WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

キャンドルサービスへのお誘い

2018-12-23 | キリスト教のこと





今日は教会にてアドヴェント4週目の礼拝。
教会では、クリスマスに向けて、「アドベント週間」といって、キリストの降誕を待ち望む特別な期間で、4週間分4本のキャンドルに1本ずつ火を点します。
今日がその4週目4本目の灯火。そして、明日はいよいよイブ。明後日はクリスマス。

クリスマスを楽しみに待つ期間のお菓子として「シュトーレン」はかなり定着してきましたね。
こんなに一般的になっても、その意味ってあまり知られていないかも。
これもクリスマスを待ちわびるアドベントの期間に、特にドイツでは毎日一切れずつスライスして食べる風習があるとのこと。
シュトーレンというお菓子は、クリスマスに向けて日ごとに味わい深くなっていくのです。

参考までにコレも付け加えておきます。

シュトレンという名前はドイツ語で「坑道」を意味し、トンネルのような形をしていることからこの名前がつけられた。
生地には酵母の入った生地に、レーズンとレモンピール、オレンジピールやナッツが練りこまれており、焼き上げたケーキの上には真っ白くなるまで粉砂糖がまぶされている。
その形が幼子イエスを産着で包んでいるように見えると言われている。(Wikipediaより)


では、アドベントカレンダーはご存じでしょうか?

これは12月1日から25日までの窓のあるカレンダー。
順番に並んでいないので、今日の数字を探すのが楽しい♪
その日の数字のところを開けながらクリスマスを楽しみに待つ…というもの。
窓をちぎって開けたら、その裏には聖書の中の、キリスト降誕に関する短いメッセージが英語で書かれています。












私は、生徒さんたちに毎年これをやってもらって、ちぎった窓を「おまもりよ」と言って持って帰ってもらっています。
英語で書かれた聖書のメッセージ、全然ワケわからない小学生だった子供たちも高学年になり、中学生になり、受験生になり…

先日、中2の生徒さんに、「この英語、わかるようになった?」って訊いてみた。
彼女は「う~~~ん…」と苦笑してました。
来年は、アドベントカレンダーそのものをあげると約束した。

こうやって毎日窓を開けながら、キリスト降誕の初めてのクリスマスのこと、知るきっかけになるといいなあ…と思っています。


ちなみに、我がシオン教会では、「若者夕食会」というイベントを毎月催していて、先月は「感謝祭(サンクスギビング)」ってことで、ターキーのオーブン丸焼きをメインに料理をふるまい、
近隣の高校生に多数集まっていただきました。
教会とはかかわりのない一般の方たちばかり。
リーダーとなってやってるのは当教会の高校生。



記事をアップする機会を逃してしまったので、画像のみアップしとく。












そして昨日の「若者夕食会」では、イヴのキャンドルサービスの簡易バージョンやりました。
食事は、タイカレーと、海軍カレー(正式名は忘れたけど、自衛隊の海軍のカレー)
これでもか!!というほど作ったのに、完食。デザートも完食。







「初めてのクリスマス」(文責TAKAMI)

エルサレムから北に100キロほどのガリラヤ地方に「ナザレ」という村がありました。
イエス・キリストの母マリアは、ヨセフという大工といいなずけ同士でした。
ある日、マリアのもとに天使ガブリエルが訪れて、イエス・キリストを身ごもることを伝えます。
「受胎告知」などの名画のシーンです。
マリアは処女なのでそんなんあり得んと大変驚くけれど、すぐに「主のみこころのままに」と受け容れます。
一方、ヨセフも、マリアが妊娠していることを知り、婚約を解消しようかと悩みまくります。
ヨセフにもまた天使が現れ、生まれる子は救い主だと告げます。
そして、マリアが妊娠している状態で2人が結婚したその年、時のローマ皇帝から全領土の住民に「住民登録をせよ」との命令が下り、マリアは身重の身体でヨセフとともに故郷ベツレヘムに長旅をすることになりました。
しかし全住民の登録なので、ベツレヘムの町はごったがえしまくり、宿はなく、やむなく夫婦は家畜小屋で一夜を過ごすことになり、そこでマリアはイエス・キリストを出産しました。

その時、野番をしていた羊飼いたちのところに天使たちがものすごい光とともに超絶派手に現れ、救い主の誕生を告げ、神を賛美しました。
当時の羊飼いとは、最下層の身分の人々。彼らは、イエス・キリストが生まれた家畜小屋を捜しあて、礼拝し、賛美しながら喜びに満たされて帰っていきました。

これが最初のクリスマス。


…この後、東方の博士たちがイエスのもとに贈り物を持って訪れ、ヘロデ王がイエス・キリストを抹殺しようとするのはまたそれから少し後のお話。
高校~大学時代、そういうキリスト降誕にまつわる合唱などなど歌いましたが、当時は全く内容は知りませんでした。

ともあれ、イエス・キリストは家畜小屋で生まれ、それを祝って訪れたのは最下層の羊飼い。
ここから根こそぎ、すべての民を救うという神さまの計画。


世界は神によって創られ、さらには今も神の支配のもとにある…と信じる私。

世界はビッグバンによって偶然にできた…とはとうてい考えられないし、一般の人びとも神さまのことは信じているはず…と思う私。

明日は教会の「キャンドルサービス」です。ゼヒともホントのクリスマスを味わいに、
教会にお出かけください。










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師は走る

2018-12-06 | キリスト教のこと




ついに12月に突入!

12月1日

クリスマス・ストリートライヴ(高松市のプロテスタント教会有志による)

ビストロ・ボン クリスマス ディナーライヴ


私は数年前に息子とともに洗礼を受けてクリスチャンとなりましたことは、いつも拙ブログをお読みくださっている方はご存じのとおり。
そして何故洗礼を受けるに至ったかということも、これまでにも折に触れて書いてきました。
ですので、詳細は割愛しますが、流れとしては「音楽」なのでした。

毎年の師走の慌しいこの時期を振り返ってみたくなって、拙ブログを検索してみた。

ストリートライヴや、イヴのキャンドル礼拝や、息子のサンタクロースからのプレゼントのこととか、、、
ものすごく感慨深かった。
私がどれほど「ストリートライヴ」を大切におもっていたか。
クリスマスの礼拝を大切に思っていたか。
息子へのサンタクロースからのプレゼントを大切に思っていたか。



1回目のストリートライヴ



その年のキャンドル礼拝




その年のサンタクロースから息子へのプレゼント



プロテスタント教会有志バンドのストリートライヴは、今年で10周年なのだ。
私は最初の数年はクリスチャンではなかったのだ。
途中で洗礼受けてクリスチャンになったのも、このイベントに参加させていただいて、音楽で2000年前と今日のこの日が繋がることをめっちゃ体感して、感動したから…ってのがあったからだ。


それなのに、このイヴェントの責任者の牧師先生お2人は、今年で7年を迎えますと仰った。<`ヘ´>
10ねんなんだよ10ねん!!
おひとりは途中で帰国してブランクがある。
もうおひとりは、3年前から前任の方と交代でいらした。
私は毎年やってきたのだ。間違えるなんてなんてこった!(…って、別にプンプンなわけじゃないんですけどね)

クリスマス・ストリートライヴが最初に催されたのは10年前。息子を教会学校に通わせたいとの思いで,、自分自身も教会の礼拝に時々通っていました。

ご存じの方には目にタコタコタコタコ!!ですごめんなさい。

それから毎年、加藤牧師率いる「高松シオン教会」のワーシップチームのメンバーとして、出演させていただいていました。
そのうち、別枠で、TAKAMI & SYO Michaelとしても出演することに。
何をやってもいいよと言われ、高松まつりの盆踊りの曲「一合まいた(連れ込みバージョン)」や、自作の「うどんデート」、宇宙一好きな「埴生の宿」などなど、
クリスマスとは全然関係ない歌も大胆にも歌いまくりました。

…が、しかし、私の中では、「一合まいた」も「うどんデート」もテーマは「愛」。

クリスマスは大切な人と過ごしたい思い、一人ぼっちは寂しい、愛し合いたい思いになる。


「愛のかけら」は誰の中にもある。





今年は、TAKAMI & SYO Michaelに、テナーサックス國井類さんも加わって下さってのステージ。

それぞれのワーシップチームの演奏も年々グレードアップして、クォリティの高いステージでした。
その中で、「クリスマス」の意味を語り、心にイエス・キリストを迎えましょう…と、誰の心にもある「愛のかけら」に呼びかける。


今年はついに10周年を迎えました。
私はひとりで10周年を噛み締め、しみじみと味わっていたのでした。






さて。このあとは、「ビストロ・ボン」のクリスマス ディナーライヴ。
類さん、SYOさん、山田丸義(bass)、チャリダー広瀬(Ds)

堪能しまくりました。
ディナーも音楽もサイコー!!  


























