WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

おみやげ買ってきたよ

2011-09-09 | 実父


8/27

さて。
高知旅行の父へのおみやげ、何にしよう…
食べ物は、瓶詰めひと瓶でも、口に合わなかったり、ずっと食べ続けると飽きることもあるしなあ…
ということで、タオルにした。
表面は手ぬぐい、裏はタオル地のかわいい和柄。
1本は金魚、1本はパステルのチェック。
かわいらしくて、使うのがもったいないと父は言うので、無理やり紙の帯を破って、早速食事のときのエプロンがわりに(^_^;)

この日も父は全部食べて、薬まで自分で飲んだ。
飲みにくい粉薬を、これまでは、3~4口に分けて口に入れてあげていたのに。

「そんなことも自分でできるようになったん? 私のすることがなくなるやん。」

「やさしいこと言うのー」と、父は涙ぐんでいた。


そうそう。
前回(前々回だったか?)見舞ったとき、父の点滴がはずれていた。
「お父さん、点滴もうせんでもようなったん?」
「うん、もう治ったんや」

私は、父が突然食べられるようになったので、点滴が不要になったのだと思った。

ところが、あとでひろこさんからのメールによると、父はカテーテルを差し込んでいる傷口が痒くてたまらず、点滴を外してしまったのたそうだ。
そして、ドクターから、
「高齢者、特に認知のある患者さんには、よくあることで、痒さに絶えられず点滴を外す患者さんはかなり多い。
鍵付きの介護服を用意してください。」
といわれたそうだ。

大静脈への点滴のおかげで、ひからびていた父は復活したのに、このままだと、いくら食事が食べられるようになっても、また徐々にひからびていくんだろうか…

父は、この日、介護服を着ていた。
ファスナーを閉じ終わったところに強い力を入れないと開けられないスナップがついているもの。
開けるにはコツがいるので、私もよく外し方がわからない…
もしわかったとしても、父にせがまれて「外せ」と言われても、わからないと言い続けるだろうな。

父との時間は、週に2度、数時間ずつ。
あとは、数十分のお見舞い程度。

その間に対応しきれない我儘を父がいっても、「そんなこと私はようせんよ」といって、その場しのぎでやり過ごす。
ベッドから降ろせ…という我儘。
でも、ヒロコさんは、毎日父に付き添って、全部を背負っているのだ。
私は、その1割の荷も負ってあげられない。





Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おみやげ買ってくるね

2011-09-06 | 実父


8/23

高知に演奏旅行に行く前日に父を見舞ったとき、ちょうど担当「坂口さん」から携帯にTELがあった。
その前にも初ダイレクト連絡をいただいていたのに、仕事中だったのでスルーしていたので、病室だけど受けて、打ち合わせをした。
父はそれを聞いていて、「忙しいのー。ええことや。頑張らなイカン。」と…
父はダンス、私は音楽… だけど同じ世界に生きている。

父の血を継いでいるんだなあ…というのが嬉しい。

父と、もっと仕事についての話をしたいなあ。
父は、きっと「まだまだ甘い」と言うと思う。
私もそう思う。

高度成長時代に成長して、右肩上がりの豊かさを追い求める中でぬくぬくと育った私と、
戦火で焼け野原になった高松市内で、何日も家族と対面できず彷徨い、ほんとにゼロからの出発をした経験のある父とでは、魂の座り方が違うと思う。

その後、どうして父がダンスの道に踏み込んだのかはナゾ。ぜひ聞いてみたい。
全国優勝をしたことがきっかけで、公務員を辞めて、ダンスの道を選んで開業したことは聞いている。
今どきの人は、公務員をやめて自営業なんてフツーしないだろうな。

父と語りたいことは、ほんとうにたくさんある。

しかし、ほんとに私はまだまだと思っているんだけど、もう半世紀も生きている、、、
いったいいつがきたら「まだまだ」じゃなくなるんだろう…
きっと死ぬまで「まだまだ」だ。

父は、入院してまだ日の浅い頃、自分がこんな大病に罹ってしまったことを、自分なりに反省していろいろ考えたと言っていた。
踊るとき、自分のパートナーを「思うように動かす」ことになぞらえて、自分の臓器について考えていたみたいだった。
今は筋肉がなくなってしまって、踊るどころではない父だけれど、体の中には、「踊る」想いやノウハウが詰まっているに違いない。
それを語ろうにも、脳も徐々に活動が衰えていっている…

父とのこれからの日々をどうやって過ごしていったらいいかな、、、
私は、父にしてあげられることを主に考えていたけれど、
父から貰うことのほうがよほど大切で尊い。

「お父さん、おみやげ買ってくるね。行ってきます。」


ぎゅっと手を握ってから部屋を出た。
父の手は、今日も力強かった。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の力

2011-08-22 | 実父


8/20 

この日も、父は昼食を完食した。
食べている途中で、「背中が痒い」と言い出した。
いったん痒くなってきたらもうどうしようもないらしく、パジャマを脱いで、「思い切り掻いてくれー!!」と。
自分の体が思うようにならないのは本当に歯がゆいことだろう…
こんなとき、付き添いがいなければ、父はスタッフには気を使ってそんなことは頼まないし、
おむつ交換も、スタッフが定期的に来てくれるまで我慢しているそうなのだ。
おむつ交換はヒロコさんしかしないけれど、私は、父が便や尿が出たといえばナースコールする。
背中全体を思い切り掻いて、爪の痕が赤く、まるで虐待のように残ってしまったけど(^_^;)
それから、熱い蒸しタオルで背中を拭いてあげた。
これがとっても気持ちいいとのこと。
父は、自分で寝返りをうつこともできないので、背中を掻いたり拭いたりするときは、父の腰を支えて、思い切り力を入れなきゃいけないので、私も腰にかなりの負担で大変だ(^_^;)
見よう見まねや、経験を重ねながら、少しずつ要領を覚えていく。

本も読んであげた。
今日は、Takの絵本「友情のメダル」
1936年ベルリンオリンピックの実話。日本人の活躍についてのおはなし。
1926年生まれの父が子供の頃のことで、当時の日本中を湧き立たせたらしい。
もしかしたら知ってるかな?と思ったけど、知らないのか、忘れてるのか…

