。
でもでもやはり、「自分で考える」「考えたことを表現できる」人になってほしい…これは、Takが生まれたときから変わらずに私の中にある希望なんだよな。でも勉強はできてほしい。成績のいい子がいいな。自発的に勉強してほしい… これは親としてのストレスをちょっとでも軽くしたい利己的願望だよね(-_-;) やっぱダメ??
(やっぱ、明日もつづく)