私は客なんですけど、毎回ライヴ終了後に、なんか1曲歌わされるハメになってる。
ヨッパの客の余興として登場ですわ~~
定例化してしまってるので、今年もいちおー覚悟はしてました。
今日は、ストリートでやった曲のどれかを歌えばいいや♪と思っていたのでしたが、、、

お客さまの中に、お子さんが2名ほどいらっしゃいました。
未就学児と、小学校低学年…あたりかな?
お2人ともすごく音楽が好き♪って感じで、生演奏をとっても興味深く楽しそうに聴かれていました。

ここはやはり、日本語で歌うべきだろう。それなら
「きよしこの夜」でキマリだ!
なーんて、いちおーミュージシャンのはしくれとして、ヨッパのアタマで考えるアルね。


実は少し前に、facebookで、香川を代表するオペラ歌手の岸上美保さんが、最近の高校生は「きよしこの夜」を知らないという記事をアップされてました。
なんと!クラスの半数が曲すらも知らないと( ̄□ ̄;)!!
じゃあ、この世代にとってのクリスマスの曲って何なんだ!?!?
「ジングルベル」なら知ってるようだと、、、

なるほど、ジングルベルは教科書にも載ってる。
しかし、これは「クリスマス」の曲じゃないし、クリスマスの賛美歌は宗教曲だから義務教育ではNGなのか、、、なるほどな~~




ヨッパですが一応ちゃんと歌ってるつもり(^_^;)




数年前にピアノ&ヴォーカルを習いにいらした20代♂初心者の生徒さんに、まずはスリーコードで簡単なハ長調の曲ってことで、時節柄「きよしこの夜」を選んでレッスンしたことがありました。

「きよしこの夜
 星はひかり
 救いの御子は
 まぶねの中に
 眠りたもう
 いとやすく」

曲はご存じでしたが、彼は「救いの御子」のところを、読み間違えて「すくいのいす」と歌った( ̄□ ̄;)!!

私が悪かった。
「御子」(みこ)なんて単語、フツー人生の中にないよね。


この際ですから、3番まで書いておこう。


 きよしこの夜
 み告げうけし
 まきびとたちは
 み子の御前に
 ぬかずきぬ 
 かしこみて


 きよしこの夜
 み子の笑みに
 めぐみのみ代の
 あしたのひかり
 かがやけり 
 ほがらかに



お客さまがお帰りになられてから、ひそやかに、いや、かなり盛り上がったこんな宴♪







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Chriatmas Street Live 2018

2018-11-22 | キリスト教のこと






昨日のホームコンサートは、楽しくつつがなく終えることができました。

1部、ソロ演奏。2部、アンサンブル演奏。
だんだんリラックスモードになっていって、パーカッションの小物楽器を鳴らしながら、「荒野の果てに」を演奏しました。

これ、新しい試みだったけど、私としてはとってもよかったな。
ドラム担当の広瀬さんが、いっぱい小物楽器を持って来てくださり、全員楽器を演奏しながら歌もハモるという、とっても楽しいセッションタイムになりました。
初めての試みだったので、なんだか音楽の授業みたいだったかもな~~~

しかし、これからも毎年やりたいな。


さて。次はコレ。

クリスマス・ストリートライヴ。

ついに今年で10周年となります。
よくぞここまでやってきた、私。
このライヴは、10年前に、私が所属する「シオン教会」の当時牧師の加藤先生と、「瀬戸内チャペル」のマイク・グレイ先生の提案でスタートしたものであったと思います。
お二人ともとても素敵にギターを弾いて賛美をされる方でした。
「賛美する」とは、キリスト教用語?で、神様を讃えて歌うことです。
私は、当時クリスチャンではありませんでした。
息子を教会学校に通わせていたので、私も礼拝に時々通って教会学校の月謝のようなつもりで献金をしていました。
私がクリスチャンになった訳にも書いたように、私は音楽を通して、クリスチャンになりました。
賛美することと自分の音楽人生が重なったのでした。

この10年の間に、我がシオン教会の加藤先生は退任され、グレイセンセイもアメリカに帰国して不在の年もありました。
なので、10年間ずっと毎年出演し続けてきたのは私だけ。

賛美と音楽人生はもちろんぴったりと重なっているわけではなく、ブレたりもしてるし、私が歌いたい曲は讃美歌以外にもたくさんあるのです…が、神さまと繋がっていない歌はひとつもないと思えます。


はにゅうの宿 --Harmonica



私が今のところ、いちばん好きな歌は「埴生の宿」
この歌の原曲は、「Home Sweet Home」 作曲はイギリス人のヘンリー・ビショップ、作詞はアメリカ人のジョン・ハワード・ペイン。
日本語訳詞は、里見義。
この歌は、外国人作詞作曲であるにもかかわらず、戦時中、「敵性レコード」から除外されなかったそうです。


神さまという言葉はどこにも出てこないけれど、私にとっては、この歌が、自分の心の奥底から溢れてくる最高の賛美なのです。
自分は神さまに創られた被造物であって、すべてを神さま委ねて日々をささやかに暮らしていくことが、こんなにも満ち足りて幸せだ…という歌と感じます。


ところで、ここ数年、TAKAMI & SYO Michaelのユニットで出演してたけど、今年はもぉ、それぞれの教会のワーシップチームも格段にレベルアップしてきてるし、
私たちはもぉそろそろいいでしょう…ってことで、辞退したのでしたが、まあ、いろんな経緯があり、やはり今年も出演することに。
今回は、テナーサックス 国井類さんにも加わっていただけることになりました。
こりゃ~~もぉ強力でパワフルで凄いことになるよ\(^o^)/
そんなら、どうぜ出演するのならと、今年はフライヤー、自作してみました。

ぜひ、お立ち寄りくださいね。

各ワーシップチーム、それぞれ、魂込めて「賛美」します♪



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私がクリスチャンになった訳

2018-07-02 | キリスト教のこと


深い群青の「ガリラヤ湖」



「求道者ドキュメント」のカテゴリーを読み返したら、結構私、いろいろキリスト教について書いてるじゃ~~ん。
でも、洗礼を受けることとなった過程については書いてなかったよ。
なんでこのズボラでチャランポランなTAKAMIがクリスチャンになったのか…
しかも、いきなりどぼ~~ん!とお風呂のようなところに入れられるのが洗礼。(教派にもよる)
私もある友人から突然クリスチャンになったと言われたときものすごくびっくりして、経緯を詳しく語ってもらったこともあったので、この際だから語らせていただきます。
先日の勢いです。



オリーヴ山から見た神殿跡



私は物心ついた頃から「世界は神さまによって創られた」と信じていたのでありました。
洗礼を受けるに至ったのは、その「神さま」というのは、キリスト教でいうところの神さまだと思ったからなのですが、まあもう少し詳しく語ります。

家は仏教だったけど、「仏様」というのがよくわからないので、子供の頃から、お祈りは、私が信じている世界を創造した神さまにしていました。
お祈りはほんとうによくしていました。
フツーの日常でも私によくないことが襲いかかりそうなときもです。
たとえば、吐きそうなとき。
私は子どもの頃、よく吐いていました。
「吐きませんように」
コレ、めっちゃ子供の私にはシビアだったよ。
お祈りしても吐く時は、神さまがそのほうがいいんだよと言ってくれたんだ…と、、、そんな心も養われたような気がする、、、


中学生のある日、たまたま、イエス・キリストの生涯についての映画をTVで観ました。
私はその頃、宗教にとても興味があり、、この映画にめっちゃ感動してイエス様が大好きになり、カトリックの桜町教会に行ってイエス様の絵葉書や、お祈りの本などなど買って、デスクにイエス様の絵葉書を飾りました。
礼拝に行く勇気はなかったけど、桜町教会のイタリア人のシスターとお友達になり、ある時期、文通もしていまました。
教会学校用のテキストも貰って、聖書を読みながら問題を解いたりもしていました。




オリーヴ山のオリーヴ



中学生のある日私は両親に「洗礼を受けてクリスチャンになりたい」と言いました。
しかし母に、「それはもっとじっくり考えてからにしたほうがいい。」と言われました。
何故なら、クリスチャンになったことによって、人生でいろいろ悩んだり、壁にぶち当ることがあるかもしれないからと、母は頭ごなしではなく、丁寧に言ってくれたので、
こんなに真剣に言う母に従おうと思ったのでした。
それはきっと「結婚」に関することなのだと、中学生の私にもわかりました。




異邦人伝道の基点「皮なめしシモンの家」




でっ。
月日は流れ…
私は、息子に「神さま」のことを伝えたかったのです。
私はどの宗教の信者にもならなかったけれど「神さま」を信じて過ごしてきました。
このことを息子に伝えたかったのです。
学校の「道徳教育」ではなく、私が、神さまを信じてきたことを伝えたいし、
息子にも「神さま」を心の根幹に持ってほしいと願いました。
それには、教会学校に通わせることが良いであろう…と思いました。
私が信じている「神さま」とはキリスト教における「神さま」なのだと思えたのです。




ゲッセネマの園からカヤバ官邸へと続く石段





クリスチャンでない私が、何故息子を教会学校に…??