絵本なので、絵も一緒に見ながら読み終わったら、
「熱中できることがあるんはええことや」と、感想を語った。
それをきっかけに、東京オリンピックの話や、マラソンの話、私がホノルルマラソンに出たことがある話、走ってる途中、トイレを並ぶのに時間がかかって、目標タイム内で完走できなかった話…などなど、いっぱい話もした。

これまでは、子供の頃の近所のことや、食べたいものや、身近な話題ばっかりだった、それも同じことを繰り返すことも…

でも、そうだ、新聞のコラムを読んであげたり、夏休みの宿題で書いている、Takの感想も読んで聞かせてあげてもいいかもね。


さて、もうお別れの時間。
お互いなんとなく寂しい。
きっと父は私よりもっと寂しいだろうなと思う。
だって本当に楽しいんだもの。
私は、病院を出ても楽しい世界があるけれど…

いつも握手をして「また来るね」という。

この日は、父の手をぎゅっと握り締めたら、強く握り返してきた。
このとき、いつも父に愛されているんだなーーって、伝わってくる。
私ももっと強く握り返したら、さらにもっと握り返してきた。
「お父さん、そんな力があるん、スゴイやん。いっぱい食べられるようになったからやね。」
「引っ張り合いこ、するか?」
よっしゃ。
私は、一応手加減しながらも、ぐいぐい父の手を引っ張ったけれど、ぐいっ!と、父の手に体ごと引き寄せられてしまった。
負けた…
びっくりする私に、父は嬉しそうに笑い、目が輝いていた。
「命の光」だった。
あんな父の生き生きした顔を見たのは、入院して以来初めてだった。

神さま、ありがとう…

そして、父が、自分の底力を自覚して、これからリハビリを再開できますように。
きっと父は、あの時、自分でもこんな力が残っていたことに驚いたと思う。

骨と皮だけになってしまったシワシワの腕で、私をあんなに強い力で引っ張れるなんて、
私も本当に驚いたもん。

リハビリはもう、転院した時点で、いやその前から、「意味なし」みたいな感じで、病院側も、身内も、断念していた。
でも、あんなにひからびていた父が、こんなに食べてこんな力を出すんだもの。
「余命宣告」なんて、クソ喰らえ。

今日の1日を大切に、明日はどうなっても、今日を「生きる」ことに頑張ろう。



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな奇跡

2011-08-21 | 実父


8/18 

夏休みイベントや、体調不良で、1週間ぶりに父に会った。
「ひさしぶり~♪ 調子どう? おかず食べてる?」
やっぱり立て続けに喋りまくる私。
口うるさいオカンみたいだな。

父は「このごろ、全部食べよるよ。」と言う。
食べ物が美味しく感じるようになったんだと。
えっ、全部…
一瞬耳を疑った。…というか、これも認知発言かと思った。

この日、父は、私がおやつに持っていった宇治金時ミルクのかき氷を、美味しそうに食べたあと、小一時間で昼食が運ばれてきたけれど、野菜の小皿ひと皿を残し全部食べた。
1時間かかって、ゆっくりゆっくり、手つきはおぼつかないけれど、なるべく手出ししないようにした。

お粥以外のものが少しずつでも食べられただけでも「スゴイ!」と大喜びしてたのに、
いったい父に何がおこったんだ!?

サラダのドレッシング(サウザンアイランド系)が美味しかったようで、
「このぴりっとしとるんは、ワサビが入っとるんかいの」
「えっ、ワサビ? それならたぶん辛子やろう。」
父は、山葵、辛子、唐辛子、山椒…刺激物が好きなのだ。味付けも濃いのが好きなのだ。
お粥にも塩をたっぷりかける。
お皿に残ったドレッシングに、鶏肉のソテーを絡めて、ドレッシングをすっかりきれいに拭き取るように食べた。

ピーナッツ揚げを餌のように無表情でぽりぽりと食べていた父とは全然違う。

私は薄味の苦手な父に、食事が終わったあと、早速ドレッシングを買ってきた。
「コブサラダ ドレッシング」これがたぶん父の求めてる味ではと…
他に、コンビニの袋入り使いきりも数種類。

麻婆丼事件を思い出す…

今なら、きっと味覚も戻ってきたようなので、食べられるかも。
もしかしたら、お鮨も焼肉も、食べられるんじゃないかなあ…
食べさせてあげたいなあーーー

とりあえずは、父が好きで、病院ではあまり出てこないであろう、ピリ辛系だな。
「ユッケジャンクッパ」みたいなヤツ。

「お父さん、ピリ辛の、豆腐と卵と玉葱が入って中華風の濃い味のスープ、どう? 美味しそうやなーと思う?」
「そうやのー」
「よっしゃ。ほな、今度作ってくるよ。病院の電子レンジでチンしたら、熱々が食べられるけん。」

以前は、絵に描いた餅だったけど、今なら実現可能だ。

食べたいもの、たくさんあるだろうなあ…
食べられるよ、お父さん。

いろんな構想が次々と浮かんでくる。

まずは、牛フィレをサイコロにして持ってきて、ミニホットプレートで鉄板を熱してお肉を焼いて、ワサビ醤油で食べさせる。
これくらいなら個室なんだし、短時間でささっ…と内緒でできるぞ(^_^;) とか…
あ~~やっぱりビールもついでにチビッ!と飲ませてあげたい♪
そんな楽しい時間の構想が広がっていく。


私は、とっても嬉しくて、今日の報告をヒロコさんにメールした。

ヒロコさんからは、
「センセは、自分の体重が39kgになってしまったことを知って、一生懸命食べています。
でも、食べても食べても太れないのが癌です…」という痛々しい返信が来た。
さらに、食べたことを忘れて、いくらでも食べて、お腹が苦しくなってしまうこともあると…

手放しでは喜べないんだ…

でも、美味しいと感じられるようになったのは事実のようなので、
これは小さな奇跡。

神さま…ありがとう


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスクリームとお話の本

2011-08-18 | 実父

8/6

今日は、サーティーワンのアイスを買っていった。
バニラベースで、イチゴとチーズが入ってるヤツ。
「ストロベリー チーズケーキ」だったかな?
先日のカキ氷よりはかなりくどいから、ダメかもね~と覚悟していったのだが、
父は美味しいといって、またも完食。
その後の昼食も、やっぱり前回と同じ勢いで、あれこれ、いろんなお皿から少しずつ食べられた。

