ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

味覚

2007年01月13日 | Weblog
今現在、左の歯でしか噛めない状態なのだが、たった
これだけでも、今ひとつ味が判らなくなる、というよ
り、自由にどの歯でも噛めないというこのことだけで、
味わうという行為が不完全になるという事実が、何と
も歯がゆい(文字通り)。
丁度、麻酔をしたときの麻痺した何とも言えない厭な
感覚が、ずっと残っているといった感じなのだ。
時とともに解消されるんだろうね(と、想像上の医者
に確認したつもり)。

右で噛むと、痛みがピキッと走るので要注意で、左に
してもまだ硬いものは駄目だ。
普通に食べられないことが、何故これほどの影響力を
持つのか。
気分的にも、大分左右される。
こんなことで、影響されること自体が問題だ、という
ことも重々承知なのだが、そうなってしまうのだから
自分の心理メカニズムを呪うしかないのか、残された
道は。
どうも、最近は、ついつい表現が大袈裟に傾く。
これも、今の状態からきているというこなのか。
あまり考えない方が良いいのかもしれない(と自分に
言い聞かせ)。

美味しいものを食べたいという欲求が、あまり強いと、
それが奪われたときのショックも大きくなるという良
い例を、いま現在実証中の身なのだが、これを糧に、
次からは実際に食べなくても、想像上で食べたつもり
になって、「ああ美味しかった」と感想を漏らし、想
像上のブログに食べ物日記を書いたつもりになって喜
ぶ、なんてのはどうだろうか。
「コンセプチュアルアート」に倣って「コンセプチュ
アルイート」。
しかし考えてみれば、これって単なるバーチャルリア
リティーのような気もする。
しかしここで考える。
「コンセプチュアルイート」にすれば何か新たな地平
が開けた感じがするではないか(自分だけか?)。
名前を変えただけで気分も一新。
結局、その程度か?

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