初代夫が教会学校に通っていたという話を、結婚披露宴の時に、新郎側の、お父さまの仕事関係の方からのスピーチで聞きました。
初代夫は、小学生の時、雨の日も風の日も、自転車で教会に通ったのだとか。
へぇ~~~そんなこと全然知らなかったよ。
初代夫とそんな話をしたことも全くありませんでした。
だけど、この人はそんな素地があるから、こんないい人なんだ…と、私は素直に感じたのでした。
さらに教会というところは、出入り自由で、教会学校に通っても「洗礼」を受けなくてはいけない…などというところではないのだとも。
なので、安心して息子を託せる…と思いました。
息子は毎週楽しみに教会に通うようになりました。
私と息子が所属している教会は偶然にも初代夫が通っていたところで、披露宴でスピーチをして下さった方は今でもそこの教会員なのです。




ナザレのハートのクローバー




私といえば、息子の月謝を払うようなつもりで、礼拝にも時々参加し、献金していました。

私が音楽活動をしていることを話すと、牧師先生は、私を教会のいろんなイベントに用いて下さるようになり、賛美(神を讃えて歌う)の根幹に深くかかわることになっていきました。
そして、どの歌も、歌えば神さまと繋がり、水道の蛇口を開けるように流れ出てくる…と感じました。
自分が生きている今と、イエス・キリストの時代が折り紙を折って角と角が重なるように一瞬にして重なる。
こんなミラクルな経験を音楽を通して幾度もしました。
私が大学時代に歌った宗教音楽はなんだったのだろう…全く「聖書」という文言はなかったな。

それでも洗礼を受けたいとは思いませんでした。
私は、今でもこれでじゅうぶんイエス・キリストを信じているし、このままでいいと思っていました。

でも、教会員の方たちも、牧師先生も、私と息子が受洗することを待ち望んでいて、それを拒む理由はなにもありませんでした。
このような経緯で、私は音楽からキリスト教と繋がりました。




エルサレムの奇跡の夕暮れ




前回も書いたように、洗礼を受ければクリスチャンになる…のではないのです。
私は、いったいいつからクリスチャンだったのだろうか…
中学の頃、イエス・キリストの映画を観て、イエス様が大好きになったあの時から、私は救われていたのだ…と思います。
キリスト教でいう「救われる」とは「福音の3要素」を信じることです。
一度救われたら、それを失うことは絶対にありません。








洗礼を受けるに至るまで、実に40年という年月がかかりましたが、
その間、神さまはずっと私のことを見守って辛抱強く待ってくださったのだ…と思います。
とうちゃん(神さまね)、ホントにありがとう…です。

洗礼を受けるということは、クリスチャンになるための儀式ではなく、福音を信じたので、これからは神さまの法則に従って歩みます(なるべく)とまあ、そんな感じ。



…とまあ、時々こんな感じで、キリスト教関連の記事も書きたいと思います。
お付き合いくださいね。



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「福音の三要素」

2018-06-29 | キリスト教のこと






ご存じの方もいらっしゃると思いますが、私はクリスチャンなのです。
ですので、たまには聖書やキリスト教についての記事も書きたいのです。
どうかお付き合いください。



私は、中川健一先生の「ハーベストタイム」というサイトが大好きで、一時、これにハマりまくっていました。いや、いまでもハマっています。
聖書の冒頭の、創世記1章1節「初めに、神が天と地を創造した。」
これは、きっとクリスチャンでない方も、聖書を読んだことがない方もご存じなのではないでしょうか。

キリスト教は、「一神教」。 宇宙は神が創造した。…これが私としてはしっくりくるのです。
…というより、「当たり前じゃん」なのです。中学生の頃から。
ビッグバンから始まって、この宇宙は偶然にできて今日に至っているとはとても思えませんし、
神さまがたくさんいてそれぞれにその場所や人の願い(学業、安産、商売etc.)をそれぞれに管轄しているというのも私にとっては思春期の頃から違和感ありました。
私はクリスチャンでない頃に神社仏閣にお参りしても、いつも「御神体」とかどうでもよく、「天地を創造した神さま」にお祈りをしていました。

実は30代の頃、初めて伊勢神宮にお参りに行ったとき、「なんだ、ここにもやっぱり人間を祀ってるのか…」と、ちょっと失望したことも申し添えておきます。
修学旅行で日光東照宮に行ったときも、人間徳川家康を祀っているのか…と、なんとなく納得できない思いあったし、、

人間をどんどん、どんどん遡っていけば、神さまに到達するのでは…という思いがありました。
日本神話って、そういう世界だと思っていたのでした。人間は神さまに繋がっている神さまの子供なのだと、、、

「初めに、神が天と地を創造した。」
中川先生の「ハーベストタイム」では、ここから始まって、創世記の全章をとても詳しく楽しく、1回約1時間のメッセージで解説をして下さっています。
私としては、好奇心の「塊」…というよりは、トゲトゲのように、ぷるぷるのように、ベクトル状態になって、次々と聞きまくりました。

昨年三国志にハマりまくりましたが、ハマり方としてはまあ、あれと似たようなものです。

創世記の登場人物は、ものすごく人間的…というか、人を殺したり、欺いたり、妻が複数いるし、身勝手この上ないような人物が次々と出てくるのです。
そして、神はそんな人間と向き合って、約束を交わしたりする。
中には神に対する深い信仰を持っている人もいるけど、そんな人物でも、日常生活的に清く正しい人が深い信仰を持っているというわけではない…

なんじゃこりゃ~~!? な世界。

そして、創世記の次には「出エジプト記」
「モーセの十戒」のストーリーです。
これもまたハマりまくりました。

三国志にハマりまくっていたことは記事に書きましたが、旧約聖書にハマっています…とは、正直いって自分自身の「信仰」のこともあるので、なんだか書きにくかったっす。
拙ブログに、宗教色はあまり出したくないという思いがありました。








さて。ハマりまくった旧約聖書の「創世記」と「出エジプト記」が終わって、次は「新約」にいってみるべきだな。
「新約」とはイエス・キリスト以降。「紀元後」
イエス・キリストの生涯を記した「福音書」についての解き明かし。
これもまた壮絶で、グサグサと突き刺さりまくりました。

キリスト教の「福音」(良い知らせ)というのは
1イエス・キリストは私の罪のために死んだ
2イエス・キリストは死んだ後墓に葬られた
3イエス・キリストは、死んだ後3日目に復活し、現在も私のために生きて働いている

これを信じて受けいれる人には、次のことが起こる。

1過去、現在、未来の罪がすべて許される(ローマ8:1)
2神の子となる特権が与えられる(ヨハネ1:12)
3永遠の命が与えられる(ローマ6:23)


まずは「罪ってなによ」ってところで、殆どの人がひっかかります。私もそうでした。
私はそんなにひどい人間なのか罪びとなのか、それなりに頑張ってるし、すごく前向きに、これまでも挫折を味わっても、自分の人生、頑張って自分で切り開いてきましたけど。