あんまり勢いよく(父にしては)食べるので、お父さん、美味しい?と聞くと、「うーーん、まあまあ」みたいな答え。
頑張ってるんだな。点滴のおおかげで、少し嚥下が楽になってきたのかも。
でも、食べたくないものは「要らない」と絶対に受け付けないので、ちょっと美味しいなと思ってくれてるのかな。

今日はとにかく、嫌がられてもいいので、喋りまくって、父から言葉をひっぱりだそう!としてみた。

サーティーワンのメニューのリーフレットを見せて、「どれが美味しそう? どれでも買ってくるよ」と言うと、「すぐ忘れるわ~」といいながらも、目を通す。
でも、「コレがいい」とは言ってくれない。
私、喋りすぎなんだよなー
辛抱強く、相手の言葉を待たなくちゃ…
沈黙が続くと、ついなんか喋ってしまうんだな、、、

この日も父は、鶏モモ、かまぼこ、白菜、人参… 頑張って食べた。ウズラ卵は「いらん」と」いうので、全部私が食べた。

これがわが子なら…
これから成長していく子供なら、ものすごく真剣勝負で、少しでもたくさん、いろんな栄養を…と考えるところ。
父には、栄養は二の次で、とにかく美味しく食べられるものを。


その後、本もいくつか、読んであげた。
「10分で読めるお話」の中から。
中には、お化けシリーズで、5編まとめて10分ってのもあって、
「短すぎるのはすぐ終わってつまらない」とか、「それくらいの長さが丁度ええ」とか、
リクエストしてくれるようになった。
やった!と、小さくガッツポーズだぜ。

冷蔵庫に「先生は桃が好きなので、デザートに切ってあげてね」と、ヒロコさんからメッセージ付きで桃が入っていたので、「お父さん、桃、たべようよ、美味しそうだよ~」と何度も促した。
「ほら、ええ匂い」と、顔の前に持っていっても
「要らんっちゅうのに」とそのたび拒否。

「お父さん、桃太郎のお話、知っとる?」
「知っとるにきまっとるわ~」
「どんなお話だったか、覚えとる?」
「…忘れたなあ、、、」
よし。
今度は、知ってるお話シリーズにしよう。
新しいのより楽しいはず。
桃太郎、一寸法師、かぐや姫…
1日に2編ずつぐらい、父の知っているお話を持っていって、読んであげよう。
私も、子供の頃、同じ絵本を好きで何度も繰り返して読んだもんね。

とにかく、言葉を引き出そうとして、いろいろ喋りまくった。

「お父さん、実はよーくみると顔立ちよくて、イケメンじゃん。今気がついたわ。
お父さんをイケメンかどうかなんて思って見たことないもんね。」
コレには嬉しそうに笑う。
「ダンスの生徒さんにモテよるやろう」
「そんなことないわ~~~」と照れる。
「ヒロコさんも、可愛いから、モテるやろう。お互いに焼きもち妬いたりせんの?」
「せんわ~~~」

私が喋りまくるわりには、父の反応はこんな程度。でも嬉しそうだったけど。

そのうち、背中が痒いので掻いてくれと言い出し、熱い絞ったタオルで背中を拭いてくれと言い出した。
これまでは、私には、遠慮して、そんなこと言ったことなかったんだけど、
やっと、身内と思って甘えるモードになってきたかな。
パジャマのファスナーをはずして、片袖脱がせて、腰を持って横に向かせてあげて背中を拭くのは、初めての私には要領を得なくて大変だった。

「お父さん、今日は、ご飯も食べあせてあげて、お茶も淹れてあげて、本を読んで、背中も拭いてあげて、たくさんご奉公させていただきました。満足やわ。」

「サンキュー♪」

せっかくお父さんとゆっくりできると思って来てるんだから、いろいろお世話ができたら嬉しいのよ、また次くるときも、させてね…
5時間は長いけど、部屋を出るときは、後ろ髪をひかれる。

そうそう。
「なんかやっておくことない?」
「桃を食べていけ」
やったー。
「うん、いただきます。ほな、お父さんも一緒に食べよ。」
父は、カップに一口に切った桃を自分でフォークで口に運びながら、時々私に食べさせてくれた。
これで、今の私にしてみれば100点満点だな。


少しずつ「介護」。
習うより慣れろ…だろうけど、もっと予備知識があったらなあ、、、



Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パートナー ヒロコさん

2011-08-10 | 実父


夜、ヒロコさんから夜自宅にTEL。
前代未聞のことだ。
何かあったのかと身構えテ凍りついたのだけれど…
父の「認知症」についての話だった。

父は、このところ、大静脈への点滴の影響か、食欲は少しずつ出てきたのだけれど、
認知症がかなり進行(退行?)しているようだ。
私も、こうして記録を残すようになって、少し前のことを読み返してみると、よくわかる。
曜日や時間の観念がだんだんなくなってきている。
「今日は日曜日かなあ?」などと、1日に何度も言う。
自分から何か考えて喋ることもほとんどないし、喜怒哀楽もだんだん平坦になってきているように思える。

ヒロコさんは、なるべく、話しかけて、言葉を引き出してほしい…と。
言葉の引き出しから、何を出していいかわからなくなってきているようだというのだ。
今日は、主治医の先生が回診に来た折、「それだけピーナッツ揚げが食べられたら、元気がでてきますよ。食べたいものはなんでも食べてくださいね」と励まして下さったのに対して、
「おひとつどうぞ」(先生も、ピーナツ揚げを)と言ったのだそうだ。
ヒロコさんには我儘放題な父も、病院のスタッフさんたち、特に先生には従順で、かしこまる。
声が出なくても、いつも必ず「ありがとうございました」と言う。
その心は認知が進んできた今も、ずっと持ち続けている。
ヒロコさんにとっては、その言葉がとても切なかったのだ。


