卍(まんじ), 谷崎潤一郎, 岩波文庫 緑55-4, 1950年
・今の言葉で言うところの、心理カウンセラー的人物のもとを訪れたある婦人の告白。この婦人、柿内園子と徳光光子の同性愛を軸に物語は進み、単なるぐちゃぐちゃドロドロの愛憎劇と思いきや、途中からサスペンスの要素も混じり込んでくる。「嘘をついているのは誰なのか」そして、「狂っているのは誰なのか」 他人が覗き込んではいけない秘密の世界を描いた絢爛な絵巻物。
・現在読んでも強烈な内容なのに、発表された1928年(昭和3年)当時の世間に与えた衝撃はいかばかりだったでしょうか。そんな『谷崎文学』を存分に堪能できる作品です。
・「(作者註、柿内未亡人はその尋常なる経験の後にも割にやつれた痕がなく、服装も態度も一年前と同様に派手できらびやかに、未亡人というよりは令嬢の如くに見える典型的な関西式の若奥様である。彼女は決して美女ではないが、「徳光光子」の名をいう時、その顔は不思議に照り輝やいた。)」p.14
・「(作者註、写真を見ると、お揃いの着物というのは如何にも上方好みのケバケバしい色彩のものらしい。柿内未亡人は束髪、光子は島田に結っているが、大阪風の町娘の姿のうちにも、その目が異常に情熱的で、潤おいに富んでいる。一と口にいえば、恋愛の天才家といったような気魄に充ちた、魅力のある眼つきである。たしかに美貌の持主には違いなく、自分は引き立て役だという未亡人の言は必ずしも謙遜ではないが、この顔が果たして楊柳観音の尊容に適するかどうかは疑問である。)」p.19
・「「ああ憎たらしい、こんな綺麗な体してて、――うちあんた殺してやりたい。」わたしはそういうて光子さんのふるてる手頸しっかり握りしめたまま、一方の手エで顔引き寄せて、唇持って行きました。すると突然光子さんの方からも、「殺して、殺して、――うちあんたに殺されたい、――」と、物狂おしい声聞こえて、それが暑い息と一緒に私の顔いかかりました。見ると光子さんの頬にも涙流れてるのんです。二人は腕と腕とを互の背中で組み合うて、どっちの涙やら分らん涙飲み込みました。」p.37
・「わたしと夫とはどうも性質が合いませんし、それに何処か生理的にも違うてると見えまして、結婚してからほんとに楽しい夫婦生活を味おうたことはありませなんだ。夫にいわすとそれはお前が気儘なからだ。何も性質が合わんことはない、合わさんようにするよってだ。(中略)夫の方では私の性質に合わすように努めてるのんですやろけど、それがほんまに気持がびちっと合うのんでのうて、こっちを子供扱いにして、ええ加減にあやしてるように思われますのんで、そういう態度が癪に触って仕方あれしません。」p.46
・「「あての姉ちゃんかって夫あるねんもん、あてもあんたと結婚することはするけど、夫婦の愛は夫婦の愛、同性の愛は同性の愛やよって、姉ちゃんのことは一生よう思い切らんさかいそのつもりでいて頂戴。それがイヤやったら結婚せえへん」」p.69
・「「異性の人に崇拝しられるより同性の人に崇拝しられる時が、自分は一番誇り感じる。何でやいうたら、男の人が女の姿見て綺麗思うのん当り前や、女で女を迷わすこと出来る思うと、自分がそないまで綺麗のんかいなあいう気イして、嬉してたまらん」」p.100
・「つまり私たちは光子さん一人が太陽みたいに輝いて見えて、どんなに頭疲れてる時でも光子さんの顔さい見たら生き返ったようになりますのんで、ただそれ一つ楽しみに命つないでいる。(中略)まあいうてみたら、普通のパッション捧げられても面白ない、薬の力で情慾鎮静さされてしもてても燃えるような愛感じるのでなかったら満足出来へん。――結局二人藻抜けの殻みたいにさして、この世の中に何の望みも興味も持たんと、ただ光子さんいう太陽の光だけで生きてるように、それ以外に何の幸福も求めんようにさしたいいうことになるのんで、薬のむのん厭がったりしたら泣いて怒んなさるのんです。」p.190
?まんじ【卍・卍字・万字】(もと、インドでの吉祥の印で、吉祥万徳の集まる意から、中国で「万」の字に当てて用いたもの)1 もとインドでビシュヌ神の胸毛より起こった吉祥のしるし。仏菩薩の胸・手・足などに現れた吉祥・万徳の相を示すもの。日本では寺院の標識、記号などに用いる。 2 卍のような形。 3 紋所の一つ。卍にかたどったもの。左卍、右卍、丸卍など種類が多い。