「罪」とは、聖書的には、「的はずれ」ということのようです。「神さまに向かっていない状態、背を向けている状態」

私個人的には、具体的に私の「罪」とは人を心の中で裁くことだと思います。
心の中で人を批判したり、人と自分を比較して、私のほうが正しい…と思う。
それのどこが悪い、そんな聖人君子になんかなれねーよ、、、、
そーなのだ、人は努力しても聖人君子になんかなれない。

イエス・キリストが私の罪を背負って十字架で死んだ。だから私の罪は赦された。
そして3日目に甦って今でも私のために生きて働いている。
…なんて、ムシが良すぎまくりです。私の罪をイエス・キリストになすりつけてるじゃないの。
…と、このように、キリスト教というのはなかなか、努力を美徳とし、悟りを目指す日本人の性質には受け容れられません。

しかし、神の側からの視点?に立ったとき、「信じるだけでいいんだよ」と、
神さまがどれほど愛に満ちて人を救おうとしているか、神の愛のスゴさが魂にずしずしときます。

今年も父の日チャペルコンサートにお招きいただきました。

去年は「Lush Life」を歌いました。今年は「酒とバラの日々」を歌いました。
どちらも、退廃的な人生の歌で、普通教会で歌うのははばかられるような歌詞なのです。
でも、私は、こんな酒に浸りきった荒れ果てた人たちのことをも神は見捨てない、信じて頼ればその瞬間に神の腕に抱かれて救われるのだと思えます。
「神よ私をお赦しください」じゃなくて、「とーちゃん助けて!」と願えばよいのだ…と、これは今日感じました。マジです。

私がのんべーだからか あはははは♪♪


ちょっとご紹介。キリスト教入門サイトです。
これも私がハマっている中川健一先生のサイトの一部。
ちょっと覗いてみませんか?

聖書入門.com 3分でわかる聖書

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JAZZ & GOSPEL Chapel Live

2018-05-15 | キリスト教のこと






今年も、父の日にチャペルライヴやります。

お時間のある方はゼヒともお越しくださいね。
なんたって入場無料!ありえないです。 なんという太っ腹な新生教会!!
(新生教会はSYOさんの所属している教会です)

ゆっとくけど、メンバーのみなさん、それぞれ、LIVEではかなりそれなりのチャージを頂いて演奏している地元プロの方ばかりですから。

このコンサートは、教会のみなさまのお祈りと献金によって成り立っています。

テナーサックス國井類さんを交えたSYO MichaelカルテットでのLIVE、今回3度目になりますが、私はこのたびゲストとして3度めのお招きをいただきました。
初回からだともう6回目になるのかな??
もう毎回TAKAMIのツラは見飽きただろう…そろそろフロント差し替えお願いします…と、ご遠慮モードだったんですけど、やっぱり今年も歌うことに、、、

曲も決まりました。

そうなると、「よっしゃぁ~~!!」となって、ご遠慮モードは吹き飛び、シミュレーションしつつ自主練が始まり、ベクトルとなる私。



前回記事の続きなんですけど、みっちゃんとSYOさんと3人でのテアトロンで歌いまくりのあと、みっちゃんをご自宅までお送りして、その後SYOさんと2人で飲み会。
みっちゃんと私は昼酒飲みまくってたけど、SYOさんは仕事でもあり、ドライバーで全然飲んでなかったからね。

そして、このたびのチャペルコンサートに何を演るか…というシビアな話になって。
「TAKAMIはゼヒともコレをうたったらどうか」…という話になった。
誰でも知ってるビリージョエルの曲を4ビートで歌うというもの。
ビリージョエルのその曲はかなりいろんなヴォーカルがやってるけど、4ビートでやった人はこれまでに出会ったことがない。
SYOさんから嘗てヴォーカルの方に提案しても却下された。
…とかいわれたら、よっしゃ!ほな私がやったろー!!となってしまうTAKAMI。

しかし、一見(いや一聴)ペラい歌詞。どぉ解釈すればいいんだ!?
私、歌詞に気持ち入らないと歌う気にならないからな~、、
「君はそのままでいいんだよ。変わらないでいて。」と言われてもなあ、、、、
今さら?恋の歌かよ。

つい先日、Facebookで、結婚したら妻は変わる…などの話題で盛り上がったばかり。
「ありの~~~ままで~~」とか言われてもなぁ……



「おっちゃんと、おばちゃんのゆるゆる倶楽部」より




同窓生「宮さま」の格言








しかし「歌詞」というものは、私にとってはその時の心境によって、どうとでも解釈できるもの。

この歌って、「MY FUNNY VALENTINE」にちょっと似てるよな。

「お前の顔はぶさいくだ、でも愛しい。そのままでいてほしい…」
なんでこんな詞を書くんだ!?しかもバラードで切々と歌う、、、 日本人には理解できないよマジで。
でも顔がぶさいくで、それがたまらなく愛しいワンコとかいるじゃないの。
犬と女を一緒にすんな( ̄□ ̄;)!! …てご意見もあるとは存じますが、私はこんな発想からこの歌を自分なりに理解できたような気がするんだよね~~ん。


しかし、ビリージョエルの曲の場合はまた違います。
チャペルコンサートでもあることですし、
「君はそのままでいいよ」と言ってくれるあなたはイエス様。
そのように発想転換をすれば、たちまちこの歌詞はすぅ~~~っっっと自分の中に入ってくる。
「そんな無茶な!」と思われるかもしれませんが、
音楽って、創作者、表現者、視聴者、もぉ、解釈自由と思う。絵画もそうだ。時代背景とかそんなことは全く関係ない。「厳格な解釈が必要」な一部クラシック音楽の世界もあることも承知していますが。
学ぶことにはとても意義あると思うけど、アートって、究極的には、「創作者」「表現者」と「受け手」のとてもシンプルな関係だと思う。
正しいとか間違いもない。好きなものは好き。イマイチわからないものを好きになることもほんの少しの発想の転換。
そうして「受け容れられないもの」は何もないってことになっていく。

私はこれからますます、「この曲はこのように演奏されるべき」みたいな固定概念を叩き壊していきたいな。
「そーキタか!」とお聴きいただく方の心の中に入っていけるような。


もうちょっと言わせていただく。

「主われを愛す」という賛美歌があります。
  
♪主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ
 わが君イエスよ われを清めて よき働きをなさしめ給え
 わが主イエス 我を愛す

まあざっと、このような厳かな文語体の日本語訳です。
初心者クリスチャンの私の浅い経験の限りでは、厳かに歌ったことしかありません。


ところが、これを英語て4ビートで歌ってみたとき、私は鳥肌がたちました。
抜けるような青空のもとハレルヤ\(^o^)/と叫びまくりたくなるような、
何と底抜けに明るい歌なのでしょうか!
青い空が破れ、天使たちが舞い降りてラッパを吹きまくっているイメージ。

本来賛美とはこういうものだろう…と私は感じるのです。


クリスチャン発言?ミュージシャン発言? ごっちゃになり思うことたくさん書きました。
このチャペルコンサートも私のミュージシャンとしての成長の過程として、ぜひとも大勢の皆さまにいらして、お聴きいただきたいです。

つーか、私はゲストヴォーカルで、メインはSYO Michaelカルテット。
冒頭にも書きましたが、無料なんてあり得ない香川最高スペシャルなメンバーでのJAZZ炸裂のステージですので、ホント、お時間のある方はお気軽にお越しくださいね!

心よりお待ちしています。







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TAKAMI家のクリスマスイヴ

2017-12-26 | キリスト教のこと


The King's Singers - Es ist ein Ros' entsprungen



クリスマスが終わった、、、、
毎年燃え尽き症候群だ、、、、、
教会に通い始めてから、毎年同じようなこと書いてるような気がします。


イヴは、キャンドル礼拝でした。

一緒に行くことにしていた同級生SJこさんは、開始が19時からだというのに、17時に教会に着いたとTELがありました。なんと2時間前!!
雨も降ってきたので、左半身の不自由な彼女は、すぐ近くの私んちに寄るだけでも大変なので、もう直接現地に行ってしまおうと思ったのです。
キャンドルサービス後、うちでご飯たべましょうってことになってたので、私は、朝の礼拝が終わったあと、本日の晩餐の買い物にいって、シチューを仕込んでいました。
「私、今シチュー作ってる途中やから、すぐには行けん。1時間後も無理かも( ̄□ ̄;)!! 」
「私も一応シチューは作ってきたんやけど、、」
なんと、SJこさんも美味しいバケットに、バターとチーズ、私はふつーのバケット2本!!