私からすれば、父は、すべてを少しずつ削ぎ落として天国に旅立つ準備をしているのだという気がする。
この世のわずらわしい事も、楽しかったことも、どんどん忘れていくんだろうな…
それでも父には自分の世界があって、きっと最後まで、「自分の世界」を全うして、
自分の意思で次の世界へと渡っていくのだろう、、、
それでいい、それが幸せなのではないだろうかと思う。

私個人としてはそんな気がするので、引き止めたり、呼び止めたりしようと思わない。
父は今、こんなに周囲の愛に包まれて、じゅうぶんに幸せで、満たされていると思う。
それを、断ち切って行こうと決心するときを、誰も止めることはできない…

でも、ヒロコさんにとっては少し違うと思う。

ヒロコさんは、父のパートナー。
父に寄り添い、手を繋いで何十年も過ごしてきた人なのだ。
本当にいつもラブラブで、おしどりカップルだったのだ。
父がいなくなったら、大きくぽっかりとこれまでの半分がなくなる。
そのあとどうすればいいのか。

ヒロコさんは、認知のお母さまのめんどうも見ていらして、お母様のほうがずっと認知は進んでいるとのことだけれど、お母さまについては、きっとじゅうぶんに覚悟もしていらっしゃるのではという気がする。
お母さまのことを語るヒロコさんは、平常心で聡明で、明るく優しい。

でも、父の病気のことについては、辛い、切ない、不安…な気持ちでいっぱいなのだ。
ヒロコさんからは、いつもそんな心細いメールがくる。
いつかは来ると覚悟はしていたつもりでも、まだ一緒にいてほしい、ひとりで自分のわからない世界にいかないでほしいという思いが伝わって、切なくなる。
天国へ…という以前に、認知症の進行が、少しでも遅らせられるように、彼女は、一瞬でも長く、父と一緒にいて、語り合いたいのだ。
私…すごくわかる。
親に対する思いと、パートナーへの思いは違うのだと、よくわかる。
辛くて心細いだろうけど、反面、それほどまでに父のことを純粋に愛することができるヒロコさんは、素晴らしいし、羨ましい。
こんな人に、私は50年の人生で初めて出会った。
いや、出会ったのは25年前だけれど、それからずっとヒロコさんは変わらない。
私の人生50年で、いちばん仲良しのカップルだ。

こんな、仲睦まじいカップルを、神様が見捨てる筈がない。

やっぱり、神様に手を合わせて祈らずにいられない。
私は、ヒロコさんのために祈る。   
ヒロコさんのために、父の認知症が進まないように頑張る。

                            
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かき氷が美味しい

2011-08-09 | 実父


8/4

父に「ピノ」(一口アイスね)を買っていったら、すやすや寝てたので、欲しくもなかったけど仕方なく全部自分で食べた。
30分ほどで目覚めた父に、「ピノ」のケースを見せたら、食べたそうだったので、
「じゃっ、一個だけでも食べてみて。買ってくるから」
…といって、売店に買いにいったものの、1個しか食べられなくて「もういらん」と言ったら、
また残りを全部私が食べるハメになるんだ、そりゃヤだな~と思って、
あずき&ミルクのカキ氷にしてみた。

ホントは、以前から父に、ちゃんとガラスの器に入った、シャリシャリの「宇治ミルク」をどーんとベッドのテーブルに置いて、
食べさせてあげたら喜ぶだろうな~と思っていた。
でも、物理的に難しい、、、シャリシャリの氷は、配達できないもんね。
今日のところはカップのかき氷で妥協、、、

ところが父は、一口食べて「美味しい」といって、ぽりぽり美味しそうな音をたてて氷を噛み砕いて、無言で全部食べてしまった。
お腹こわさないかと、ハラハラする勢いだった。

あーーよかった。でも、もうすぐお昼なのに、これのせいでお昼が食べられなかったらマズイな。
でも、好きなものは、食べたいだけ食べさせてあげたいし…

かき氷のあと30分ほどでお昼ごはんが来た。
ヒロコさんもお昼に間に合った。

父は、お粥しか食べられないので、2,3日前から、お粥を20%ほど増量してもらっていたのだけれど、それも完食できるようになって、魚や卵焼きも、ほんの一切れだけど、食べられるようになってきていた。
点滴のおかげで、体の中も潤って、嚥下がしやすくなったのかな?

今日は、びっくりするほどたくさん食べられた。奇跡だ!
鶏モモ肉のソテーを1/3ほど。
玉葱のお味噌汁も半分。
付け合せのスパゲッティ(ケチャップ和え)
りんご1口

食べてくれたら、すごく嬉しくて、こんなふうに書き留めたくなるってもんだ。
まるで、子供の離乳食の記録みたいだな(*^_^*)

これだけ食べたら、絶対元気がでるよ、お父さん♪

ほんとにほんとに、ヒロコさんも私もびっくりした。
嬉しくて、涙が出そうだった。
泣いてはマズイと思い、TVに集中して平静を装った。
淡々と、黙々と食べる父。
食べるだけでも、本当に体力が要る。味もわからないし、飲み込むのも辛いのは、これまでによくわかっている。
でも、少し味覚が戻ってきて、美味しいと感じられるようになったのかな?

食べるに精一杯なので、一言も口をきかない。
手がトレイの上を泳いで、「次はコレ」っていうのがわかると、ささっ!と介助して、フォークでスパゲッティをくるくると巻いたり、鶏モモをナイフで切って突き刺して持たせてあげたり。
父は何も言わずに、「もう終わり」の様相になったので、ささーーっっ…とヒロコさんが片付けて、食べられたものを書いて病室の外に持っていった。

父は食べ疲れたので、すぐに横になって、うとうとし始めた。

ああ…ほんとによかった。
父は、このところ、少しずつ顔色がよくなり、張りもでて、体の中にエネルギーが湧いてきているように感じる。
主治医の先生も、意外なことと驚いている。

先生は転院した当初、仰ったのだ。
この状態では、もうあと何ヵ月とかそういうスパンではない。
脳も冒されてきているので、会話が通じるのも今のうち。
「だから、できる限り、会いにきてあげて。」
ヒロコさんが泣きながら私にそうTELで伝えてくれた。
私も一緒に泣いた。