《チェック本》
谷崎潤一郎『蓼喰う虫』
・今の言葉で言うところの、心理カウンセラー的人物のもとを訪れたある婦人の告白。この婦人、柿内園子と徳光光子の同性愛を軸に物語は進み、単なるぐちゃぐちゃドロドロの愛憎劇と思いきや、途中からサスペンスの要素も混じり込んでくる。「嘘をついているのは誰なのか」そして、「狂っているのは誰なのか」 他人が覗き込んではいけない秘密の世界を描いた絢爛な絵巻物。
・現在読んでも強烈な内容なのに、発表された1928年(昭和3年)当時の世間に与えた衝撃はいかばかりだったでしょうか。そんな『谷崎文学』を存分に堪能できる作品です。
・「(作者註、柿内未亡人はその尋常なる経験の後にも割にやつれた痕がなく、服装も態度も一年前と同様に派手できらびやかに、未亡人というよりは令嬢の如くに見える典型的な関西式の若奥様である。彼女は決して美女ではないが、「徳光光子」の名をいう時、その顔は不思議に照り輝やいた。)」p.14
・「(作者註、写真を見ると、お揃いの着物というのは如何にも上方好みのケバケバしい色彩のものらしい。柿内未亡人は束髪、光子は島田に結っているが、大阪風の町娘の姿のうちにも、その目が異常に情熱的で、潤おいに富んでいる。一と口にいえば、恋愛の天才家といったような気魄に充ちた、魅力のある眼つきである。たしかに美貌の持主には違いなく、自分は引き立て役だという未亡人の言は必ずしも謙遜ではないが、この顔が果たして楊柳観音の尊容に適するかどうかは疑問である。)」p.19
・「「ああ憎たらしい、こんな綺麗な体してて、――うちあんた殺してやりたい。」わたしはそういうて光子さんのふるてる手頸しっかり握りしめたまま、一方の手エで顔引き寄せて、唇持って行きました。すると突然光子さんの方からも、「殺して、殺して、――うちあんたに殺されたい、――」と、物狂おしい声聞こえて、それが暑い息と一緒に私の顔いかかりました。見ると光子さんの頬にも涙流れてるのんです。二人は腕と腕とを互の背中で組み合うて、どっちの涙やら分らん涙飲み込みました。」p.37
・「わたしと夫とはどうも性質が合いませんし、それに何処か生理的にも違うてると見えまして、結婚してからほんとに楽しい夫婦生活を味おうたことはありませなんだ。夫にいわすとそれはお前が気儘なからだ。何も性質が合わんことはない、合わさんようにするよってだ。(中略)夫の方では私の性質に合わすように努めてるのんですやろけど、それがほんまに気持がびちっと合うのんでのうて、こっちを子供扱いにして、ええ加減にあやしてるように思われますのんで、そういう態度が癪に触って仕方あれしません。」p.46
・「「あての姉ちゃんかって夫あるねんもん、あてもあんたと結婚することはするけど、夫婦の愛は夫婦の愛、同性の愛は同性の愛やよって、姉ちゃんのことは一生よう思い切らんさかいそのつもりでいて頂戴。それがイヤやったら結婚せえへん」」p.69
・「「異性の人に崇拝しられるより同性の人に崇拝しられる時が、自分は一番誇り感じる。何でやいうたら、男の人が女の姿見て綺麗思うのん当り前や、女で女を迷わすこと出来る思うと、自分がそないまで綺麗のんかいなあいう気イして、嬉してたまらん」」p.100
・「つまり私たちは光子さん一人が太陽みたいに輝いて見えて、どんなに頭疲れてる時でも光子さんの顔さい見たら生き返ったようになりますのんで、ただそれ一つ楽しみに命つないでいる。(中略)まあいうてみたら、普通のパッション捧げられても面白ない、薬の力で情慾鎮静さされてしもてても燃えるような愛感じるのでなかったら満足出来へん。――結局二人藻抜けの殻みたいにさして、この世の中に何の望みも興味も持たんと、ただ光子さんいう太陽の光だけで生きてるように、それ以外に何の幸福も求めんようにさしたいいうことになるのんで、薬のむのん厭がったりしたら泣いて怒んなさるのんです。」p.190
?まんじ【卍・卍字・万字】(もと、インドでの吉祥の印で、吉祥万徳の集まる意から、中国で「万」の字に当てて用いたもの)1 もとインドでビシュヌ神の胸毛より起こった吉祥のしるし。仏菩薩の胸・手・足などに現れた吉祥・万徳の相を示すもの。日本では寺院の標識、記号などに用いる。 2 卍のような形。 3 紋所の一つ。卍にかたどったもの。左卍、右卍、丸卍など種類が多い。
《チェック本》
谷崎潤一郎『蓼喰う虫』