「あんれま~~ なんだか『賢者の贈り物』のようだね。」
…いや違うな。「賢者の贈り物」はお互いのプレゼントを使うことができなくなったが、こちらは2倍になったのだ\(^o^)/

SJこさんは、日々スローライフを送っていらっしゃいます。2時間の待ち時間「まあ1人でのんびりしよるわ」と、、、
あまりにも早く到着したため、会堂には人もほとんどおらず、閑散として、ひんやりと冷え切っていたところ、たまたまいらした教会員の方が急いでヒーターやお菓子をご用意下さり、
SJこさんは、ゆるゆるとまどろんでいたとのこと。

キャンドル礼拝で毎年歌っている「エッサイの根より」

キングズシンガーズによる、こんな素晴らしい演奏、ゼヒお聴きください。
できれば、是非ヘッドフォンお聴きください。


「エサイ(エッサイ)」とは、ダビデ王の父の名前。無名の羊飼いでした。
羊飼いとは、当時、差別されている最下層の低い身分の職業でした。イエス・キリストは、その子孫。

イエス・キリストは、ダビデの子孫として輝かしく生まれたのではなく、神様が人類の底辺に遣わした。根こそぎすべてを救うために。
「エッサイの根株」は聖書の中のイザヤ書の大変有名な預言です。キリストの降誕を預言しています。

イエス・キリストはダビデの子孫ですが、ふつーの大工のふつーのいいなずけのマリヤから生まれました。
それも、皇帝命令の住民登録のための旅の途中、泊る宿もなく、家畜小屋があてがわれ、そこで出産し、天の御使いが「あなたがたの救い主が生まれた」ことを最初に夜番をしている羊飼いに報せました。





さて。
キャンドル礼拝が終わって家に戻ってきてからは、「お食事会」。
私のシチューは結局間にあわなかったので、お持ち帰りいただくことにして、
SJこさんが作ってくれた「チキンのフリカッセ」をメインに、ディナータイム。

画像ナシにて失礼いたします。

めっちゃ美味しかったチキンのフリカッセは、いずれ私が再現して画像アップします。

途中から諸事情でSYOさんも参入。
SJこさんが日付が変わる少し前にお帰りになったあとは、SYOさんと語りまくりました。

BGMなし。
「クリパ」感なし。
しかし、なんと満ち足りた時間であったことでしょうか。

教会に通い始めたもう何年も前から、TAKAMI家のクリスマスはめっちゃ慌しく、慎ましく、しかしひたひたと満ち足りたものとなっています。
これぞホントのクリスマスイヴ…と思っています。


…が、しかし、息子のところには、いまだに過激にサンタクロースが来ます。







コレが去年なので、今年は去年よりはちょっとショボイような気はしますが、、、






     
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Merry Christmas!

2017-12-24 | キリスト教のこと





今日はアドベント4週目の礼拝でした
コンテンポラリー礼拝で、チャーチオルガン弾きまくりました♪


これから買い物に行って、シチュー作って、煮込んでいる間に部屋の片付けして、7時からキャンドル礼拝に行きます。

いつもドタバタだなあ、、、

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クリスマス・ストリートライヴ vol,9

2017-12-15 | キリスト教のこと






12/2 田町交番前で、今年もクリスマス・ストリートLIVEやりました。
今年で9回目。来年は10周年です。
初回の記事を見つけて読んでみました。
まだ私がクリスチャンでなかった頃のこと。
私、今よりずっと率直に神さまのこと語ってるな。

これは、初期ストリートライヴの記事


なぜかというと、私が洗礼を受けた記事を書いたとき、
なんか違う世界にいってほしくない、今のままのTAKAMIでブログを書いてほしい…みたいなご意見をいただきました。

クリスチャンの視点から「神さま」につて語ることはしない…と、どこかでそんな線引きをちゃったのかも。

実は聖書の世界観というのは、世間一般の価値観とはかなり違うと思います。
どう違うかというと、
世間一般では、フツー自分がまず中心にいて、その周囲の人たちとの関係で世界は構成されています。
自己中…という意味じゃなくね。
これ、めっちゃ当たり前なことだと思う。
ところが、聖書の世界観は、世界を創造された神さまが中心。
自分という存在は、太陽系の地球のようなもの。
または、機関車が神さまで、自分はその牽引されている車両のようなもの。
この感覚になると、ものすごくラクチンなのです。


この感覚は、洗礼を受けたばかりのころは、まだあまりありませんでした。
クリスチャン生活を少しずつ重ねていくにつれ、この「神さまに委ねる」ラクチン感覚というものが養われてきたように思います。

「私の人生は、すべて、自己責任。すべての分岐点で、自分の道を自分で選択してきたのだ。」
と、このように思うのが、他人に責任転嫁しない、正しい大人。
私は実はひと昔ほど前にこんな歌をつくりました。

♪昨日みた夢は必ず叶う 
 それまで気持ちを変えないでいようね
 出会いも別れも 運命じゃない
 全部自分の手で選んできたんだ

ここで次のフレーズが浮かばず、放り出したままになっていました。


…しかしその後、実はこれらは、全部自分で選んできたつもりが、すべては神さまの計画だったのだよと気付く。
この曲、未完のままでお蔵入りさせといてよかったよ。



さて、ストリートライヴ。

今年は「TAKAMI&GUYS」「シオンワーシップチーム」
例年のように2ステージやらせていただきました。
「シオンワーシップチーム」は、教会のバンドとクワイヤーですが、もはや私は部活の顧問のようなもんです(^_^;)

各教会のワーシップチームが、クリスマスの賛美を歌う中、
私は、去年はオリジナル曲「うどんデート」を歌ったし、今年は「一合まいた」(高松祭りの民謡)を歌いました。
好きにやらせていただいています。
商店街を歩いてる人たちに立ち止まって欲しいですから。
今回初参加のベースの矢野弦一さん、実は全くのぶっつけ本番だったにもかかわらず、
下からしっかりと支えてくださり、以心伝心で、「ココ、アルコ(弓)で弾いてほしい…というところもキッチリ押さえてくださいました。すごっ!
誰にもリハ一切なしのぶっつけ本番とは気付かれなかったことでしょう。

そして、「クリスマスはぜひ教会で!」
…と、これは、心から呼びかけています。







イヴェント好きの日本人なんやから、クリスマスイヴは、教会のキャンドルサービスに行って、牧師のクリスマスの宣教を聞こうよ。
…とはいっても、教会というと、日本ではプロテスタントの小さな教会が多いので、絶対に行きにくいよね。
殆どが信者の集い…な感じだからね。
私は、クリスチャンじゃない頃から、クリスマスには教会に行ってみたかった。
そういう人結構多いんじゃないかなあ。
クリスマスこそ、一般の人たちが教会に行くチャンスなのに、すごくもったいないと思う。
私も、長い間クリスチャンの礼拝に行くのをためらい何十年も行けなかった。


クリスマスは、もともと「救い主」イエス・キリストの降誕を祝う日なのです。
イエス・キリストの教えていることの根幹は「互いに愛し合いなさい」。

ヨハネ13:34~35 
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。


キリスト教のことを何も知らなくても、クリスマスはプレゼントを贈りあったり、大事な人と過ごす…誰と過ごすかがなかなか重大な問題であったりする。
それは、「互いに愛し合いなさい」と教えたイエスさまの言葉が2000年の時を越えて、イスラエルから見たらこの偏狭の地、日本まで、世界の果てまで浸透しているのだと思える。
浸透の仕方が、キリスト教とはかけ離れてるけどね。







クリスマスまであと10日。

みなさま、よいクリスマスをお迎えくださいね♪♪
もしもキャンドルサービスやクリスマス礼拝に行ってみたいなという方がいらしたら、
コメントを下されば、即最寄の教会をお調べしてご案内します。

毎回しつこいけど、教会では宗教の勧誘は決してしません。
なぜなら、神さまとの関係はご本人のプライベートなことで、誰も立ち入ることができないと考えているからです。
私達にできるのは、神さまのところにお連れすること。それだけです。