私たちは、1ヵ月と覚悟した。

今日でその1ヵ月が経った。


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピーナッツ揚げを餌のように食べる

2011-08-08 | 実父


8/2

昨日、病院にいったとき、父が「明日は何時に来るんな?」というので、ホントは忙しくて行く予定じゃなかったけど、ちょっとだけ顔を出そうと思って、仕事の帰りに制服のままお見舞いにいった。
私に来てほしいって思ってくれてんだ…
私にできることはあまりないんだがなあ…
行っても、父は何か話をするわけでもなく、機嫌は、いいときより、悪いときのほうが多い。
あまり細かく世話をやこうとすると、すぐに不機嫌になる。
でも、私に気を使うより、不機嫌になったり、我儘を言ってくれるほうが「身内」と思ってくれてんだ…って気がして、私はホッとする。
世話をやくより、「おとーさん、これちょうだい」とかいって、甘えるほうが喜んでくれる。
これから、食事の介助に行くときは、父の食事の残りは全部食べよう♪

父は落花生が大好きだそうだけど、今は痩せて入れ歯がフィットしなくなったので、自分の歯だけで食べなきゃいけない。
落花生は食べられないので、ピーナッツ揚げをぽりぽりと食べる。
それも、気の向いたときだけ。
落花生は千葉産が美味しいというので、うんうん、Takの父親は千葉の出身で、千葉の美味しい落花生をどっさりもらったことがあるよ…
他愛無い会話だけど、父がなにか自分から言うことはすごく嬉しい。この会話をできるだけ引き伸ばしたい…

今日はそのピーナッツ揚げを「食べる?」といって持たせてあげたら、寝たまま、袋の残り僅か10個ぐらいを全部食べた。
なんだか、動物におやつをあげているような感じだった。
無言で…私が手に持って待機している「ピーナッツ揚げ」を、父は、食べ終えたら自分の親指と人差し指で掴んで口に運ぶ。
美味しいともなんとも言わずにひたすらポリポリ食べる。
同じことを10回繰り返す。
もっと食べたかったかもしれないけど、「これで終わりだよ」
その後、口の中が気持ちわるくないかなーと思って、
「お茶飲む?」とか
「歯磨きティッシュする?」とかいうと、
「そんなにごちゃごちゃ言わんでもええ」と、不機嫌になる。

「私、もうレッスンあるから、帰るよ、晩ゴハンはヒロコさんが来るからね。」
父がいうには、ヒロコさんは、「勝手で我儘」なのだそうだ。
よくいうよ。
こんな菩薩さまのような人に向かって、、、
「アイツは人のことをかまいたいんや」だって。
でも、「うんうん、そうやね~」といって二人で笑って盛り上がる。
前歯のないにこにこ顔。これが最高。

私は、父に少しでもたくさん笑ってほしい。
楽しい気持ちになってほしい。
父の食事の残りを食べにいくのは、名案だな。
でも、私のために、何も食べなくなるのはマズイ…
こんな攻防がこれからも続いていく。


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大静脈への点滴

2011-08-07 | 実父


7/29

父は転院して暫くは、何の処置もせず、薬を飲むだけだったけれど、点滴が始まった。
それで少し父は元気になってきた。
転院した当初はすっかりひからびていたのだ。
介護タクシーに乗っての2,3キロの移動だけで、またまたドッと消耗してしまった。
主治医の先生にも、家族には余命を厳しく宣告されていた。
でも、点滴の影響で顔にも少し艶がでてきた。
点滴で水分を体に入れることで、足がむくんだり、腹水が溜まったりという副作用もあるので、
実はとても慎重にしなくてはいけないとのことだった。
心臓近くの大静脈にカテーテルを入れるという点滴。
これで、暫く経ってから父は食欲も少し出てきた。
父の食事は、美味しくも楽しくもなく、ただ、「生きる」ために頑張って食べるだけのもののようだ。
嚥下もだんだん辛くなってきつつある。
ベッドを起こして、10分程度、食事をするだけで、ドッと疲れる。
それでも、私は、なんとか食べてほしくて、お粥の最後の一口をさらえて、父の口に運んだり、
卵焼きを一口、「ちょっと食べてみて!」と、有無をいわさず放り込んでみたりする。
父が、私の食事の介助を受け入れてくれたことはとっても嬉しかった。
ものすごく頑固な父。娘の世話は要らない、自分でできる…と拒まれるのではないかと心配だったけれど、
「どさくさに紛れる」感じで、自分でもうま~くできたな…と、「してやったり」な感じ。
でもそれは、自力では無理なので、自分のプライドを折っても、娘を頼ることでもある。

「お父さんの世話焼きたいんよ。せっかく会いに来とるのに、世話焼かしてよ~」
…と、父が惨めな気持ちにならないように盛り上げる。

長い付き添いの時間、なにか父にしてあげられることはないかなあ…と考え、本を読んであげることを思いついた。
Takの4年生時代の、「10分で読めるおはなし」と、小学高学年向けの太宰治の本を持っていった。

「お父さん、本よんであげようか?」
父は、「ええわ~ 寝てしまうわ」と言うものの、にこにこ笑っていたので、
これまた有無をいわさず、「ほな聞いてよ」といって、西條八十の「六さんと九官鳥」というお話を読み始めたのだが、、、実はこの「六さん」っちゅうのは、途中で病気で死んでしまう。
やっべ~~、、、選択が失敗やったな…と思いつつもとりあえず読み進めていくと、落語みたいに、九官鳥がいろいろ喋りまくって、活躍する結末になるのだが、父はほとんど反応がなかった。

それからまた2時間ぐらい経って、また「またなんか読んであげようか?」といったら、やっぱり「ええわ~」といいながらにこにこ笑っているのいで、次は、「走れメロス」を朗読してみた。
30分ぐらいかかったかなあ…
父は、ずっと目をあけて聞いていたけど、何を思ったか不明。あえて感想は聞かない。


読み終わって5分ぐらい沈黙が続いたあと、
「さあ、行こう」
と言いだした。
「どこ行くん?」
「天満屋に、漬物を買いにいく」
「お漬物なら私が買ってきてあげるよ。お父さんは、前は、天満屋にいつもお買い物に行ってたの?」
「前ゆーてなんや」
「亀井町(自宅)にいた頃」
「何をヘンなこと言いよる、今も亀井町におるがな」

