このところ使っている画像の元(11月23日の)を、試
しにプリントしてみた。
A-4サイズで(今使っているプリンターは、A-3まで可
能なのだが、まず用紙がないということと、プリント
してもリスクの方が大きいので、つまり、プリントす
るほどのものではないということになりかねないので、
いまだ、A-3ではプリントしたことがない)。
写真として、観るに耐えるかということでプリントし
たのだが、見た目よりちょっとシャープさがかけるの
で、コントラストは強めに。
結局は、どこかいじり調整するのである。
で、できた写真はどうなのかということだが、単なる
古い建物の壁と窓の写真である。
例えば、これにタイトル「100年の孤独」などとつけた
ら、それらしくなるのだろうと思う。
或いは「視線の凍結」などという抽象的なものを付け
れば、一生懸命なにかを読み取ろうとするのではない
か。
いずれにしろ、類型的なものに感じるのだが、作品と
いう名が付き、それにタイトルがあれば、人はそうい
う風に何かを見ようとする。
額に入れた時点で、作品に変わるので、境界は額とい
うことになる。
これは、飽くまでも見る側の境界だ。
ここで気をつけないといけないのは、タイトルもちゃ
んと入れることだ。
それをしないと、単なる自分の趣味でお気に入りを飾っ
ているという、作品としての格がでてこない。
そこで、間違っても「晩秋」「秋の日差し」などと直
接的なものはつけてはいけない。
もしそういうタイトルにすると、写真趣味のサークル
の中で完結してしまう、よくあるというか、一番一般
的な写真となってしまう。
秋の日差しがよく表現されている、などと評されるの
が落ちである。
別にそれでも良いと言えば良いのだが、ここでは、写
真がより芸術よりに見られることを前提として話を進
めたい。
とここで気付いた、一体私は何を言いたいのか。
単に、写真をプリントしたという話であったのだ。
別に、写真芸術論ではなかった。
それに、写真に対していろいろ知っているわけでもな
いし、写真の芸術性というものも、今ひとつ解らない
し、書くほどのものを持ってなかった。
そして何より、写真に対してそんなに思い入れもなかっ
た。
写真好きからすると、資格がないと言われる部類の人
間であったのだ。