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クリスチャンのお祈り

2017-02-19 | キリスト教のこと



「晩鐘」ミレー Wikipediaより




私はクリスチャンですが、それにしては毎日のお祈りが短かすぎます。
日々慌しく、出勤途中の自転車が、いつも神さまとの会話タイムです。

お祈りとは、神さまとの会話です。
たくさん神さまとの会話の時間をつくると、いくらでも神さまは、すぐ傍で聞いていてくれます。

なので、ぜひ、神さまに毎日たくさんお祈りをしましょう。
神さまは、ほんと~~~に、私達が神さまに向かって語ることを喜ばれます。

…というのは、元をたどれば、実は私の幼児体験なのです。

私は、子どものころも(特に幼稚園時代)、よく「お祈り」してました。
あまりよく覚えてないけど、
「…しませんように」っていうのが多かったなあ。
特に私は、当時胃腸が弱かったのか、よく吐いていたので、吐きそうになったとき
「吐きませんように」ってのが多かった。
でも、それが叶うか叶わないかは五分五分だったかなあ、、、
それでも、子どもの頃、私は神さまにお願いを聞いてもらってる感すごくありました。
神さまにお祈りしても、吐かないと治らないときは吐くんだ…ということもわかっていました。
こう書くとこじつけのようだけど、神さまは、祈り手には、その人にとって最善の結果を与えてくれるのだと、私は実は幼稚園の頃から確信していて、私にとっては、それは「事実」でした。


「神さまにお祈りをする」ということは、祖母たちに教わりました。
父方、母方の祖母とも、仏教徒で、毎日の勤行で仏壇にお経をあげる人でした。

ある時、雛人形を飾っていた時、人形にも心があるんよと、祖母が言いました。
「じゃあ、私のつくったこのお雛さまにも心がある?」と聞いたところ、
「仏さんのところに持っていって、心が入りますようにと、お祈りしたらええ」
と言われました。
私は、幼稚園(小学校だったかも)で作ってきた雛人形(卵の殻に顔を書いて、毛糸の髪の毛をつけて、牛乳ビンに乗せて服を着せたもの)に心を入れたくて、
素直に仏壇に持っていって、「心が入りますように」と、いつも私がお祈りしている神さまにお祈りをしました。
これで、このお人形たちにも心が入ったと、素直に信じていました。


でも、だんだんお祈りをしなくなってきました。
自分勝手なことを祈っても、こんな私の祈りを神さまがきいてくれるわけない。
ちゃんと努力もせず、合格祈るのは気が咎める、
ワルイこといっぱいしてきたのに、病気平癒もムシがよすぎる、、、

宗教に本格的に興味を持った中学生以降は、もう「神頼み」的なお祈りをするのはやめました。
家内安全、商売繁盛、合格祈願…それらを5円や50円のお賽銭でその場限りでお願いするのは、神さまに失礼…なような気がしてきたので、自分自身のことは全くお祈りしなくなりました。
初詣に神社にいったときや、旅行などで訪れた寺社仏閣で手を合わせるときは、いつも世界の平安を祈りました。
「これなら、神のこころに叶っているだろう」


私は、子どもの頃から、宇宙は「神」が創ったと信じていたのですが、
その神さまが、初詣やお寺のお参りや、そのた全世界のいろんなところでの宗教行事で数限りない人々それぞれの祈りをちゃんと聞いて、応えてくれるのか、、、、
そんなワケないだろ。
じゃあ、そこは、それぞれに祀られている神さまの担当なのか!?!?
神さまと仏さまの違いってなんなんだ?
「神」とは「摂理」であって、「法則」であって、まああまねく「愛」ってのもあるかも、、
だから、その法則に乗っ取って生きていれば自然と願いは叶うものだ。
それが、クリスチャンになるまでの、私の「神」についての考え方でした。





私が教会に通うようにって、聖書の「みことば」で、まず心にど~~~ん!と響いたのは、これです。

神は「あなたがたの髪の毛まで一本残らず数えられている」(マタイ福音書10章30節)



マジですか!?
私の知らない自分の髪の毛の数を知っている神さま。
私より私のことを知っているのか( ̄□ ̄;)!!
これだけでもうじゅうぶんなのでした。
私をこの世界に創り出して、あとは「摂理」に基づいて生きろよ…ってことじゃないのか。


じゃあ、やっぱり神さまにお祈りをしよう。
…ってことで、私は、また再び、幼稚園時代のように、ぐだぐだとした自分勝手なお祈りをすることにしました。
これ「お祈り」っていうのか??
お祈りは神さまにお話しする…な感じ。しかしそれを、神さまは必ずすぐ傍で聞いてくれるのです。
そして喜んでくれる。それだけでいいよ私は。

幼稚園の頃の感覚が甦ります。


イエス・キリストの言葉「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
(ルカ福音書18章17節)



「子どものように」とは聖書では、純真、無垢というよりも、自力では生きていけない、弱い者という意味合いで語られています。





さて。
キリスト教では、「とりなしの祈り」というのがあります。
自分の周囲で、心や体が弱っている人、病床にある人、困っている人、受験生、、、
これらの人たちを、神さま、どうぞ心にとめて、支えてください…というもの。
私は、教会に通い始めた最初の頃、牧師先生が礼拝の中で、この「とりなしの祈り」をされている最中に涙が止まらなくなりました。
私にとっては全くお会いしたこともない、知らない人たちでしたが、その方たちのことを、牧師先生が、ひとりひとり名前を挙げて、イエス・キリストの名前によって神さまにお祈りするのです。

教会に集う方たちも、それぞれ毎日、個人で「とりなしの祈り」をされてます。

恥ずかしながら私は、とりなしのお祈りをしようにも、咄嗟にその方たちを思い出せないことがとても多く、
「その他全部まとめてお願いします」…と、こんな大雑把に神さまにお祈りするってどぉよ、、、(-_-;)
ですので、今後、必ず手帳に書くことにしました。

Sさんの体調不良が3日以内に治りますように。
Yさんのお母さまの腰の痛みが早く治りますように。
Mさんの受験が良い結果でありますように…などなど。

手帳には、その他にも、今日買わなくてはいけないものを書く。これも併せて決心しました。

先日は、おにぎり用の海苔と、洗濯機の上の電球を買うところまでは覚えていたけど、あと一つが何だったのか、思い出せませんでした。(これを書いている今も思い出せない)
とにかく、こーゆうのはすべて手帳に書く!!
書くだけではなく、毎日手帳を開いて読む!!こうしないと書く意味はないのです。
(あたり前なんですけど、よほどの決意をしないとこれができない)

昨日は、棚を整理していたら、節分用の大豆が出てきた。
節分の10日ほど前に買ったものです。ずっと捜していたものです。
節分には「酢大豆」を作ろうと思っていたのですが、どこに置いたのかさっぱり思い出せず、放置状態でした。まあ、いつか出てくるだろうと諦めていました。
きっとこれからも、加齢とともにこんなことが多くなっていくのだろうなあ、、、


本日は「お祈りのオススメ」でした。
お祈りは、寺社仏閣にいったときだけじゃなく、いつでもどこでも、心に願いが生まれたときに、「わたしを創造した神さま」にお祈りすることオススメします。


私にとっては、「とりなしの祈り」をもっとちゃんとするためと、買い忘れ防止のための、手帳の活用をするという決意表明でもあります。

ではこれから、「酢大豆」を作るとしよう!!



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「サンクゼール」の伝道

2017-01-22 | キリスト教のこと





私は4年ほど前からクリスチャンなので、たまにはクリスチャンの伝道について書かせていただきます。

早くこの記事を書きたくて、詳細な時系列や、一般の方にはあまり関係ないと思うころは省略しています。


先日、職場の友人が、私に一冊の、ノートのような絵本を下さいました。
「りんごジャムの奇跡」
高松の「ゆめタウン」というショッピングモール内にある「サンクゼール」という、自社製のジャムやパスタソース、ワイン、ジェラート…などなどのお店に
「ご自由にお持ちください」と太っ腹で置いてあったそうです。

絵本の内容は、「サンクゼール」の会社の歴史と、ファミリーが次々と洗礼を受け、クリスチャンになっていく、チャペル設立の歴史が同時進行で展開していくもの。
また、見開きに1句ずつ、聖書のみことばも掲載されています。


要約すると、こんな感じ。

現代表、そしてチャペルの長老である「良三さん」は、1950年生まれ。
スキーが大好きで、20代で、「まゆみさん」と結婚して、長野でペンション経営を始めましたが、家族でのペンション経営は、あまりにも忙しく、子供の世話をしながらお客さまの対応をするのは本当に過酷で大変でした。
そんな中でも、まゆみさんは、近くの農園で売られている果物を買って大変美味しいジャムを作り、それがお客さまの間で大評判になりました。
(これが現在の「サンクゼール」の原点になっている模様)