父は、「帰宅願望」「外出願望」がとても強くて、当然だとは思うんだけど、自分の今の体の状態を忘れて、今でも外に行こうとする。
それも、1日のうちで、たぶん、時間がほぼ決まっているんじゃないかって気がする。
以前、高松病院で「シンボルタワー」の中華料理屋に行こうとした頃より、さらに衰えていて、どうしたってベッドから降りることなんかできない。

認知が進み、体は衰えていく…

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7/12 幻覚・妄想

2011-08-06 | 実父

7/12

昨夜、弟から「明日病院に誰も付き添いでいけないので、行ってもらえないだろうか」とのメール。
無理。
店では一人営業してるし、ホントのホントに危篤とか、そんなんじゃなきゃ、何度も周囲に迷惑かけられない… 悲しい、、
弟に父の様子を聞いてみたところ、1日中寝てて、息をしているだけだったと、、、、

せめて仕事が終わってから少しの間でもと、病院にかけつけてみると、意外にも父は元気で、お見舞いの生徒さんがいらしていて、にこにこ楽しそうに話をしていた。
しかし…やせ細って、骨が皺シワの皮で覆われているだけの父。髪の毛も真っ白で、髭も伸びて、しかも、パジャマ(浴衣)の裾から紙パンツほとんど丸出し状態…
生徒さんの前でこんな姿でいるって、なんだか可愛そうに思えるんだけど、、、
もうちょっと、身だしなみをなんとかしてあげたい、、、
でも、もうそんな見栄より、父が、生徒さんとの時間を、少しでも元気で、楽しそうにしてくれているほうがいい。

こんな日もあれば、1日ものも言えずに寝ているだけの日もあるのだな。
父は、食事ができず、お粥だけしか食べられない。 それもお茶碗に半分程。
そしてそれが、最近は1日1回になりつつあるとか。
先日は、七夕の素麺を、美味しそうに食べた。
「つるつる」と美味しそうにすする音に、まだ力を感じた。
すごく安心するし、素麺をすする力が嬉しい。
出汁が美味しかったんだそうだけど、それでも、3分の1程度で、もう、食べることに疲れてしまった。

お見舞いの生徒さんが帰ってから、父はまた妙なことを言い始めた。
「ヒロコさんが、このフロアーの端っこの部屋で昼寝をしているので、早く起こしてきてくれ」と…
「わかった、端っこの部屋やね。ちょっと待っててね。」

約2分、部屋の外に出て時間を費やす。

「お父さん、ヒロコさん、ベッドにおらんかった。看護士さんに聞いてみたら、もうレッスンなので、教室に帰りますって言って、出ていったんだって。」
(ダンス教室=父の自宅 今もヒロコさんは、そこで生徒さんのレッスンをされている)

父は納得した。
そして、ヒロコさんに電話攻撃が始まった。
「もう今、教室を出たから、あと30分で病院に着くからね。」
待つ30分は、とても長い。
病院の壁から何か自分に迫ってきたりするのが見えるらしい。
「アンタ、何しよるんな!」
誰に向かって叫んでいるのか、普段はかすれて出ない声を振り絞って力いっぱい叫んでいる。
「お父さん、誰がおるん?」
「ほら、アレが倒れてくる、アンタも、気ィつけな、下敷きになる。」
「お父さん、ここの病院は頑丈やから、そんない簡単に壁はつぶれんよ。大丈夫。」
「ああ…壁か、、、」
幻覚が消えたのかな…? 本当にホッとしたカオになる。


Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7/6 転院

2011-08-05 | 実父
7/6 転院

父が転院することになった。
病院では3カ月が限度で、これ以上回復の見込みもなく、治療の施しようもない患者は、いつでも家に帰れますよ…といって、追い出される。
父は、入院してからすでに4カ月。
かといって家に帰っても、自力で起き上がることもできない状態で、誰も介護をする人がいない。
ヒロコさんは、ご自宅で認知症が進んでしまっているお母様の介護もされている。
ヒロコさんと弟は、長い間悩みに悩んだ結果、転院、それも、「療養病棟」という、一般の病棟とは違う、積極的な治療は施さないところへ移ることに決めた。

たとえば…一般病棟の患者さんが熱が出たら、血液検査などなどで、発熱の原因を調べ、根本的な「治療」を施すのに対し、療養病棟の患者さんは、熱が出たら解熱剤を処方されるだけという。
看護師の人数も、一般病棟の半分。

「死」を待つだけの人として受け入れてもらうのだ…

父は、ついに「死を待つだけ」の人になってしまった。


弟と、このところ長電話をしまくり。

弟とは両親の離婚で子供時代を一緒に過ごせず、大人になってから再会したものの、私たちの子供時代のことについてなんか、ゆっくり語りあうことはなかった。
相続の問題もあり…というか、弟にとっては、それがいちばんの悩みのタネなんだよ。
たいした資産価値もない、猫の額のようなダンス教室。
それでも、相続は相続。
父の家は、戸籍上とても複雑なことになっている…
このまま父が亡くなったら、大変ややこしいことになってしまう、、

「全部ヒロコさんにあげたらいいと思う」
というのが私の意見。
できるだけそれに近いように、弟には力を尽くしてほしい。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/ 希望と諦めの狭間

2011-08-04 | 実父
6/

先日の件に関して、弟とTELで長い間話をした。
父は、そんなにも外に出たがったり、家に帰りたがっている。
少し、気分転換に、車椅子で外に出てみてはどうか…と。

結局、ある日地曜日の夕方、日差しが少し翳って落ち着いた頃、家族みんなで父の気分を盛り上げながら、外を散歩してみることになった。
その日、私は、急遽いけなくなって、結局ヒロコさんと、弟と、息子のRinが付き添ったようだ。
Rinが、とても気を使いながらじーちゃんの車椅子を押したそうだけど、痩せた体には、道路のノイズが骨に直接伝わってきて、苦痛で疲れ果てたようだった。

自分の望むことと現実とのギャップに、父もがっかりしたことだろうな…
リハビリも、現場復帰を目指して頑張っていたけれど、あまりにも体力も筋肉も失ってしまって、
元の状態には戻れないことを、心の底で実感し、本人も悩み、不安、いろんな思いが入り混じっているのでは…
「もうダメかもしれない」「でも、希望を捨てたくない」
それは、私たち周囲には決して口にしないことだけれど、、、

