マグロの漁獲規制が、いよいよ現実のものとなりつつ
ある。
この先、マグロ大国日本の未来は、などと益々騒がし
くなるだろうが、個人的にはマグロが食べられなくな
っても、さして困らない。
ねっとりしたきめの細かい赤身とか、確かに美味しい
とは思うが、無ければ無いで問題ない。
トロに関しても、美味しいとは思うが、全身トロだらけ
の蓄養マグロを見るにつけ、積極的に欲するほどでは
ないので、これもノープロブレム。
実際のところ、マグロが食べられなくなって心底悲し
くなる人はどれほどいるのだろうか。
世界的な需要が多くなってきて、嘗てのように日本だ
けでマグロを占有できなくなったのが、そもそもマグ
ロが注目される原因となったわけだが、皮肉にも一番
影響を受けるのがその食文化を広めた日本とは。
と言っても、今までの日本のマグロの扱い方を見てる
と、自業自得という側面もかなりある。
まず、まき網漁法による根こそぎ稚魚まで含めて獲る
そのやりかた。
これでは、資源が枯渇するのは当たりまえだ。
そしてごっそり獲ったマグロを、消費者がどう扱って
きたか。
宴会で出てきた冷凍マグロ、とりあえず形だけで刺身
の盛り合わせを望む悪しき習慣によって、食べもしな
いそれらのマグロがそのまま廃棄、こんな光景が当た
り前のように繰り返されてきた。
つまり、これからそのつけを払わされるということで
はないだろうか。
個人的には、連鎖の頂点にあるマグロより、その底辺
の魚、鰯の状況の方が気にかかる。
海の環境の変化に一番敏感な魚、バロメーター的鰯の
方こそもっと注目すべきなのでは、と常々思っている
のだが、どうもブランドの方に目が行くのが人間で、
相変わらず大衆魚的扱い(瞬間的に高級化するかとい
う時もあったが)で、低く見られている。
もっと鰯に光を、これからはこっちのほうだろう。