家庭的にも大変な紆余曲折を経て、二人はペンションを廃業して、農園作りを始めました。
きっかけはフランスの田舎への旅行。
広いりんご畑、そこで放牧されている牛たち、シードルや、カルヴァドス(りんごのブランデー)の工場、レストランで食事をする幸せな老夫婦…

これらを見たご夫婦は、長野でもこの素晴らしい世界を実現しようと、多額の借り入れをして、農園にジャム工場やワイナリーを作りました。
しかし、借金の返済に行き詰まり、夫婦は窮地に陥り、良三さんは不眠になってしまいました。うつ病…だったのかもしれません。








その頃、まゆみさんは教会に通っていて、心が弱っている良三さんを教会に誘いました。
教会では、高齢の方や、体の不自由な方たちが、とても優しく、良三さんのためにお祈りをしてくれました。

そこで、良三さんは、神さま…イエス・キリストに出会いました。
心砕かれた良三社長は、社員を集めて心から謝罪をし、これからも協力してほしいと願ったところ、社員たちは、これまで以上に頑張って働いてくれたとのこと。

まゆみさん、良三さんは洗礼を受けてクリスチャンになり、さらに、神学校を卒業、牧師・長老となります。
息子さんたちも次々と受洗。
さらに「サンクゼール・チャペル」を設立し、社内にて、聖書の学びを開始。

「サンクゼール」商品は、次々とモンドセレクション金賞受賞。

現在、サンクゼールは、約90店舗出店し、サンクゼール・チャペルにて、100名以上の方が受洗されたとのこと。




サンクゼール  高松ゆめタウン店





いかがでしょうか。

これは、クリスチャンの方にとっても、そうでない方にとっても、感慨深いストーリーではないでしょうか。


以前、倉敷市の大原美術館の創立者大原孫三郎は、倉敷を「聖地」にしようとしたほどのクリスチャンであったことを、ご紹介しました。
早稲田大学時代放蕩の限りを尽くし、1億円以上の借金をして、親に、郷里岡山に呼び戻されたとのこと。
その後、キリスト教に出会い、彼は倉敷紡績の二代目社長に就任した時から、まともな教育を受けていない工場労働者に教育の場を設け、過酷な労働環境の改善について腐心したり、日本最大の孤児院を設立したり、そのほかにも多くの功績を残しました。
すぐにそのこととオーバーラップしました。


私はこの絵本を読んで、何よりも、こういった伝道のやり方にとても感銘を受けました。
B5のノートサイズ、40ページの絵本を「ご自由にどうぞ」といって、各店舗に置いているのです。
これを手にとった方は、家に帰って珈琲でも飲みながら、ゆっくり手にとって読むことでしょう。
これを下さった職場の友人も、じっくり読んで「この聖句が特によかった」という感想を聞かせてくれました。

私は早速「サンクゼール」に行ってパスタソースを試食しましたが、とっても美味しかった。
きっと他の商品も美味しいに違いない。
そして、その会社を経営している人はクリスチャンで、「長老」でチャペルも持っている。
こんな人が、こんな美味しい商品を作っている会社の代表なのか、、
この絵本を読んだ方は、誰もがそう思うはず。


「サンクゼール、サクセスストーリー」の中での良三さんの挫折。心砕かれたところでのキリストとの出会い。
これがなければ、今の「サンクゼール」はなく、だからこそ、この伝道があるのです。

宗教は、弱っている心に入ってこようとする。
…と、殆どの人が思っているでしょうし、私もそう感じています。
これまでも、病気になったとき、離婚したとき、いろんな宗教の方が私を誘ってくださいました。
実際に、心が弱っているとき、人は超自然的なものをよりいっそう求めると感じます。
順風満帆でとても毎日の生活が充実して満たされて、迷いも困難もない人は、死ぬまで、自分と神さまの繋がりのことをじっくり考えることはないかも。

そんな人よりも、少しは困ったり切羽詰ったりしたとき、神さまのことを思い出す人のほうが祝福されていると私は感じます。

どんな逆境に陥っても、自分の底力をどこまでも信じて、未来を切り開いていく…
私はそうやって生きて、そのことが自分のプライドでした。

そして、自分なりの成功をおさめるために、今よりも自分を高めたいと、日々精進、邁進…
というのには正直限界アリ。
何が成功で、何がゴールなのか全くわからない。
やっぱ、日々楽しく、ぐっすり寝て、美味しいゴハンを食べて、気のおけない人たちと一緒にゆるゆると過ごしたいな~~。

こんな紆余曲折を経てきた私がクリスチャンとなっている理由は、神さまが
「さあ、時間になりましたよ。ここにいらっしゃい。」
と仰ったからです。

子供の頃から、私は神さまを信じていたのです。
神さまは「宇宙の摂理であり愛である」と子供の心で疑いもなく感じていました。
だから、しょっちゅうお祈りもしていました。
しかし、その神さまは、さらに私自身も知らない私の髪の毛の数を知っていると聖書に書いてあります。
この神さまは私の愚痴も祈りもすべて知っている。
神さまとは、漠然とした「摂理」や「愛」じゃなくて、ものすごく具体的で私の隅々にまで介入しているのだ( ̄□ ̄;)!!

ああ、よかった嬉しい…と、なんだかとっても安堵するのです。


私は誰に勧誘されたわけでもありませんでした。
ですので、私も、キリスト教について誰も勧誘はしません。

キリスト教では、人々に福音を伝えることを「伝道」というのですが、私たち人間にできることは、神さまの許へご案内することで、
神さまとの出会いは、あくまでもその人と神さまとのことであって、他人には立ち入ることができない…というもの。

しかし、この絵本のような、こんなにも力強く説得力ある「ご案内」いいな~~~、と、、、
私にはなにができるかな、なにかしたいなーと思います。
拙い私にとっては、それは音楽でしかないのですけれど。


拙ブログをお読みいただいている方には、
なんでTAKAMIがクリスチャンになったのか?と思っていらっしゃる方、少なからずいらっしゃると思います。

私にとってはほんの少しですが、内側の気持ちを書かせていただきました。




サンクゼールの歴史と、オーナーの手記です。

ウェブサイトより抜粋しました。


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明日はクリスマス・イヴ

2016-12-23 | キリスト教のこと






クリスマスなので、 私も、教会のクリスマスについて書きます。

明日はクリスマス・イヴのキャンドルサービス。
私は「聖書朗読」という大役を仰せつかりました。
(3人のうちの1人)

今年は、オルガン奏楽の中、イエス・キリストの誕生に関する聖書箇所の朗読→黙想→賛美(クリスマスに関する賛美歌を歌う)を繰り返す…という流れで、
牧師のメッセージはなし。
じっくりと深く静かに聖書の言葉を味わう…という主旨。


教会の役員の方から、聖書朗読の奉仕の話をいただいた時、
「えーーーっっ、ほな、牧師先生は何すんの!?」と、純粋に素朴に思ったので、先生にメールしましたとも。
先生からは
「今回は、聖書のみことばに静かに耳を傾けて黙想するのが趣旨で、牧師のメッセージはありません。私も参加者の一人です。」

…ってことは、聖書のみことばを朗読する私たちが「メッセンジャー」みたいなものか、、

それは、ほんとにほんとに大役。

ぜひ人びとの心に深く届く朗読をしたいな。
歌で大切にしている「ことば」を伝えることと同じと考え、
一生懸命朗読の練習をしています。
聖書のお勉強もしとります。

「エッサイの根株から新芽が生え」…というくだり、
毎年クリスマスには耳にする聖書の言葉だけど、
「エッサイの根株」ってなんだ?

エッサイとは、ダビデの父の名。
ダビデは、聖書の中のとても重要な人物…いうなれば「有名人」で、たくさんの詩篇を残していますが、
エッサイとは、身分の低い一介の羊飼い。
イエス・キリストの系図を、ダビデの子孫…といわずに、「エッサイの根株から…」と。
イエス・キリストは、「有名人」や「王」の系図ではなく、最下層の、身分の低い、蔑まれた人の系図から出ていて、
その誕生を、最初に天使によって知らされたのも、夜番をしている野宿の羊飼いたちだった。
全世界の救い主は、一番低いところにへりくだって生まれ、飼葉桶に寝かされた。

…ということを、キャンドルサービスでのストーリーは語っています。

「きょう、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」
(ルカによる福音書 2:11)
これ、朗読していて胸が詰まります。
「あなたがたのために」ということばが迫ってくるのです。
2000年の時を超えて、私のためなのだ…と。
地のいちばん低いところに生まれて、大きなスコップで根こそぎ、すべてもれなく救いとります、、、なイメージ。


私は、右脳人間、感性人間なので、賛美歌や、聖書のことばを、自分の身体で声に出して表現していると、
その言葉や音楽の世界にハマりきって、自分の中で時空を越えて、その世界が再現されるのであります。
それって、すごく幸せなことだと思います。
自分が実際に体験していないことでも、ふっか~~~く感動できるんだよ。

音楽も絵も詩も小説も瀬戸芸もねっ。


[OFFICIAL VIDEO] O Come, All Ye Faithful - Pentatonix

こんなふうに私も賛美したいです♪


ところで今日は、サンタクロースからの指令で、クリスマスプレゼントを調達にいってきました。
また別途アップさせていただきます。
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スペシャル・ウェルカム・サンデー

2016-07-24 | キリスト教のこと


知る人ぞ知る!?
この私は、クリスチャンなのであります。
こんなのんべーのクリスチャンでいいのか!?!?

…ということはさておき、、、、


私が所属している「シオン教会」の、来週日曜日の礼拝は、「スペシャル・ウェルカム・サンデー」といって、
信者だけでなく、広く、一般の方に、「キリスト教とはこんな宗教」ということを知っていただこうと、
普段私たちが集っている日曜日の礼拝の中で、牧師先生が、一般の方々向けの宣教メッセージをして下さるイベントを行います。

どうぞ、ご興味のある方、どなたさまも、「どれどれ」と、お気軽にいらしてみてくださいね。

シオン教会では、この5月から、新しい牧師先生が就任されました。
その林桂司先生が着任されて初めてのイベントで、一般の方がたに対するメッセージを語られます。








毎週の礼拝のメッセージを、私はものすごく楽しみに、大好きな大学の先生の授業を聞きにいくような感覚で行っています。
これはなんとしても絶対サボらず行きたいな…という、、、


クリスチャンの「伝道」は、宗教の「勧誘」と大きく違い、この場所にご案内したら、あとは神さまにお任せ…ってことで、後追いはしません。
なので、ほんと~~~~にほんとに、

「キリスト教って、どんなん?」という知的好奇心の方、
ちょっと心が弱っているので、神さまのこと知りたい方、
ウチの子、教会学校に通わせてみようかな…という方
経済的に、健康的に、「明日が心配」という方
どうぞどうぞ、お気軽にいらしてください。

「明日のための心配はなにもいりません」

礼拝ですから、お祈りや、賛美の歌も歌いまくります。
私は、「賛美の歌」担当でございます。
でも、林先生のメッセージだけに期待していらしていただければいいのですヽ(`Δ´)ノ

シオン教会は、コミセンのようなところで、一般の方が想像しているような厳かな教会の雰囲気とは全然違うのです。普段着にスリッパでどうぞ。


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進化論 対 神 ~ Evolution vs God~

2016-01-18 | キリスト教のこと
進化論 対 神 ~ Evolution vs God~




私が3年前にキリスト教の洗礼を受けたという記事をアップしたときに、
「えぇぇぇ~~~~っっ!!」
…と、各方面から反響あり、今後宗教色の強いブログにならないでほしいとのご意見をいただきました。
もちろん! 私、違う世界にいったワケじゃないよ。…とおもっています。

が、この動画はゼヒとも、みなさまにご覧いただきたくアップに踏み切りました。
「創造論」の立場から編集されているので、違和感を感じる方もいらっしゃるかと思います。

私は、世界は神さまが創造したそれ以外あり得ないと魂の底から信じています。

この動画は、種から別種への進化の証拠が確認されていないところを徹底的にディベートで、進化論を論破しているところに、何故か私は、正直なところ、共感と反感の両方を感じてしまいます。

これからも私の琴線に触れたものはご紹介させていただこうと思います。





8月に転職して、コールセンター勤務になってから私、就業中に約1,5リットルの水を飲んでいます。
1,5時間1クールに500ml。
心がけているわけでもなく、オペレーターとは、喋るのが業務なので、合い間に少しずつ喉を潤そうと思うと、自然とこうなりました。
その結果、トイレの回数も増え、体の中で水が循環している感あり。
お肌も、この季節、毎年悩みのタネだった、手指や、唇やその周辺のカサカサが全くなく、
なんか調子いいのはなんでだろう??と考えてみても水を飲みまくっていることしか考えられない。

私の体の細胞も、水でひたひたと満たされているんだなあ…と思うと感慨深い、、、
その微妙なバランスで、カサカサしたり、お通じに影響したり、健康を左右するもんね。

「地球の水はどこから来たのか」

これ、最近のサイエンスのとれんでぃーな話題ですね。
彗星からやってきた…とか、それを証明できるかもしれないとか、、、???



「初めに神が天と地を創造した」(創世記1:1) l
「神は仰せられた 『光があれ。』すると光があった。」(創世記1:3)

これ、きっと聖書を読んだことのない方でも、ほとんどのみなさまがご存じと思います。
でも、実はこの2フレーズの間に、こんな記述があります。地味なので、聖書に馴染みのない日本人の方は、ご存じない方が多いと思います。

「地は茫漠としてなにもなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた」(創世記1:2)

昔むかしからの科学者の方たちが「水」に注目するずーっとずっと前から、聖書には、命の源である「水」についてこのように記されています。




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3本の木

2015-12-30 | キリスト教のこと


レンブラント 「三本の木」




クリスマスが終わり、いよいよ年末、いまさら年越しの準備。もう間にあわない。開き直るTAKAMI。


こんなお話をご紹介させていただきます。

私のFB友達の舟田譲二さんが、ご自分のブログでご紹介されていました。
作者不詳、イギリスで語り継がれている物語とのこと。

「幸せを約束する聖書の言葉」より



昔、ある山の頂上に、三本の木が立っていました。
その三本の木には、それぞれ将来の大きな夢がありました。

一本の木は、世界一美しい宝石箱になることでした。
二本目は、世界一大きな船になることでした。
そして、三本目の木は、人々がその木を見るとき、神さまを思い出すような、そんな世界一背の高い木になることでした。

時は過ぎて、三本の木は大木になりました。

ある日、木こりが来て、「綺麗な木だ」と言って、一本の木を切り倒しました。
その時、木は「宝石箱になるんだ」と呟きました。

次の木こりは「頑丈そうな木だ」と言って斧を振るい、木を切り倒しました。
その時、二本目の木は、「立派な大きな船になるぞ」と言いました。

次の木こりは、木を見ようともしません。
「どんな木でもいいんだ」と呟くやいなや、切り倒してしまいました。


さて、美しい宝石箱になることを願っていた木は、木工所に運ばれ、自分の願いとは違う、家畜のえさ箱になりました。
宝石箱とは大違いでした。

二番目の木は造船所に運ばれ、心弾ませていましたが、段々削られ、叩かれ、大きな船ではなく、魚を獲る小舟になりました。
大海原どころか、生臭い魚を運ぶ毎日でした。

三番目は製材所に運ばれ、太い角材にされたままです。
「自分は、ただ、あの山に立って、神さまを指していれば、満足だったのに」と独り言を言いました。
 

それから何年も月日が経ちました。もう自分たちの願いは、すっかり忘れていました。
 

そんなある夜、宝石箱を夢見たえさ箱に、一人の女性が、生まれたばかりの幼子を寝かせました。
一番目の木は、自分が世界で一番素晴らしい宝物をお入れしたことに気づきました。


ある晩、二本目の木の小舟に、疲れた旅人たちが乗り込んで来ました。
舟が陸から離れると、人々は眠り始めました。
すると嵐になり、舟になった木は恐ろしくなり、壊れてしまうと思いました。
するとその中の一人が、「静まれ」と言うと、嵐が静まりました。その時、自分は天と地を治める王をお乗せしているのを知りました。


また、ある日、長い間積み上げられていた、三番目の角材が引き出され、大勢の人々のあざけりの中を通っていきました。
そして、一人の男に、釘が打ち込まれました。木は恐ろしさで震えました。
それから三日目の朝、日が昇り、三番目の木の足元で、大地が喜びに満ち、神さまの愛で全てが変えられたことを知りました。



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