父が癌だということは、本人には伝えていない。

私は、父が自分の病気の本当のことを知らないことが、いいのか悪いのか、どう考えたらいいのかわからない。
でも、とにかく、本当のことを伝えないのは、パートナーのヒロコさんの意思なのだ。
ヒロコさんと父の関係で、これでいい…というなら、それがベストなのだと思う。

私は、80代の高齢者の癌は、恐れることはないと思っている。
ゆっくりと年齢相応に進行していく、「老衰」のようなものだと…
がん細胞は、本人の体力、気力で、広がらず留まっていられるものだと信じている。
父には、家に帰って、さらにもう一度レッスンに立てるまでに復帰してほしい。
私は、やっとSYOさんのスタジオができたので、一緒にワルツを習いにいこうと言ってた矢先のことだった。
そのことは、最初に父のお見舞いに行ったときに伝えたけど、覚えてくれてるかな…
父からダンスを習いたい。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6/23 麻婆丼を食べにいきたい

2011-08-04 | 実父

6/23

今日はたい焼きを買っていったけれど、「食べる?」というと、父はすご~く欲しくなさそうに「いらん」と言った。
このイヤそうな顔、もう慣れっこになったけど、ホントに子供のように「ああ、イヤだ」って顔をする。
じゃっ、お茶飲む? 今日は、めっちゃ暑いけど、熱いお茶のほうがいい?

父は、2月末からずっと同じ病室で過ごしていて、季節の変化を感じられない。
お見舞いの人が持ってくるお花やほんの少しの果物ぐらいしか「季節」とのパイプがない。
…というよりも、あまり四季の移り変わりに興味もなくなるんだろうな。
あまりに長い入院生活では、、、

「お父さんのお茶が美味しくてさ~~
匠がお茶が好きじゃなくて、ウチはお茶っ葉もないし、冷蔵庫にも「お水」を冷やしてるんだよ。
私も、なんだかお茶を淹れて飲む習慣がなくなっちゃった。
でも、病院に来るようになってから、お父さんのお茶が美味しくて、
私もお茶と急須を買ったんだよ…
それも、お茶一杯ぶんの、小さな急須だけど、コレがすごくいいのよね。
茶漉しも、大きな網が、急須にぺったりと付いてて。」

そんな会話から、病院の食事が口に合わない話(これは毎回同じ)、
そして、今日は、サンポートのシンボルタワー(高松駅前の高層ビル)の最上階の、中華レストランの麻婆丼、または、坦々麺が食べたいって話になった。

もうすぐ退院。もう何を食べても飲んでもいいですよ。
ビールでもなんでも。

…と、主治医の先生は仰ったそうなのだ。

「え~~っ!ビールもOKなん? ほな、こんど、こっそりチビ缶買って来てあげようか?
キンキンに冷えたヤツ。
一口きゅ~ん!と飲んだら、美味しいやろね~~!!
眩暈がするかもしれんけど。
でも、ヒロコさん(パートナーさん)に怒られるやろな~~
絶対内緒にしとかないと…バレたら私、出入り禁止になるわ。」

麻婆丼とか、坦々麺って、濃い味付けでピリ辛で…父の気持ちはものすごくわかる。
退院したら、絶対連れていってあげたいと思った。

病院の食事がもう限界的にイヤで、どうやら、昨日も絶食だったらしい…

「シンボルタワー」は、病院から2km弱。
病室の窓から見える…

暫く、食べ物の話で父と盛り上がっているところに、ヒロコさん登場。

父は、ヒロコさんには甘えモード全開で、我侭放題が始まった。

「これからサンポートに中華食べにいく。用意して。3人でいこう。」

行くったって、どうやって? 
「車椅子で、タクシーに乗ればいける。」
この格好ではお店に入れてくれないよ。
「着替え取ってきて。はよ!!」

止めようとするヒロコさんに、「早くしろ」と食ってかかる父。
窓から見える、目と鼻の先のシンボルタワーに行くぐらい、どうってことないと父は思っている。
気持ちはもう外なんだね。

でも、それとは裏腹に、父のリハビリは全然進んでいない。
自力で身体を起こすことも、支えることもできない。立つことも。
「じゃあ、起きてみる?」
ヒロコさんと私で両脇を抱えてベッドから降ろして父を立たせてあげた。
それだけでも大変な作業。父は1人で立てないし、数秒もすると足がガクガクと震え出す。
これが、あの入院直前まで踊っていた父…
悲しくなる。
それでも、意地でも外出しようとしている父。

食事に出かけると言い張る父に面と向かって逆らうと、もっと大変なことになるので、着替えを取りにいくフリをして、病室から出て、ナースステーションへ…
暫くして、男女2人の看護士さんが駆けつけてくださった。

「古川さん…どうしたんですか、だいじょうぶですか?」
「大丈夫です、ちょっとそこまで30分ぐらい、食事に行ってきますから」

膝をガクガクさせながら立っていた父は、とりあえずベッドに座り、女性の看護士さんは、父の膝をさすりながら、今の状態では、怪我をしたら大変なので、外出は認められないことを、子供に言い聞かせるように話してくださった。
それは、主治医の先生の指示であることも伝え、父はおとなしくベッドに横たわった。

父が横たわるとき、私には、父が一瞬なんだかホッとしているように感じた。
あれほど意地を張っていても、身体は辛く、ほんの数分でも、自分の身体がいうことをきかない…
先生の指示で、ベッドに戻ることに、安堵しているんじゃないかと感じた。
数分立っているだけでも、とても辛かったのだ…

それでも、一方では、父はこの不本意をヒロコさんにぶつけまくった。
私は、ヒロコさんにそれとなく促されて、父に「じゃあ、また来るね」といって病室を出たけれど、その後、ヒロコさんは、父に詰られまくり大変だったようだ。
ヒロコさんは、何も悪いことしてない。
彼女は、いつもベストを尽くしていて、全てを引き受けて、良くしてくださる。
…天使のような方なのです。
父はそれに甘えきっている、、、

父の気分を盛り上げてしまったのは私なのだ。
それの後始末は、すべてヒロコさんがしてくれた…

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実父の入院

2011-08-03 | 実父
いつも応援ありがとうございます。

実父が、2月から入院しています。
肝臓がんです。
現在治療の施しようもなく、最初に入院していた病院は期限切れで、別のところに転院を余儀なくされました。

当初、私は、父は高齢ということもあり、進行はゆるやかで、一時退院、復活の希望も持っていました。
父は、倒れて入院する直前まで、踊っていたのです。
父は社交ダンスの教師です。

でも、肝臓の癌を焼き取る処置があまりに長時間の激痛で、過酷だったので、消耗が激しく、
父はそれから寝たきりになってしまいました。

私は、父の復活を信じたかったので、このことを周囲に伝えると、
なんだか、「父はもう助からない」波動が広がっていきそうで、
誰にも言いたくありませんでした。

けれども、父は今、少しずつ脳にも障害が出て、退行していっているようです。

実父との交流を、記録としてブログにアップすることにしました。
父が生きているうちは、Takの成長記録と同じパスワードで、親しい方限定にしたいと思います。

ほぼ毎日のように更新するかと思うけど、ブログには更新のお知らせはしません。

自分自身の記録のためで、誰かに読んでもらおうというような目的ではないのですが、父が亡くなったら、この文章もパスワードをはずして公開しようと思っています。

今は、父を天国へ見送ってあげるか、いま少し、ここにとどまって、私たちのために生きてほしいと願うのか、どう考えていいのかわからないのが正直な心境です。


......................................................................................



2月~3月

弟の携帯に、LIVEの案内メールを出した。
すると、「親父の具合がどうも良くないらしい」と返信。
急いで実家にTELしてみると、ヒロコさん(パートナーさん)が出て、「今、熱が出て、休んでいて、このことは、心配をかけたらいけないので、息子、娘たちには言うなと緘口令が敷かれているから、電話を変わることはできないの。ごめんね」と。
そして、私のLIVEの日に父は入院した。

肝臓癌。

大きなポリープが3箇所もあり、その1つが、胆嚢を圧迫している。
放置しておくと、すぐにでも胆汁が逆流し始める。そうなると、黄疸が出て、数日の命…とかなんとか。
高齢なので手術は不可能。
患部にレーザーを差し込んで、胆嚢を圧迫している部分だけ焼き切るという処置をすることになった。
激痛が続く、とても辛い処置なのだとか。
父はそれを2時間堪えて、そこで限界。あまりにも消耗が激しく、それ以来寝たきりになってしまった。

私が父に会いにいく許可が降りたのは、入院から2週間後ぐらいだったかなあ。
最初は、弟にも言うなといっていた父だけれど、ヒロコさんは戸籍上妻ではないので、「家族の同意」が必要な入院後の様々な処置などに対応できないからということで、弟にだけは打ち明けることを父は許可した。

私にも伝えていいと言われて、すぐに会いにいったところ、父は、点滴だらけで腕一面紫色になり、口の中も血の塊だらけで黒くなっていた。
処置後、血小板が著しく減少して、内臓からの出血、吐血などが暫く続いた。

入院直前まで踊っていた父は、自分の身体の急激な消耗や変化を受け入れられず、点滴をはずして自分で起き上がってトイレに行こうとして、便にまみれるという大失敗したり、口の中の血の塊を取り除こうとしたり、周囲が肝を冷やすこと度々。
完全介護とはいえ、看護士さんに迷惑をかけてはいけないと、日中は家族が付き添う日々が続いた。



4月

1日は父の85歳の誕生日。
小さなブーケを買って行った。
病室には、ヒロコさんがお花だけで作った大きなバースデーケーキが飾ってあった。
白とクリーム色とピンクの、淡くてかわいい色合い、ほんとにお菓子のようで、ヒロコさんの父に対する愛情がぎゅぅぅぅっっと凝縮されてる。
ほんとによかったね、お父さん、こんな優しい人にずっと付き添ってもらって。
30年以上、仲良くパートナーとして歳月を重ねてきた2人。
年齢差20歳以上。
ダンスのパートナーが、いつしか人生のパートナーに。
ヒロコさんは、今でも父のことを「先生」と呼ぶ。
私がヒロコさんに初めて会ってからもう四半世紀が過ぎたけれど、彼女は今でも可愛い。
そして、ずーーーっとラブラブ♪
私が付き添っているとき、いつも「遅くなってごめんごめん」と言いながら、にこにこ笑顔で病室に入ってくる。
父はいつも機嫌がいいわけではなく、彼女に甘えきっているので、時には不機嫌この上ない態度をすることも。
愛情こめて父の顔を覗きこむヒロコさんに、「じろじろ見るな。覗き見お断りや!」とキツくいうことも…
「ハイ。」
ヒロコさんは、決して逆らわない。



血小板の輸血、点滴などは約2カ月続き、その間絶食。
その後、点滴がはずれて、楽しみにしていた食事ができるようになっても、病院食が口にあわないといって、お粥しか食べない日々。
ドクターから何を食べてもいいですよといわれて、好物の海苔の佃煮や、梅干など持っていっても、肝臓の障害によって、味覚が変わってしまったのか、苦い、不味い…といって、食べられなかった。

ある日、鯛焼きが食べたいというので買っていったら、「ウマイ」といって、1個全部ぺろりと食べることができた。
周囲は大喜びで、希望の光が見えたけれど、いつも食べられるわけではなく、手探り状態で、父が食べられそうなものを、家族やお見舞いの生徒さんが持ってくる…
果物も、次々といただくけれど、見ただけで嫌そうな顔をしたり、美味しそうで食べてみても、2口でギブアップということも。
とある生徒さんが、どこだかの大学の農学部の畑で育てたという新鮮なスイカを小さくサイコロのように切って、親指くらいの小さなフォークも一緒に持ってきて下さった。
彼女は、「先生、ちょっとだけ食べてみてください。」といって、フォークごと父に手渡す。
介護ってこういうものなんだ。
食べさせてあげるのでなく、自分でフォークやお箸を持って食べられるように…との彼女の気遣いは、素晴しいと思った。




Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする